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第三話 アンドレア防衛戦 濁流の果て

――アンドレア川、ウェストリア側

リィンは軋む体を無理やり動かし、結界魔術で雷撃を防ぎながら、なんとか岸に上がった。

数名の兵と合流し、這うようにして自陣営へ向かう。

「小国イースデン、侮ることなかれ……要警戒、と本国に伝えねば」

だが陣営付近で気づいた。

音がしない。

逃げ支度で慌ただしいはずの貴族たちの声も、物音もない。

脳髄の警鐘が鳴り止まない。

この木立を抜ければ、誇り高きウェストリアの天幕があるはず――。

しかし、そこにあったのは無人の陣であった。

ニヤケ面の騎士服の男と、イースデンの正規兵がこちらに気づく。

「はっはー、これはお早いお帰りで……もう少し時間がかかると思ってたんだけどねぇ」

男はタバコを爪弾き、吸い殻を上等な靴で踏み潰す。

「君は思った以上に優秀で……そして危険だね」

その凄惨な笑みに、背中を冷たい汗が伝った。

ウェストリア陣営――付近の丘

物見櫓とも言えない簡易の櫓に、ジルマーレとユーリは身を潜めていた。

最後の策――もはや策と呼べる代物ではない。

敵陣営のすぐ近くで、総指揮官自ら偵察しているのだから。

前線に総指揮官がいるウェストリア軍も相当だが、

イースデンはその上をいく狂気の沙汰だった。

「ユーリくん、現状は?」

ジルマーレは観劇でもしているかのようにくつろぎ、タバコをくゆらせている。

「は…ドボク老の仕込みが上手くいったようです。後列は潰走。一直線にこちらへ向かっています」

「兵士? 魔導師?」

「魔導師が数名…赤髪は見当たりません」

ジルマーレはふぅむと喉を鳴らした。

「じゃあ本陣には、取るに足らない連中しか残っていないってことだねぇ」

タバコの煙がゆらりと揺れた。

「よし、全員生け捕りにしよう。身代金をたんまり頂くとしようか」

陣の規模は小さい。

貴族用の天幕が三つ、物資倉庫が一つ。

中では魔導師らしき貴族二名が慌てて逃げ支度をしている。

侍従騎士が二名ずつ――計六名。

隠れている者がいても十名に満たないだろう。

「…なんで歩哨が一人もいないのでしょうか…?」

ユーリが疑問を漏らす。

「あぁ……なるほど。だから楽に行けるわけだ」

ジルマーレは何かを察したように、魔核へ鉄筆で素早く文字を刻み込む。

「ユーリくん。この石を陣の東と北に投げ込んでくれ。僕は西と南に行く」

「……? 了解しました」

ユーリは疑問を飲み込み、石を受け取った。

「投げ込んだら……そうだな、指笛でも鳴らしてくれ」

「よろしいのですか?」

「なにもできないさ」

ジルマーレは軽薄な笑みを浮かべ、静かに立ち上がった。

ウェストリア陣営――本陣周辺

ジルマーレは魔核に刻んだ術式を指先でなぞり、最後の一画を滑らせた。

「……これでよし。あとは風の流れを少し変えるだけでいい」

魔核が淡く光り、陣全体を覆う結界が“別の性質”へと変質していく。

ユーリはその変化を肌で感じ、思わず息を呑んだ。

「砦将閣下……これは?」

「簡単な話さ。結界の内側だけ、酸素を薄くする。

火も魔術も使わず、静かに眠ってもらうだけだよ」

ジルマーレは軽く指を鳴らした。

次の瞬間、天幕の中から

――ドサッ

――ガタン

と、鈍い音が連続して響いた。

「……終わりだねぇ」

ジルマーレは天幕をめくり、気絶した貴族魔導師たちを確認する。

侍従騎士も、逃げようとしていた兵も、全員が静かに倒れていた。

「ユーリくん、縄を。丁寧に縛ってあげよう。身代金は逃げられると困るからね」

「は、はい!」

二人は淡々と作業を進め、十名足らずの捕虜を次々と拘束していく。

ジルマーレは最後の一人の手首を縛り終えると、タバコを取り出し火をつけた。

「さて……そろそろ来る頃だ」

「来る……とは?」

「赤髪の魔導師がね。あれだけの濁流と雷撃を生き残ったなら、ここに戻ってくるはずだよ」

ジルマーレは煙を吐き、天幕の外へ視線を向けた。

その時――

木立の向こうから、ふらつく足取りで一人の男が姿を現した。

泥と血にまみれ、結界の余波で息も荒い。

リィン・ドゥナージェだった。

彼は焼け跡と、縄で転がされた貴族たちを見て、目を見開いた。

「……な……にが……」

ジルマーレは振り返り、にやりと笑った。

「はっはー、これはお早いお帰りで……もう少し時間がかかると思ってたんだけどねぇ」

男はタバコを爪弾き、吸い殻を上等な靴で踏み潰す。

「君は思った以上に優秀で……そして危険だね」

その凄惨な笑みに、リィンの背中を冷たい汗が伝った。

二人の対峙

「……何者だ」

努めて冷静に。

内心は激しく揺れているが、それを表に出さずリィンは問う。

「はっはぁー! 立派だ!

