二章 御霊島
翌日、朝六時。
俺たちは時間通り、学園の屋上にあるヘリポートに来ていた。
学園は高層ビルなため、とても風が強い。しかし景色は絶景だ。綺麗な街並みを見下ろせる。
今日は天気もいいため、霊峰富士も見えた。間近で見るのも綺麗だが、遠くから見るのも俺は好きだ。
「うおー。すげーなこりゃ」
そこにあった乗り物に颯斗が感嘆の息を漏らした。颯斗以外も一様に言葉を失っている。
俺もヘリというからにはテレビとかでよく見るごく一般的なヘリコプターが来ると思っていた。要するにたまに空を飛んでいるアレだ。
ところが来てみれば巨大な軍用ヘリが鎮座していた。
巨大な黒光りする機体に軍用ミサイル。分厚い鉄板で出来た装甲に加えて防御結界も張られていた。
物理的な防御と魔術的な防御が完備されている。
操縦席に座るのは黒い人型、アラトニスがよく使うアレだ。
「まさか、あの黒いのが操縦するのか?」
「……らしいですね」
真白もどことなく不安そうだ。
「よし。全員揃ってるなー。早く乗れー」
今回は特例とのことで一応監督官がつくらしい。
担当は大森林パークから引き続き、天宮一級魔術師だ。
この前と同じく煙草をふかしながら俺たちの横を通り過ぎる。しかしヘリに乗ろうとしたところでアラトニスが魔術式を記述した。
――水属性攻撃魔術:水流
天宮監督官の頭上目掛けて大量の水が射出された。
アラトニスの魔術の発動速度は凄まじく、天宮監督官は避ける間なく直撃。水浸しになった。
「貴様……。煙草を持ち込んで良いわけないだろうが」
頭から水を滴らせた天宮監督官が振り返る。煙草はフニャフニャになっていた。
「すみません」
「はぁ〜。蓮……。そんなことだとまた波瑠に小言を言われるぞ」
天宮監督官が盛大に顔を顰めた。
「……もしかしているんですか?」
「いるもなにも、御霊島の調査は第二研究所の管轄だからな。当然だろ?」
「マジですか……。憂鬱だな」
明らかに気落ちした様子で天宮監督官がヘリに乗り込もうとする。そこでまたアラトニスが声を掛けた。
「待て。蓮。乾かしてから乗れ」
「濡らしたのはアラトニス様じゃないですか」
「はやくしろ」
「ハイ」
天宮監督官は魔術で全身を乾かしたあと、ようやく軍用ヘリに乗り込んだ。
「さあお前達も行ってこい。無事に帰ってくることだけを考えろ。いいな?」
「はい」
一同で返事をし、俺たちもヘリに乗り込む。
アラトニスに見送られ、俺たちは御霊島へと向かった。
御霊島。
東京から東南の太平洋上に浮かぶ無人島だ。
魔術的に特殊な島のため、世界地図に載ることもなく、一般社会では秘匿されている。
もちろん一般人は立ち入り禁止。魔術師でも特別な許可がない限り、接近はできない。
「お、あれかな?」
空旅を楽しむこと約一時間。前方に島の影が見えてきた。
「大きいな」
「本当ですね……」
俺は窓側に座っていて、真白はその隣の通路側に座っている。窓の外を見るには必然的に身を寄せることになるのだが、真白はあまり気にしていないらしい。
ふわっといい香りがした。
「海が綺麗ですね」
そのまま海原の光景を見たあと俺に顔を向けてきた。ルビーのような紅の瞳が至近距離で俺を見る。
「そうだ……な。 どうした?」
見れば少し顔が赤くなっている気がする。
「あ、いえ。ごめんなさい」
視線を彷徨わせると席に座り直した。
訂正。気にしないのではなく気付いていなかっただけらしい。
「もう着くぞー」
天宮監督官の言葉通り、ヘリが高度を下げてく。気が付けば巨大な戦艦がすぐそばにあった。
どうやら行き先は島ではなくあの戦艦らしい。
ヘリから降りると俺たちは白衣を着た女性に出迎えられた。
髪は金髪のロングウェーブ。年はわからないがおそらく天宮監督官と同じぐらいだろう。
「初めま――」
女性の言葉が止まる。そして次第に表情が険しくなっていった。正確には額に青筋が浮かんでいる。
視線を追うと、天宮監督官がいた。その口には早速煙草が咥えられており、欠伸をしながら伸びをしていた。
「ちょっと蓮!!!」
「ん? げぇ〜」
女性に気付いた天宮監督官が露骨に嫌そうな顔をする。その表情に女性の堪忍袋の緒がキレた。
