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4話

 リーアが今まで眠っていた部屋は一階にあったようだ。

 部屋を出ると廊下を挟んだ向こうに大きな扉があり、そこにはリビングとキッチンが一緒になったような空間が広がっていた。

 廊下の向こうには階段が見えたので、たぶん石造の二階建て。ただ、床と天井、階段にも木材が使われている家のようだ。


 リビングに入ると、良い香りがした。なにかを煮込んでいるようだ。

 ラルに案内されて、リーアは促されるままに椅子に座る。

 四人がけのテーブルに窓から差し込んだ光が落ちる。今は何時だろうと周囲を見渡したが、時計のようなものはなかった。外の風景からなんとなく朝だろうかと予想をつける。

 広いわけではないが、温かみのある家だとリーアは思った。


(あまり感じたことのない感覚だわ)


 家にいたころは居場所がなく、働き始めてからは一人暮らしの紫乃と。

 フォアサース家で孤立し、食事や生活も一人だったリーアと。

 どちらにとっても感じたことのない、生活感が溢れる温かな家の匂い。


「グレンならすぐに戻る。それまではここで待ってろ」


 そう言って、ラルはリーアの前にグラスを置いた。

 薄緑色の液体が入ったそれを手にとって匂いを嗅ぐ。甘い香りがする。

 口に含むと、雑味がなくて飲みやすい。緑茶かと思ったが、飲んでみるとハーブティーのような感じがする。後味はミントに近い香りがした。


「……いい香りがするのね」


 この世界では馴染み深いものだろうかと思っていると、対面に座ったラルは。


「大したもんじゃない。貴族様が飲むやつよりはだいぶ水っぽいと思うが」


 ああ、飲みやすいのは単純に薄いからなのかとグラスの中を覗き込む。薄めているのに香りがするのは、それだけ強い香りの茶葉だったりするのか。

 皮肉めいた貴族様という言葉を無視して、リーアは尋ねた。


「このお茶の名前は?」

「……メバテ茶だ。安価で癖がない上に育てやすい。南部では自分で育てているやつも多い」


 聞き覚えのない茶葉だ。この世界特有のものだろう。

 こうした、知らない世界で特有のものを知るというのはなかなか面白い。


「これはあなたが育てたの?」

「……庭に畑がある。薬草を育てるついでみたいなもんだ」

「薬草、……そういえばグレンくんが言っていたわね。医者だって」

「資格もないやつを医者とは言わない。薬学も趣味みたいなもんだ」


 それきり、ラルは黙りこむ。

 室内に重い沈黙が流れ、リーアはどうしようかと首を捻る。

 リーアになったという事実も含めて、ある程度の事情は把握できたがそれでも情報は足らない。

 今後、どのように動くかを決めるには多くの知識を得たほうがいい。

 リーアは、静かにグラスを傾けるラルに目をやった。

 目の前の青年は、貴族に対して警戒心が強い。それは、アザゼイの町が置かれている状況からすれば当然だろう。ただ、それでも。貴族と知っても命を助けてくれたのなら話せばわかるタイプではあると思う。感情的にぶつけないよう、あくまで理性的であろうとしているみたいだし。

 リーアはなるべく客観的にと心がけながら、ラルに尋ねた。


「ねぇ、アザゼイの町について聞いてもいい?」


 ラルは、意外なことを聞かれたと思ったのだろう目を見開いた。


「……なに?」

「ここに旧帝国時代に関する資料はあるの? できればそれを見せてもらえると嬉しいのだけど。噂では異教人と交易があるというのは知っているけど異教人というのは実際にどんな人? あと見捨てられた土地についても——」

「待て、質問が多い」


 止まれといわんばかりにラルが手を翳したので、リーアはしまったと素直に思った。

 客観的にあろうと心がけていたのだが興味が溢れて次々と疑問を投げてしまった。いつの間にか前のめりにもなっている。

 翳した手の向こう側、ラルが困惑した表情で尋ねてくる。


「お前、本当に貴族か?」

「どういう意味?」

「……なぜ貴族の令嬢がそんなことを聞きたがる?」

「私の趣味というのが半分、もう半分は今後の私の人生のためにかしら」

「人生のために?」


 まあ、さっきの質問攻めは趣味が八割以上だったかもしれないが。

 苦笑いを浮かべるリーアに、ラルは引っ掛かりを覚えたようだった。


「森の奥で見つかった馬車に襲撃の跡があった。それと関係しているのか?」


 自分が眠っている間に、ラルはきちんと調べていたようだ。


「……そうね。馬車はどうなっていたの?」

「馬の遺体はさすがに片付けたが、それ以外は一旦そのままにしている。捜索隊がくるかもしれないからな」


 どうだろうかとリーアは考える。

 義母は死んだと報告を受けるだろうが、無関心な父親のほうは。


(……フォアサースの人たちは動くかしら?)


