【幕間】 開発者の願い
薫と光を送り、二人の母親にテストプレイヤーに関する話を終えた帰り。
浅倉は今日の出来事を反芻していた。
偶然の出会いだったが、浅倉にとっては大きな意味を持つ出会いだった。
子供特有のシンパシーかも知れないが、二人は浅倉が望んでいた資質を持つ存在だった。
そして、偶然とはいえ二人がテストプレーヤーとなった事で、浅倉達が欲していたデータが収集できる事となった恩恵は大きい。
「浅倉さん、お帰りなさい」
車を地下駐車場に駐め開発室へと戻った浅倉を出迎えたのは、寝癖の付いた短い髪の女性だった。
見た目は身長の低さもあって、女性というよりも少女といった方がしっくり来る容姿をしており、ラフな格好がその印象に拍車を掛けている。
寝起きなのか欠伸をかみ殺しつつ、コーヒーメーカーからコーヒーを注いだ紙コップを両手で持ち、砂糖だけ入れてチビチビと飲む。
「ただいま。悠ちゃんはこれから?」
「はい、さっきまで仮眠室で休んでました。今のところ、大きな問題は出ていないようですね」
浅倉に悠と呼ばれた女性はそう答えると、飲み終えた紙コップをゴミ箱に捨て、イスに掛けてあった白衣を身に纏う。
机の上に置いてあるHMDを手に取り、『行ってきま~す』と間延びした声で浅倉に挨拶して、悠は開発室を後にする。
AIによる完全制御とはいえ、正式稼働初日は開発部の人間が交替でログインして、突発的なトラブルに備えている。
悠はこれから夜中までのシフトでログインするため、仮眠室で時間調整を行っていたようだ。
その彼女と入れ替わるように数人の男女が開発室に入ってくる。
「お疲れ、様子はどうだった?」
浅倉の言葉に数人の男女の内、後ろ髪を縛った男性が状況を説明する。
報告の内容は想定内で、特に問題らしい問題は出ていないそうだ。
「問題は無いですが、流石にコアなユーザーは侮れませんね。待機時間終了直後に再度ログインして、ずっとプレイしていますね」
副作用の問題があるため、再度ログインするまで一時間は間を開けなければならない。
とは言え、個人差があるため一時間というのも暫定的な区切りでしかない。
生体端末が使用者の体調不良を感知すると、自動的にログアウトするように出来ている。
薫と光が使ったテスト筐体は、より繊細な状況を把握するために筐体側にコンディションチェッカーが搭載されている。
これは、プレイ中のプレイヤーの状態をモニターするためでもある。
「取り敢えずは想定内と言ったところか。春休み中だし、深夜帯にはもう少し人数を増やした方が良さそうだね」
浅倉の言葉に後三名ほどは欲しいですねと、ショートカットの女性スタッフが答える。
その申請に、浅倉は携帯端末からシフト一覧を呼び出すと、回せそうな面子をピックアップする。
「僕と涼子ちゃんが確実に入れそうだな……後一人は見付けておくから、君達は次のログインまで休憩しておいて」
思案顔で答える浅倉に挨拶してから、戻ってきた面々は食事を摂りに開発室を後にする。
休憩に入ったスタッフを見送った浅倉は自分のデスクへと向かうと、PCの電源を入れて追加の人員に誰を回すかを思案する。
最後の一人を決め連絡のメールを送信し終えると、浅倉はPCの電源を落として一息つこうとコーヒーを淹れるために席を立つ。
「あら、浅倉さん戻られていたんですね」
コーヒーメーカーから淹れたてのコーヒーを紙コップに注いでいると、開発室に戻ってきた涼子が浅倉に声を掛ける。
浅倉が涼子にただいまと返すと、涼子は薫と光の両親への説明はどうでしたかと訊ねる。
涼子の質問に二人の父親とは会えなかったが、概ね問題なく了承を得られた事を話す。
その説明に涼子は安心した様子を見せると、浅倉に二人のログイン中に起こっていた出来事について報告する。
「ログを確認して改めて思いましたけれど、本当に起こるとは思っていませんでした」
「普通に考えたらそうだろうね。けど、あの子が関心を持ち、学習するためには必要な仕様だったからね」
「……仕様外の事が起こる仕様、ですか。ある意味、矛盾した仕様ですよね」
浅倉の言葉に、涼子は初めてこの仕様を聞かされた時の事を思いだしていた。
従来のゲームでは、現行の仕様と違う動作を行うためには、メンテナンス期間を設けて仕様変更を行う必要があった。
World chronicleは従来のゲームと違い、AIによる完全制御のため、メンテナンスによるサービスの停止という事態がない。
もっともこれは、本来の目的を果たすために取られた措置の副次的な恩恵であり、意図しての事ではない。
「World chronicleそのものが、従来のゲームとは違う目的のために作られた物だからね。今後はどうなるのか、僕にも見当が付かないよ」
「それでも、私達の中で一番World chronicleを理解しているのは、生みの親である貴方だけですよ、浅倉主任」
「肩書きで呼ばれるのはちょっと勘弁して欲しいなぁ、涼子ちゃん」
苦笑気味の浅倉に涼子は微笑を返すと、これから『あの子』に会いに行くのかと訊ねる。
「そのつもりだよ。あ、それと深夜帯の監視だけど、人手が要りそうだから僕と涼子ちゃん、それから志郎君が助っ人で入るから宜しく」
涼子にそう答えると、浅倉は開発室の奥にある浅倉専用の個室へと移動する。
部屋の広さは四畳半ほどで、中央にはテスト筐体と同型のシートが置かれており、部屋の一面は巨大なモニターになっている。
