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二章 餞別

 動くだけでも激痛が走る状態がしばらく続いた。

 師匠によると初日に無理矢理身体を動かして土下座したのが効いているとのことだった。しかし後悔はしていない。

 

 覚悟を決めた矢先に寝ていることしかできなくてもどかしかった。だけどそれが師匠の命令だ。俺はただひたすらに身体を休めた。休養も修行のうちということだろう。

 そうして一週間が経ったある日、ようやく無理なく身体を動かせるまでに回復した。


 朝、目が覚めた俺はまず身体の調子を確認した。

 腕を回し、首を回し、思い当たる限りのストレッチを行っていく。

 一ヶ月と少し。ほとんど寝たきり状態だったため、少し身体が硬いような気がしたが、もう痛みはほとんど残っていない。

 これなら動けると判断して俺は与えられた部屋を出た。


「よぉ。起きたか」


 居間に行くと師匠がお茶を飲んでいた。

 この家は思った通り、和風建築らしく居間も畳が敷き詰められた和室だった。

 真ん中に一つだけある机には座椅子が四方に並んでおり、師匠は一番奥に胡座をかいて座っていた。


「はい。まずは助けて頂きありがとうございました」


 敷居を跨いですぐに頭を下げた。

 あのまま師匠が来なければ確実に死んでいた。たとえ生きていたとしてもまともな扱いはされていなかっただろう。ヒューの言葉、態度からしてそれは明白だ。あの目は決して人に向けるものではなく、道具に向けるものだった。

 故に師匠はまさしく命の恩人。感謝してもしきれない。


「まあそれはあまり気にするな。俺の目的にも合致していただけだ。……それにお前には才能がある」

「才能……ですか?」


 ヒューもそんなことを言っていた気がするが、まったく心当たりがない。


「普通あんな術式を受けたら、身体が壊れて死ぬ。もって数秒だな。なんとか生き残ったとしても自我なんて崩壊して廃人になるところだ」


 その言葉には肝が冷えた。そうなる可能性があったことにゾッとする。しかしあの激痛を思えば納得もできる。


「刀至。はっきり言ってお前は異常だ」

「……ヤツにも言われましたね。……天才だって」


 復讐対象に言われても嬉しくはない。だけどそのおかげで生き残れたのだと思うと自分をこの身体で産んでくれた両親に感謝の念すら湧いてくる。顔も覚えていないのが残念で仕方ない。


「……天才か。確かにそうかもしれないな」

「そんなに異常なんですか?」


 自分の身体のことだ。異常と言われたら気になる。


「神代……魔術全盛の時代でもそうそういないと思うぞ」


 魔術全盛の時代、神代。あまりイメージが湧かないがそういうことならば天才と称されたことにも納得できる。


「まあそれはいいんだ。お前は今日からオレの弟子ってことでいいんだよな?」

「はい。よろしくお願いします」


 背筋を伸ばして頭を下げる。

 

「じゃあまずは座れ」


 師匠が指でトントンと机を叩いた。言われた通りに対面の座椅子に腰を下ろす。

 師匠は新しい湯呑みを取り出し、急須からお茶を注ぎながら口を開いた。


「最終目標は奇術師……ヒュー・デル・アガルトを殺すことで合ってるな?」

「はい」


 決然と頷いた。目覚めた時に決意したことは忘れてはいない。あの時、胸の内に灯った焔は今もなお絶えずに燃え盛っている。


「じゃあまずは目標を正しく認識する為にアイツの情報を伝えておく。……その前に、喉乾いてるだろ。ほらお茶」


 師匠が注ぎ終わった湯呑みを目の前に置いた。お礼を言って茶を受け取る。

 早速、口を付けると渋いが芳醇な香りが口の中に広がった。


「美味しいですね」

「だろ。この辺はお茶の名産地だからな。美味くて当然だ。っと話が逸れたな」


 師匠は話を戻し、ヒューの情報を淡々と話し始めた。


「名前はヒュー・デル・アガルト。少し昔……大体二百年前に欧州で活躍していた魔術師だ」

「え? 二百年??」


 その情報に我が耳を疑った。

 人の最高齢は百歳と少しと聞いたことがある。だが師匠の言葉が本当ならばヒューはその約二倍は生きていることになる。

 しかしだ。ヒューの見た目はとても若々しかった。

 二十代半ばと言われても信じるられる容姿だ。とても二百歳の老人には見えなかった。

 そんなことがあり得るのだろうか。


「魔術を知らないヤツの反応はそうだろうな。だが安心しろ魔術師が全員長生きなわけじゃない。ヤツは例外だ」

「例外ですか?」

「そうだ。ヤツは魔術師の中では超越者と呼ばれている」


 超越者。聞き覚えがあった。目覚めたばかりの頃、師匠が口にした言葉だ。


「この前言ってましたね。たしか『人の枠を超えた人外』でしたっけ?」

「よく覚えていたな。その通り、なんらかの要因で人間という種族から進化した存在だ。その影響で寿命によって死ぬことはないし、衰えることもない」


 死せず衰えず。ならば世界有数の強さと言われても納得できる。超越者に至れるということはそれだけ研鑽を積んできた証だろう。そんな存在が寿命という制限から解き放たれれば、それこそ青天井に強くなる。

