101・花の薫り
はぁはぁはぁ……あーもうくっそ、疲れた。いやクソとか言うのやめよう今一番聞きたくない。
どこへ行っても敵敵敵で、さらに敵。
向かう先向かう先でどうやっても敵さんが追いかけてくる。やってらんねぇよ。
……しかも自分聞いちゃったもんね、敵の兵士、主にミミリィ隊長みたいな犬タイプの人たちが言ってるの。
『匂いを辿れ! 動く竜糞の匂いが不審者だ!!』だってよ。
ほんと、エンジェルさんにしてやられたよ。
というか人に文字通りクソ投げつける奴のどこが天使だこのやろう。
……ちなみに糞は敵を撒く過程で井戸に飛び込んで流したため、自分はもうここの水は飲もうとは思わない。
悲しいけどこれも戦争なのよね。
まぁ、知らずに飲んだ人が居たとしたら文句はエンジェルさんに言ってください。
あと余談だが井戸ってただ水を溜めてるんじゃなくて流れてるんだね。危うく流されるとこだった。
ただでさえ泳ぎは無理なのに衣服着用でとか……割と洒落にならなく死にそうだったね。
ちなみにだが、もちろんすぐに服は着替えてビニール袋に入れて厳重に封をしたよ。ジャージ雨合羽からジーパンとパーカーへ。似合わないサングラスも装着。この戦争が終わった暁には報酬として誰かに洗ってもらうんだ。
……まぁ、それでもにおいはとれていなかったらしく兵士さんに追いかけまわされましたけどねー。
あと脱いで気付いたんだが、ステルスしてるなら別に合羽きてなくてもよかったわよね。
すっごい今更だが。
もっと言えばそれ気付いたあとでもサングラスとパーカーで正体隠そうとする自分は何考えてるんだろうね。
で、そんなことをしているとだ。さてはて……ここはいったいどこじゃらほい?
何とかかんとか消臭剤を一本使い切りながら敵を撒いてやっとこさ敵のいない所にきたと思ったら、こんどはここがどこだかわからないときたもんだ。
一応お城の中の、それも結構高い所にいるっぽいけど……あ、飛竜が飛んでる。
そうか、あっちもあっちで戦闘開始してるんだね。がんばれエリザ指揮官。
まぁそれは置いといてだ。とりあえずここがどこだかわからないからうろうろ。
うーん。逃げ回ってる間に結構時間たっちゃったなぁ。これからどうすん――ん?
あ、なんか豪華で大きな扉を発見。
いや扉はそこら中にあるけれども問題はそこでなくて。
「………ざ…な……」
なんか聞こえる。
それも数人の話し声が。
「…なん……ひ…ゅう……あはははは」
……あと笑い声も。
え? なにここ扉越しでもわかるくらい他とは空気が違うんだけど。
割と、嫌な予感しかしない。思わず立ち往生してしまう――と、不意に後ろからタッタッタという何かが駆けてくる軽快な足音が聞えてきた。恐らくだれかがきたんだろう。
その何者かは、まぁ形容するなら兵士である。腕が獣的に毛深い以外に人間との違いを見受けられない彼は、その見た目からしてヘヴィな扉を勢いそのまま押し開ける。
「失礼します!」
兵士が開けた所に素早く潜りこむ自分。なんか、スパイっぽくなってきた。
部屋には長テーブルが3つカタカナの“コ”の字を描くように配置されており、それぞれの机にはいくつもの華美な椅子が誰にも座られずただ空しげに並べられている。
いや全てがそうではない。扉の正反対、丁度自分の真正面にあたる部屋の一番奥には一際豪華で大きな椅子がありそこには一人の、細身のおじさんが頬杖をついて座っていた。
紺色の髪を長く伸ばし、細く気だるげな黄緑色の瞳が特徴的だ。
……たぶん玉座よな? というこた座っとるのが王様とかそこらへんなんかね?
でもにしたらうちの魔王様より威厳……いや、どっこいか。
そしてその横には二人の人影が。
一人は青年で、年のころは自分と同年代くらいだろう? 玉座らしい椅子のひじ掛けに体重を預けて佇んでいる。
王様、王様? の横で中々に偉そうね。不敬罪とかで首飛んだりしないん?
