Side Episode:それは思考の骨ではなく、歩き方の話だった
20時を回ったオフィスは、照明の色味が少しだけ柔らかくなる。
カーペットに沈んだ足音が、かえって空間の静けさを際立たせていた。
「……時間、いい?」
会議室のドア越しにそう尋ねると、黒崎はモニターから目を離し、首だけこちらに向けた。
「うん。もう区切りついた。なに?」
「この前の“構造化”の話。もう少しちゃんと聞きたい。黒崎の考え方を、ちゃんと知りたくて」
一拍の間を置いて、黒崎はスリーブのついたコーヒーを手のひらで回しながら、少しだけ笑った。
「変な頼み方。……でも、いいよ。
ちょうど私も、言語化してみたいと思ってたところだったし」
私はノートを開き、ペンを構えた。が、すぐには書かない。
黒崎は椅子の背にもたれて、ゆっくりと言葉を探すように話し始めた。
「“構造化”って言葉、よく“ロジカルシンキングの延長”で語られるけど……私は、ちょっと違うと思ってる」
「ロジカルと構造は、違う?」
「違う。“ロジカル”ってのは、“筋が通ってる”ってこと。
でも“構造がある”ってのは、“どこが筋か、他人にもわかるように設計されてる”ってこと」
黒崎はそう言いながら、ホワイトボードに三角形を描く。
上が「結論」、下に「理由」、さらにその下に「事実」。
「これ、いわゆる“伝えるための構造”ね。ピラミッドストラクチャーとか。
でも、実際に考えるときって、こんなにきれいに組み上がるわけじゃない」
今度は別のスペースに、点線で跳ねるような思考の流れを描いた。
「たぶん、こう。“仮説”が浮かんで、“事実”にぶつかって、“矛盾”を感じて、戻ってまた組み直す。
思考って、線じゃなくて、張った糸みたいに跳ねるんだよ」
私は小さく頷く。
「それを“見えるかたち”にするのが、構造化?」
「うん。“考えた軌跡”を、“他人が追えるように”残すこと。
だから私は、順番よりも“問いの接続”を大事にしてる」
「問いの……接続?」
黒崎はうなずく。
「“この問いに答えると、次の問いが立つ”っていう流れ。
構造化って、“問いの構成力”なんだよ。答えじゃなくて」
私はペンを走らせながら、ぽつりとこぼす。
「たしかに。最近、問いが増えすぎてる感じがしてて……」
「それ、“問いの重さ”を見てないからだと思う」
「重さ?」
黒崎は新たにボードの下段に2つの問いを書き出す。
「価格をどう設定するか」
「なぜこの商品が買われないのか」
「たとえばこの2つ、“後者”の方が重い。
答えが事業を変える可能性があるから。
私の中では、“重い問い”を軸に、“軽い問い”を吊るしていくような感覚で構造を作ってる」
私は、しばらく黙って考える。
「……黒崎の資料って、言葉が“引っかかる”感じがある。
なんか、触れると持っていかれるというか」
黒崎はコーヒーをひと口飲み、静かに言う。
「思考って、“線”じゃなくて、“力”なんだよ。
どこに負荷がかかってるか、どこを支点にしてるか。
構造化ってのは、その“力の配置”を見せる作業」
私は深く頷きながら、聞いた。
「でもそれって、すごく個人的な作業でもあるよね」
「そう。私にとって、構造って“思考の私物”なんだよ。
だから他人に見せるときは、一回“他人の目線に貸す”作業をする。
それが、プレゼンとか資料の設計ってやつ」
「……じゃあ、さっきの私の資料って、“まだ貸せてない”ってこと?」
「うん。“まだ、アンタの中だけで通じてる構造”って感じ」
私は自分のスライドをもう一度見返す。
きれいに組み立てたはずのピラミッドが、急に遠く感じられた。
「どうしたら、“貸せる”ようになるんだろう」
黒崎はペンを置き、しばらく考えたあとで言った。
「“相手の頭の中で書く”ってことだと思う」
「……相手の頭?」
「“どこから入って、どこで納得して、どこで離れるか”をシミュレーションする。
その構造を、頭の中に一度、相手の地図として置いてみる」
私は、目の前のスライドを見つめたまま、しばらく黙っていた。
さっきまで“整っていること”が成果だと思っていた。
でも、それはまだ“骨”でしかなかったのかもしれない。
──黒崎が言う“構造”は、たぶん骨格じゃなくて、“歩き方”なのだ。
「ありがとう。……今日の話、すごく響いた」
黒崎はカップを空にして、肩を少しだけ緩めた。
「でもね、あんまり構造化に頼りすぎないで。
フレームはいつか壊れる。
大事なのは、“問い続ける姿勢”そのものだから」
私は、静かにうなずいた。
夜の会議室を出るとき、何かが身体の奥でしずかに軋んだ気がした。
思考の骨が、一段太くなったような──そんな、夜の残響だった。