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7話

 兄弟の厚意に甘えることになって、翌日。

 まだ少し肌寒さが残る朝の時間。季節はどのくらいだろう。夏と冬ではなさそう。というか、季節という概念はあるのだろうか?

 リーアはベッドから抜け出してカーディガンを羽織った。

 洋服は兄弟の母親のものを借りた。

 二人にとっては思い出の品だろうそれを他人の自分が着ることには抵抗があったが、一日分の衣服をお借りすることにした。


(アザゼイの町に服ってあるのかしら)


 わからないことは山積みだが、とにかく学んで生きていくしかない。

 それにしても昨夜は、なかなかに貴重な体験だった。


(……やっぱりトイレもあるし、湯船もあった)


 トイレはさすがにウォシュレットなんて高機能はないが、便座があってノブを捻れば流れていくタイプのものだった。お風呂はシャワーがないものの、蛇口からはお湯が出て湯船に溜めておくことができる。この水回りの充実具合は一体なんなのだろう。ロジェーリン王国によるものか、それとも。


(旧帝国時代の産物? ロジェーリン王国と旧帝国、どっちが長かったのかしら)


 治世が長ければ環境も整うものだとは思うが、これはどちらの功績か。

 ラルにあとでこの世界の歴史書があるか聞いてみようか。ラルの父親は歴史にも興味があるようだったし、なにか書物が残っているのかも。ロジェーリン王国だけでなく旧帝国時代のものがあると嬉しいのだが。


(ただ、電気はそうでもないのよね)


 アザゼイの町は、夜になるとすぐに真っ暗になる。

 光源を火に頼っているので、消えてしまえば必然とそうなる。

 しかし、これだけ水回りは整っているのだし、王都や都市部には電気が存在するかもしれない。


 元いた世界を基準にすることは、そろそろ放棄している。中世ヨーロッパという感じも今はない。

 見捨てられた土地には奇怪な動物もいるという話だし、この世界にはもしかしたらファンタジーのような魔法だってあるかもしれない。独自のエネルギーとか魔法が存在するのなら、インフラが整っているのにも納得がいくし。


 リーアは部屋を出ると、物音がしたリビングへと向かった。

 足を踏み入れると室内は暖かい。すでに薪がくべられている。

 石窯のほうから薪の燃える匂いがする。そのすぐ近くに、ラルが立っていた。


「おはよう、リーア」


 謝罪されてからラルの態度はすっかり緩和していた。

 話し方は落ち着いているし、目も合わせてくれる。その瞳に敵意はない。昨日も寝る前までなにかと世話を焼いてくれて、この面倒見の良さは生来のものだろうと想像がついた。

 ラルは分厚い軍手のようなものを持っていた。


「今から出かけるの?」

「畑仕事を軽くな。グレンはもうすぐで起きてくると思うが」

「私、朝食を作りましょうか?」


 提案すると、不思議なものをみるような目で見てきた。

 そんな目をされるのはなぜだろうとリーアが首をかしげると。


「……貴族の娘は自ら炊事はしないと思っていたんだが」


 ああ、確かに。“リーア”はしたことがないだろうなと思う。

 義母との関係が悪かったとはいえ、ちゃんとした伯爵令嬢の彼女が台所に立つことはないだろうし、いや、そもそも義母が立たせないか。リーアが遺した日記によると、屋敷の中をリーアが歩き回ることさえ義母は嫌がっていたようだし。

 だが、自分は違う。料理は人並みにできるほうではある。自分のためだけに作るとなると面倒になってしまうだけで。

 問題は調味料含めて今までとは異なる環境で作れるのか、なのだが。


「貴族の娘にも例外があるということにしておいて。食材はどこに?」


 尋ねると、ラルがリビングの扉を開けて出ていく。

 二階にあがる階段下には扉があった。ラルが扉を開けると、五段ほどの階段を降りた先にはスペースが広がっていた。四方は棚に覆われていて麻袋の中に野菜が入っているのが見えた。空気はひんやりとしていて過度な湿度や乾燥は感じない。

 階段を降りた先には、黒塗りで縦長の大きな木箱のようなものがある。

 やけにでかいそれが部屋の中央奥に鎮座していた。


「……これ、なに?」

「知らないのか? 冷感保管庫れいかんほかんこだが」

(ああ、冷蔵庫みたいな?)