 ヒュー・デル・アガルトという魔術師は少なくとも二百年の研鑽を積んでいるのだ。

 正真正銘のバケモノ。そんな奴に挑もうとしているという実感が湧いてきて無意識に唾を飲み込んだ。


「だが安心しろ。ヤツらは不死ってわけじゃない。当然殺せば死ぬ」

「殺せば死ぬって……」


 当たり前のことだが、それがどれだけ困難なことかは魔術師ですらない俺でも容易に想像ができる。

 二百年という時間はそれだけ重い。だがそれ以前に聞き捨てならない言葉を聞いた気がした。


「ヤツら?」

「ん? ……ああ。超越者はヒューだけじゃない。世界に五人いる」


 世界に五人。

 それを少ないと取るか多いと取るかは人それぞれだろうが俺は少ないと感じた。

 故に脅威だ。それだけで超越者と呼ばれる者たちがバケモノであるという証明に他ならない。

 しかしそれでは師匠とヒューのやりとりに違和感があった。


「では師匠も同じ超越者なんですか?」


 超越者であるヒューよりも強いと豪語した師匠。

 二人の戦闘からもそれは事実に基づいた言葉なのは明白。

 だから同じ超越者なのだろうと思ったのだが、師匠は首を振った。


「正確には違う。まあいま話してもお前には理解できないだろうからまた機会があったら教えてやるよ」

「わかりました」


 すこしだけ気になったが、魔術的なことは聞いてもわからない。だから大人しく気にしないことにした。


「それで続きだが、奴の得意魔術は魔力糸と言って、魔力で編んだ糸を操る魔術だ。訓練すれば誰でもできるようになる魔術だがヤツのは別格だな。極細の糸でほとんど肉眼では見えないのにも関わらず結界魔術も併用して強度をあげている」


 師匠の言葉で事件の光景がフラッシュバックした。部屋から逃げようとして細切れにされた友人。

 あの時は全く理解できない現象だったが、師匠の説明で納得がいった。それならばあの惨状を作り出すことは可能であると。

 しかしそれだけでは説明のつかないこともあった。


「あの師匠。ヒューは……その……人の頭を破裂させたんですがそれも魔力糸の能力ですか?」


 あの時、初めに先生たちの頭が弾け飛んだ。今の師匠の説明だと魔力糸は切断に特化した魔術のように感じる。

 殺すだけならば首を落とせば済む話だから。わざわざ破裂させる必要はない。

 ヒューのことだからそっちの方が面白いからと言う理由でやりそうだとも感じるが。


「破裂? まあできないこともないが、やるメリットは……」


 師匠は考えるように顎に手を当て、目を細めた。


「いや……あるな。……お前たちの心を折ることだ」


 そう言って師匠は俺を指差す。


「魔術的な観点で言うと感情っていうのは重要な要素なんだ。鍛冶場の馬鹿力なんていうだろ? 時として追い詰められた魔術師は己の分を超えた力を発揮することがある。だから心を折るというのは有効だ」

「……そう……ですか」


 口から掠れた声が出た。それだけのために先生たちや友人、親友は殺されたのかと思うとやるせない気持ちが湧いてくる。

 知らずのうちに拳を握りしめていた。


「破裂させたんならおそらく先に糸を通してから頭の中で結界を膨張させたんだろう」


 想像しただけで吐き気がする。そんな悍ましい行為を眉一つ動かさずにやってのけたことに。

 ヒューという存在がどれほど凶悪なのかを再認識した。


「だがそれ以外も考慮するべきだな」

「それ以外と言うと?」

「オレの情報にはないが、炎属性の魔術も一流の可能性がある。そう考えるべきだ。いいか刀至。初めの授業だ」


 その言葉に背筋が伸びる。師匠は教師のように人差し指を立てた。


「強力な魔術師と戦うのならば全ての可能性を考えろ。まず『それはないだろう』という先入観は捨てるべきだ。想定外の出来事は死に直結するからな。起きうる出来事。その全てを想定しろ」

「でもそんなこと……」


 可能なのだろうか。幾重にも知恵を張り巡らせたところで人である以上、完璧はない。


「それぐらいやらないとただの魔術師が超越者に勝つのは不可能だ。お前がやろうとしていることはそれぐらいの大事(おおごと)だと正しく認識しろ。……それとも諦めるか?」


