四章 二日目
翌朝七時、俺たちは甲板に集まっていた。
今回、御霊島に足を踏み入れるのは俺たち五人と白河さん、そして補佐の研究者が二名だ。
全員、戦闘準備は万端。研究者の白河さんもいつもの白衣姿ではなく、魔術協会の軍服を纏っていた。
肩に付いている階級章は「二」。白河さんは二級魔術師らしい。真白と同じだ。
ちなみに他二名の研究者は三級だった。
「よし! 全員集まったわね! 道を作るわ!」
白河さんが操作盤に手を当て、魔術を起動する。昨日も使った海上に氷の橋をかける魔術だ。
「ふぁ〜ぁ」
隣から本当に小さな声が聞こえ、視線を向ける。
珍しいことに真白が小さく欠伸をしていた。口に手を添えているところは育ちの良さが出ている。
ともあれ、どうやら真白もあまり眠れなかったらしい。
……まあ仕方ないよな。
今思い出しても恥ずかしい。
雰囲気というのは恐ろしいものだ。
「……?」
すると俺の視線に気付いたらしく、真白と目がパチっと合った。
「あっ……」
真白は恥ずかしそうに視線を逸らしてから、おずおずと俺を見る。頬は赤く、耳まで朱に染まっていた。
「……見ました?」
俺は気まずくて視線を逸らす。
「……ごめん」
すると拗ねたようにそっぽを向いた。
「……仕方ないでしょう。あんなことがあったんですから。私も恥ずかしいんですよ?」
どこか責めているような口調。だけどなんだか微笑ましい。
そんな真白に俺は苦笑した。
「……俺も同じだよ。一睡もできなかったから。今でも恥ずかしいし」
少しでも眠れていたら、気持ちも切り替えられただろう。
だけど俺は一睡もできなかった。
俺にとって昨夜、この場所で起きた出来事はついさっきのことだ。
まだあの恥ずかしさは尾を引いている。
「それにしては全然眠くなさそうですね?」
どこか責めるような声音だ。ツンと唇を尖らせている。
「……俺の身体は特別だから。あまり睡眠を必要としないんだ」
「……なんだかズルいですね。でも、刀至くんも同じならいいで――」
「――よし! それじゃあ行きましょうか!」
白河さんの声が真白の声を掻き消した。
どうやら御霊島への道が繋がったらしい。
白河さんの号令で仲間たちが続々と甲板から飛び降りていく。研究者とはいえ白河さんたちも魔術師だ。これぐらいの高さはなんの問題もないらしい。
「じゃあ行こうか」
「……はい」
「――星宮刀至」
しかし、甲板の手すりに足を掛けたところで後ろから声を掛けられた。煙の匂いがここまで漂ってくる。
「なんですか?」
真白と共に振り返ると、煙草を咥えた天宮監督官が立っていた。昨日、ここは禁煙だと怒られたばかりではなかったか。
「白河さんに怒られますよ? 天宮監督官?」
真白が軽く窘めるが、天宮監督官はどこ吹く風だ。
「バレなきゃいいんだよ。……二人ともチクんなよ?」
自信なさげに付け足すのがなんだか情けない。
俺はため息をついた。
喫煙に関して、この人には何を言っても無駄だ。まだ短い付き合いだが、だいたいわかってきた。
アラトニスに注意されてもやめないのだから相当だ。
「……わかりましたよ。それで?」
「波瑠を頼んだぞ」
俺は天宮監督官もこんなことを言うんだなと少し驚いた。
「……二人してなんだその目は。まあ一応……幼馴染だからな」
天宮監督官が頭を掻き、視線を逸らす。
どうやらガラにもないことだと自覚はあるらしい。
「なら注意にも従ったらどうですか?」
真白の鋭いツッコミに天宮監督官は苦笑を浮かべた。
「そこを突かれると痛いな」
「……まあ、わかりました。出来る限りのことはします」
「ああ。それでいい。気を付けろよ。嫌な予感がする」
「嫌な予感……ですか」
天宮監督官はこれでも一級魔術師。ベテランだ。
そんな彼の予感は本当にただの予感だろうか。
師匠は言っていた。
熟練者の勘はバカにできない――と。
師匠曰く、それは勘ではなく経験則からくる確度の高い予測の可能性があるとのこと。
ならばこそ、昨日以上に気を引き締めなければならない。
「わかりました。ありがとうございます。じゃあいこうか。真白」
「はい」
真白と共に身を翻し、甲板から飛び降りる。
着地するとすぐ目の前に白河さんが居た。