髪は脱色したかのように真っ白であり即頭部にはアンモナイトみたいな角と背中に黒い蝙蝠羽で……あー、うん。種族は悪魔とかデビルとかデーモンとかそこら辺だね。
服は真っ白い修道着みたいにも見える。よくわからんがそんな感じで、あと目がこう――白い。黒目がない。
多分髪の色からして予想するに、恐らく瞳の色が白いのだろう。だから一体化してるだけで決して白目しかないわけでは……うん、たぶんそうだろう。
で、そんな容姿の偉そうな青年の足元には感情の薄い、無表情にも似た顔でペタンと床に座るメイドさんが。
彼女もまた玉座の側面に背を預け、実にくつろいだスタイルで座っている。あと手が青年の服の裾をぎゅて握ってる。
かわいい。
ちなみにこのメイドさんの容姿は青年と同じような白い髪をおかっぱにしてこちらの世界のメイド服を着ているというとてもわかりやすいものである。ただ目は白ではなくきちんと黒目部分が存在してるよ。
ま、なんか虹色に輝いてるような気もするんだがまぁそういうのもあるでしょう。他は特にこれといった特徴はないが、まぁそれもそれでそういうもんなのでしょう。
全く知識のない分野を考えてた所で、その行為はブロッケンの妖怪を生け捕りにしようとするのと同じくらい無駄なことなのだ。だから深く考えない。
にしてもメイドさん多すぎやしませんかねこの世界。誰の趣味だ。
「ひやぁ!」
あ、突然の闖入者におどろいてかメイドさんが青年の後ろに隠れた。ただ頭かくして尻隠さずというか、もうちょい隠れるんならがんばろうぜ。どっかのトナカイよりは隠れてるけどさぁ。
あと表情筋動かそうぜ。
「ははは……んあ? なんだ? 今忙しいんだが」
王様らしき人が気だるげに言う。胡乱気な眼がじぃっと兵士さんをにらみつける
「た、ただいま城内に謎の不審者が潜んでいるらしく、その報告を」
あ、それ自分――
「おっらぁ! ざっけんなゴルァ!!」
窓が割れ、下品な怒声とともに一つの人影がとんできた。
それは飛び散るかけらをものともせずに、机や椅子をなぎ倒しながら危なげなく堅い床へと着地する。
あまりに豪快、そして粗暴な登場をするのは金糸の髪と純白の翼を広げた藍色のドレスに身を包む、怒りに顔を歪ませた女性――つまり、エンジェルさんである。彼女が窓を破壊してこの部屋に転がり込んできたのだ。
……エンジェルさん、だよね? 鼻血垂らしてドレスはボロボロにはだけて大きなズタ袋を米俵のように担ぐその姿は、到底第一印象である『お淑やかな淑女』のイメージから全力全開でかけ離れているのだが。
いわゆる『黙ってりゃ美人』なタイプの人なんでしょうね。
まぁ、そもそもあらゆるイメージも糞をかけられた瞬間に霧散しましたがねぇ!
自分の中でこいつはあらゆる女性の中で最底辺に位置する変態だ。あーくっそ思い出だしたら腹立ってきた。
そんな変態エンジェルさんは自分、もとい自分の横にいる兵士なんかに目もくれず、大股で荒々しく青年に詰め寄っていく。
「ご主人これは一体どういうことですの!? 話が全く違うじゃないですか!!」
「ふん。ご苦労」
「ご苦労じゃない! あなたの情報信じたせいで洒落にならないことになってたんですからね!?」
「ふむ、なら詫びに後で契約金を追加しよう。いくらがいい?」
「そうじゃないです! 今はお金の話はどうでもいいんです! あなたの情報の不備について文句言ってるんです! あなた言いいましたよね簡単に捕まえられるって!!」
「ああ、言ったな。どうだちゃんと持ってきたか?」
「ええ持ってきました持ってきましたよ! あたいが一度でも仕事を仕損じた事がありますか!? ほら!!」
そう叫ぶように彼女は青年に担いでいたズタ袋を押し付けた。ただその扱いは声の荒さとは対照的に随分と丁重なものに見受けられる。
……というか、あれだよね。直前の会話の流れからしてその中身ってさ……いや、確かに大きな生き物くらいは入りそうだけども。一体何が入ってるんだろうね。若干もぞもぞしてるし。
……やな予感してきた。
「ふん。ま、当然だな。ほら、マリー」
「はふっ!? あわわっ!?」
そしてエンジェルさんとは対称的にズタ袋を荒っぽく放り投げるようにメイドに渡す青年――めんどくさい、デビル君でいこう。放り投げるように荒っぽくデビル君がメイドさんにズタ袋を押し付け、バランスを崩しそうになりながらもそれを何とか支えるメイドさん。
こら! あんたなにやってんの! 人が入ってるかも解らんのにそんな荒っぽく扱わないの! 危ないでしょ!