 師匠は挑発するようにニヤリと笑う。


「あり得ないです」


 俺は即答した。それしか方法がないのであればやる。ヒューを殺すためならなんだってすると誓ったのだ。こんな所で諦めるなんて早すぎる。


「俺はヒューを殺す。そのためならなんだってします」


 俺の言葉に師匠は不敵な笑みを浮かべた。


「いい返事だ。ならばこれから修行を行う。ついて来い」


 師匠は和装を翻し部屋から出て行く。俺も急いでその後に続いた。




 外に出た瞬間、視界いっぱいに飛び込んできた光景に息を呑んだ。聳え立つは日本一の霊峰、富士。今もなお活動を続ける活火山である。


「……きれいだ」


 写真の中で見たことがあるし、暮らしていた施設からも見ることは出来た。

 しかし目の前に飛び込んできた光景はそんなものとは比較にならないほど壮麗だった。まさに圧巻。大自然の雄大さをまざまざと見せつけられた気がする。


「オレもこの景色は気に入っているんだ。まああの中はまさしく魔境だけどな」

「魔境?」


 師匠の言葉に俺は首を傾げた。

 こんなに綺麗な光景と魔境という正反対の言葉がうまく結び付かなかったのだ。


「魔術師の中では怪異や妖怪、海外だとゴーストとかの類を総称して魔物と呼ぶ。魔物は終域(エンド)って言う龍脈から溢れ出した瘴気が作り出す土地から発生するんだ。霊峰富士もその中の一つでな。それこそ世界有数の終域(エンド)なんだよ」

「だから魔境……。でも普通に登れますよね?」


 施設にいた頃、テレビで富士に人が登っているのを見た。

 それこそ何百、何千という数の人間が毎日、日本一の山に挑戦していることを知っている。

 登山は危険が付きまとうと言うけれど、師匠が今話したような危険があるなんて聞いたこともなかった。


「それは表側の話だな。霊峰富士には登山路があってそこを結界で囲んでる。その中にいればまず間違いなく安全だ。だが少しでも外に出ると魔物に襲われる。一般人……いや一流の魔術師でも数分と持たずに死ぬような環境だ」

「そんな恐ろしい場所だったんですね」

「魔術師なら誰でも忌避する場所ではあるな。登山している一般人を正気の沙汰じゃないとか言ってるヤツは山ほどいる」


 あまりの言い草に俺は苦笑を浮かべた。知らぬが仏とはまさにこのことなのだろう。


「それにしても富士山ってことはここは静岡ですか?」


 先程の茶を飲んだ時、この辺は茶の名産地だと師匠は語った。ならば山梨よりは静岡の可能性の方が高い。


「ああ。と言ってもほぼ中間なんだけどな」

「あの廃教会もここら辺なんですか?」

「ちょうど逆だな。だけど終域(エンド)だから地図通りの距離じゃないぞ」

「どういうことですか?」

終域(エンド)っていうのは瘴気の影響で空間が歪んでるんだ。富士山ほどじゃないが樹海も歴とした終域(エンド)だからな、一般の地図は役に立たない」

「もしかして樹海でコンパスが狂うっていうのも?」

「その通りだ。色々言われているが実際は瘴気の影響だな。浅い場所なら大丈夫だが、深くに潜ると瘴気が濃くなる。それが原因だ」


 なぜ富士樹海ではコンパスが狂うのか。

 以前テレビで見た時は、大昔に噴火したときの溶岩が磁場を狂わせているから。なんて説明している学者がいたが真相は違ったらしい。

 気にはなっていたことだが知れた喜びと、聞いてはいけないことを聞いてしまった気がして複雑な気分だ。


「さて……ここで初めの目標を伝えておくか。いいか? 一年だ。一年であの中でも生きられるようになれ」


 そう言って師匠は樹海ではなく富士山を指差した。

 日本有数の終域(エンド)。一流の魔術師でも忌避するような場所で生きられるようになれと師匠は言っている。

 即ち、たったの一年で一流を超えろと言っているのと同義だ。


 ……俺にできるのだろうか


 なにせ魔術のなんたるかも知らないような素人だ。

 しかしやるしかない。超越者というバケモノの一角を殺さなくてはならないのだ。こんなところで躓いてなんていられない。

 ならば俺が言うべきことはたった一つ。


「はい!」

「いい返事だ。なら早速始めるか。ほら」


 師匠は一振りの刀を手渡してきた。


「オレを真似て構えてみろ」


 師匠は正眼に刀を構えた。

 構えたのは漆黒の大太刀。陽の光すら反射せずに呑み込む程の漆黒。まるでそこだけ世界から切り取られたかのような感覚に陥る。

 俺も師匠に倣い、刀を鞘から引き抜いた。


……え?


 するとそこにはギラギラと輝く刃があった。素人でも刃引きがされていないとわかる。

 まごう事なく、人を殺すためだけに存在する道具だ。

 