なんで敵が陣営内にいるのか?

どうしてこの場所がわかったのか?

どうやって十名もの魔導師を無力化したのか?

疑問はいくらでもあるだろうに、冷静そのものを必死で演じる。

君は中々の役者だねぇ……うむ、立派だ」

その男の言動は軽い。薄い。

薄いのに、情だけがまるで存在しない。

軽薄で、薄情で、底が見えない。

リィンは必死に冷静を保つ。

「まぁ、いいよ。“何者か”との問いには答えよう。

第四装甲魔導中隊長、ジルマーレ・ベルシェ大佐。

あぁ、今はアンドレア砦の砦将もやっているねぇ」

背中を伝う冷汗は、もはや芯を凍らせるほどだった。

敗北の自覚

「砦将……いまここで貴公を打ち倒せば、この戦、我軍の勝利となるのか……?」

「はっはー、どう思う?

三万もの軍勢をほぼ失い……

あぁ、君のところの大将も、今頃は優秀な僕の部下たちが捕らえているだろうねぇ。

それでもなお“勝利”と言えるかな?」

軽薄な笑みのまま、酒場で世間話でもするような口調でジルマーレは言う。

リィンは奥歯を砕かんばかりに噛み締め、睨みつけた。

「……言えないな。僕は将軍ではないが……我軍の大敗だ……」

血を吐くような表情で、敗北を認める。

勧誘と拒絶

「……いいね。君は凄くいい。ウェストリアに置いておくのが勿体ないくらいだ。

どうだい? 僕の元に来るというのは?」

「断る。私はウェストリアに忠誠を誓った。

私が居なくなれば、貴公らが臣民へ牙を剥くだろう」

即答だった。

命乞いをしてもおかしくない状況で、リィンは貴族の誇りを掲げた。

「高い地位には義務が伴う《ノブレス・オブリージュ》……はっはー。

いいねぇ、古臭い絵本に出てくる騎士様のようじゃないか」

からかうように、わざと感情を逆撫でする言葉を選びながら、ジルマーレは続けた。

「しかし君は敗者だ。敗者は勝者に従うべきだよ。

それが古来からの――木と石で戦っていた頃からの、人類の決まりさ」

「違うな。僕はまだ敗けていない。

我が誇り高きウェストリア軍はイースデン軍に敗北したかもしれない。

だが――ベルシェ卿、貴公にはまだ敗北していない」

リィンは懐から杖を抜き、全身に魔力を漲らせた。

魔力そのものは感知できないはずなのに、空気が震えるような圧が走る。

その尋常ならざる気配に当てられ、ユーリは反射的に二人の間へ飛び込み、

最新式の銃型短杖を構えた。

「ジルマーレ様、挑発なさらないでください!!」

リィンの杖と、ユーリの銃型短杖、そしてジルマーレの視線が交差する。

足元の草がざわりと逆立ち、木々の葉が微かに震えた。

空気そのものが渦を巻き、三者のどれかが一歩でも踏み出せば、即座に戦闘が始まる――そんな張り詰めた気配。

名乗りと敬意

「……良く分かったよ。赤髪の君。名を聞いても?」

先ほどまでの軽薄さは跡形もない。

声は重く、厚く、まるで鎧のような威圧感を纏っていた。

「リィン……リィン・ドゥナージェ男爵。白金魔導師だ」

生唾を飲む音がした。

それがリィンのものか、ユーリのものか、判別できないほど空気は張り詰めている。

「ドゥナージェ卿。貴君の勇気と才能に敬意を払い――一つ、頼み事をしたく思う」

ジルマーレは懐から煙草を取り出し、火をつけた。

火花が散る音が、やけに大きく響く。

「これより本国に帰り、イースデンへの侵略行為を止めるよう忠言して欲しい」

煙がゆらりと揺れ、リィンの顔をかすめる。

その言葉は命令でも脅しでもない。

ただの“事実の提示”だった。

国への疑念

「本国の豚共が聞くとは思えない……

それよりも、後の禍根を断つためにも貴公をここで討つべきだと僕の本能が告げている。

貴公は危険だ。危険すぎる」

杖に込められた魔力が一層高まる。

空気が震え、草がざわりと逆立つ。

「その魔術を放つのはおすすめしないよ。

放った瞬間、君が守ろうとした臣民たる背後の負傷兵が――全員死ぬ」

それは脅しではなかった。

ただの事実。

そしてリィン自身も理解していた。

この男は、軽薄な態度で挑発しながら、重厚な声で諭しながら――

ずっと魔力を練っている。

ここで衝突すれば、勝敗以前に“守るべきもの”が死ぬ。