「遅かったけど、なにかあった? ……ん?」
そしておもむろに顔を近付け、スンスンと鼻を鳴らす。
「煙草くさい。さては蓮。また甲板で吸ってたな?」
笑顔が怖い。ただ、俺と真白は口止めをされている身だ。
「……ノーコメントで」
「……ノーコメントでお願いします」
声が重なった。
すると白河さんが大きなため息をつく。
「あとでお説教だね。刀至くんと真白ちゃんは口が堅かったって言っておくよ」
「……助かります」
「……すみません」
これでは白状しているようなものだ。
だけど決して俺たちのせいではない。身から出た錆ってところだろう。
「よし! それじゃあ刀至くん。柱までの案内は任せてもいい?」
「はい。なるべく速度は合わせますが、キツかったらすぐに言ってください」
「わかった。よろしくね」
そうして俺たちは再び御霊島へと足を踏み入れた。
昨日発見した柱の地点を目指して進む。
白河さんと研究者の二人が付いて来られるように速度は抑え目だ。
だが一直線に進んだため、昨日よりはるかに早い時間で柱の元に到着した。
「これが……」
到着するなり白河さんが感嘆の息を溢す。
「初めて見ますか?」
「ええ……」
口元に手を当ててじっと何かを考え始めた。視線はじっと柱に向けられている。
「地点は?」
問われた研究者の一人が素早く魔術を使用した。
魔術式がパッと輝きを放つと、魔力の波が拡散していく。まるで潜水艦かなんかが使うソナーのような魔術だ。
「C-5です」
「前に調査したのはどのぐらい前?」
「記録だと五年前です。ただその時にも異常はなかったと……」
研究者が手元の端末を操作しながら簡潔に述べる。対する白河さんは眉間に皺を寄せていた。
「これを見逃す可能性は?」
「限りなくゼロに近いでしょう。流石に大きすぎます」
「だよね」
白河さんが記録用のカメラを取り出し、柱を撮影していく。しかし昨日の俺たちと同様に写らなかったらしい。
撮影した画像を興味深そうに観察していた。
「ふむ……。これは擬態というよりも透過かな?」
白河さんが独り言のように呟く。
そして柱に触れ感触を確かめたり、軽く叩いたりしていた。
「刀至くん。見つけたのはこれだけ?」
「はい。今のところは。ただ気配からすると他の方向にもありそうな気はします」
一つしかないのであれば死の気配は近づけば小さくなるし離れれば大きくなるはずだ。しかし俺が感じている気配は複雑に増減している。
ならば必然的に複数あると見て間違いないだろう。
「死の気配ってヤツね」
「はい」
「ちなみに刀至くん以外でソレを感じ取れる人は?」
白河さんが研究員を見回した。だけど全員、首を振るだけ。そんな気はしていた。
「そうよね。私も感じないもの。しっかし……なんなのかしらね。これは……」
「見た目の質感は鉱石のようですね。あとは全く魔力を内包していません」
「だけど撮影ができない以上、ただの石ってことはない……」
白河さんが人差し指を立て、魔術式を記述。指先に小さな火を灯した。それをゆっくりと柱に近付けていく。すると奇妙な現象が起きた。
「んぅ……?」
火が柱を避けた。
そう表現することしかできない現象に白河さんが首をひねる。
「魔導具? でも魔力がない。隠蔽? いやそれでも魔力が全くないっていうのは……。うーーーん」
白河さんが唸る。それは他二名の研究者も同じだった。
頭の中で数多の可能性を検証しているのだろう。
正直、俺にはよくわからない。
「刀至くん」
白河さんはしばらく唸ったあと、振り返った。
「もう一本、見つけられる? サンプルが二本あれば一本で色々検証できるから」
「わかりました。付いて来てください」
俺は頷き、死の気配を頼りに柱を探し始めた。
そうして歩き回ること約三十分。先ほどの柱から北に少し行ったところにもう一本の柱を見つけた。
「ホントにあったわね……。エリアは?」
「C-4エリアです。ただこの場所も三年前に調査済みです」
「……さっきと同様に見逃す可能性はゼロね」
白河さんの視線の先には地面に柱が突き立っていた。
「まあいいわ。早速検証を始めましょう。この中で一番強いのは刀至くんよね?」
その問いを否定する者はいない。