「あの、これ……刃が」

「真剣でやらないと意味がないだろう。それにオレを斬れると思っているのか?」


 師匠が表情を引き締めた。

 心なしか纏う雰囲気が刺々しいものになった気がした。

 だがその通りだ。師匠と俺にはそれだけの力量差がある。


「いいか刀至。ここから先は命のやりとりだ。オレは殺す気でやる。だからお前もオレを殺す気で抗え。でないと――」


――死ぬぞ


 ぶわっと師匠から濃密な殺気が迸った。それは物理的な重圧を伴って俺を縛り付ける。気温が何度も下がったかのような錯覚を覚えた。

 全身が竦み、ガタガタと震える。

 少しでも動けば死ぬ。直感でそう理解した。

 瞬間、師匠の姿が掻き消えた。


「……ッ!」


 横から音がした。分かったのはそれだけ。

 次の瞬間には頭に強烈な鈍痛が走り、意識は暗転した。




 目が覚めたら視界いっぱいに青空が広がっていた。雲一つない快晴。空気もおいしい。


……いい天気だな。


 うまく働かない頭でぼんやりと考える。

 そのまま数秒間空を眺めていると側頭部に鈍い痛みが走り顔を顰めた。


「――!」


 音が付く勢いで身体を起こした。

 勢いのせいで再び鈍い頭痛に襲われて思い切り顔を顰める。

 しかしそのおかげで思い出せた。

 起き上がってすぐに周囲に視線を走らせると軒下で師匠がお茶を飲んでいるのを見つけた。


「すみません。俺……」

「いやいい」


 言い募った俺を師匠が手で制した。


「実戦だったら死んでいた。わかるな?」


 そう言いながら湯呑みを置き、傍の大太刀を持って立ち上がる。


「……ッ! ……はい」


 ギリギリと歯噛みした。

 師匠の言う通りだ。いきなりだったとか、まだ構えていなかったとか、そんなもの実戦ではなんの意味もない。

 敵に待ってくれとでも言うつもりか。


――悔しい。


 覚悟を決めたと言うのにこの体たらく。

 実力差があるのは初めから分かっていた。しかし自分は殺気に気圧されていただけで何もしていない。


「…………もう一度お願いします」

「良い顔つきになってきたな。続けるぞ」


 師匠は満足げに頷いた。




 結局のところ、修行を開始した日から師匠が放つ殺意の中で体を動かせるようになるまで一週間掛かった。体を動かすと言っても指先が少し動くとかその程度。まともに刀を交えられるようになったのはそこからさらに一ヶ月。

 師匠によるとペースはかなり早いらしいが、力量差は微塵も埋まらなかった。

 

――強くなっている気がしない。


 そう思った。

 師匠はいわば巨大な壁だ。それも天辺が見えないぐらい巨大な。まるで断崖絶壁の下に立っているかのような感覚だった。

 力量差がありすぎて計ることすら烏滸がましい。

 

 しかし折れることは許されない。そんなことをしたら死んでいった家族に顔向けできない。

 だからひたすらに努力した。血反吐を吐きながらも刀を振り続けた。


 師匠との修行は至ってシンプル。実戦だ。気絶するまでただただ戦い続ける。一時も気を抜けない極限状態。

 休みなんてない。雨が降ろうが雪が降ろうが、たとえ雷が降ってこようが戦い続けた。

 その他のことはまったくしていない。

 師匠曰く、実戦が一番伸びる。とのことだ。

 

 それは正しく地獄の日々だった。死にかけた回数は数え切れない。さすがに首を斬られた時は本気でもうダメかと思った。

 噴水のように血が噴き出して、血の気が引いていく感覚は今でも忘れられない。

 しかしそんな深傷を負っても、なんとか生き抜いた。

 

 聞いたところによると師匠が回復魔術を使ったのだとか。だが回復魔術も万能ではなく死んだら元も子もないらしい。

 魂がどうたらと説明を受けたが、何を言っているのかまるで分からなかった。

 だから当然のように気を抜くことは許されない。師匠が回復魔術を使う時は俺が致命傷を負った時のみだが、即死の場合は意味がない。

 師匠との実戦で気を抜いていたら即死だ。


 毎日が過酷という言葉では生温い日々だった。その甲斐もあり、俺はメキメキと力をつけていった。

 当初の目標通り、半年もする頃には富士の終域(エンド)でも生きていけるようになった。

 しかしそれは生きられるだけ。

 初めて富士の終域(エンド)に叩き込まれた時は死にかけながらもただひたすらに逃げ続けた。腕が取れかけても、脚が折れようとも。

 実際に魔物を殺せるようになるまでは一年を要した。だがそれも一対一の戦闘に限る。二体以上いたら逃げるしかない。

 ともあれそんなこんなで約二年半が経過した四月初めの夜、俺は師匠に呼び出された。


 師匠の部屋に赴きノックをしながら声をかける。


「師匠。どうしました?」

「来たか。とりあえず入れ」


 部屋に入ると師匠は胡坐をかいて座っていた。いつもと同じ和装姿。漆黒の髪や黒曜石の瞳は初めて出会った時と変わっていない。

 しかし纏っている雰囲気がいつもと違った。いつもの刺すようなものではなく、少しだけ柔らかい。

 そこに少し嫌な予感がしてしまったのは師匠の日ごろの行いというものだろう。こう言う時はいつも無理難題を押し付けられる。


「そんな身構えるなよ。まずは座れ」

「……そう言っていきなり斬りかかるのが師匠ですからね」


 つい小言を溢した。ここに来たばかりの頃は何度も引っかかったのが懐かしい。


 ――常在戦場。


 世の中なにが起こるか分からない。だから何が起きても対応できるようにしておく。そう教わった。

 だからため息をつきながらも当然の様に警戒は解かず、師匠の前に座った。


「まあそう教え込んだんだから仕方ないか……まあいい。それで早速本題だが……」


 師匠は一度言葉を区切ると、再度口を開いた。

 

