Episode 3: 仮説の外側、語られすぎたビジョン
プロジェクト初日:マネジメントインタビュー
調査対象となるWebマーケティング会社のCEOは、あらゆる場面で“語り”を駆使していた。
「我々が生んでるのは、ユーザーじゃない。“共鳴者”なんですよ。数字はあくまで補助線。重要なのは“熱”です、“体温”なんです」
スライドには、「エンゲージメント120%成長」「登録率対前年比145%」などの華やかな数字が並ぶ。だが、それらの指標には母数が書かれていない。注釈もない。期間すら曖昧だった。
「登録ユーザー数って、今何人でしたっけ?」
私がそう尋ねると、CEOは笑顔で返す。
「累計では10万超えてますよ。ま、今期の見込み値をベースにすると若干変わりますけど、重要なのは、どれだけ“信じてもらえてるか”なんですよ」
黒崎はそのやりとりを黙って聞いていた。
資料のページを静かにめくりながら、何かを見定めるような目をしている。
会議が終わったあと、タクシーに乗り込んでから、日向が口を開いた。
「なんか、うまく言えないですけど……、この会社、話がうますぎません?」
「……同感」
私が答えると、運転席からナビの電子音が割り込んできた。
黒崎はしばらく沈黙したあと、ぽつりと呟いた。
「言語設計は優秀だった。構造も、展開も。整理のしかたとしては洗練されてる」
「たしかに。でも、整理されすぎてませんか?」
私はそう返しながら、手元のメモを見た。
“CV率の記載なし”、“ユーザーロイヤルティ定義=不明確”、“KPIが変化している”
資料が「整理されている」ことと、「正確である」ことは違う。
それは当然のはずなのに、プレゼンの熱量が判断を曇らせることがある。
* * *
午後、社内に戻ってチームミーティングを始めた。
「社長、勢いありましたね〜。でも、なんか説明がふわっとしてました」
日向が椅子をくるくる回しながら言う。
「語彙は洗練されてた。ストーリーテリングも整っていたし、フレーミングの一貫性もある」
黒崎は淡々と言う。
「……ただ、整いすぎてるんですよ。数字の“粒”が見えない」
私はノートパソコンを開き、資料の数値一覧を並べながら続ける。
「登録者数の分母は非開示。購買CV率の記載はなく、“行動ベースのエンゲージメント”という謎の指標が立ってる」
「つまり?」
黒崎がこちらを見る。
「“語られすぎてる”ってことです。数字で語るべきところを、言葉で上塗りしてる。私には、そう見える」
黒崎は数秒間黙ってから、資料をめくった。
スライドの余白に、何かを足そうとして、手を止めた。
「……仮説を持ちすぎたかもしれない」
ぽつりと、言った。
「最初から“語れる事業”だと思って、見に行ってた。
でも、本当に見なきゃいけないのは、語られてないほうの情報だったのかも」
私は、それに対して何も言わなかった。
黒崎が自分の仮説を“解体”しようとする姿勢に、どこか安心したからだ。
ただひとつ、言葉を添えるなら。
「……次のフェーズで、数字を剥がしてみましょう」
「いい仮説には、裏切られる覚悟が要るから」
黒崎が、ようやく私のほうを見て、わずかに頷いた。
プロジェクトは、やっと“調査”の入り口に立ったところだった。