幕間 感情と夢と記憶
一度、大きく深呼吸をしてからコンコンっと扉を軽くノックする。
時刻は二十一時を少しすぎたあたり。船で働く船員や研究者の方たちもそろそろ休む頃合い。
いつもなら私も部屋で勉強か読書をしている時間帯だ。
だけど今日は刀至くんから呼ばれている。
「……ちょっと待ってくれ!」
中から物音がして、すぐに扉が開いた。顔を出したのはいつもの和装に身を包んだ刀至くんだ。
現代日本では珍しい格好。だけどもう見慣れた姿でもある。
「おつかれさまです刀至くん。今、お時間いいですか?」
「おつかれさま真白。大丈夫だ。入って……いや、マズイか。昨日みたいに甲板で話そうか」
「……お部屋でも大丈夫ですよ?」
「……え?」
「……刀至くんなら大丈夫です」
私は刀至くんを信頼している。だから何も問題はない。
「……いや、二人っきりは流石にマズイだろ?」
「一緒に暮らしているのですから今更ではないですか?」
「…………誰かに見られたら誤解されるだろ」
視線を彷徨わせてから刀至くんが言い訳を口にする。その姿が私には、なんとか理由を捻り出したように思えた。なんとも微笑ましい。
……別に誤解されても……なんて思う私はどちらなのでしょうか。
あれから、あの日見た夢はまだ見ていない。
だけど最近、こういう感情をよく抱く。
私か、私か――。
私と、夢の中の私の感情が重なる。
引っ張られているとでも言うのだろうか。
時々、自分の感情がどちらのものなのかがわからなくなる。
「真白? 大丈夫か?」
「あっ……すみません」
すこしぼんやりとしていたみたいだ。顔を上げると、刀至くんが私の顔を心配そうに覗き込んでいた。
「疲れてるなら明日の朝とかにするか?」
「いえ、大丈夫です。入ってもいいですか?」
「……だから誰かに見られたら……」
「周囲に誰もいないことはわかっていますよね?」
刀至くんの気配察知能力は飛び抜けて高い。
もしかすると特級魔術師であるお父様よりも上だと思えるぐらいに。
そんな刀至くんが気付いていないはずが無い。
……周りに人がいないことぐらい、私でもわかるのに。
だから刀至くんの言葉はただの言い訳だ。
「はぁ〜」
すると刀至くんは観念したかのように大きくため息をついた。
「わかったよ。真白がそれでいいなら」
「ふふっ。ありがとうございます」
半眼で見てくる刀至くんがおかしくて、私はつい笑みをこぼしながらもお礼を言った。
……すこし強引過ぎたでしょうか?
なんて思うが、私はこうしたかった。
だけどこれも自分の感情なのかはよくわからない。境界がひどく曖昧だ。
「どこでもいいから座ってくれ」
部屋に入ると刀至くんはそう言い残してキッチンへと消えていく。
部屋の間取りは私に割り当てられた部屋と同じだった。
私と刀至くんは同じ弥栄学園の一年生。だけど刀至くんの方が魔術師としての階級は高い。
そのため、もしかしたら私の部屋よりも広いのかもなんて思っていた。
しかし関係はなかったらしい。
間取りは1K。お世辞にも広いとは言えない部屋とキッチンがある。
部屋にあるのは机と椅子が一組。そしてベッドが一つ。
……ベッドは……流石にはしたないですね。
この二択ならば椅子になるのは必然。
私はそそくさと椅子に腰掛けた。小さく軋む音が静寂の中で響く。直後、キッチンから何かを準備する音が聞こえてきた。
そんな音を背景音に待つこと数分。両手にカップを持った刀至くんが部屋に戻ってきた。
カップからは湯気が立ち昇っており、とても芳醇な香りがした。
「……紅茶、ですか?」
「備え付けのやつだけどな。カフェインは入ってないらしいから安心してくれ」
眠れなくならないようにと配慮してくれたことが嬉しくて私は笑みをこぼした。
「ありがとうございます」
お礼を言ってカップに口をつける。すると深い味わいが口内を満たした。
「……おいしい」
「それはよかった」
小さく溢した言葉に刀至くんは微笑むと、カップに口をつけた。
そうして二人して一息つく。
とても心地の良い時間。しばらくこのままでいたい気持ちが湧き上がってくるが、この場にはゆっくりしに来たわけではない。
「……教えてくれますか? 何か思い出したんですよね?」
だから、私は早速本題に入った。
今夜、私が刀至くんの部屋に訪れた理由。それはあの遺跡で刀至くんが何を思い出したのかを聞くためだ。
「……黎明大戦」
しばらく沈黙した後、刀至くんはそう呟いた。私はその言葉を反芻する。
「黎明……大戦?」
「あの壁画の戦いはそう呼ばれてた。そして……俺はあの子を守るために戦ったんだ」
