三章 一日目
「さっき言った通り、外周部から調査を開始する」
「それはいいけど、刀至は何を感じてるんだ?」
「……」
全員、真剣な顔つきで俺の言葉を待っていた。
「この終域……御霊島には死の気配が満ちている」
「死の気配……ですか?」
真白が首を傾げる。他のみんなもいまいちピンときていないような反応だ。
だけど何も感じていないのならば仕方のない反応でもある。
「なんて言えばいいのかな……」
死の気配というものはなんとも形容し難い。何度も死線をくぐった者にしかわからない感覚だ。
いくら優秀だとはいえ、みんなはまだ学生。はっきりとわかる俺の方が少数派だ。
だから言葉を噛み砕くように選び取っていく。
「……俺は修行の時に何度も師匠に殺されかけている」
「「「……」」」
事情を知っている真白以外が絶句していた。
「師匠は本気で殺しにくるんだ。明確に命の危機を感じるほどにな。俺は今、似たようなものを感じている」
「何度聞いても思うけど、刀至の師匠はすごいね」
智琉はいつものように苦笑を浮かべた。師匠の話をすると智琉はいつもこの表情を浮かべる。
「だから、この終域には確実に何かがある」
始祖はこれを見越していたのだろうか。未だ真意はわからないが、そんな気がしてならない。
「もしもの時は……」
俺は一度言葉を切ると、有無を言わせぬ口調でその言葉を口にした。
「――逃げろ。わかったな?」
俺はもう二度と『家族』や仲間を失いたくない。
あんな思いは二度とゴメンだ。
「でも……」
智琉が尚も言い募る。
それは俺が感じている危機感を真に理解できていないからだろう。だから俺は敢えて厳しい言葉を選んだ。
「わるい。遠慮したら死人が出るからはっきり言う。足手纏いだ。何か出てくるなら俺は他を気にしている余裕が無くなる」
「……刀至くん。それほどなのですね?」
真白が俺の目を見る。紅い瞳は真剣そのものだ。
「それほどだ。最低でも霊峰富士レベルだと思ってくれ」
俺の言葉に全員が息を呑んだ。
実際に俺が霊峰富士で戦ってきたことを知る真白はことの重大さがわかっただろう。
「わかりました。その心づもりでいます」
「刀至がそこまで言うなら相当なんだな。僕もできる限り警戒する」
「ああ。そうしてくれ。じゃあ移動を開始するぞ」
海岸沿いを海風に晒されながら歩く。
死の気配さえなければ気持ちのいいハイキングになったことだろう。
海岸線を抜けてその先にある森へ。足場の悪い道が続く。
報告にあった通り、どれだけ歩こうと魔物は出なかった。平和なものだ。
こうして歩いていると富士樹海を思い出す。
森の風景がよく似ている。
そうしておよそ三時間ほどで外周の調査を終えた。慎重になっていたためかなり時間が掛かっているが仕方ないだろう。
俺たちは上陸した海岸線に戻ってきた。
今のところ、異常はなし。俺の感じている死の気配を除いては。
「おかしくないか?」
ふと、颯斗が呟いた。
「おかしい?」
「ああ。生き物が何もいない。虫も鳥も、一度も見なかった」
「そういえばそうだね。海鳥がいてもいいような……」
真白と天音さんに視線を向けると、二人も頷いた。
「少し待っててくれ」
俺は警戒しながらも波打ち際まで歩いていくと気配を探る。すると魚たちも一定の距離から御霊島に近付こうとはしていなかった。
……なんだ? 死の気配を感じ取っているのか?
