六章 エピローグ
コンコンッ――と、扉をノックする。
実地任務が終わった日の夜。
俺は約束を果たすべく、星宮さんの部屋を訪れていた。
「……はい」
部屋の中から返事がすると、すぐに扉が開いた。
星宮さんが控えめに顔を出す。どこか緊張したような面持ちをしていた。
「今、時間はありますか?」
特に明確な時間は決めていなかったため、そう聞く。すると星宮さんは頷いた。
「はい。大丈夫です。時間を取らせてしまってすみません」
「いえ、どこで話しましょうか?」
「その……すこし歩きませんか?」
「……? わかりました」
内心で首を傾げながらも頷く。
星宮さんがそれを求めているのならば付き合おう。幸い今日はこの後何も予定がない。あとは寝るだけだ。
「ありがとうございます。少しお待ちください」
扉が閉まり、待つこと数分。星宮さんが部屋から出てきた。
名前を体現したような白く長い髪をポニーテールにし、なんだかモコモコとしたパジャマを着ている。
かわいらしい格好だ。
「行きましょう」
「はい」
ついていくと、星宮さんは家を出た。
お互い特に話すこともなく、無言で夜道を歩く。
まさか外に出るとは思っていなかったため、少し驚いた。
関係性の薄い二人が無言。
普通なら気まずい時間。だけどその沈黙がなぜか心地良かった。不思議な感覚だ。
やがて木々の生い茂る公園のような場所に入った。
しかしそれでも止まらず星宮さんは進んでいく。木々の間を縫ってその先へ。
……なんだ? 懐かしい?
こうして二人で歩いているとなぜだかそんな気持ちが湧き上がってくる。前もこうして二人で――。
「――ッ!」
その時、激しい頭痛に襲われた。
火花が散るように視界が明滅し、立っていられずに膝をつく。
頭が割れそうなほどの頭痛にひどい耳鳴り。それがピークに達した瞬間、脳裏にある光景と感情がフラッシュバックした。
黄金の夢とは違い、周囲は暗い。
だけど気分も暗いと言うわけではなく、どこか高揚していた。隣にいるのはあの少女。
俺たちは今と同じように二人で夜道を歩いていた。
そして向かう先は――。
「……ん! ……くん! 大丈夫ですか?」
次第に頭痛が治り、音が戻ってくる。
「大丈夫ですか?」
「……すみ……ません。大丈夫です」
顔を上げると心配そうに見つめてくる星宮さんと目が合った。
……やっぱり、似てる……よな?
そんなことを思いながらなんとか立ち上がる。その時には綺麗さっぱり、頭痛と耳鳴りは消えていた。
「体調が悪いようでしたら後日でも……」
「いえ、大丈夫です。もう治まりました」
本当に何も問題はなかった。
精々少し足がふらつくぐらいか。しかしそれもじきに消えるだろう。
「わかりました……。くれぐれも無理はしないでくださいね?」
「ありがとうございます」
「では行きましょうか。もう少しです」
星宮さんの言葉通り、すぐ開けた場所に出た。その光景を見て、俺は驚きに目を見開く。
そこは小さな池だった。しかしただの池ではない。
煌々と輝きを放つ、ホタルが無数に飛んでいる。上を見れば遥か彼方に浮かぶ星空を背景に舞うホタル。
まるで星が動いているようでとても幻想的な光景だった。
「……」
俺はその光景に目を奪われた。
美しい光景だったのは言うまでもない。しかしそれ以上に先ほどフラッシュバックした光景と重なった。
……そうだ。あの時も――。
少女にお気に入りの場所に案内すると言われ、ホタルが飛ぶ小さな池に行ったのだ。
胸に言いようのない気持ちが去来する。
感嘆、悲しみ、懐かしさ、安らぎ。ごちゃ混ぜになった想いが俺を揺さぶる。
「綺麗ですよね。この光景が好きで、毎年この季節になると来るんです」
「そう……なんですね」
あの子も似たようなことを言っていた気がする。
季節限定なんだから見なくては損だと。
「なぜか貴方にこの光景を見せたくなったんです」
「……俺、記憶がないんです」
気付けば、そう口にしていた。
星宮さんの部屋に行くまでに準備していた説明が全て吹っ飛んでいる。
「……え?」
脈絡もない言葉に星宮さんが目を瞬かせ、俺を見た。
「初めて会った日、俺が言ったことを覚えていますか?」
「……ええ。たしかどこかで会ったことはないか、と」
「今思えばありえない言葉です。口説こうとしていると思われても仕方がない」
「それは……」
星宮さんが言葉を濁した。
つまりはそう思っていたということだろう。
俺は苦笑しながらも言葉を続ける。
「これから話すことは荒唐無稽な話です。とても信じられないことだと思います。だけど俺の中では全て事実です。だから信じてくれますか?」
俺は星宮さんの目を見つめながら真摯に訴えかける。