あの子。
ホタルを見に行った夜に聞いた刀至くんの夢に出てくる私によく似た人物。
そして、夢の中の私。
私は人知れず喉を鳴らした。
「……戦ったというのは、あの壁画に描かれていた存在と、ですか?」
私の問いに刀至くんはゆっくりと頷いた。
壁画に描かれていた存在。魔物ではないナニカ。その正体は私にもわからない。
「……おそらく……な。思い出した光景は空を背景に泣いているあの子だ」
「空を背景に……?」
「ああ。……多分相打ちだったんだろうな」
そう言って刀至くんは自分の胸に手を当てた。
「守り切ったという実感があった。でも同時に心臓を貫かれていた。あれは……致命傷だ」
「……ッ」
思わず顔が歪んだ。
そして心の奥底から感情が湧き出てくる。
これは――悲哀。
深い悲しみとどうしようもないやるせなさ。
ごちゃ混ぜになった感情に心が揺さぶられる。目元に力を込めていなければ涙が溢れ、流れ出してしまいそうだ。
これはきっと私ではなく私の感情――。
「……それで、どうなったのですか?」
少しだけ上を向き、涙を必死に堪えながらもなんとか言葉を絞り出す。
すると刀至くんは首を振った。
「わからない。それ以上は思い出せなかった」
「そうですか……。でも、今生きているということは……」
「いや、そもそも年代がおかしいんだ」
「あっ……」
そこで私も気付いた。
あの遺跡は神代のものだ。神代文字が刻まれていたことからもそれは間違いないだろう。
だとするなら刀至くんの言う通り、年代がおかしい。
神代は現代から何千年も昔の時代だとされている。
そんな時代から生きているのはそれこそ超越者だけだ。私たちのような人間はそれほど永き時を生きられない。
「だから、この記憶は前世のものなのかもしれない。って思い始めてきた。とても信じられない話だけど……」
刀至くんはその時の傷が原因で命を落とし、現代に転生した。
たしかにそう考えると辻褄は合う。
……いえ、辻褄というにはいささか非現実的に過ぎますね。
だけど同時に否定することもできない。
……だって、それなら私も……。
「刀至くん」
気付けば私は口を開いていた。
「………………先日、夢を見たんです」
「……え?」
刀至くんは掠れた声を漏らし、大きく目を見開いた。
「私は黄金に揺れる稲穂の中で泣いていました。そこに現れたのは刀至くん……。貴方です」
「は……? それってどういう……?」
「貴方はずっと私に寄り添ってくれました」
私はもはやあれが単なる夢だとは思っていない。
刀至くんの記憶が前世の話だと言うのなら私も同じだ。
「たぶん、無関係じゃないですよね?」
「……ごめん。すこし待ってくれ」
額に手を当て、床に視線を落とす刀至くん。
見るからに混乱している。だから私は待った。ひたすらに待ち続けた。
「……真白。まさか、キミが……?」
「ごめんなさい。それは違います」
顔を上げた刀至くんに私ははっきりと口にした。
刀至くんの言うあの子が私のことなのはほぼほぼ間違いないだろう。
だけど違う。
「私は私です」
そういう認識が私の根底にはある。
すると刀至くんはハッとしたように目を見開いた。
「わるい。そう……だよな」
「こちらこそ、いきなりこんな話をしてしまってすみません。混乱させてしまいましたね」
「あぁ。いや、話してくれてありがとう。またなにかわかったら教えてくれるか?」
「はい。私も知りたいですから。その代わり、刀至くんもまた何か思い出したら教えてくださいね?」
「もちろんだ。……とはいえ、謎は深まったな」
「それは……その通りですね」
私は、刀至くんは、何者なのか。
なぜ私たちは前世の記憶?を持っているのか。
刀至くん、もとい神代の人々は何と戦っていたのか。
わからないことだらけだ。
「だけど他に手掛かりがない以上、後回しにするしかない」
「……不穏ですね」
「同感だ。ただ、いくら考えても今はわからない。とりあえず今日のところは明日に備えて休もうか」
「そうですね」
謎は深まるばかり。しかし今は目の前にある調査を無事に切り抜けることが先決だ。
「……カップはどうしましょう?」
いつのまにか空になっていたカップを机の上に置く。
「そこに置いておいてくれ。あとで片付ける」
「わかりました。ありがとうございます。それと、ごちそうさまでした」
椅子から立ち上がり、扉へと向かう。すると刀至くんもベッドから立ち上がり、見送ってくれた。
「おやすみ真白」
「はい。おやすみなさい刀至くん」
そうして、私は刀至くんの部屋を後にした。深まる謎を残し、夜は更けていく――。