動物はそのあたりをかなり敏感に感じ取る。
霊峰富士でもイノシシやカモシカといった動物たちは結界の中から決して出ようとしなかった。
きっと似たような現象だろう。
……ということは、この死の気配は俺の勘違いじゃない。
問題はいつからかということだ。
初めから御霊島に動物はいないのか、ここ最近で居なくなったのか。
「ありがとう颯斗。これは報告した方がいいな」
「それじゃあ一度戻るか? そろそろ飯時だろ?」
空を見れば太陽がちょうど中天に差し掛かっている。昼食にはいい時間だ。
「だな。ここで食えるのは携帯食料だし」
懐から支給された携帯食料を取り出す。完全栄養食と呼ばれる長方体の食べ物だ。
栄養満点の万能食べ物。しかしただ一つ、大きな欠点がある。
「まずいんだよなこれ……」
少し前に授業の一環で食べた。
味はなく、ゴムのように固い。加えて開封した時の匂いも独特だ。薬品のような匂いがする。
ただ、栄養が取れればいい。そんな理念のもとに開発された食料。およそ食べ物とは認めたくない物体。
良い点を上げれば腹持ちがいいぐらいか。しかしそれもパサパサしていて喉が渇くというデメリットがある。
緊急時以外にはなるべく食べたくない。
「まあ緊急時なら文句は言わねぇけど」
「あれだけすごい戦艦があるのですからもう少しなんとかならないのですかね?」
その不味さは真白が苦言を呈するレベルだ。
「うん。一度戻ろうか」
俺の提案は全員一致で可決された。
白河さんに貰った笛を吹き、氷を伝って甲板へと戻る。すると魔術の発動を感知したのか、そこには白河さんがいた。
「おかえり。早かったね? 何か見つかった?」
「白河さん。聞きたいんですが、御霊島に動物がいないのは元からですか?」
「……動物がいない?」
白河さんの表情が険しくなる。
それだけで何か異常が起きているのだと察した。
「はい。まだ外周部を一周しただけですが、動物が居ませんでした。魚も一定の距離から御霊島に近付こうとしていません」
「……そんな現象は確認したことがないね。初めてだ」
「それと今まで御霊島に上陸した魔術師で気分が悪くなった人は居ませんでしたか?」
「……いない……はず。誰かがなった?」
「……抽象的で申し訳ないんですが、御霊島には死の気配が満ちています。だけどそれを感じ取ることができているのは俺だけでした」
「……死の気配」
白河さんが腕を組んで考え込む。
「それは瘴気とは違うんだよね?」
「違います。御霊島の瘴気は限りなく薄い」
「……」
白河さんが胸ポケットから端末を取り出し、操作する。それから耳に当てた。
「蓮? ちょっと甲板に来て。聞きたいことがあるんだけど……。……ん? 一本吸ったら? 怒るよ? 早く来て」
それから待つこと数分。天宮監督官がやってきた。
「すぐ来てって言ったよね? 絶対一本吸ったでしょ?」
「吸い始めたばっかだったんだよ。勿体無いだろ?」
「一応仕事中だって認識はある?」
「……」
黙る天宮監督官に白河さんは大きなため息をつくと「もういいわ」と話を切り上げた。
「蓮は御霊島に入ったことあるよね?」
「数回な。最近だと一年前ぐらいか?」
「その時、変わったことはあった? というより動物はいた?」
「いたぞ。付いてきた研究員が頭に糞落とされてたから覚えてる」
「……」
白河さんが目を細めた。
しかし話が進まないとでも思ったのか特に突っ込まずに流す。
「あと気分が悪くなった人は居なかった?」
「気分? 居なかったはずだけど、どうかしたのか?」
天宮監督官が視線を向けてきた。だから俺は頷く。
「御霊島には死の気配が満ちています」
「死の気配? 物騒だな」
眉をひそめる天宮監督官。どうやら一年前は感じていなかったらしい。
「天宮監督官。一度俺と上陸してもらえますか? 俺の経験がそう感じさせているのか、それとも別の要因かを知りたいです」
「なるほど。修羅場をくぐった経験からってことだな。わかった」
天宮監督官は頷くと、胸ポケットから煙草を取り出してライターで火をつけた。
しかしそれが戦闘用だとわかっている白河さんは何も言わない。
天宮監督官は一度大きく煙草を吸い、大量の煙を吐き出す。
「じゃあ行くか」
「わかった。今、道を作るね」
「いや」
魔導具を起動させようとした白河さんを天宮監督官が手で制する。
「必要ない。……だろ?」
「……そうですね」
俺は頷き、天宮監督官と共に甲板の手摺りまで歩いて行き、足を掛けた。
「すぐ戻る。波瑠。十分で戻らなかったらアラトニス様に連絡を頼む」
「わかった。気をつけてね。刀至くんも」
「はい」
「じゃあ行くぞ――」
天宮監督官が宙に身を踊らせた。しかし落下することなく、煙を足場にして進んでいく。
……どうするか。
大きく踏み込めば、弾丸のように飛んでいける。しかし多分戦艦が耐えられない。
手摺りが凹むぐらいで済めばマシだが多分もう少し被害は大きいだろう。」
……まあ海の上を行くのが無難か。
俺も天宮監督官に続いて手摺りから飛んだ。重力に身任せ、落下する。
そして海に落ちる寸前で水を蹴った。水飛沫が舞い上がり、戦艦を揺らす。
その次の瞬間には俺は御霊島に足を踏み入れていた。
「お前……。早いな」
遅れること約十秒。苦笑を浮かべた天宮監督官も到着した。
「それで死の気配とやらは今も?」
「はい。気を抜けば意識を持っていかれそうです」
「そんな状況でよく普通に話せるな……」
「ってことは……」
「ああ。俺は何も感じない」
「そうですか……」
一級魔術師でも何も感じない。
ということは死線をくぐり抜けた経験は関係ない可能性がある。
……ってことは俺の身体が原因か?