単純に魔術師としての階級が一番高いのも俺だ。なので頷く。
「ならこれ、斬れる?」
白河さんが親指で柱を指差した。
「……いいんですか?」
無論、貴重な研究資料を斬っていいのかという確認だ。しかし白河さんは頷いた。
「ええ。それに多分だけど斬れないと思うわ」
「そう言われると、剣士として腕が鳴りますね」
腰の差した白帝を抜き放つ。虚皇はダメだ。能力の性質上、本当に斬れてしまう恐れがある。
……それに、能力で斬れてもそれは実力じゃない。
俺は息を吐き、白帝を上段に構えた。
意識を極限まで研ぎ澄ませ、目の前の柱に集中する。余計な感情は必要ない。
「スゥー……」
深く、長く息を吐く。
そしてただ斬ることだけを考え、白帝を振り下ろした。
一刀。
刹那にして白帝が柱を両断する。
しかし柱の表面に触れる寸前で斬撃が曲がった。
逸れた白帝が地面を深く抉り、先にあった木々を根こそぎ薙ぎ倒していく。
轟音が響いたが、気にしている余裕はない。
「……」
眉をひそめ、手のひらを見る。
剣筋に違和感はなかった。頭上から真下へ、ただ振り下ろしただけ。手に残った感覚がそう告げている。
しかし結果として斬撃は逸れた。起こった事象と手に残った感覚にズレがある。
「……刀至くん。あなたホントに学生?」
終域の復元能力で木々が元通りになる中、白河さんを含め、研究者全員が頬を引き攣らせていた。
「……身体が特殊なんですよ」
「そう言われると調べたくなってくるわね」
「勘弁してください……」
調べられたらマズイことになる。それは火を見るよりも明らか。人体実験はゴメンだ。
「……冗談よ。私たちの専門はあくまで終域だから。……それでどんな感じだった?」
「結果と感覚にズレがあります。俺は頭上から真下に振り下ろしました。手に残った感覚も同じです」
「でも逸れた?」
「はい。……もう少しいいですか?」
「ええ。思いついたことはなんでもやっていいわ」
白河さんの言葉に頷くと、俺は再び柱の前に立った。そして白帝を突き立てる。
今度はゆっくりと慎重に。
すると白帝は逸れず、その刀身が柱に触れた。
「……物質で判断しているわけではなさそうね」
「ですね」
白河さんの言葉に頷き、一瞬で白帝に力を込める。今度は突き刺すつもりで。すると白帝は逸れた。
……斬ろうとしたら曲がる……か? なら、斬ろうとしなかったらどうなる?
俺は一度、白帝を鞘に収めた。
「全員、俺の後ろに下がってもらえますか?」
「わかったわ」
白河さんが頷き、俺の後ろへと下がった。仲間たちと研究者二人もそれに続く。
そして俺は目を瞑った。
集中力を高め、雑念を削ぎ落としていく。
求めるは無心。何も考えず、ただ腕を振るう――。
再び目を開けると、白帝は柱に当たっていた。しかし傷一つ付いていない。
……硬いな。
手が痺れている。こんなことは久しぶりだ。
霊峰富士に放り込まれたばかりの頃、亀のような魔物に斬りかかった時の感触とよく似ている。
あの頃はどうしても斬れなかった。結局斬れたのはそれから半年後のことだ。
「悔しいですが、今の俺では斬れませんね」
呟き、白帝を鞘に収める。
おそらく魔力を込めた白帝か虚皇なら斬れるだろう。
だが普通に斬っても逸れるだけだ。この柱を斬るためには無心になる必要がある。
敵意や害意、悪意といった感情に対する防衛機能のようなものだろう。
ともあれ、今の俺では無心のまま白帝や虚皇に魔力を込めることはできない。込めた瞬間に敵意があると判定されてしまう。
まだまだ未熟だ。
「さっきの斬撃と今の斬撃との違いはなに?」
「今のは無心で放ちました。おそらく防衛機構のようなモノでしょう。敵意や悪意に反応しています」
「無心でってそんなこと……。いえ、もうツッコむのはやめておきましょう。……となると攻撃に反応する自動防御機構って感じかしらね?」
「そんなこと、可能なんでしょうか……?」
真白が小さく呟いた。
その言葉には全面的に同意だ。
魔術は決して万能ではない。俺はそれをここ一ヶ月で学んだ。
攻撃の自動防御。
言うは易く行うは難し、だ。
それも敵意や害意、悪意に反応するものならば尚更。
攻撃だと判断する方法は?
