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5話

 グレンに用意してもらった朝食に不満は少しもなかった。

 日本で暮らしていた記憶のせいで、絶対に口には出さないけれど不満を抱いてしまうかもしれないと危惧していたのだが、ありがたいことにそれはなかった。これは意外だった。


(この世界は、食事の基準も高いわ)


 そんな感想を抱いてしまうのは、最初に頭の中にあった中世ヨーロッパっぽいという固定概念のせいだろう。

 しかし、考えてみれば自分の知っている世界の歴史とこの世界の歴史は違う。それなら当然、まったく一緒になることはない。文明や技術の進化はもちろん、食物の原産地が異なるのは当然だし、価値観や宗教さえ違うはず。もう中世ヨーロッパっぽいという考えは排除したほうがいいかもしれない。


 平民のレベルで塩や胡椒が手に入り、卵も使うことができる。パンは歯応えのあるバケットくらいの小麦を使った白いもので、いわゆる黒いパンではなかった。

 たくさんの野菜を煮込んだスープに、スクランブルエッグ、そしてパン。

 一緒に用意してくれた飲み物は紅茶によく似た透明感のある赤い色。

 口に含むと甘い香りがしてあっさりと飲める。味は自分が知るもので例えるなら桃の香りがする紅茶といった感じだ。


「この飲み物って、なに?」


 食事の途中、飲み物を口にしたリーアはグレンに尋ねた。

 てっきりみんな同じものかと思ったが、自分だけこの赤い色の飲み物だった。ラルとグレンは先ほど飲んだメバテ茶のようだが。


「あ、まずかったのか?」

「そうじゃなくて。とても甘い香りがするから、なにかしらって」

「えーと。パトルテ……、だっけ?」

「お前が普段買わない果物なんざ使うから」

「兄貴、余計なことを言うなよ!」


 知らない単語だなと思っていると、ラルが割り込んできてグレンの顔が赤く染まる。

 呆れたようにグレンに目をやったラルは息を吐くと。


「パトルテは南部の、この辺でよく知られる果物だ。歯応えがなくて、そのまま食うと、とにかく粘っこくて甘ったるい。人によってだいぶ好き嫌いがあるんだが、これの実を絞ったものを水で薄めるとちょうどいい甘さの飲み物になる。町の女たちがよく飲んでいることを、こいつが知ってて買ってきたんだろ。俺ら二人はパトルテが好きじゃねぇからあえて買うことはない」


 淡々と説明するラルの横で、グレンが真っ赤な顔でうつむく。

 なんて可愛い子なのだろうと思ったが、それを口に出すと余計にグレンが縮こまってしまいそうなので。


「気にかけてくれてありがとう。とても美味しいわ」

「……う、うん。そりゃ、よかった」


 素直に礼を述べると、グレンは恥ずかしがって視線を逸らした。

 そして、隣に座る兄を睨みつけて。


「……俺が普段買わないなんて言うことないだろ」

「なにを恥ずかしがってるんだ、お前は」

「恥ずかしがってなんかねぇし!」


 兄弟の会話に、微笑ましい気持ちになってしまう。


(そういえば)


 誰かと食事をするなんてずいぶんと久しぶりだ。

 紫乃であったころ、食事といえば一人がほとんどだった。一人暮らしを始めてからはさらに食に興味がなくなり、コンビニで簡単なものを買って終わり、時間を使って料理に手間をかけることはなかった。それよりも読書や映画に熱中してしまって、食事を忘れることもあったくらいだ。


(振り返ると、だいぶ不摂生ね……)


 それで身体に影響が出たのかはわからないが。

 目の前で言い合いというよりは、グレンが一方的に噛みついている兄弟の日常的な会話が妙に響く。一緒に食卓を囲み、相手に遠慮なく意見をぶつける。こういうのを正しく家族というのだろう。

 自分にも“リーア”にも賑やかな食卓はなかったんだなと悲観でもなく素直な感想を改めて抱きながら、リーアは食事を進めた。


「グレンくん、ありがとう。美味しかった」


 食べ終えてそう言うと、グレンよりも先にラルのほうが口を開いた。


「俺らに気遣う必要はない。大したもんじゃないと言っただろ」


 それは、貴族のリーアだったらそうかもしれないが。

 病院食よりは味が濃くて良かったし、なによりも。


「美味しかったわ。それに、誰かと一緒に食べるの久しぶりだったから」


 ラルが黙り、グレンが案ずるように尋ねてくる。


「……リーアも親いないのか?」


 そんなつもりはなかったが、気遣われてしまった。

 この世界における家族の問題は、今の自分にとっては他人事である。父親は本当の親ではないし、義理の母親も同じ。なので、傷つけられたリーアを思って憤ることはあっても、自分の体験として傷つくことはない。心配そうに見られると逆に困るのだが。