みんなと違うところ。それは俺が半神ということだろう。俺の神の部分が何かに反応している。そう考えた方がいいのかも知れない。
「でも異様だな。前とはなにか違う。それだけはわかる」
「やっぱり何か起きていると見て間違いなさそうですね」
「ああ。一度戻ろう。俺はアラトニス様に報告を入れる」
「わかりました。お願いします」
「俺も明日から付いて行った方がいいか? それなら進言するぞ?」
「……」
俺は少し考えてから首を振った。
「天宮監督官は戦艦の防衛をお願いします」
おそらく始祖はその目的で天宮監督官を派遣している。だから進言しても無駄だろう。そんな気がした。
「了解。なら御霊島は任せる」
「はい」
こうして俺と天宮監督官は一度戦艦へと戻った。
昼食も終わり、三度御霊島へ。
一級魔術師の天宮監督官も何か異変が起きていると明言したせいか、午前よりもみんなの表情が引き締まっている気がした。
天宮監督官の話だと念の為、援軍を要請したらしい。明日の夜には一級魔術師が数人。明後日の夜には特級魔術師が一人到着予定らしい。
「じゃあ次は島の中心に向かって行くでいいか?」
俺の言葉に全員が頷く。
「刀至くん。気分が悪くなったら言ってくださいね?」
「ああ。ありがとう。真白」
心配してくれた真白にお礼を言うと可憐な笑顔を浮かべた。思わず見惚れそうになるが、今はそんなことをしている場合ではない。
俺は表情を引き締め、島の中心へ向けて一歩を踏み出した。
これから向かうのは島の中央部。終域であれば最深部に当たる部分だ。外周より危険は跳ね上がる。
俺は深呼吸をするとみんなに声をかけた。
「行くぞ!」
森の中を進む。
進んでも進んでも視界に入るのは木と雑草。やはり動物はいない。変わらない風景に警戒していてもだんだん辟易としてくる。
そんな時、俺はおかしなことに気付き、足を止めた。
「刀至くん?」
後ろを歩いていた真白が不思議そうにしている。
……僅かに死の気配が変わってる?
若干だが死の気配が薄くなったり濃くなったりしている。
「みんな、何か感じたか?」
見ると全員が疑問顔を浮かべていた。
「死の気配が薄くなったり濃くなったりしてる」
「刀至くん。その気配は初めより濃くなったりはしていますか?」
「いや、なってないな」
一番濃い場所でも外周部が一番濃かった。
「濃くなってはいない……ですか」
真白は少し思案した後に口を開いた。
「ではまずは薄い場所に行きませんか? そちらの方が危険も少ないでしょうし、何かあるかもしれません」
「たしかに……そうだな。みんなもそれでいいか?」
全員が頷いてくれたので真白の方針通りに進む。
気配が濃くなってきたら薄い方へと。しばらく繰り返していると死の気配がほとんどしない場所を見つけた。
「……なんだ……これ?」
そこには異様な巨岩があった。
岩というよりも柱と言った方が正しいだろうか。
四角柱の形をしており、地面に突き刺さっている。
太さ、大きさはかなりのモノ。上部は木々の枝に隠れて見えない。果たしてどれだけ深く突き刺さっているのか。
そして一際目を引くはその表面。
奇怪な文字がびっしりと刻み込まれている。
俺はその表面を手で撫でた。
「こんなものがあるのに何もないなんて報告になると思うか?」
「僕なら報告書に書く。どう考えても人工物だからね」
「オレら以外は今まで誰も見つけられなかったってことか?」
「こんな大きな物、今まで調査隊が見つけられなかったとは思えません」
「わ、わたしも、そう思います」
御霊島の調査がいつから始まったのかはわからない。だが少なくとも最近ではない。
もし見つけられなかったのであれば、これほど巨大な人工物を何十年も見逃していたことになる。
それも調査に慣れているであろう魔術師が、だ。そんなことは常識的に考えてありえない。
「……それになんだろうね。この文字は……。誰か読めたりする?」
智琉が聞くが俺を含めて全員が首を振る。
柱に書かれているのは日本語でも英語でも、はたまた魔術式でもない。まるで見たことのない文字だった。
成績優秀な真白や智琉が読めないのであれば現代で使われている文字ではない可能性がある。
「だよね。これは一度帰還した方がいいかな?」