「げぇ〜じゃないでしょ! げぇ〜じゃ! それ女の子にする表情!? あとここは禁煙! ちゃんと喫煙室に行け!」
足音を大きく響かせながら天宮監督官の元へ行くと頭を引っ叩いた。そのついでに煙草を強奪。ポケットから取り出した携帯灰皿に捨てた。
「女の子って歳でもねぇだろ」
ブチっと何かが切れた音が聞こえた気がした。それは多分、幻聴ではないだろう。
女性の腕に魔力が宿り、振り抜かれた。
格闘家ばりにキレのいいパンチが天宮監督官に炸裂する。
「いってぇ!」
直撃した天宮監督官は顔面を手で覆いしゃがみ込んだ。
だけど悪いのは完全に天宮監督官だ。
なにより真白と天音さんが向ける視線が非常に冷たい。完全に軽蔑している。
「なんか言った?」
「ゴメンナサイ」
天宮監督官が情けない声を出す。
……本当にこの人、普段はダメダメだな。
先日の戦闘モードを見ていなければ、一級魔術師だとは信じられなかっただろう。
そんなことを考えていると白衣の女性が俺たちに向き直った。
「失礼しました。そして蓮がごめんなさい。私は第二研究所所長の白河波瑠。よろしくね」
白衣の女性改めて、白河所長が輝くような笑顔でそう言った。隣で肩を落とす天宮監督官の絶望顔との対比がすごい。
第二研究所。
魔術協会内に存在する三つの研究所の一つ。
主に終域に関する研究を行っている部署だ。
「さて、今回の任務内容は聞いている?」
俺たちは各自、割り当てられた部屋に荷物を置いた後、会議室に集合していた。
集まった会議室は学園の教室よりも広く、たくさんの机と椅子が並べられている。
そんな中、白河所長はまるで教師のようにホワイトボードの前に立っていた。
「御霊島の調査だと聞いています」
代表して智琉が答える。
「その通り。そこで何故私たち第二研究所がいるのかというと、まあアラトニス様の指示よね。始祖様案件だから終域の専門家がいた方がいいだろうってコト。ここまでで質問はあるかしら?」
「いいですか?」
真白が挙手をした。
「はい! 真白ちゃんどうぞ!」
「ちゃん!?」
真白が珍しく大きな声を上げた。しかし恥ずかしかったのかすぐに咳払いをして誤魔化す。
「……ということは今回の調査は白河所長も同行するのでしょうか?」
「基本的に同行する予定はないわ。なぜなら御霊島は調べ尽くした終域だからね。でもだからこそ始祖様がここを指定した理由がわからない。よって何か調査が必要な事態が発生したら同行するわ」
「わかりました。ありがとうございます」
「いえいえ。……それで? 蓮はどうするの?」
「俺はパス。アラトニス様……というよりたぶん始祖様からの指示だ。戦艦で待機しろって」
「なるほどね。了解したわ。さて、他に質問はある? ないようなら準備が出来次第、早速上陸してもらうわ!」
全員で顔を見合わせるが颯斗が何か言いたげだった。自分以外に何もないと思ったのか、颯斗が勢いよく挙手をする。
「はい!」
「はい颯斗くん」
ビシィッと音がつくような勢いで白河所長は颯斗を指差した。
「あ、名前知ってるんすね」
「当然! 君達の資料はしっかり読んでるわ。真白ちゃんのことを知ってたのもその資料を読んでいたから! それで何かな?」
「白河所長と天宮監督官はどんな関係なんですか!?」
………………え〜。
おそらくこの場にいる全員が思ったことだろう。現に白河所長もポカーンとしている。
しかしすぐに腹を抱えて笑い出した。
ひとしきり笑ったあと目の端に浮かんだ涙を拭う。
「おもしろいわね颯斗くん! でもあなたが期待しているような甘い関係じゃないわ。ただの腐れ縁よ腐れ縁」
「正確には幼馴染だな」
流石の天宮監督官も呆れている。
「だって気になるだろ! なぁ刀至!」
「俺を巻き込むな。てか普通は聞かねぇだろ」
俺もついつい目を細めてしまった。
「他にはない? 当然、お仕事のことでね!」
白河所長が全員の顔を見回す。だけどそれ以降、質問が出ることはなかった。
「なさそうね。じゃあ準備ができたら教えて。ではひとまず解散! 蓮はこっち!」
白河所長が天宮監督官の首根っこを掴んで引き摺るようにして会議室を出て行った。
五人になったところで智琉が颯斗に苦言を呈する。
「バカか颯斗! 恥ずかしいことしないでくれ!」
「わりぃわりぃ。でも気になるだろ?」