「刀至。お前は学園に通え」

「………………なんて?」


 たっぷり五秒ほど間を開けて口から出たのはそんな言葉。

 いつも突拍子もないことを言う師匠だが、それにしてもこれはあまりに無茶苦茶だと思った。


「だから学園に行け」

「いやちゃんと聞こえていましたよ。でも師匠。俺は普通の生活には戻れないのでは?」

「ああそうだ。そこは心配するな。手は打ってある。それに学園と言っても普通の学園じゃないからな」

「普通の学園じゃない?」

「国立弥栄(いやさか)学園。聞いたことはあるか?」


 国立弥栄学園。

 その名前は聞いたことがあった。

 名門中の名門。東京でも珍しい小中高一貫の学園だ。転入する人は数十年に一人ぐらいで一般受験では入れないらしい。生徒は全て弥栄学園側からのスカウトで入学できる。そんな噂のあった不思議な学園だ。


「あのエリート校ですか?」

「表向きはな。別名、魔術学園。表は金持ちの子供が通う学校で通っているが裏では魔術師を育成する機関だ」


 唖然とした。そんな身近に魔術師の学園があるとは思いもしなかった。そしてその真実を今になって知ることになるとは。


「でも待ってください。魔術師の学校ですよね? ……俺が?」


 魔術師とはその名の通り、魔術を行使する者たちの総称だ。魔術を行使するには魔力が必要不可欠。

 一応、一般人の非魔術師も魔力が全く無いわけではない。しかし魔術が使える程は持っていないらしい。

 もちろん俺も魔力は持っている。それも【神降ろし】の影響で常人では考えられないほどの魔力量だ。

 しかし俺は魔力を十全に扱えない。俺の身体に宿る魔力はその膨大さ故に全くコントロールができない。

 故に俺は魔術に関していえば能無しだ。だから魔術師ではなく剣士と言った方が正しい。


「安心しろ。中等部なら魔術の試験があるが、高等部はない。なにせ出来ている前提だからな」


 なんて言って笑う。しかし俺は笑えない。


「もっとダメじゃないですか……」

「いや問題ない。魔術師の世界は実力至上主義だ。魔物が殺せるならそれでいい」

「それなら尚更じゃないですか? 実力主義なら師匠に教えてもらった方が強くなれる」


 学園というからには師匠みたいな教える立場の人間がいるのだろう。

 しかしその教師が師匠より強いなんて保証はない。それどころかあり得ない。

 世界に五人の超越者。それに勝てる人間など師匠を除けばそれこそ超越者の中にしかいない。

 だけど日本に超越者はいないらしい。だから学園に超越者と同格の存在はいないのだ。

 それでは足りない。ならば学園なんて通わずにこのまま師匠に鍛えてもらったほうが強くなれる。


「強さだけならな。刀至。この世界には大切なものが三つある。少なくともオレはそう思っている。それが何だかわかるか?」


 一つは簡単にわかる。力だ。力が無ければ大切なものを守れない。たとえそれが人を殺す力であっても大切なものを守るためには必要なのだ。

 それはあの事件で身に染みてわかっている。

 

――力の伴わない理想なんてものはただの虚構だ


 師匠は常日頃からそう言っていた。俺もそれには同意だ。理想を叶えるには力がいる。


「力です」

「そうだ。この世界じゃ力が無ければ我を通せない。では二つ目は?」


 二つ目はおそらくだが命。

 命あっての物種とはよく言ったものだ。生きていなければ何もできない。


 ――最後まで諦めるな。死地の中にこそ活路はある。勝たなくていいんだ。生き残ることだけを考えろ。


 俺が死にかけた時、師匠は必ず生き残れと言った。ならば命と考えることは別におかしくないだろう。


「命……ですか?」

「正解。死んだら今まで積み重ねてきた努力は全て無になる。ならば地べたを這いずってでも生きるべきだ。さて三つ目は? ……しかしこれはお前には難しいだろうな」


 師匠の言い方にムッとした。これでも約二年半真面目にやってきたつもりだ。師匠の教えには真摯に向き合ったと自負している。だから真剣に考えた。

 いつもは戦闘に使っている脳を精一杯振り絞って。

 しかしいくら頭を捻ろうとも自信のある答えには辿り着けなかった。

 だが師匠は親が子に見せるような柔らかな笑顔で微笑んだ。


「今はそれでいい。でもこれは自分で見つけなきゃいけない。それが分かればお前はもっと強くなれる」

「学園に行けばそれがわかると?」

「保証は出来ないけどな。でもお前なら必ず見つけられるよ。オレはそう信じている」

「……わかり……ました」


 師匠にそう言われたのならば何がなんでも見つけなければならない。


「それと……これは餞別だ」


 そう言って師匠は脇に置いてあった刀袋から二振りの刀を取り出した。


「……これは?」

「銘は『白帝(はくてい)』と『虚皇(ここう)』。まあ魔剣……の一種だな」


 なぜだか歯切れが悪い。

 しかし魔剣は貴重だ。魔力が豊富な土地で採掘される魔鉱石から鍛造された剣。製造方法は鍛治師が秘匿しており世には出回らない。師匠から聞いた話だと一振り作るのに数年かかることもあるのだとか。

 それ故に値段も張る。品質の良いものであれば東京の高級住宅街に家が建つほどだ。それも外国の豪邸のような一軒家が。


「魔剣? そんなもの何で俺に?」

「お前はオレの修行を生き抜いた。一流の魔術師には一級品を。オレはそう考えている。そしてお前は魔術師ではなく剣士だが、間違いなく一流だ」

「たとえ既に一流だったとしても、俺は一度も師匠に勝てていません。それどころか傷一つ付けたこともない。それに、今でもかなり手加減をしているでしょう?」


 師匠が殺す気で俺を鍛えたことは理解している?