それが分かってしまう自分が悔しい。

心の揺らぎ

「それにね、僕は君が少し気に入ってしまったのだ。

君はここで、こんな“消耗品”を使い潰すための戦で死ぬべきじゃない」

その言葉に、リィンの心臓が跳ねた。

ギクリ、と音がした気がした。

図星だった。

――薄々、気づいていた。

無能な指揮官。保身しか考えない貴族魔導師。

三万の軍勢の大半が農兵で、しかも最近接収した都市からの徴兵。

出兵命令すら出ていないのに、リィンは“都合よく”戦に駆り出された。

(増えすぎた“消耗品”を処理したいだけ……)

軍部がイースデンを本気で落とせると思っていたはずがない。

嫌がらせか、あるいは“少し減ってくれればいい”程度の考え。

ついでに、声ばかり大きい無能な貴族たちをまとめて処分できれば――

そんな思惑すら透けて見える。

ジルマーレは、リィンの沈黙を見て、薄く笑った。

「やっぱりね。君は気づいていると思っていたよ」

真の危険

ジルマーレは煙草を指先で弾き、灰を落とした。

「君は“道具”じゃない。

だが、君の国は――君を道具としてしか見ていない」

リィンの喉がひくりと動いた。

「僕が危険だと言ったね?

違うよ。

本当に危険なのは――君の国だ。

君のような人材を、平然と捨て駒にする国こそがね」

リィンの魔力が揺らぎ、杖先が震えた。

怒りか、悲しみか、自分でも分からない。

ジルマーレは静かに続ける。

「だからこそ、君には生きて帰ってほしい。

君が帰らなければ、あの国は永遠に変わらない」

決断

急速に周囲の魔力が収縮する。

空気の変化に敏感な斥候兵ユーリは、短杖の引き金に指を掛け、リィンを撃とうと構えた。

だがジルマーレがそっとその銃口を押し下げ、静かに首を振る。

「……貴公の忠告、感謝する。

この場は貴公の言葉に従わせていただく」

リィンは静かに、しかし重々しく頷いた。

「この度のイースデン侵攻作戦は失敗だ。残存兵を連れ撤退する。

出来れば兵卒には温情を賜りたく存ずる。

貴族子弟の身柄は貴軍に任せる。身代金の支払いが行われるかは……貴公の交渉次第だと思う」

「はっはー、まるで帰ってきてほしくないみたいな言い草だねぇ。

相当嫌な思いをしたんだねぇ」

ジルマーレは元の軽薄な態度に戻る。

「自らの手で殺せるなら殺したい程度にはね」

「元気いいねぇ……」

リィンは、憑き物が落ちたかのような表情で告げた。

「此度の戦場では、貴公と貴軍に敗北した。

しかし――次に会えた時は、必ず我々が勝利する」

「おぉ……それは怖い。僕は君の前に立たないようにしよう。

ドゥナージェ男爵。貴公の健闘を祈らせてもらおうかな」

そう言ってジルマーレは右手を差し出す。

リィンはその手を力強く握り返した。

「次は敗けません」

「はっはー、次に会う時はもっと強くなっているのだろうねぇ……」

煙草の煙が風に流れ、二人の間を静かに通り抜けていった。

その一瞬だけ、敵味方の境界が消えたように見えた。

戦後と時代の渦

この後、ジルマーレ・ベルシェの前にリィン・ドゥナージェは幾度も立ち塞がり、

幾度かの勝利と幾度かの敗北を重ねたと伝えられている。

ウェストリアはこの戦いを境にイースデン侵攻を取り止め、

小国イースデンには束の間の平穏が訪れた。

だが、その平穏は長くは続かなかった。

アンドレア防衛戦によって、イースデンは“魔導科学”という新たな力を世界に知らしめてしまったのだ。

時代は魔導科学を求め、そしてイースデンを求めた。

幾つもの重要な戦場に、第四装甲魔導中隊の名が刻まれることになる。

アンドレア防衛戦――

この戦いを起点に、時代はウェストリアとイースデンを中心に渦を巻き、

やがて世界を巻き込む大戦へと進んでいくのであった。


イースデン戦記 「アンドレア防衛戦」 完


初の戦記物で右往左往しながら書きました!

結構お気に入りの二人ですので、続きをいつか書くかもしれません!

その時がきたら楽しんでいただけたら嬉しいなぁ


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