という注意の言は心の中だけに留めておき、も少し奴らを観察する。袋の中身も気になるし。
……しかし、袋が全く動かないのが非常に怖い。さすがに“捕まえた”という表現を使ってることから死んではいないだろうケドさ。
「とりあえず! 一から説明してください!!」
何かが壊れる音が響く。エンジェルさんが椅子を盛大に蹴り飛ばした音だ。
同時に横にいる兵士が若干引いてるのも雰囲気でわかる。うんわかるよ、あーいう女性のヒステリーって怖いよね。女同士で行われる水面下の争いと同じくらい怖い。
そしてそれを目の当たりにして平然としてるデビル君に自分は尊敬の念すら覚えるよ。
あとさっきエンジェルさんには隠れてるのがばれた事から相当警戒して息を潜めていたのだが、全く気付く気配がないね。
さて、そうやって憤るエンジェルさんではありますが彼女の疑問に対して求めていた答えは返っては来なかった。
それは横から入った不機嫌な声にさえぎられたが故である・。
「……うるさい」
玉座の人が隠そうともしない不機嫌さを声にも顔にも出しながらそうつぶやいたのだ。
「己の弱さを他人のせいにするな。駒は駒らしく、言われたことだけをやればいい」
いや、情報の不備は上官の責任と違いますか?
と、思っているとエンジェルさんは面倒くさそうな顔を全面に出して、これまた面倒くさそうに吐き出した。
「あたいはあなたの駒ではありません。もっと言えばあたいの雇い主はこの方なのであなたに指図されるいわれもありません」
「……生意気な」
「は? じゃあ降りましょうか? べっつにあたいは今ここで逃げ出しても全然かまわないのですよ?」
「……ふん」
勝者、エンジェルさん。
彼女が玉座の人を見下すその表情は、実に冷たいものだった。その声も相まって侮蔑の感情が余さんばかりに伝わってくる。
どうやら彼らも一枚岩ではないらしい。
「それよりもご主人! どういうことなのか説明してくださいませんか!?」
あ、結局そこに話が立ち戻るのね。
あと感情の切り替え早いな。
「はぁ、なにがだ」
「ですから! 今回の仕事! あなた言いましたよね目標の編成は戦士四人魔術師一人の計四人だって! それぞれの特徴と共に私に教えましたよね!!」
……あぁ、嫌な予感がだんだん強くなってきた。
いやでもこっちの編成は七人のはずだ。多分違う、と思いたい。
「ああ、そうだな。」
「そうだなじゃない! なんですかあれ全然聞いてたのと違うじゃないですか! 本気で死を覚悟しましたよ! なにが護衛は雑魚の集まりだ、いたとしても鎧騎士以外は問題にはならない、ですか! ぜんぜん化け物じゃないですか! あなたの言葉を鵜呑みにしたあたいもあたいですけどにしたって! いくら隠れようとも一瞬で見抜かれて! どんな感知持ってるんですかあいつら! 飛龍と追いかけっこなんてもう二度としたくないですよ! というかそもそもお姫様は戦えないって聞いてましたけど、大剣振り回して真っ先に襲い掛かってきましたよ! とっても強かったわよ!!」
……いやでもそもそもこっちのお姫様は大剣を振り回してはいない、はず……。
やばい嫌な汗が全身から出てくるのがよくわかる。
これは最悪を想定して、どうにかここで奪い取るしかないかもしれん。
「しかも当初の人数にプラスして報告になかった暗殺者が死角から切りかかってくるし合間合間に地上から弓で狙撃手が狙ってくるし……飛竜の上にいる人をあんなに正確に狙える狙撃手とか、どんな化け物ですか。ギリギリで避けたけど、おかげで服がこれよ。どうしてくれんのよこれ、高かったのに」
最後は力なく、へたり込むように近場の椅子に腰掛けるエンジェルさん。
その姿は若干の哀愁が漂ってるように見える。
「……あの、申し訳ありません」
「ん?」
自分の横から声がして、その主以外が同時にそこへ注目する。
それは存在感のやたら薄い兵士であり、彼は戸惑ったような声でこう続ける。
「その……不審者についてなのですが」
そっちかよ。今それはわりとどうでもいいんだよ。
というかアレの中身を聞いてくれた方がありがたいのですが。
「ん? ああ、あれか。キエラが糞をかけたってやつか」
デビル君が無感情に口を開く。なーるほど、キエラっていうのかエンジェルさんの名前は。
「……もう、知っていましたか」
「というか報告が遅い。これだから下等生物は」
玉座の人、ちょくちょく偉そうに失礼かますよね。
いや、えらいんだろうけどさぁ。
「……申し訳ありません」
しかし兵士さんが青ざめ恐縮するあたり、本気で偉い人のようだ。
「で、見つけたのか?」
「いえ、それが井戸に飛び込んだらしいというあとは消息が掴めず……」
「逃した、と。役に立たないな」
「……申し訳ありません」
そう言って頭を下げる兵士さんは顔色を失い、肩が小刻みに震えていた。
なに、もしかして怯えてる?