 しかし本気を出したことは(つい)ぞなかった。師匠が本気を出せば俺は成す術もなく殺されるだろう。

 それだけの力量差が今もなお、俺と師匠の間にはある。成長した今だからこそ、その事実がはっきりとわかった。

 俺にとって師匠は今もなお断崖絶壁の壁なのだ。

 

「それがわかるだけでも上出来なんだよ……。いいか刀至。お前は強い。正直オレもたったの二年と少しでこれほど仕上がるとは思っていなかった。お前は既に上澄みだ」

「ですが……」


 せめて手加減した師匠に勝てるぐらいでなければ、魔剣は相応しくない。そう思った。


「これは……俺が受け取っていい代物ではありません」


 その言葉を聞いて師匠は盛大な溜息を吐いた。


「……いいか刀至。お前の剣才は頭ひとつ抜けている。天才と言ってもいい。そんなやつの武器が平凡な物だったら師匠であるオレの顔が潰れんだよ。それに、この二振りはお前が持っているべきだ。だから黙って受け取れ」


 師匠は二振りの刀を押し付けてきた。

 不服だったが、師匠の言葉にも確かに一理ある。そう思ってしまったため、俺は渋々と受け取った。


「……わかりました。ありがとうございます」


 師匠の顔に泥を塗ることはできない。


「だけど学生相手には使うなよ? 殺しかねないからな」

「わかっています」

「じゃあ早速抜いてみろ」

「はい」

 

 受け取った刀の一振り、『白帝』を鞘から引き抜いた。刀身から放たれる眩いばかりの銀光。

 ひと目見てわかる。この刀は超がつくほどの一級品だ。

 おそらく師匠の愛刀である大太刀『冥』に勝るとも劣らない一振り。俺はそう確信していた。

 

 そして試しにもう一振り『虚皇』も鞘から引き抜く。当然こちらも超一級品。

 『虚皇』は黒い刀身をしていた。光すら呑み込む『冥』とは違い、妖しげな輝きを発している。不思議なことに『白帝』とは違い、気配は普通の刀と同じだった。しかし、これほどの魔剣が普通の刀と同じ気配を発している。それは異常なことだ。

 

 ……だけど、なんでこんなに手に馴染むんだ?


 初めて握った気がしない。まるで昔から愛刀だったかのような感覚さえした。

 加えて俺は『白帝』と『虚皇』の使い方を知っている。

 なぜだかはわからないが、もしかしたら魔剣としての能力なのかもしれない。不思議なことだ。


「……」


 俺は念じて手の二振りを消した。しかし消失したわけではない。俺の内側に戻ったのだ。


「『白帝』、『虚皇』」


 名を呼ぶと白銀の光と漆黒の光が手の中に現れ、刀の形を取り戻した。


「よし。ちゃんと使えてるな」

「便利ですね。これが魔剣……」


 俺の知っていた情報が正しいのならばこの二振りの刀は凄まじい武器だ。

 普通の魔術師では扱いきれない程の。だが俺なら扱える。半神である俺なら。

 

「こんなすごい刀、本当に貰ってもいいんですか?」

「くどいぞ刀至。さっきも言ったがその刀はお前が持っているべきなんだ」

「……わかりました。ありがとうございます。少し試してみてもいいですか?」

「ああ」


 俺は襖を開けて外へ出た。師匠も興味深そうに付いてくる。

 暖かくなってきたとはいえ、まだ春の初めだ。夜になれば少し肌寒かった。


 ……まあ少し寒いで済んでるのは俺が半神だからか。


 いつもならまだ上着が手放せない季節だ。

 だけどこの身体になってからはあまり防寒具は必要ない。なにせ薄着で富士に放り込まれても問題ないぐらいだ。

 便利だな。なんて思いつつ庭の中央まで歩いていく。


「こんなもんでいいか」


 小さく呟き、立ち止まる。

 そして顕現させたままの『虚皇』を鞘から抜き構えた。普通に構えるのではなく投擲の構えだ。

 大きく息を吸い呼吸を止め、遠くの木に狙いを定める。距離はざっと百メートル。俺にとっては当たって当然の距離だ。


「――ッ!」


 鋭い呼気と共に『虚皇』を投擲した。飛翔した『虚皇』は寸分違わず、狙った木に吸い込まれていく。

 普通の刀なら深く突き刺さる程度だが、『虚皇』は難なく貫通した。

 しかもそれだけにとどまらず、数本の木々をまとめて薙ぎ倒していく。やがて巨石に深々と突き刺さってようやく止まった。


 ……すごいな。


 およそ刀の切れ味ではない。だけど検証はここからだ。


 ……戻れ!