すると想いが通じたのか、星宮さんは頷いてくれた。
「わかりました。全て信じます」
星宮さんの言葉に俺は一度大きく深呼吸をしてから言葉を紡いでいく。
「……夢に出てくるんです。星宮さんによく似た女の子が――」
そして夢のこと、先ほどフラッシュバックした光景、その光景と今見ている光景が重なること。
それらを順に話していった。
「……なるほどどおりで。……違和感はあったんです」
全て話し終えると、星宮さんはそう口にした。
「違和感?」
「はい。この一ヶ月、貴方を見ていて感じた違和感です。とても初対面で女性を口説こうとする人物には見えませんでした」
「それは……ありがとうございます」
どうやら誠実な人物だと思ってくれていたらしい。
だけどそれを正面から言われるとなんだか気恥ずかしかった。
「打ち明けてくれてありがとうございます。私は貴方の言葉を信じます」
「ありがとうございます」
こうして頭を悩ませていた誤解はとけた。
だが、星宮さんが本来聞きたいのは俺の記憶の話ではないだろう。
「それで星宮さんが聞きたいのは俺が何者か、でしたよね?」
「ええ。ですが記憶がないのでは自分でもわからないですよね?」
「……星宮さん。言いたくなかったら答えなくていいです」
そう前置きしてから俺は星宮さんが求めているであろう情報を探っていく。
「おそらく星宮さんが聞きたいのは暗殺鳥の時に見せた飛び抜けた感知能力にまつわることですよね?」
星宮さんは目を見開いた。
しかしそれも一瞬で、すぐに平静を取り戻す。
「……さすがですね。わかりましたか?」
「はい。あの一瞬だけ俺の感知能力を超えていました。条件付きで感知能力を引き上げるナニカですか?」
「……話してくれたのですから私も話すのが筋……でしょうね。……貴方は星宮家の血統魔術を知っていますか?」
俺は首を振った。
血統魔術の存在自体、今日知ったのだ。だから知るはずがない。
御三家と呼ばれるぐらいなのだから星宮家にもあるんだろうなと予想していたぐらいだ。
「星宮家は神代から続く家系です。そして代々受け継がれてきた血統魔術は星詠み。端的に説明すると条件付きの未来視です」
「未来……視?」
未来視。未来に起こり得ることを視る能力。
魔術というものはそこまで可能なのか。率直にそう思った。
未来視が自由自在に使えれば、自分の思い通りに物事を進められる。
戦闘では決して負けないだろう。それ以前に勝てない勝負を回避することすらできる。
それはまさに常勝無敗。正真正銘、最強の魔術だ。
……だけど条件付きか。
星宮さんがそう言ったからにはおそらく俺が思っているような万能な力ではないのだろう。
「星宮家の星詠みは一般的な血統魔術とは違い、異能に近い能力です。そのため、人によって発動条件が違います。私の星詠みは……」
星宮さんは一度言葉を区切り、胸に手を当てて深呼吸をした。そして再び口を開く。
「……人の死を視ます」
「人の……死?」
「星詠みというものは本来、未来の可能性を視るものなんです。だから詠んだ未来は行いによって変えられます。ですが、私の星詠みは変えられません。私が見た死の未来は確定事項です。……貴方は家に人が居ないのを不思議に思いませんでしたか?」
星宮さんの言葉にハッとした。
「まさか……」
たしかに少なすぎるとは思っていた。あの大豪邸で暮らしているのは修司さんと星宮さんと俺の三人だけだ。
暮らし始めた当初は、平日だから任務に出払っているのだろう。そう思っていた。だけどすぐに間違いだと気付いた。
平日も休日も星宮邸に人はいない。出入りした形跡も全く。
「はい。私が死を視てしまうからです」
「それは……」
まさしく最悪の血統魔術だ。
なにせ人の死を見続けることになる。
そして星宮さんの視てしまうという言葉から察するに彼女は自分の血統魔術を制御できていない。
強制的に人の死を見せられている。それも知っている人間の。
それがどれほど辛い能力かは想像に難くない。
……あぁ。だからか。
星宮さんは常に一人だった。
教室でクラスメイトとしっかり話しているところを見たことがない。もし話しかけられることがあっても必要以上に話さず、すぐに会話を終えていた。
あれは心を守る防衛本能。死を視ても親しくなければ心に負うダメージは少ない。
だから星宮さんは人を遠ざける。
それはなんと残酷なことか。
おそらく俺を避けていた理由の本質もおそらくは……。
「だからこそ不思議なんです。あの時、私は天音さんの死を視ました」
それがあのずば抜けた感知能力の正体。
だからこその悲痛な表情。星宮さんは無理だと分かっていながらも迫り来る死の運命に抗っていたのだ。