「私は帰還に賛成です。時間も時間ですし」
空を見上げると太陽はだいぶ沈んでいた。
日没にはまだ余裕はあるが帰りの時間も考えるとそろそろ戻った方がいいだろう。
夜の森は危険だ。それが終域ならば尚更油断はできない。
「俺も真白に賛成だ。颯斗と天音さんは?」
「わたしも賛成です!」
「オレも賛成だが、ちょっと待ってくれ。写真だけ撮っておいた方がいいだろ?」
「確かにそうだな」
颯斗が端末を取り出し、内蔵のカメラを柱へと向ける。そしてシャッターを切った。カシャっという電子音が鳴り、フラッシュが焚かれる。
「ん?」
しかし撮影した画像を確認した颯斗が不思議そうに首を傾げた。
「どうした?」
「……オレ、今撮ったよな?」
電子音も鳴ったし、フラッシュも焚かれていた。これで撮れていないのであれば端末が壊れている。
「撮れてないのか?」
「……ちょっともう一回撮るわ」
「じゃあ俺も……」
端末を取り出し、颯斗と共にシャッターを切る。
先ほどと同じように電子音が鳴り、フラッシュが焚かれた。
俺は自分が撮った写真を確認し、颯斗と同じく首を傾げる。
「……なんだこれ?」
「やっぱオレがおかしいわけじゃないよな?」
「刀至くん。見せてもらえますか?」
「颯斗くん。わたしにも見せて?」
俺と颯斗の端末を真白と天音さんが左右から覗き込む。
そこには森の風景だけが写し出されていた。柱などどこにもない。
真白が端末と柱を交互に見た。
「なんだか心霊現象みたいで、すこし怖いですね……」
「……ぇ」
真白の呟きに天音さんが小さく声を漏らし、後退った。顔が青くなっている。
「もしかして天音さん。そういうのダメ?」
「だ、大丈夫ですっ!」
……ダメそうだ。
「ちなみに真白は?」
「……聞きますか?」
ということは真白もダメなのだろう。
正直意外だ。もし心霊現象に遭遇しても冷静に対処しそうなイメージを持っていた。
「刀至くんは勘違いしています。……その、あまり得意ではないというだけで……。ってその顔はなんですか……?」
わざわざ言い訳をしている姿が微笑ましかった。どうやらそんな思いが表情に出ていたらしい。
ムッと頬を膨らませている。するとその表情がまたあの子と重なった。
……ダメだな。
ふとした仕草や表情がやけに重なる。
ホタルを見たあの日からだろうか、最近頻度が多くなった。
これでは真白に対して失礼だと思いながらも止められない。
「いや、なんでもない」
ちょっとした罪悪感を感じ、俺は真白から視線を逸らした。
「……? まあいいです。ですがどうしましょう?」
「と、撮らなくていいんじゃないでしょうか!?」
天音さんは今すぐに帰りたそうだ。
だがこの異変が明日もあるとは限らない。何か証拠は取っておきたい。
「少しだけでも書き写すかぁ?」
颯斗が露骨に嫌そうな顔を、一方天音さんは小さく悲鳴をあげた。
少し面白い。
しかし颯斗の方法しかないのも事実だ。
「刀至。やるならすぐにやろう。モタモタしてると日が暮れる」
「だな」
俺は軍服の内ポケットから薄いメモ帳を取り出した。調査任務にはアナログの紙と鉛筆を持つことは必須。これは授業でも習った。
「刀至はいいよ。周りの警戒を頼める?」
「四人で大丈夫か?」
「うん。馬鹿正直に書き写すわけでもないからね」
「「えっ!?」」
颯斗と天音さんがギクっと肩を跳ねさせた。
「……まさか二人とも。馬鹿正直に書き写すつもりだった?」
「こういうのはこうすると早いですよ」
真白がメモ帳を一枚千切り、柱に押し当てた。
その上から鉛筆を擦っていく。すると柱に刻まれた奇怪な文字が紙に転写されていく。
「すごいです! 星宮さん! これですぐに帰れます!」
どうやら帰ることが最優先らしい。
「じゃあ周囲の警戒は任せろ。そうだな。十分で出来るだけ書き写してくれ」
「わかりました。……刀至くんも気を付けてください」
「ありがとな」
腰から白帝と虚皇を抜き放った。
そしていつどこから何が来てもいいように感知範囲を広げていく。やはり動物の一匹もいやしない。
……不気味だな。
そんなことを思っていると不意に視線を感じた。
俺は油断なく白帝と虚皇を構え、警戒心を跳ね上げる。
……どこだ?