 ラルがその箱の戸を引くと、中からひんやりと冷たい空気が漏れた。

 冷蔵庫ほどの冷たさはないものの、それなりに物を冷やしておくには良さそうな温度だ。中に氷でも入っているのかと訝しんだが、水滴はついていない。この箱自体の内部が冷気をまとっているように感じる。


(どうなっているのかしら、これ)


 この世界特有のものだろう。原理はわからない。電気を利用している感じもない。

 まじまじと覗き込んでいるリーアに、ラルが首をかしげた。


「そんなに珍しいもんじゃないだろ。どこの家にもあると思うが」


 なるほど、これは平民でも一般的に所有できるものなのか。

 箱の中には主に肉類が保管されていた。うん、だいぶ冷えている。

 瓶に入った牛乳、塊の状態のチーズなども一緒に保存されている。肉類や乳製品はこの保管庫に、野菜や果物は物によっては棚の麻袋に入っているようだ。使いかけの食材は皿に乗せた状態で保管庫で冷やされている。


「ここにあるもんは適当に使っていい」

「ありがとう。あ、これはなに?」

「マヨネーズ。グレンが作りすぎたのを保存してるんだろ」


 小さい深皿に入ったマヨネーズを取り出す。

 知っている調味料が出てくると安心するが、こういう場合は衛生面が気になるところ。例えば食中毒とか、そういう問題はないのだろうか。でも、こんなふうに無造作に手作りのマヨネーズを置いているところを見ると、この冷感保管庫になにかしらの機能があるのかも。

 保管庫の中に入っている食材は知っているものが多い。

 厄介になっている身として料理を申し出たのだが、果たして自分にちゃんとした料理ができるかどうか不安な気持ちもあった。しかし、これだけ材料が揃っているのなら問題なく作ることができそうだ。

 リーアは、冷感保管庫の中に入った半分に切られたパトルテを見つけた。

 昨日はこれを使ったのかと思うと、つい笑みが溢れてしまう。


「ね、ラル。食べられないものはある?」


 冷感保管庫のシステムがどうであれ開けっぱなしはまずいだろうと、戸を閉めたリーアがラルに問う。

 尋ねられたラルは、意外なことを聞かれたとばかりに目を見張ったが。


「……俺は甘いもんは好かない。できれば避けてくれると助かる」

「わかったわ。逆に好きなものはあるの?」

「それ以外で食いもんの好き嫌いを気にしたことはないな。食えればなんでも」

「グレンくんは?」

「あいつはなんでも食う。甘いもんもパトルテの食感が苦手なだけで嫌いってわけじゃねぇし。好物で言えば肉が入ってりゃ喜ぶ。あとは、……辛すぎるもんには微妙な顔してたな」

「ふふ、辛すぎるものに気をつければいいのね」


 辛いものを食べて微妙な顔をしているグレンを想像するのは容易い。根が素直な子だ。彼の好まないものは作らないようにしようと心の中で決意する。

 そんなリーアを、ラルは気遣わしげに。


「……本当に作る気か?」

「もしかして、変なものを食べさせられないか心配してる?」


 リーアが尋ね返すと、ラルは笑った。

 自然と笑ってくれるようになったラルは意外と親しみやすい。


「まぁな。変なもんが出てきても食べる努力はする」


 冗談混じりにそう言ったラルの頭に少しの違和感を覚えた。

 右側の側道部からぴょこんと寝癖が出ている。グレンと比較すると大人びているラルだが、そんな無防備な姿があるとまだまだ年若い青年なのだなと、リーアは年上の気持ちで微笑ましさを感じた。

 そんな気持ちのまま、リーアはラルの頭へと手を伸ばす。

 伸びてきた手に一瞬だけ警戒を見せたラルは、自分の髪を撫でつけるリーアを見下ろすと。


「……急に、なんだ」


 少し身長が高いラルを見上げて髪を撫でつける。何度か撫でつけるだけで寝癖は収まった。髪質が意外とサラサラで羨ましい限りである。


「寝癖を直したほうがいいかと思って」

「……お前、そういうのはやめておけ」

「なにが? あ、指摘しないほうが良かったの?」

「いや。お前の態度は、こう、誤解を生むかもしれない」


 まったく意味がわからず、リーアは眉根を寄せた。

 寝癖を直すことで一体なんの誤解が生まれるのか。まるでわからない。


「どういう誤解?」

「誤解というか、勘違いをさせそうというか。……まあ、いい。外出のときは必ずグレンと行動するように」


 ああ、そういう心配かとリーアは思い至った。

 兄弟はこうして快く受け入れてくれているが、アザゼイの町の町民はラルと同様に貴族というだけで警戒するに違いない。その際、距離感を誤れば不信感を抱かれてしまう。適度な距離感と態度で町民とは接したほうがいいという助言なのだろう。ありがたい指摘だ。