どうやって人間の感情を読み取る?
魔力源は?
魔術師ではない俺ですらぱっと思いつく。
真白のような魔術師、白河さんのような研究者であれば、より多く疑問点が出ていることだろう。
目の前にある柱はそれほど未知の代物だ。
「まあ神代の物であるのは間違いないでしょうね。だからなんでもありえるっていうのが正直なところよ」
「……そうですね」
神代の技術というモノはそれほど得体の知れない超技術ということだ。
「あとは配置と数かなぁ。これがなんの目的でここにあるのか。複数あるってことはそこに意味があるはずだから」
「探しますか?」
「んー……いや。それは刀至くんたちだけでもできるからやめておきましょう。それよりも私が同行している間にその死の気配とやらが濃い場所に向かいたいかな?」
「……危険ですよ?」
俺が感じている死の気配。
それが濃くなる場所。明らかに危険だ。
しかし白河さんは首を振る。
「私は研究者だからね。そんなものに臆していられないんだ」
白河さんの瞳は威圧感を覚えるほどに真剣だった。
命を懸けてでも叶えたい願い。
これは、そんな願いを持つ者がする瞳だ。
「……なにが白河さんにそうさせるんですか?」
白河さんが俺の言う死の気配を軽視しているとは思えない。まがりなりにも所長と呼ばれる人物だ。
白河所長はこれから向かう先が死地だと承知している。
だから気になった。そこまでする理由、命を懸ける理由を。
「そうだね。良い機会だ。私の目的を話しておこう」
一度言葉を切ると、白河さんは語り出した。
「私の目的は、世界に存在する全終域の無害化よ」
全終域の無害化。
途方もない話だ。なにせ終域は世界中にある。それも今この瞬間にも増えているかもしれない。
それを全て無害化するなど、まるで現実的ではない。
「なぜ、私の目的がこうなったかは省かせてもらうわね。なにせどこにでもあるありふれた悲劇だから。魔術師ならば決して珍しい話じゃないし。だけど私はあんな思いを他の人にして欲しくないんだ」
「自分の命を懸けてでも……ですか?」
「無論だね。それが私の存在理由だよ」
存在理由。
そう即答できるほどに強い願い。
……俺と同じか。
俺も復讐をやめろと言われても絶対にやめられない。
師匠に言われても、真白に言われても。たとえそれが和樹や咲希、『家族』のみんなに止められたとしても、俺は必ず成し遂げる。
白河さんも同じだ。
たとえ幼馴染の天宮監督官に止められたとしても、決して止まらないだろう。そんな覚悟が伝わってくる。
だから俺は小さく息を吐いた。
「……わかりました。何かあれば俺が時間を稼ぎます。なので逃げてください」
「キミは不可能だと笑わないんだね?」
「……笑いませんよ。俺の目的も似たようなものです」
超越者への復讐。
白河さんの全終域の無害化と比べても遜色のない目的だ。
そういう意味でいえば、俺と白河さんは似た者同士なのかもしれない。
「それは興味があるわね」
「言いませんよ。絶対に」
「冗談よ。じゃあ案内を頼める?」
「……俺も手探りですが。付いてきてください」
俺は身を翻し、死の気配が濃い方向へと歩き出した。
死の気配は一定以上に濃くなることはない。
それが今までの経験則。しかしそれはある地点に到達した瞬間、変わった。
……キツイな。
眩暈がするほど濃い気配。
現在位置はおそらく島の中心部近く。普通の終域でいうところの最深部に近付きつつある。
だけど足を止めるわけにはいかない。この先に何かがあることは確実だ。
「……刀至くん? 大丈夫ですか?」
酷い顔をしていたのだろう。隣を歩く真白が心配そうに顔を覗き込んできた。
「ああ。多分もう少しだ。警戒してくれ」
「わかりました。無理はしないでくださいね?」
「ありがとう」
そうして進むことしばらく。俺はある物を見つけた。
……蓋?