「ふん。役立たずはいらん、が……まぁ最後に魔獣の餌くらいにはなるだろう」
玉座の人が冷酷な笑みを浮かべる。
それは冷たく、不気味な笑みだ。
それを認めた兵士さんはより一層と顔を白くして体の震えも大きくなる。
なるほどなぁ。そういうことか。
ゲスやね。
「ど、どうかそれだけは――」
「ならん。我が国に無能はいらん」
そう言いながら彼は何やら拳大の石のようなもの掲げようとする。
あぁ、見たことある。魔獣召喚用の魔石だね。
確かまだまだいっぱいあるんだったっけ?
つまりそれを使ってこの人をおいしくいただく魔獣を召喚する、と。
目の前でそういうスプラッター繰り広げられるんならさすがの自分も止めるぞ?
「おい、この状況で無駄に兵を減らすな。終わってからにしろ」
しかし彼その手はデビル君に掴まれ止められてしまった。
なんと慈悲深いお言葉だろう。その実内容はただ先延ばしにしただけだが。
しかしまぁなんにせよこれで彼の命が伸びたのは変わらないわけで、兵士さんは安堵の表情で息をつくのだ。
「……ちっ。下がれ」
実にバツが悪そうですな玉座の人。
なーんかこれ見てると、あれだな。エンジェルさんには負けてデビル君には止められと、もしかしてこのメンツの中で一番カースト低いの彼なのかもしれないね。
「……失礼します」
震える声でそういうやいなや兵士さんはそそくさと扉の向こうに消えていく。
そしてその背を眺めながらふと、エンジェルさんがつぶやくのだ。
「侵入者か。彼にはなぁ……とっさとはいえ悪い事しちゃったわ」
うるせぇエンジェルさん! いやキエラ! もう名前覚えたぞお前末代まで祟るからな!
そんな事を考えながら、自分はゆっくりゆっくりばれないようにメイドさん、もとい彼女の抱える袋に近づく。
今は個人的な感情を抜きにしてあのいかにもな袋を手に入れる方が先決だ。
だからそのままお前らずっと扉に注意向けとけよ。こっち向くなよ。
「……しかし、なるほど。すまなかったなキエラ、人間さえいなくなれば簡単なことだと思ったがそうはいかなかったようだな。奴らは奴らなりにやるようだ。腐っても英雄ども、というわけか」
「英雄ってあなた」
「『氷帝』と『歌姫』がいただろう? 他にもいるらしいが、まぁ興味がないので知らん。ただ名はわからなくとも恐らく精鋭ぞろいだから警戒するように言っていたじゃないか」
おいおいおいおい。
え、ちょっと、それ、え?
なんかすごい聞き覚えが……えー。
「……まったく、言葉が足りないといいますか、いつもいつもそういう大事なことは黙ってるんですから。契約切るわよ?」
「そう言うな。ほら、今回は無理を言ったからな、その特別報酬だ。受け取れ」
クックックと笑いながらキエラに向かい金貨を投げるデビル君。なんだこいつナルシストの匂いがするぞ。
「……安いですね」
「ふん、文句でもあるのか?」
「いえ、別に。ただこんな安値のために攫われたトゥインバルのお姫様が哀れに思えただけ。あれだけの人材を手元に置けるのなら普通はもっと、それこそお金に換えることのできない価値のある人物だったのでしょうにね」
言葉の通り哀れむような口調の言葉にピクリ、と自分の動きが止まる。
今、一番聞きたくなかった言葉が聞えた気がした。それと同時に体中から嫌な汗が噴出してきた。いやまぁさっきから覚悟はしてたけど。
おい、おまえ、お姫様一体なにやらかしてくれとんねん。
「何だそんな事気に病んでいるのか? ならばほら、もう一枚やろう」
「……どうも。ついでに教えますけど、もう少しで契約きれますからね。あとこれはあなたが自分で“特別報酬”って言ったんだし、これによる延長はないですから気をつけて」
「……ふん。今この場にこれ以上の手持ちはない」
「そ。まぁ契約切れたらあたいは逃げますから、逃がしたくないなら金払うか私を惚れさすかどっちかしてくださいな」
「守銭奴が」
「悪い?」
「まあ、いい。守銭奴だろうがなんだろうが、仕事さえしてくれるなら文句はない」
そんな奴らの雑談などが耳に入ってきてはいるが、そんな事はどうでもいい。
必要なのは、お姫様を安全に奪還する方法だ。
「……ねぇご主人様。あれ、なに?」
そう思った矢先である。メイドさんが自分の方向に指をさしたの……自分?
え? ま、まっさかー。たまたまよねたまたま。
だって自分今消えてるし……うん。
「なにがだ?」
「あそこから、嗅いだことのない花の薫りがするの。それにそこだけ人の形に魔力がおかしな動きをしてる」
彼女がそう言ったと同時に自分は駆け出す。それと同時にデビル君はお姫様とメイドさんを抱えて跳び上がって距離をとり、数瞬遅れてキエラも続いて慌てたように奴らに近づく。
チッ。奪還作戦失敗である。




