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第一話「1840年後の君へ」

張角さんがあまりにも不憫でならなかったので、現代に転生させてやろうと思いました。

――西暦184年

――冀州広宗 黄巾党拠点にて


「で、伝令!」


黄色い布を腕に巻いた青年が、部屋になだれ込んでくる。


「おいっ、騒がしいぞ! 将軍様は臥せっておられるのだ!」


同じく黄色い布を巻いた男が声を荒げてたしなめるが、青年は構わず続けた。


「じ、人公将軍 張梁様、皇甫嵩の策略により……」


「何? まさか……」


青年は言葉を続けようとするが、

認めがたいことなのだろうか、その先がなかなか出てこない。


すると、静寂を裂くように、

しわがれた声が寝台の方から響いた。


「……捕らえられた、か」


気だるそうに身体を起こしながら、そう呟いたのは、

天公将軍、またの名を大賢良師――張角であった。


寝台の脇では、かすかに香の匂いが残っている。


「皇甫嵩軍に捕らえられたとあっては、

いかに張梁とはいえ、もはや助からぬか……」


張角は咳き込むように息を吐き、

自嘲するかのように口元を歪めた。


「申し訳ありま……!」


青年が膝を折ろうとしたその時、

張角は弱々しくも確かな意思をもって、それを制すように手を上げた。


「よい。

……おぬしが謝ることではない」


その声はかすれていたが、

部屋にいる者すべてが耳を傾けるには十分だった。


長い溜息をついた張角は、やがて語り始める。


「思えば、あっという間のことであった。

兄弟三人で、師のもとへと通った日々が懐かしい」


張角の独白を聴くうちに、その場の全員が悟っていた。

彼の命が、もはや長くはないことを。


「初めは、『民を救いたい』その一心だった。

その気持ちが通じたのか、我が下に集った民は万をも超えた」


「数は力だ。

そうして勝つことを覚えた民は、

次第に、自らを止められなくなる」


誰に言うでもなく、張角は続ける。


「私は……それを、分かっていたはずだ」


天を語り、

民を信じ、

そして――民を、諫めなかった。


「笑えるな……」


張角は天井を仰いだ。

黄色く染め上げたはずの理想は、

いつの間にか、血と土の色を帯びていた。


「民のためにと天を語った、この私が……」


その言葉を最後に、

張角の視界は、ゆっくりと暗転していった。


   ◆   ◆   ◆


肺が、焼けつくように痛んだ。


――息が、できない。


空気を吸っているはずなのに、喉の奥で何かが詰まっている。

反射的に、張角は身をよじった。


「――っ……!」


掠れた声が漏れる。


咳き込もうとしても、身体が言うことをきかない。

首元に残る違和感に、両手を伸ばす。

指先が触れたのは、ざらついた布の感触だった。


引き剥がすように腕を振るうと、

白い布切れが、力なく床へと落ちた。


はらり、と。


その音が、やけに大きく聞こえた。


張角は、しばらくその場にうずくまったまま動けずにいた。

息を吸い、吐く。

それだけの動作に、妙な集中を要する。


――生きている。


その事実を理解するまでに、時間がかかった。


ゆっくりと視線を落とす。

床に突いた両手が、目に入った。


白い。

皺も、傷も、ほとんどない。


かつて自分のものであった手とは、あまりにも違う。

鍬を握り、符を描き、

幾度も血と土に塗れた、あの手ではない。


指は細く、爪は短い。

骨ばった感触も、

歳月の重みも、

そこにはなかった。


「……これは……」


声が、裏返る。


張角は思わず口を押さえた。

喉に張り付くような違和感がある。


――これでは、まるで幼少の頃のようだ。


この高い声や自身の手についても、

五十を越えていたはずの自分の身体とは

ナニカが決定的に異なると、感覚が告げていた。


「……ここは……どこだ……」


視線を巡らせる。


寝台――いや、これは床に近い。

見慣れぬ形の寝具だろうか。

硬い板の床。

壁は土でも木でもなく、均一な色をしている。


武器はない。

香の匂いも、血の臭いもない。


代わりに、部屋の隅に、奇妙なものがいくつも転がっていた。


四角く、厚みのある紙の束。

綴じられているようだが、

どのようにして留めているのだろうか。


書簡……のようなものだろうか。


なぜか、それを見た瞬間、

胸の奥が、ちくりと痛んだ。


少し離れた場所には、左右一対の何か。

革のようだが、

張角の知っているものとは形が違う。


――形状としては、履物が近いだろうか。


だが、見たことがない。

草履でも、靴(木履)でもない。


張角は、知らず知らずのうちに眉をひそめていた。


「……ここは……どこだ……」


再び問いかけるように呟いた声が、

やけに幼く、部屋に反響する。


返事はない。


静かだ。

あまりにも、静かすぎる。


戦の気配も、人の気配もない。

だが、荒廃しているわけでもない。


――生きている場所だ。


張角は、そう結論づけた。


そして、その瞬間。


頭の奥を、鈍い衝撃が貫いた。


「……っ!」


こめかみの内側から、

何かを無理矢理押し広げられるような感覚。


痛みというより、圧だ。

理解できない量のナニカが、

一気に流れ込もうとしている。


視界が揺れる。


名前。

年号。

意味の分からない言葉の断片。


それらが、意味を持つ前に――


張角の意識は、

ぷつりと、途切れた。

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