そこにあったのは石造りの蓋だった。
正確な大きさはわからない。おそらく四、五メートルはあるだろう。かなり大きい。
加えてその表面には柱と同じような文字、神代文字と星形を複雑にしたような図形が刻まれていた。
「蓋……かな?」
「蓋……ですね」
白河さんと真白も俺と同じ意見らしい。
「材質は……」
白河さんがしゃがみ込み、蓋の表面に触れる。そして叩いたり魔術を使ったりした。
「うん。魔術も曲がるし柱と同じナニカを施された蓋と見て間違いなさそうだね。ただ……蓋か。何を封じているんだろうね」
「瘴気……ですかね?」
「真白ちゃんもそう思う?」
「はい。瘴気を封じているのならば、魔物が出現しないことの説明もつきます」
たしかに真白の説明は理に適っている。
しかし俺はなんとなく違うと感じた。ただの勘だが。
……じゃあなんだ?
俺は疑問に思いながらも蓋に触れる。
すると身体からなにかが吸われていく気配がした。その瞬間、蓋に刻まれた神代文字が輝く。
……なっ!?
即座に手を離したが、時すでに遅し。
蓋全体が光り輝き、パッと発光した。それから蓋が変形していく。
やがて姿を現したのは地下深くへと続く螺旋階段だった。
「……刀至くん。何をしたの?」
「わかりません。何かが吸われるような感覚がして……」
それしか答えられなかった。
俺自身は何もしていない。正確に言うならば触れただけだ。
しかしそれは白河さんもやっていたこと。別におかしなことではない。と、思いたい。
「まあいいわ。それよりもよくやったと言うべきかしらね。これで先に進める」
「……やっぱり行くんですね」
「もちろん!」
階段の先は暗闇。まるで深淵が口を開けているかのようだ。
ならばせめて……。
「俺が先導します」
俺は地下へと続く階段に足を踏み入れた。
螺旋階段を下っていく。
中は石造りの空間で、遺跡のようだった。
階段の幅はあまり広くなく、二人並んで歩くと丁度ぐらい。
この場で刀を振るうのは少々難しいだろう。
……いざとなったら虚皇の出番だな。
なんてことを思いながら、警戒しつつ進んでいく。
「ねぇねぇ。これ……大丈夫だよね……?」
振り返れば天音さんが怯えながら智琉と颯斗にしがみ付いていた。
智琉が光属性魔術で周囲を照らしているが、この狭さに加えてかなり暗い。光の届かない少し先は真っ暗だ。
まるで深淵が口を開けているかのよう。
怖がりの天音さんにはキツイ空間だろう。
だけど置いてくる選択肢はなかった。
どこに危険があるかわからない以上、守れる距離にいてもらったほうがいい。
「真白は大丈夫か?」
「……大丈夫です」
そうは言ったものの、いつもより表情が固い。無理をしているのは明白だ。
「なにかあったら俺がま……対処するから。安心してくれ」
あぶない。
また気恥ずかしい言葉を口走るところだった。
すると真白が小さく笑みを溢す。
「ふふっ。……ありがとうございます」
どうやら訂正は間に合わなかったらしい。
それからしばらく階段を下り続けた。
時間にしておよそ三十分ほど。そうしてたどり着いたのは小さな石室だった。
薄ぼんやりと石で作られたであろう壁が見えている。
「照らしますね」
智琉が追加で光源を作り出し、四方に展開する。
すると石室の全容が露わになった。広さは学園の教室よりも狭い。以前俺が通っていた小学校の教室ぐらいの広さだ。
「これは……」
白河さんが壁際に歩み寄り、思わずと言った様子で手を伸ばす。
そこにあったのは壁画だった。
石室の壁と天井にびっしりと描かれている。
「……神代文字ってことは……神代の壁画? それにしても、何と戦っているのかしら……」
おそらく、何かの戦争を描いた絵だ。
奇妙なのは人間と争っている敵の姿。
――異形。