周囲を見回すが俺たちの他に人の気配はない。
それは感知できる範囲にも。しかしとても気のせいで済ませていい視線ではなかった。
悪意。
俺は一瞬感じた視線からそんな感情を読み取った。
森の中で視界が悪い。なら……。
……上か?
俺は頭上を見つめる。
視界にうつるは茜色に染まりつつある空。
そんな中を半神の視力をフル活用し、何か異物がないかを探る。
「……刀至くん?」
俺の雰囲気が変わったのを感じ取ったのか、真白が声をかけてきた。
「どうしたんですか?」
「視線を感じたんだけど、真白はなんともなかったか?」
「視線ですか……私は何も感じませんでした」
「僕も特には」
「オレもだ」
「わたしもです」
どうやら視線を感じたのは俺だけらしい。
「……気のせいか?」
絶対にない。
俺の直感がそう告げている。しかし見つからないのもまた事実。
俺はもう一度空に視線を向け、何も異物がないことを確認する。
「わるい。作業に戻ってくれ」
「はい。また何か気付いたら教えてください」
俺は引っ掛かりを覚えつつも、警戒に戻った。
そうして待つこと十分。結果として何十枚ものサンプルが取れた。
これだけあれば十分だろう。
「お疲れ様。じゃあ早いところ帰ろうか」
「だね。行こう」
「先導よろしくお願いします。刀至くん」
頷き、森の中を進む。
……ていうかこれ、延長はほぼ確定だよな?
何か見つかったら延長。そういう話だった。
よって授業に出られないことも確定。ということは帰ったらまたしばらくは勉強の日々だ。
「……憂鬱だ」
小さく呟いた声は誰にも届いていなかった。
戦艦に戻ると、即座に会議が開かれた。
出席者は俺たち五人と、白河さん、天宮監督官。加えて白河さんの部下が五名。計十二名だ。
「さて、説明してもらえるかしら?」
「死の気配についての共有は?」
「済みね。お昼に話したことは全て彼らも知っていると思っていいわ」
「了解しました。順番に説明します」
そうして俺は午後、再び上陸してからのことを話した。
まず初めに中心へ向かったこと。
その際に死の気配が薄くなったり濃くなったりと変動していたこと。
真白の提案でまずは薄い場所に向かったこと。
そして柱を見つけたこと、を。
「……柱?」
白河さんが部下に目配せをした。しかし全員が首を振っている。
「写真は撮った?」
「撮りはしました。その画像がこれです」
俺は撮った画像を表示させ、白河さんに端末を手渡す。すると白河さんは眉をひそめた。
「……何も写っていない?」
「はい。この画像から分かる通り、柱は写りませんでした。だから……みんな頼む」
仲間たちが前に出てホワイトボードに柱の文字を転写した紙を貼っていく。
「柱の表面にはこの文字が。しかし誰も読めませんでした」
「これは……!」
白河さんが驚愕して顔色を変える。
「わかるんですか?」
「これは……神代文字よ」
「……神代」
魔術全盛の時代。神が実在したとされる時代。
最近よく耳にする言葉だ。
「でもこんなもの……今までなかった……」
「見逃したということは?」
「ありえないわ。調査は魔術と機械の両方で測量して行ったからね」
眉を顰めながら白河さんはそう断言した。
「いや、前言撤回」
しかし一転してそう呟いた。
「写真に映らない。ってことは測量した魔術と機械に引っ掛からなかった可能性はあるわね」
白河さんは口元に手を当てて思案に耽る。やがて考えがまとまったのか一つ頷いた。
「うん。さっぱりわからないわ!」
白河さんがいっそ清々しさすら感じる笑みを浮かべた。口から出た言葉と表情が合っていない。
いうならば新たな研究対象に興味津々といった様子だ。
……根っからの研究者って感じだな。
謎を愛し、解を求める者。
そういう意味では白河さんの言葉と表情はこれ以上ないほどに合致している。
「だから明日は私も調査に加わるわ。蓮! アラトニス様に延長申請は!?」
「もうしてる。許可ももらった。とりあえず一週間だ」
「ありがと!」
