Episode 2: ランチと推論
金曜の昼休み、エレベーター前でばったり黒崎と合った。
「……タリーズ、行く?」
「行く」
そのあと、日向からも「黒崎さんと一緒なんですか?じゃあ私も行きます!」とLINEが来て、気がつけば3人でいつもの角の席に落ち着いていた。
空は高く晴れていて、タリーズの窓からは、通りを歩く人々の影が短く見えた。
プロジェクトの本格始動は来週月曜。
この1週間は資料の読み込みや、スケジュールの下ごしらえに追われながらも、どこか余白のある時間が流れている。
「なんか、“前夜感”ありますね」
日向がそう言って、紙ナプキンで口元を押さえる。
「でもその割に、黒崎さんって、平常運転すぎません?」
「何が?」
「いや、初プロジェクトのメンバーなのに、緊張感ゼロというか……」
黒崎は静かにホットサンドをかじる。日向はそれを観察するように見ていた。
「……レタス、食べないんですか?」
「サラダ菜はデータが弱いから」
「えっ?」
「栄養価とか食物繊維とか、定量的に比較したときの“機能”が不明確」
唐突に飛び出した黒崎の推論に、私は思わず笑ってしまう。
「なるほど。食べものにも論点整理が必要なんだ」
「判断基準が不明瞭な選択って、後悔しやすいから」
日向がサラダラップを握りしめながら言う。
「え〜でも、私、そういうときは“直感でこっちが美味しそう”って選びますよ。朝ごはんだって、気分でパンかおにぎりか選ぶし」
黒崎がフォークを止めて、わずかに眉を上げた。
「毎日が違うから、毎回違って当然……か」
「そうです。だって気分、固定されてないですもん」
私の目の前で交わされる、まったく噛み合わないようでいて、なぜかどこかで成立している会話。
「でも、それもひとつの仮説ですね」
黒崎がぽつりと言った。
その声には、微かに柔らかさが混じっていた。
意外だった。黒崎が誰かの“気分”に頷いたことが。
日向は特に気に留める様子もなく、ラップの最後のひと口をかじっていた。
私はその姿を見ながら、ふと思う。
たとえまだプロジェクトは始まっていなくても、
もう何かは始まっているのかもしれない。