まるで悪いと思っていなさそうな口調で言う。
「まだ言うか……」
「ダメだよ颯斗くん。気になってても黙ってなきゃ」
言い合う幼馴染三人組を見ていると、白河所長と天宮監督官のような関係になりそうだなと俺は思った。
約三十分後、準備を整えた俺たちは再度会議室に集合していた。
と言ってもこの戦艦がベースキャンプみたいなもので、持ち物はそう多くない。小さなポーチとそれに入る少量の非常食を持っているぐらいだろう。
ほとんど手ぶらだ。
「さて、白河所長はどこにいるんだろうな?」
会議室を見渡しても白河所長の姿は見えず。五分経っても戻ってこなかった。
「天宮監督官に聞くか? どーせ喫煙所にいるだろ」
「だな。いくか」
どうせ喫煙所にいる。
それは全員の共通認識で誰も異を唱える者は居なかった。
「やっぱりいたな」
そして案の定というべきか、天宮監督官は一番近場の喫煙所で煙草を吸っていた。
しかしそこに予想外の人物が一人。
「お? 早かったね。準備はできた?」
煙草を咥えた白河所長だった。思えば天宮監督官から強奪した煙草を捨てていたのは自分のポケットから出した携帯灰皿だ。あれは自前の携帯灰皿だったのだろう。
白河所長は俺たちが顔を出したらすぐ煙草の火を消した。やはり大人だ。となりの天宮監督官は美味しそうに吸い続けている。
おそらく全員が呆れた視線を向けていたことだろう。
「白河所長も吸うんですね」
「キミは星宮刀至くんだね! 史上最年少で一級魔術師になった天才! 話は聞いてるよ」
「別に天才ではないですけどね」
俺がここまで上り詰めることができたのは半神という特殊な身体のおかげだ。
それを天才と言われると違和感がある。
「謙遜しちゃってー。それと堅っ苦しいから白河さんとかでいいわよ? それともお姉さんにしとく?」
「じゃあ白河さんで」
「つれないなぁ〜。ほら蓮! この子たちは未成年なんだから早く消して!」
「……煙は行かないようにしてんじゃねぇか」
言われてみれば喫煙所の扉を開けたというのに煙草の匂いがしない。魔力を探ると煙全体に魔力の気配があった。
天宮監督官もちゃんと気配りができる大人だったようだ。
「そういう問題じゃないでしょ!」
「いってぇ!」
白河さんに引っ叩かれ、またも煙草を強奪される天宮監督官。しかしすぐに胸ポケットから新しい煙草を出すあたり、ブレない人だ。
そんな天宮監督官に白河さんはドン引きした目を向けていた。
「準備完了しました。いつでも上陸できます」
「はいはーい。それじゃあ甲板に行こうか。ついてきて」
「はい」
白河さんの案内で甲板へと向かう。
しかし天宮監督官は喫煙所に座ったままだ。俺はみんなに「先言っててくれ」と断りを入れると喫煙所に入った。
「どうした? 星宮刀至」
「天宮監督官はこの任務、どう思いますか?」
これでも天宮監督官は長年一級魔術師として活躍しているプロだ。所感を聞いておきたかった。
「どう……か。正直わからんってのが本音だ。なにせ普通なら始祖様の指令は特級に割り振られるからな。見方を変えればこの任務は特級相当だとも取れる」
「……特級相当」
「わざわざお前に言うことではないと思うが無理はするなよ。危険だと判断したらすぐに戻ってこい」
「わかりました。ありがとうございます」
礼を言い、俺も仲間の後を追った。
「どうやって上陸するんですか?」
甲板についた俺たちは少し距離のある御霊島を眺めていた。
見たところ御霊島にはヘリが着陸できるような場所はない。木々が生い茂っており、もはや森だ。
かと言って港があるわけでもなく、戦艦が停泊する場所もない。
「もしかしてスカイダイビングか!?」
颯斗がテンション高めにそう口にした。
地上がダメなら上空から。その理屈は合っていそうだが流石にスカイダイビングはないだろう。
みんなして微妙な反応をしていた。白河さんなんか忍び笑いを漏らしている。
俺はてっきりヘリで上空まで移動し、梯子かなんかで降りるのかと思っていた。
「全然違うわ! まあ見てなさい!」
白河さんが甲板の端まで行くと、そこにあった操作盤のようなものに手を翳す。
操作盤と言っても黒い鉄板に何か彫ってあるだけだ。
……あれは魔術式か?