これで調査の延長は確定してしまった。
補習も確定だ。しかしこればかりは仕方ない。
「他に何か報告はある? なければ解散としましょう」
手を挙げる者は誰もいなかった。
「よし! なら明日に備えて体を休めて。また明日もよろしくね!」
そうして御霊島の調査、一日目が終了した。
その後は食事をして、風呂に入り、早めにベッドに入った。あまり睡眠の必要がないからだが、一日中警戒をしていたせいかすぐに寝付けた。
きっと自分の思っている以上に疲れていたのだろう。
だけどふと目が覚めてしまった。時計を見ると午前一時。ベッドに入って三時間が経っていた。
「……」
俺は身体を起こさずに再び目を瞑る。
半神の身体故に、これで寝不足になるわけではない。だけどなるべく精神を休めておきたかった。
……あと四時間。
明日の予定は朝七時から調査を再開することになっている。日課もあるため、いつも通り五時に起きる予定だ。
それから目を閉じ続けること三十分。
……寝れない。
やけに目が冴えている。経験上こんな時は無理に寝ようとしてもまず寝れない。だから俺は身体を起こした。
……夜風でも浴びるか。
俺は外套を羽織ると部屋の外へ出た。
やって来たのは甲板。扉を開けた瞬間、海風が吹き付け、目を細める。
細目で見ると、甲板には先客がいた。
白い少女が柵に寄りかかり、月を見上げている。
今宵は満月。空に雲は無く、満天の星空が広がっていた。
そんな中、月光を一身に浴びながら黄昏る白い少女。その光景は幻想的でとても絵になっていた。まるで地上に舞い降りた女神のようだ。
「……刀至くん?」
白い少女、もとい真白は俺の気配に気付いたのか、ゆっくりと振り返った。
「真白も眠れないのか?」
歩を進め、真白の隣まで歩み寄る。
そうして柵に寄りかかった。真白と一緒に夜空を見上げる。
「もということは刀至くんも眠れないのですか?」
「ああ。妙に目が冴えてな」
「……そうなんですね」
それから会話は無くなったが、あの日と同じく居心地はよかった。
この心地良さもあの子が関わっているのだろうか。
そう思うと罪悪感がチクリと胸を刺す。
だけど真白も同じく居心地が良いと思ってくれているのか、部屋に帰るようなことはなかった。
「……くちゅん」
しばらくそうしていると、真白が可愛らしいくしゃみをした。
「……」
俺は苦笑しながらも真白の肩に外套を掛ける。
「夜は冷えるな」
真白が目を見開き、俺を見た。
「半神にはあまり必要ないんだ」
念のため持ってきただけだ。
「……ありがとうございます」
真白が目を細め、微笑む。その表情がまたもあの子と重なった。
「……気にするな」
罪悪感から真白を見ていられず、月を見上げる。
すると真白が一歩近付いてきた。肩が触れ合うような距離。
俺は一歩離れようとしたが、真白に腕を掴まれ阻止された。
「刀至くん。たまにそういう表情をしますよね? 私、なにかしましたか?」
紅い瞳が俺の瞳を覗き込む。
全てを見透かすような瞳だ。俺の内にある罪悪感を丸裸にされるような錯覚がした。
俺は気まずさから目を逸ら――。
「――私を見てください」
それは意図した言葉か。いや、そんな筈はない。
罪悪感を感じているのは俺だけだ。
だけど真白の言葉は星宮真白という一人の人間を見てほしいという願いに聞こえた。
……そう……だな。
これは俺が悪い。俺だけが悪い。
だから真白の紅い瞳をしっかりと見た。
「ごめん。真白が何かしたわけじゃない。ホタルを見たあの夜からあの子と真白が重なるんだ」
「……そういうことだったんですね。でも少し安心しました」
「安心?」
「はい。私が何かしたわけじゃないって。……そんなに似ていますか?」
「ああ。そっくりだ」
ふとした表情、さりげない仕草が失ったはずの記憶と重なる。おかしな話だ。
「確かに複雑な感情ですね。目の前にいるのは私なのに」
真白がツンと唇を尖らせた。すこし拗ねているようにも見える。
「……ごもっとも」