 なんともいえない気分になって、リーアは苦笑した。


「うーん。いないというより、いないも同然って言葉が当てはまるかしら」

「血のつながりはないのか」

「母親とはないわね。とても仲が悪いの」


 そう答えると、ラルは考え込むようにうつむいて。


「まさか、馬車の件はその母親が絡んでるのか?」


 この返しは意外だったので、リーアは目を見張った。

 森の奥を探したと言っていたが、これだけの情報でそこにたどり着くとは。


「……鋭いのね。まぁ、そんなところ」

「え、どういうことだ?」


 グレンが不思議そうにリーアとラルの顔を交互に見たが、ラルは構わず話を続けた。


「毒かなにかを口にした可能性はあるか?」

「毒はないわね。馬車が襲われて逃げた先で落下したの。深い傷はなかったでしょう?」

「なら、あの高熱の原因は別になるか。……それにしても、襲撃した連中が逃げたお前を見失ったのだとしたら、だいぶ運が良かったな」


 そうねと同意して実際の状況は伏せておく。

 本当は刺されたし、刺されたリーアは死んでるし、死んだリーアは違う世界の人間になったし。

 誰が信じるというのか。死んだ人間が見た目そのままに別の人間になるなんて。

 この事情は誰にも言わないでおこうとリーアが考えていると、グレンが不満気な表情で。


「なあ、俺にもわかるように話してくれよ!」


 隣に座る兄を睨みつけるグレンに、リーアは苦笑する。

 ラルに視線を向けると、肩を竦められた。どうやら自分が説明する気はないらしい。これは自分が一から話をしたほうが良いだろう。


「あのね、私を産んでくれたお母さんは幼い頃に亡くなっていて、今の母親と私に血の繋がりはないの。その人は昔から私のことが気に入らなかったみたい。だいぶ冷たくされていたんだけど、ついに邪魔になったのか私の暗殺を企んだみたいで」

「ええ!? なんだよ、それ! 大丈夫なのか!?」

「グレン、座れ」


 憤って立ち上がったグレンの横で、ラルが落ち着いた声で制す。


「なぜ、私を殺そうとしたのかまでは把握していないんだけど。今回はだいぶ、本気だったみたいなの。運良く逃げることができたけど、フォアサース領に戻ればどうなるかわからない。だから、……ちょっと待ってて」


 リーアは立ち上がると、先ほど借りていた部屋へ向かった。

 泥に汚れた鞄を持ち上げ、二人が待っている部屋へ戻る。日記は見せられないので隠しておくとして、貴金属と紙幣の入った袋を取り出して中身を見せる。

 覗き込んだラルとグレンが同時に「あ」と声をあげた。


「これが私の軍資金ってところかしら」


 大きな宝石がくっついた指輪をおそるおそるといったようすで指先でつつくグレンを呆れたように見やって、ラルは息を吐くと。


「家を出る気だったんだな?」

「そう。私の父親、家族に無関心の仕事人間で家のことは夫人のお義母様に一任しているから。父親に助けを求めるのも難しそうなのよ。だから、さっさと家を出たほうが早いかと思って」

「あ、それなら親以外の親戚に助けを求めるとか……」

「それができたら家を出ようなんて判断にはならねぇだろ」


 良い提案だと思ったらしいグレンの声は、ラルによって即座に切り捨てられた。

 そっか、と眉根を寄せたグレンに、リーアは微笑んでみせた。


「まあ、こんな事情から家を出るほうが早いかなと思ったのよ」

「……なんかだいぶ他人事じゃないか?」

「そんなことないわ。だって家族でも殺そうとしてくるのなら一緒にはいられないでしょう?」

「あ、うん。そりゃそうだけどさ」


 なんだかいまいち納得いっていないようすのグレンに、リーアは微笑みだけに留める。

 他人事というグレンの指摘は正しい。だって他人事だし。リーアの家族に思い入れないし。


「これからどうする気だ?」


 うーんと考え込むグレンに構わず、ラルが尋ねてくる。

 その金色の瞳はまっすぐで、なんというか嘘を逃してくれない強さを秘めていた。


(これから……)


 フォアサース領で生きていくつもりはない。ただ、今のところ候補として考えているのは一つある。


「当面の生活費は確保できてるから、実は見捨てられた土地に行けないかなって」

「ええ、正気なのか!?」


 立ち上がって驚くグレンと、目を見開くラルと。

 二人の反応から、やはり見捨てられた土地を目指すのは無理があったかと察した。


「私が見捨てられた土地に入ったら、さすがに向こうの人に怒られる?」

「怒られるとかじゃなくてさ、絶対に危ないぞ!?」


 見捨てられた土地がどんなものかは知らないが、ロジェーリン王国管轄外の地域くらいの認識だった。しかし、危険を伴うような場所なら自分ではどうにもできないかもしれない。

 考え込むリーアに、ラルが尋ねる。


「リーア。お前は見捨てられた土地に関して、どのくらいの知識がある?」

「……そうね。この大陸の南のほうに広がる土地は見捨てられた土地と呼ばれていて、王国の管轄から外れていることや、そこに住む人々を異教人と呼んで差別している、とか。あとは穢れているというのも聞くわね」

「貴族の令嬢にしちゃ、だいぶ知識に偏りがあるように思うが」

「お義母様とはそんな関係だから、授業を受けさせてもらえなかったのよ」

「ああ、そういう。……グレン、お前は片付け。俺が話をしておく」


 納得したラルが、隣に座るグレンに指示を出した。

 食卓に並べられた空の食器を指し示すラルに、グレンが顔を顰める。


「え、なんでだよ。俺も聞く!」

「見捨てられた土地の話をするだけだ。その間に片付けを終わらせろ」


 不満げなグレンが、渋々ながら立ち上がった。


「……うー、わかったよ」

「ごめんなさい、グレンくん。次は私も手伝うから」

「え、いいよ。リーアの分は俺がやる!」


 途端に素早く動いて食器を運ぶグレンの姿にリーアは笑みをこぼし、ラルは呆れたように息を吐いた。


「……可愛いのね、グレンくん」

「あれはお前にいい格好したいんだろ。話を続けるぞ」


 そう言って、ラルは立ち上がるとリビングの隅に置かれていた本棚に近づいた。






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