Episode 4: KPIの影、静かな検証
数字は、嘘をつくことがある。
ただし、それは“語られすぎたとき”に限る。
水曜の午後、私たちはWebマーケティング会社から追加で提出されたログデータと、元社員2名へのヒアリング記録を並べて検証していた。
「登録数、たしかにグラフでは増えてましたけど……これ、期間が飛んでます」
日向が、Excelのシートを睨みながら言う。
「去年の7〜9月がごっそり抜けてる。しかも、成長率が最も高かったって書いてた時期ですよ」
「……見せてはいけない期間だったのかもな」
私はつぶやき、資料の裏をめくった。
裏、というのは文字どおりの意味ではない。
KPIが“伸びた”とされる月の、チャネル別流入数やリピート率、セッションあたりのCV数──
それらの数値が、整合していない。むしろ、相関を否定する動きすらある。
「このCV率……ひどいな」
黒崎が、珍しく口にした。
その声は硬く、どこか自分自身に向けたもののようにも聞こえた。
「1万登録中、購買者が150人……1.5%。いや、これは“エンゲージメント”じゃない」
「なのに、社長は“定着率128%”って言ってたんですよね」
日向がぽつりと言う。
「どういう計算をしたんですかね」
「……したんじゃなくて、“してない”んだと思う」
私はそう返す。
「語感だけで、定義を作った。エンゲージメントという言葉に“数字の仮面”をかぶせていた」
そのとき、黒崎が不意にファイルを閉じた。
「……仮説に、主観が混ざってた」
彼女はそう言って、手を握ったまま、しばらく視線を泳がせていた。
私は言葉を探して、すぐには何も返さなかった。
私は、その言葉にだけ、はっきりとうなずいた。
「信じる余地がある言葉って、魅力的に見えるからね。特に、“構造化されてるように見える”言葉は」
黒崎は、小さく息を吐いた。
「……私、あの社長の話し方に、ある種の論理性を見出してた。整った言葉は、思考の証明だと思ってた」
「でも実際には、“整えすぎ”だったんだよね」
私はコーヒーを一口飲んで、カップを置く。
「自分で論点を定義して、自分のストーリーに組み込んでた。それは戦略じゃなくて、“演出”だよ」
黒崎は何も言わなかったが、その沈黙には抗わない意思が宿っていた。
* * *
その日の夕方、元社員の一人──退職時点でマーケティング担当だった女性──にインタビューを行った。
Zoom越しに、彼女ははっきりと語った。
「KPIの報告は、半分“演出”でしたよ。“見せる数字”と“使える数字”は、分けて作ってました。正直、限界が見えてたんです。でも、社長はずっと、“熱さえあれば逆転できる”って……」
会話を終えたあと、ミーティング室には沈黙が残った。
日向がペンを回しながら、ぽつりと漏らす。
「私、就活のとき“情熱を言語化する”って会社、いっぱい見ました。なんか、懐かしい気持ちになります」
「それは、褒めてる?」
私が聞くと、日向は首を傾ける。
「んー……半分は。半分は、ちょっと怖いなって」
私は小さく笑い、向かいの黒崎を見た。
彼女は目を伏せたまま、端末のカーソルを動かしていた。
だが、その手元が少しだけ震えていたのを、私は見逃さなかった。
そしてその夜、Slackに黒崎から短いメッセージが届いた。
「明日の報告、私からやる。仮説の立て直し、やってみたい」
それはきっと、黒崎なりの挽回ではなかった。
仮説が崩れたときにだけ見える真実を、拾いにいこうとする姿勢だった。
私は、“了解”とだけ返して、ノートを閉じた。
プロジェクトは、やっと“事実”を語り始めていた。