「別に私と重ねるなと言いたいわけではないですよ? だけど今後はもう少し私も見てください」
決して見ていないわけじゃない。
努力家で、気配りができ、人に優しい。
初めはそんなこと、全く思わなかった。だけどそれは自分の心を守るために人を避けていただけ。
だけどあの夜から変わった。これが本当の真白だ。
……それに何度も見惚れそうになってる。
控えめに言って真白はかわいい。
ハーフということもあり、日本人離れした美貌を持っている。誰もが目を惹かれる少女。それが真白だ。
修司さんも言っていたが、あれは決して親バカだからというわけではない。ただの客観的事実だ。
だけどそれは言うのは少し、いやかなり恥ずかしい。
――お兄ちゃん。ちゃんと言わなきゃ伝わらないよ。
なぜか、ふと咲希の言葉が脳裏を過った。
これは和樹と喧嘩した時の言葉だ。あの時は咲希の助言で解決したんだったか。
……なんで今思い出すんだよ。
思い出してしまったからには言った方がいいのではないかと思えてくる。
ただの勘だ。だけど俺は勘を信じるようにしている。俺の勘はよく当たるのだ。
だから咲希の助言に従い、言葉を紡いでいく。
「ちゃんと見てるよ。真白は優しいし、人一倍努力家だ。俺はそれを知っている。今日だって、俺のこと気に掛けてくれてたよな?」
死の気配に耐える俺をいつもより気遣ってくれていたのは知っている。
「だから感謝してる。いつもありがとう」
照れ臭くて視線を逸した。
「……」
しかし無言の真白が気になり、すこしだけ視線を戻す。
すると真白はポカンと口を開けていた。そして次第に顔が赤く染まっていく。やがて熟れたリンゴのように真っ赤になった。
そんな表情をされると俺の方も恥ずかしくなってくる。
「…………ごめん。今のナシで」
「え……。ナシなんですか?」
一転、シュンと悲しそうな表情を見せた真白。俺は真白のこういう表情に弱い。だからすぐに前言撤回をする。
「ナシじゃない……です」
すると真白は小さく笑みをこぼした。
そんなさりげない表情でさえ見惚れそうになる。
「ふふっ。刀至くんは私のことをそんなふうに思っていたのですね。嬉しいです」
優しげな表情で微笑む真白。
心臓が音を立てて鼓動している。戦闘時でもないのに、心拍数がここまで上がるのは初めてだ。
「でも目の前で言われると恥ずかしいですね……」
真白も真白で目が泳いでいる。やがて視線は床へと落ちた。きっと俺も似たような行動をしているだろう。
恥ずかしくて真白の顔が見れなくなる。
「……」
「……」
沈黙。この無言の時間は少しだけ居心地が悪かった。咲希の助言に従ったのは間違いだったのではないかと思えてくる。
だけどこの場から離れようとは思わなかった。そしてそれはおそらく真白も。
するとその時、一際強く風が吹き付けた。
「きゃっ――」
可愛らしい声を漏らして真白がバランスを崩す。
俺は咄嗟に真白を支えた。
密着といっても過言ではない距離。柔らかい感触に女の子特有の甘い匂い。
心臓が早鐘を打つ。きっと霊峰富士で戦っていた時よりも鼓動が速くなっている。
真白に鼓動の音が聞かれてしまうのではないかと心配になるぐらいにうるさい。
「……すみません。ありがとう……ございます」
至近距離で見つめ合う。
先ほどとは比べ物にならないぐらいに顔が熱い。
気の利いた一言でも言えればよかったのだが、そんな余裕はなかった。
「あ、ああ」
頷くことしかできない自分に歯痒くなる。
「その……戻りましょうか。明日も早いですし」
渡りに船の提案。今すぐに離れなければ心臓が破裂しそうだった。だけどすこしだけ名残惜しい気持ちもあり……。
でも、俺はその感情を心の奥底に封じ込めた。
「そう……だな……。送ってくよ」
「ありがとうございます……」
真白の部屋の前でわかれるまで、俺たちは終始無言だった。
思い返せば、とんでもなく恥ずかしいことを口走っていた気がする。
それから、当然のように眠れることはなく、一睡もできずに朝を迎えた。