 即座にそう念じる。すると数瞬の後、『虚皇』が戻ってきた感覚がした。

 元あった場所までは数百メートルはある。そんな距離を一秒にも満たない速度で戻ってきた。

 

「『虚皇』!」


 すかさず名を呼ぶと手の中には『虚皇』が収まっている。試しに刀だけ顕現するように意識したため鞘は顕現していない。


……これは使えるな


 率直にそう思った。

 戦術の候補に投擲が入れやすくなる。

 普通なら投げたものはそのままだ。しかし意識するだけで手元に戻るのならば容易に投擲ができる。

 しかもこれがただの付随効果でしかない。『白帝』と『虚皇』の真価は他にある。

 だけどそれはおいそれと試せるものではない。本気でこの二振りを振るうのならば富士まで行く必要があるだろう。だから検証はここまでだ。

 師匠が学園での使用を禁じたのにも頷ける。


「気に入ったか?」

「はい。とても。ありがとうございます」

 

 俺は『虚皇』を消し、もう一度頭を下げた。


「それはそうと師匠。学園ってどこにあるんですか? 噂しか聞いたことがないので正確な位置がわからなくて」

「ああそうだ。忘れるところだった」


 師匠は袖から紙を取り出し、渡してきた。


「詳しいことは全部これに書いてある。あとはあのリュックを持って行け。必要なものはあらかた準備した」


 師匠の指さした先にはパンパンに膨らんだリュックがあった。どうやら既に準備は整っているらしい。

 俺は手渡された紙切れを見る。


「地図ですか?」


 表には学園への道のりと思しきもの、裏にはこれから住むことになる家への道のりが書かれていた。

 どうやらこれから通う弥栄学園は東京の隅にあるらしい。

 しかし重要なのはそこではない。


「……詳しいこと?」


 師匠の言った詳しい説明は地図と少しのメモ書きだけらしい。しかも最低限しか書いていない地図だ。小学生でももっと上手く書くだろう。


「とりあえず裏の場所に行けばいい」

「……つまりは丸投げですね」

「そうとも言うな」


 俺は深くため息を付いた。しかしもう慣れたものだ。この二年半、こういうことはよくあった。


「それにしても東京ですか。ここからだと遠いですね。新幹線ですか? 俺、一円もお金無いんですけど」


 ここでの暮らしに金は必要なかった。

 買い出しは全て師匠が行っていたため、俺は一度も外へは出ていない。

 すると師匠はなんてことのないように答えた。

 

「何言ってんだ。お前なら走った方が早いだろ」

「………………冗談ですよね?」

「冗談じゃねぇよ」

「流石にそれはないでしょう?」


 いくら人間を辞めているとはいえ、新幹線より早く走れるとは思っていなかった。

 それにもし走れたとしてもそんな速度で走っているのを見られたら、それこそ恐怖映像やら都市伝説になる気がする。


「まあ頑張れ」

「……正気ですか? …………ちなみに始業式は明日って書いてあるんですが?」

「だから頑張れ」


 流石に半眼で睨んだ。こういう丸投げをする癖は出会った時から変わらない。おかげさまで今では料理が得意になった。というよりならざるを得なかった。

 しかし今に始まったことではないと諦める。軽くため息が出てしまったのは許して欲しい。


「……すぐに発ちます」


 踵を返すと俺は準備をするために自室へと向かった。




 リュックを用意してもらったが、全く準備が不要と言うわけではない。


「これは持っていかないとな」


 部屋に戻り、手に取ったのは二振りの愛刀だ。

 この刀は初めての修行の時に貰ってから、ずっと使い続けている。

 銘も無く、なんの変哲もない日本刀だ。

 しかし二年半も使っていれば愛着も湧く。

 だからこの愛刀を置いていくと言う選択肢はない。


 ……それにまだ出番はある。


 先ほどもらった『白帝』と『虚皇』は学園での使用を禁じられている。だから普段使いするのはやはりこの愛刀だ。


「……まだまだ頼むぞ」


 そう呟いてから愛刀を腰に差そうとしたところで気付いた。


 ……いや、これはまずいか。


 失念していたが、日本には警察が存在する。加えて、法律には銃刀法が。

 こんな格好で歩いているところを職質でもされたら一発アウトだ。非常にめんどくさいことになることは必至である。

 しかし同時に刀袋を取りに行くのもめんどくさかった。


「まあそうなったら逃げればいいか」

 

 そう結論付けて愛刀をいつも通り腰に差した。これで準備は完了だ。


「よし!」


 俺は部屋を見回した。

 十畳程の一人部屋。生活感は皆無。持っていくものは他になく、伽藍(がらん)としている。

 それもそのはず。なにせこの部屋ですることと言えば睡眠だけだ。

 起きている時は樹海か富士の中で刀をひたすら振るい続けていたのだから。

 しかしこうしてみると感慨深いものがある。

 あれから約二年半。この部屋で初めて目覚めてから長いようであっという間だった。

 何度も死にかけたが今となってはいい思い出だ。

 たとえ今は届かないとしても、学園でも鍛錬は欠かさない。


 あの時胸の内に灯った焔は今も尚、轟々と燃え続けている。


 ……大丈夫だ。忘れてない。


 俺は胸に手を当て、『家族』の顔を思い出す。

 学園に行くのはヒューを殺すため。俺の存在意義はそれだけだ。

 