そう表現することしかできない存在だ。
「魔物……じゃない?」
真白が小さく呟いた。
……そういえば。
先日授業で習った内容を思い出した。
魔物というのは実在する生物に似通うことが多い。
大森林パークで遭遇した影狼は狼だし、天隼もとい暗殺鳥は鳥だ。
白竜も、かつて神代には竜が実在したとされている。
しかしこの壁画に描かれている異形は違う。
形容し難いナニカ。
かろうじて人型だとは言える。しかし細部が全く違った。
まず腕の数が多い。三本から六本とまちまちだが、これは個体差なのか、壁画だからなのか。
それから背中から翼のような、爪のような突起物が生えている。
そして頭部に描かれているのは目のようにも思える菱形。
……いや。俺はコイツらを――。
既視感にも似た感覚を抱いた。
その瞬間、バチっと火花が散るように激しい頭痛が襲い来る。
「……くっ!」
あの日と同じ痛み。俺は立っていられずに膝を突いた。
凄まじい吐き気がする。視界が明滅し、前後不覚の感覚に陥っていく。
「刀至くん!?」
真白が身体を支えてくれるのがわかった。だから俺は安心して身体の力を抜く。それで少しだけ楽になった。
……ありがとう。
しっかりと言葉にできたのかはわからない。
それから俺は耐え続けた。数秒か、数分か。時間の感覚は曖昧だったが、次第に頭痛は治ってきた。
「……ありがとう真白。大丈夫だ」
「……何か思い出したんですか?」
真白が他のみんなに聞こえないように耳元で口にした。
俺は頷く。
フラッシュバックしたのは二つの光景。
空を背景に涙を流すあの子。そして俺と相打ちになった異形の姿。
「……そうか。俺は……守れたのか」
俺はあの子を守るために戦った。そして――。
「いや違う。俺はこうして生きている。……いや、死んだのか?」
「……刀至くん?」
考えがまとまらない。
俺はふらつきながらも立ち上がり、壁画へと歩いていく。
……黎明大戦。
この戦いはそう呼ばれていた。それだけははっきりとわかる。
「大丈夫ですか……? 刀至くん」
隣で真白が心配そうに俺を見ていた。
「わるい。……あとでちゃんと話す」
「わかりました。待ってます……」
「大丈夫か? 刀至?」
智琉の声に俺は振り返る。
そこには真白と同じく心配そうに視線を向けてくる幼馴染三人組がいた。
「大丈夫だ。わるいな。白河さんもすみません。ご心配をお掛けしました。たまにあるんです」
「問題ないならいいんだけど。あまり続くようなら検査した方がいいわよ?」
「そうですね……考えておきます」
俺は曖昧に言葉を濁す。
たとえ検査をしたところで頭痛の原因はわからないだろうから。
「さてっと。……ここが行き止まりみたいだけど本当かなぁ? わざわざあんな頑丈な蓋を用意して? あるのが壁画だけなんてことないと思うんだけど……」
白河さんと研究員たちが石室を調べていく。
隠し扉のような仕掛けがあると思っているらしく、壁を叩いたりしていた。
しかし何も見つからないようで、う〜んと唸っている。
「刀至くん。死の気配とやらはするんだよね?」
「します。この場所が一番濃いですね」
だいぶ慣れてきたが、それでもまだキツイ。
常に首筋に刃を突き付けられているような感覚だ。正直なところ、一秒だってこの場にいたくない。
「そういえば、ここは写真に映るのかな?」
「別のモノが写ったりしてな」
「やめてよ颯斗くん〜」
智琉が漏らした疑問の声。
振り返ると、天音さんが泣きそうになっていた。
「でも検証は必要だろ?」
「そうだけどぉ〜」
天音さんも颯斗の言葉が正論だとわかっているのだろう。だからか、次第に声が小さくなっていった。
颯斗が意気揚々と端末を取り出し、内蔵されたカメラを壁画に向けてシャッターを切る。