「未来が変わったのはあれが初めてでした。だから私は聞いたのです。岩戸刀至くん。貴方は何者ですか、と」
つまり俺は星宮さんにとっての希望なのだ。
一緒にいても死の運命を回避できる人間。そしてその理由は――。
「……心当たりはあります」
星宮さんが目を瞬かせ、首を傾げる。
「それは……?」
「俺は半神と呼ばれる存在です」
「……え?」
俺は和装の胸元をはだけさせる。そこにある魔術刻印を見せるために。
「これは『神降ろし』によって身体に降ろされた神を封じている魔術刻印です」
「そんな……あんな術式が実在したなんて……」
どうやら星宮さんは『神降ろし』を知っているらしい。
俺は和装を元に戻しながら続ける。
「これを俺に施した人間は【奇術師】ヒュー・デル・アガルトです」
「……うそ。もしかして岩戸って……」
「あぁ。知ってるんですね」
星宮家は御三家だ。
表向きは大量殺人事件として扱われていようが、その真相を知ることができる。別に不思議な話ではない。
「では一人だけ生き残りがいたことは?」
「……はい。知っています」
「なら話は早いですね。『家族』を皆殺しにされながらも半神と成り、生き残った生存者。それが俺です」
星宮さんは顔を歪め、口元に手を当てた。
「……ごめんなさい。辛いことを思い出させてしまって」
「謝らないでください。それに、思い出すことは辛いことじゃない」
あの時の憤怒はまだ胸の内で燃え盛っている。
それを忘れ、この炎を消してしまうことの方が俺は辛い。
「俺の正体は半神です。おそらく半分人間ではないから、星宮さんが視た運命にも逆らえたんでしょう」
家族を皆殺しにされて得た力が人を救う。なんと皮肉な因果か。
……この力があの時にあれば。
そう思わずにはいられない。
全員は救えずともせめて和樹と咲希ぐらいは――と。だけどそれは言っても栓無きこと。過去は覆らない。
「……誰かを救えたのなら俺がこの身体になった意味はあったんでしょうね」
そう考えるとほんの少しだけ心が軽くなる。
「……私は救われました。もちろん天音さんも。だからありがとうございます。――刀至くん」
「え?」
初めて名前を呼ばれた。
しかし驚いたのはそこではない。星宮さんの目からポロポロと透明な雫がこぼれ落ちていく。
だけど本人はひどく困惑していた。
「あれ……なん……で? ごめん……なさい。こんなつもりじゃ」
星宮さんがとめどなく流れ続ける涙を拭う。しかし拭っても拭ってもその涙は止まらない。
俺は懐からハンカチを出して、星宮さんに手渡した。
「ありがとう……ございます。刀……至くん。……刀至くん」
お礼を言いながらも俺の名前を反芻する。
噛み締めるように、ゆっくりと。
「……? 俺はここにいます。だから焦らないで。ゆっくり深呼吸しましょう」
「……はい。すみません」
それから星宮さんが落ち着くまでたっぷり十分ほど掛かった。
「すみません。情けないところを見せてしまいました……」
「見なかったことにしますよ」
「そうしてくれると嬉しいです」
すると星宮さんがジッと見つめてきた。目は細められており、どこか不満がある様子だ。
「……星宮さん?」
「それです。どちらも星宮なのですから言いづらくないですか?」
「まあ……そうですね」
正直なところ、あまりそうは思わない。
なにせまだ星宮になって一ヶ月。いまだ自分が星宮だという認識が薄い。
だけどここで違うと答えるのは不正解だ。それぐらいはわかる。
「それと口調もです。神城くんや東條くんと話すような感じで構いません」
「わかり……わかった。星宮さんがそう言うなら」
「名前」
「………………真白」
「はい!」
星宮さん、もとい真白は微笑んだ。
初めて笑顔を見た。だけどやっぱり初めて見た気がしない。
花が咲くような可愛らしい笑顔。
脳裏にあの子の笑顔がちらつく。
……やっぱり無関係じゃないよな。
とは思うものの、真白とあの子の関係性がわからない。
……まあ今はいいか。
俺にはそれよりも先にやるべきことがある。
師匠が言った「大切なもの」を見つけ、強くならなければならない。
そして【奇術師】ヒュー・デル・アガルトを殺し、復讐を果たす。
だから――。
……せめてその時が来るまでは真白の笑顔を守りたい。
俺は、心の底からそう思った。
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これからは不定期で投稿していく予定です。
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