あらかじめ魔術式を記述しておき、魔術を発動する。要は天音さんが使う魔導書と同じ原理だろう。
俺の予想は正しく、操作盤に魔術式が浮かび上がった。
そして青く発光し、消える。すると前方の海が一瞬にして凍りついた。出来上がったのは御霊島への道だ。
「帰りはこれを使って。同じように道ができるから」
白河さんがポケットから取り出したのは小さく、細長い笛だった。色は水色。それが五つ。
一つ一つに魔力の気配がする。おそらく魔導具だろう。
「わかりました。ありがとうございます」
各自、笛を受け取ると身体強化を行い、氷の地面へと飛び降りる。俺は身体強化が使えないのでそのままだ。
着地で氷が割れないか心配だったが、かなりの深さまで凍っているらしく、かなり丈夫だった。
軽く足を踏み鳴らしてもビクともしない。
……でも本気で踏み抜いたら砕けそうだな。
なんて思ったが、流石に実行するほどバカじゃない。
「刀至。今回はどうする?」
智琉が聞いているのは自分たちが先導するかどうかだろう。しかし始祖とやらが絡んでいる以上、それは危険だ。
「みんな、今回の任務は特級相当だと思っておいてくれ。だから俺も全力で行く。……白帝、虚皇」
名を呼び、魔剣を二振り顕現させる。それを腰に差し、臨戦態勢を取った。
心持ちは霊峰富士に足を踏み入れるぐらいにしてとく。
「それじゃあ僕たちは刀至の指示に従うよ」
「頼む。……あと真白。なにか視えたらすぐに教えてくれ」
小声で頼むと、真白が神妙な面持ちで頷いた。
「わかりました」
「ありがとう。それじゃあ俺が先導する。付いてきてくれ」
俺は地面の氷が割れないように気をつけながら駆け出す。もちろんみんなを置いて行かないように速度は抑え目に。
それでもかなり早い速度だ。
遠かった御霊島がすぐ近くにまで迫っている。
「遠くから見てもデカかったけど間近で見ると本当にデケェな。これ全部見て回るのには二日じゃ足りないんじゃねぇか?」
御霊島は円形の島だ。
情報によると大きさは約五十万平方メートル。かるく巨大テーマパークが入ってしまうほどの大きさだ。
それほど巨大でありながら終域ということもあり、地図には載っていない。
一応は日本の領土に属してはいるが、政治的にも存在しない島となっている。
加えて海流もおかしいらしく、何かの事故で漂着物が流れてきたりすることもないのだとか。
全くもって不思議な島だ。
「だな。まず上陸したら外周部を一周する感じで調査していこう。なにか手掛かりがあればそれを調べていく方針で」
「わかった」
「了解!」
「わかりました」
「はいっ!」
それからわずか数分で御霊島へと到着した。
念のため、周囲を感知し、魔物がいないことを確認する。
「俺が感知できる範囲に魔物はいない。だけど警戒は続けてくれ。……行くぞ」
一歩踏み出し、御霊島の土を踏んだ。
――瞬間、ぞわりと悍ましい悪寒が走った。
いや、悪寒なんて生優しいものではない。
これは濃密な死の気配。師匠に殺気を向けられた時や、霊峰富士で死にかけた時に感じたものと同じだ。
まるで死が身体にまとわりつくような感覚。あまりの気持ち悪さに膝をつく。
……なんだ……これは……!
気を抜けば意識を持っていかれそうだ。
「刀至くん!?」
真白が御霊島の土を踏み、俺を覗き込む気配がした。天音さんも回復魔術を使ってくれているが、まるで意味がない。
当然だ。これは攻撃でもなんでもないのだから。
「なんとも……ないのか?」
息も絶え絶えに聞くが、仲間たちは首を傾げるのみ。この得体の知れない感覚がないようだ。
……何が原因だ?
俺は力を振り絞り、地面を蹴った。
勢いあまり、無様にも氷の上に尻餅をつく。
「はぁはぁはぁ」
肩で息をする。
すると死の気配が消えた。御霊島に入っていなければ大丈夫らしい。
「一度戻りますか?」
真白も御霊島から出て手を差し出してくれた。
俺は礼を言って手を掴むと起き上がる。真白の様子を見るに、まだなにも視ていないらしい。
額に浮かんだ冷や汗を拭う。
真白が不安そうに瞳を揺らしていた。
「いや大丈夫だ。……本当に何も感じないんだな?」
「私はなんともないです」
「オレもだ」
「僕も同じだね」
「私もです」
「そう……か」
俺は呟くと深く息を吐いて、吸った。
気分は最悪だが空気は綺麗だ。大森林パークのように澱んでいないし、すこし木々の香りがする。
空気が美味しいと感じたのは富士の隠れ家以来だろう。
「よし!」
俺は自分の頬を叩き、意識を切り替える。ここは死地だと再認識した。
ならば覚悟を持って臨めば良い。
霊峰富士の、それも最深部に挑戦するような気概でいく。
……まったく。弛んでるな。
俺は内心で自嘲の笑みを浮かべた。
学園生活に慣れたせいだろうか。決して油断はしていなかったが、この体たらく。
今一度、気を引き締めなければならない。
そうして俺はもう一度、御霊島へと足を踏み入れた。
「くっ……!」
その瞬間、死の気配がまとわりついてきた。それを気力を振り絞ってなんとか耐える。
……くそっ! なにがなにもない島だ!
俺は確信した。
――御霊島には何かがある。