「どう? ちゃんと撮れた?」
「小夜も見るか?」
「ぜったいに見ない!」
天音さんがそっぽを向く。
すると俺や真白と目が合った。
「……」
「……」
「……」
数秒の沈黙。その後、天音さんが「……よしっ!」意を決したように呟くと、真白の前まで小走りで駆け寄ってきた。
「……その……えっと……ほ、星宮さん怖くないんですか?」
天音さんは視線を彷徨わせたあと、そう口にした。
あらかじめ話題を決めていたわけではなく、無理やり探し出したように思える。
それにしても人見知りの天音さんが俺や真白に声を掛けてくるのは珍しい。
「こわっ、……」
直球な質問に真白が頬を引き攣らせた。
階段での様子から、暗い場所があまり得意でないのはわかる。真白はそのことをあまり知られたくないのだろう。
しかし真白は真面目な女の子だ。
ウソをつくのも忍びない。そんな葛藤が見えた。
「その……怖くない……といえば嘘になります」
「そ、そうなんですね」
「でも大丈夫です。なにかあれば刀至くんが守ってくれるらしいので……。ですよね?」
真白が控えめに視線を向けてきた。
やはり誤魔化せていなかったらしい。気恥ずかしくて俺は頬を掻いた。
「まあ……な」
「ふふっ。ありがとうございます」
「……」
そんな俺たちのやり取りを天音さんがぼうっと見つめていた。
「あ、あの、もしかしてお二人は……。あっ……やっぱりなんでもありませんっ!」
天音さんはそう捲し立てると、智琉と颯斗のもとへと戻っていった。
「……お? 見るか? 小夜」
「もう! み・な・い!」
端末の画面を向けた颯斗の脇を天音さんが小突く。そんな三人のもとへ白河さんが歩いていった。
「私には見せてもらえる?」
「はい。ちゃんと写ってます。おかしなものは写っていません」
颯斗が白河さんに端末を手渡す。
「ありがとう。……写るってことは柱とは別かな? まあ写るならひとまず記録を取ろう。あと刀至くん。他に気になることはある?」
「気になること……ですか?」
しばし考え、俺は感知範囲を広げてみることにした。何か見つかるかもしれないと思って。
「すこし集中します……」
俺は目を瞑った。
そして感知範囲を広げていく。おもに下方向へと向けて。しかし限界まで広げても特に何も見つからなかった。
一度息を吐き、目を開ける。
「俺たち以外に生物の気配や魔力反応はありませんね」
「……刀至くん。若干聞くのが怖いんだけど、それってどのぐらいの範囲を感知できるものなのかしら?」
「……最大で約一キロぐらいですね。集中すればですけど……」
「一キロ!? 本当に言ってる?」
そんな気はしていたが、どうやらだいぶ広いらしい。研究者たちも絶句している。
「まあ……。はい。でも感知できるのは生物の気配と魔力反応だけですよ?」
「その他はなにがあるのよ……」
「……空間とか……ですかね?」
実際に今、この下に空間があると分かれば、この石室に何か仕掛けがあるということになる。
だけど俺の感知はそこまでを知ることはできない。あくまで生物の気配と魔力反応だけだ。
「それがわかったら怖いわよ……。でも、それなら何もないと思っていいのかな?」
「……そうは思えませんけどね」
なにせあれだけ厳重な封がしてあったのだ。その先にあったのが壁画の描かれた石室だけなんてことは考え難い。
「まあ私も同意見だわ。だけどひとまずはこの壁画が見つかっただけよしとしましょう。神代文字を解析できればなにかわかるかもしれないしね。写真は撮れた?」
「はい。全て撮れました」
「では、今日のところは撤収としましょうか。刀至くん。明日は柱の位置を記録してもらえる?」
「わかりました」
「お願いね。では戻りましょう」
こうして二日目の調査は無事に終了した。