殺風景な室内を気にする事なく浅倉はシートに座ると、自身の生体端末へシートに備え付けられている読み込み機のコードを接続する。
「ダイレクト・リンク、アクセス」
一言小さく呟くと、起動キーを認識したシートが蒼い燐光を発して周りの景色が一変する。
HMD等の投影装置を用いずに、意識そのものをネットの世界に接続する、近年なってようやく実用化に成功した技術である。
しかし、現状ではまだ実用化に成功しただけで利用できる人材が限られており、浅倉もその数少ない人材の一人である。
電脳空間に実体化した浅倉の意識は、World chronicleのシステムにアクセスすると、システムの中心部へと意識を向ける。
『お父さん!』
淡い色調で統一された子供部屋に訪れた浅倉に、十歳前後の容姿をした少女がそう言って駆け寄り浅倉に抱きつく。
部屋の中央には天蓋付きのベッドが置かれており、沢山の可愛らしいぬいぐるみがあちらこちらに置かれている。
ベッドの傍にある精緻な意匠が施された白いテーブルの上には、色とりどりのお菓子が並べられている。
「調子はどうだい? 正式稼働で疲れてないかい?」
『大丈夫だよ! それよりも、今日お父さんと一緒に居た子達は誰!? 新しくテストプレイヤーになった子達のようだけど?』
浅倉の質問に少女は満面の笑みで答えると、薫と光の事を訊ねてくる。
その様子は興味津々といった感じで、二人に強い関心を持っている事が伺える。
そんな少女に浅倉は二人との出会いから一緒にプレイするに至った経緯を説明する。
少女は浅倉の説明を興味深く聞き、説明が終わると『また遊びに来てくれるかな?』と、浅倉に訊ねる。
浅倉は微笑んで『きっと来てくれるよ』と答えると、少女は満面の笑みを浮かべて傍にあるぬいぐるみを抱きしめて嬉しそうな表情になる。
「よほど二人の事が気に入ったんだね」
『だって、私と同じくらいの年頃の子達なんて、初めて見たんだもの!』
少女の言葉に浅倉は意識をシステム領域にある登録者一覧へと向けると、登録されている全プレーヤーの最年少を検索する。
検索の結果、現時点で登録されているプレイヤーの最年少は薫と光の二人だけで、次に若いのは現在高校生の世代だった。
「確かに、登録されている最年少は薫ちゃんと光君の二人だけだね」
『二人とも、私の友達になってくれるかな?』
先ほどとは打って変わり、不安そうな様子で訊ねてくる少女に浅倉は笑顔で『大丈夫』と答える。
しかし、今はまだ知るべき事が沢山あり、二人に会うのはまだ先の事である事も告げる。
『うん! いっぱい勉強して、いつかきっと二人に会いに行くね!』
笑顔で宣言する少女の頭を浅倉は優しく撫でる。
実際に二人に会うときは少女の素性を明かす事は出来ないが、二人ならきっと良き友人になってくれる事だろう。
今はまだ先の事であるが、その時の事を想い浅倉は少女にとって二人との関わりが良い影響を与えてくれる事を願う。
「それじゃ、僕はそろそろ戻って仕事に備えないとね」
『もう帰っちゃうの?』
浅倉の言葉に少女が悲しそうな表情を見せると、浅倉は夜中のパトロールが終わったらまた来るからと少女を慰める。
少女は絶対だよと浅倉と指切りをして約束すると、次に浅倉がやってくるまでの間に、もっと色々と勉強をしておくと意気込みを見せる。
そんな少女を褒めて浅倉は少女の部屋を後にする。
「ダイレクト・リンク、アウト」
終了のキーワードを唱え、浅倉は電脳世界から現実世界に戻ってくる。
浅倉は携帯端末を取り出すと、自分がログインするまでの時間を確認する。
仮眠を取るには微妙な時間であったので、浅倉は開発室へと戻って本格稼働したWorld chronicleのログイン情報を確認する事にする。
先ほどの報告でもあったが、現在登録されている全ユーザーの内、一割ほどのユーザーが待機時間直後の再ログインを行っていた。
それらのユーザー達の半数が二桁のレベルに到達する手前まで来ている。
効率重視のプレイを否定する訳ではないが、もっとWorld chronicleの世界を堪能して欲しいと思ってしまう。
ゲーム内で感じる光、風、それらの自然は現実世界と遜色のない出来映えだ。
担当した開発チームは、それらの自然を再現するために遅くまでデバッグ作業に精を出し、休日返上で頑張ってくれていた。
――ただそこに居るだけでも楽しめるように。
その思いを胸に作業をしていた彼らの事を、浅倉は誇りに思う。
彼らだけではない。
World chronicleに生きる全ての生き物。モンスターを含め、既存のゲームに無い特色を出すために頑張っていたチームのスタッフ達。
皆が世界初の完全AI制御のゲームを作り出す事に誇りを持ち、自らの出来うる最大の努力を注ぎ込んだもう一つの世界だ。
だが、World chronicleは正しい意味で完成したゲームではない。
ユーザーの分身であるPC達。彼ら彼女らがゲーム内で生活し、ゲームを制御するAIがそこから色々な事を学び取っていく。
そうして、世界が成長を続け行く事。
ゲームのタイトルが示す世界の在り方。
本格稼働を向かえた今、生みの親である浅倉自身もこの世界がどう移り変わっていくのかは見当が付かない。
叶うなら、全てのユーザーがこの世界で生きる事を楽しみ、世界を愛して欲しい。
それが、今の浅倉の心からの願いだった。
2012年10月06日 初投稿