 俺は決意を新たに、部屋を後にした。




 玄関から外へ出る。すると師匠が軒下で湯呑みを片手に月を見上げていた。釣られて空を見上げると綺麗な三日月が夜空を照らしている。


「もう行くのか?」


 外へ出てきた俺に気付き、師匠が声をかけてきた。


「誰のせいだと思っているんですか……」


 そんな師匠を半眼で睨み、呆れ声を隠さずに言った。

 時刻は日付が変わって少し経った頃。始業式は今日だ。のんびりしていたら確実に間に合わない。

 だから余裕を持ってすぐに出発することを選んだ。


「ははは。まあお前なら大丈夫だろうよ。……ほらよ」


 師匠は和装の袖から何かを取り出し、こちらへ放り投げてきた。

 小さいなにかが弧を描いて宙を舞う。それは月光を反射してキラキラと煌めいていた。

 あぶなげなく受け取ると手に収まった何かを見る。


「これは?」


 手を広げて視線を落とすと鴉の意匠を凝らした指輪があった。鴉と言ってもその足は三本ある。日本神話に登場する導きの神『八咫烏』のものだ。


「オレの弟子である証だ。それを持っていることは他言無用な。まぁ付けていても他人には見えないようになってるからわざわざ言わなければ気付かれないがな」

「わかりました。……でもこんな小さな物にまで魔術って掛けられるんですね」


 指輪を右手の中指に着けると月に翳した。

 なんの金属を使っているのかはわからないが、おそらく魔力との親和性が高い魔鉱石の一種だろう。


「オレ特製だからな」


 師匠に言われるとなんでもありな気がしてならない。だが気になることもある。


「でも何のために?」


 他人に見えないのであればつけている意味も無い。

 なにかの魔術が封じられていて、任意のタイミングで解放できる攻撃系の魔導具だということなら納得できる。装備していることを隠せれば、歴とした切札だ。

 しかし師匠は攻撃系の魔導具とは言わなかった。


「他人と言ってもソレを持ってないやつらだ」

「あぁ。なるほど」


 ということは指輪の所有者同士はわかると言うことか。すこし考えればすぐに答えは出た。


「……つまり師匠の弟子を見分けるため……ですか?」

「そうだ。それを持っているやつに会ったら先入観を捨ててまずは話を聞け。相手が困っているのならできる範囲で力を貸してやれ。逆も然りだ」

「わかりました。それにしても師匠の弟子って結構多いんですか?」


 この隠れ家に来てから外の人間とは会っていない。しかしこんなものを用意しているぐらいだから弟子はそれなりにいるのだろう。

 だがそうだとしたら、その全員が地獄のような修行を切り抜けた強者達だ。敵に回れば大きな障害になる。

 そう考えると指輪はとてもありがたかった。少なくとも一度は説得の機会がある。と思って聞いたのだが……。


「いいや。生きているのはお前を除いて一人だ」


 俺は盛大に溜息をついた。それでは会わない可能性の方が高い。


「……まぁありがたく受け取っておきます」


 いずれ弟弟子ができたときにでも役立つだろう。


「それと改めて言うまでもないと思うが、封印は解くなよ? 人でいたいならな」


 俺は自分の胸に手を当てた。

 ここには魔術刻印が刻まれている。俺の身に宿った神の力を封印するための刻印だ。

 

「はい。わかっています」

「わかってるならいい」

「では師匠」


 一度言葉を切ると深々と頭を下げた。


「約二年半ですが、お世話になりました。鍛えてくれたことはもちろん、命を救ってくれたことにも感謝しています。本当にありがとうございました」


 俺は師匠に救われた。それだけではなく戦うための力も貰った。俺にとって師匠はまさに導きの神。言ってしまえば指輪の意匠にある八咫烏のような存在だ。

 これから進む道は復讐の道。過酷で困難な道だ。

 それに決して褒められたものではない。しかしやると決めた。師匠に貰ったこの力で必ずやり遂げる。


……墓参りは全て成し遂げてからだ。そうじゃなきゃ和樹に、咲希に、……家族に顔向けできないからな。


 師匠からは既に施設のみんなが眠っている場所は聞いている。行こうとすればすぐにでも行ける距離だ。

 しかしまだその時じゃない。やるべきことをなにもしていない。

 きっとみんなは復讐の道なんて望まないだろう。そんなことはわかっている。

 だがここで辞めたら前に進めない。俺はその選択を死ぬまで、いや、死んでからでも後悔し続けるだろう。

 だからこれは自分の為の戦いだ。決してみんなのためじゃない。みんなのせいなんかにしてはいけない。


「おう。お前ならできるよ。行ってこい」


 師匠は言葉少なにそう口にした。


「はい!」


 そうして俺は約二年半を暮らした隠れ家から旅立った。

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