「そうね、町の人たちには警戒されないよう気をつけるわ」


 そうじゃなくてと言いかけたラルの言葉が不自然に止まる。

 見つめ合って数秒、ラルは諦めたように息を吐いた。


「……グレンと一緒なら変なやつに絡まれないだろ、たぶん」


 そう言ったっきりラルは何も言わなかったので、いまいち腑に落ちないながらもリーアは引き下がった。

 食材は好きに使ってくれと言って畑へ向かうラルを見送って、リーアは食料保管室の中を動き回る。

 パンは籠に入っているバケットを見つけた。バケットでフレンチトーストと考えたが、ラルは甘いものが苦手なのですぐに却下。

 バケット以外には日本でよく見た、一斤サイズのパンが紙袋に入って棚に置かれていた。

 日本では綺麗に正方形の形をした食パンのイメージだったが、手に取ってみると山なりだし歪で膨れている。紙袋に入って置かれているのをみると、最近購入したものだろう。


(ホットサンドにしてもいいかもしれない)


 冷感保管庫の中に紐で縛られたハムがあったし、チーズも卵もある。


(サラダは生野菜? マヨネーズがあるし、コールスローもいいわね)


 知らない場所、見慣れているが少し保存方法が異なる食材。

 楽しくなってきてあれもこれもと作って試したくなるが、無駄に材料を使うわけにはいかない。この世界で一人暮らしを始めた暁には、日本で食べたことのある料理を再現する時間を作ってもいいかもしれない。日本人の食に対する工夫や発想に感謝である。そのおかげでいろんな料理をこの世界で生み出せそうだ。

 棚に置かれていたカゴに材料を詰めてキッチンへ戻る。


(油は、これよね。フライパンを温めておいて包丁とまな板を出して……)


 作りすぎたと言っていたマヨネーズをスプーンで少し掬って口に含むと、酢が強めのマヨネーズだった。問題はなさそうだ。

 他人の家で料理を作っている。不思議な気分だと思いながら料理を黙々と進めていると、不意に背後で扉の開く音がした。

 振り返ると、眠たげに目を擦って入ってきたグレンがぱちりと大きく瞬いて。


「……あれ? なんでリーアが飯作ってるんだ!?」

「おはよう、グレンくん。今日はゆっくりしてて。ほら、座って?」


 言われるがままリーアの示す椅子に座ったグレンだったが、すぐに立ち上がるとリーアの背後に立ち、後ろから料理を覗き込む。


「……なあ、それなに?」


 見た目に反した幼気な声に、こっそり笑ってから応じる。


「これはホットサンド。食べたことある?」

「……へー。貴族ってパンをそういう食べ方すんのか」


 いや、それはどうだろう。自分もこの世界の貴族の食生活は知らない。

 リーアの記憶も彼女の人生の振り返りで食事の風景なんてなかったし。


「こっちはなんだ?」

「サラダ。マヨネーズを使い切りたくて。……ふふ、グレンくんってば。座ってていいのに」

「え!? あ、うん。座ってるけど……」


 そうして黙りこむこと数秒、リーアの手元に視線を落としたまま。


「あのさ、……見ててもいいか?」

「あ、毒を入れようなんて思ってないわよ?」

「俺も思ってねぇってば!」

「じゃあ、手伝ってもらってもいい? 飲み物を人数分用意してくれる?」


 そうお願いしてみると、途端に嬉しそうな顔になる。


「リーアはパトルテのジュースにするか?」

「そうね、使いかけがあったし二人が飲まないのなら私が飲んでもいい?」

「うん、すぐに用意するから待ってろ!」


 そうして保管庫のほうへと駆け出していったグレンを見送って、リーアは自然と笑みがこぼれた。勝手に朝食を作るのは嫌がられるかもしれないと思ったが、杞憂だった。まあ、なんとなくグレンは受け入れてくれる子だろうとも思っていたが。

 パトルテを持って戻ってきたグレンは、リーアが飲むパトルテのジュースを作り終えてからも椅子に座ることなく、リーアの周囲をうろうろした。これはどうやってとか、あれはどうするのかとか、興味津々といったようすで聞いてくるグレンが微笑ましくてつい応じてしまう。

 そんなやり取りをしていたから、リーアもグレンもラルが戻ってきたことには気づかなかった。


「グレン、お前はなんでリーアにへばりついてんだ」

「へ、へばりついてねぇし! 聞いてたんだよ、色々と!」


 背後から聞こえてきた兄に、顔を赤らめて言い返す弟。

 リーアはグレンに用意してもらった皿に最後のホットサンドを盛りつけると机に置いた。


「グレンくんって可愛いわね」

「え、可愛くはないだろ。リーア変だよ」


 さっきまで照れていたのに急に真顔で否定してくるとは。

 この可愛いという感覚は、どうやらグレンには伝わらなかったらしい。


「なあ、兄貴。俺は可愛くねぇよな?」

「知るか。お前はさっさと運べ」


 そんなやり取りをしながら朝食の時間は始まった。


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