 夢の中で見たリーアのわずかな記憶とリーアの日記から考えるに、父親とリーアの関係性は薄い。

 元から父親は家族を顧みる性格ではないらしい。リーアの実母とは政略結婚で関係は良好だったようだが、かといって実母を愛していた、というタイプでもなさそうだ。再婚は早かったし、家のことは伯爵夫人に任せっぱなしだった。

 リーアが社交界に出ない理由も気に留めていなかったみたいだが、結婚だけには口出しをしてきた父親。

 義母が取りつけた婚約を、二度に渡って破談にした。

 最終的な決定権は伯爵である父親にあり、彼は結婚を認めなかった。それは娘を案じているからではなく、義母が用意した婚約者が難ありの令息ばかりで、そこと縁戚関係になることを危惧したからこその判断だったのだろうとリーアは思う。


(あの父親がどこまで動くかはわからないけど)


 合理的で、理性的な貴族だ。世間体を気にして曖昧なままにはしないはず。


(娘が死んだことを公表するためには確固たる証明がいるでしょうし、父親は義母に死んだと聞かされたら遺体を探すかもしれない)


 そして、父親が義母の企みを知ったらどうなるだろうか。

 義母を許すか、娘を守るか。父親の判断にはだいぶ興味がある。


「……馬以外はそのままのほうが面白そう」

「面白い?」

「いろいろと残っていたほうが私には好都合だと思ったの。今はまだそのままにしておいて」

「……変なやつだな」


 怪訝な表情で、ラルがつぶやいたときだった。

 物音が聞こえて、次いでただいまという明るい声が響く。


「あっ、目を覚ましたのか!?」


 木箱にいっぱいの野菜や果物を抱えながら入ってきたグレンが、リーアを見るなり駆け寄ってくる。


「グレンくんよね。お兄さんから名前を聞いたわ、助けてくれてありがとう」

「大したことはしてねぇし。もう熱はいいのか?」

「すっかり良くなったわ。本当に君のおかげね」

「だから大したことじゃねぇって! あ、腹が減ってんならなんか用意するけど」

「……そうだな、食事はとったほうがいい」

「俺、すぐに用意する! 朝飯一緒に食べようぜ!」


 やけに張り切って、キッチンのほうへ木箱を運んでいくグレンを見送る。

 そんな弟の姿にラルは呆れたように息を吐いた。


「……期待はするなよ。俺たちが用意できるモンなんざ限られてる」

「私、助けてもらった人の用意する食事に文句つけるように見えるの?」


 そう返すのが意外だったのか、ラルは眉根を寄せた。


「いや、そういうわけじゃないが」

「素直にありがたいわ。熱は下がったし、なにかお手伝いできることある?」

「病み上がりだろ、座ってりゃいい」


 だが、とリーアは視線をグレンへと向ける。

 キッチンらしき場所に立つグレンが木箱から取り出した野菜を洗っているのが見える。この世界における平民の生活は気になるし、さきほど木箱に入っていた野菜や果物の中には見知らぬものもあったのだ。


(さっきの茶葉もそうだけど知らないものって気になるわ)


 そうと決まれば早いと、リーアは立ち上がった。


「グレンくんに手伝えることがあるか、聞いてくるわね」


 そう言って、リーアはグレンへと歩み寄った。

 キッチンと思しき場所では石窯のような半円形の中では薪が燃えていて、その上では真っ黒な鍋が置かれている。なにかを煮込む音が聞こえる。

 それらの隣には洗い場のような場所があるが、これが驚くことに水道管らしきものがついているのだ。グレンが蛇口を捻ると、そこから水が出る。木製の大きな桶の中には、見たことのある野菜も見たことのない野菜も水に浸かっている。

 水は一体どこからどうやって引いているのだろうと思わずまじまじと見入る。水道管があるのなら、下水も整っていそうだ。

 台所の横には食器棚があり、鍋の横には調理のための道具が壁に引っかかっている。


(こういう言い方はあれだけど)


 想定していた時代より生活の水準が高い。インフラが整っているというべきか。

 平民でこれなら、貴族はもっと良い生活をしていそうだ。石窯や洗い場にしても清潔にしているし、野菜を洗うのにも水をたくさん使っているところを見ると、イステリアルス大陸は水に苦労していないのかも。


(意外と中世ヨーロッパではないのかしら。近代より? でも近代的という感じではないし)


 無理やり当てはめるのなら中世と近代の間くらいだが、それにしては進んでいるようにも見える。

 まあ、この世界のことはまだ一割にも満たないくらいの知識だから自分が知る時代に無理に当てはめる必要はないのかも。独自の歴史、独自の文明が形成されていてもおかしくはないし。


(もっと苦労するかと思ったけど想定よりはだいぶ楽な生活を望めそう。これなら一人で生活するとなっても大丈夫そうね)


 そんなことを考えながら観察していると、振り返ったグレンが声をあげた。


「びっくりした、なんで後ろにいるんだ?」


 こちらを見下ろす瞳に、特に敵対心のようなものはない。

 兄とは異なり、彼は最初からこうだ。感情が素直に顔に出るのも可愛らしい。

 紫乃のころは男兄弟は縁遠かったのでわからないが、弟がいたらこんなに微笑ましいという気持ちになるのだろうか。いや、性格にもよるか。従妹たちだって性格が良ければよかったのに。


「なにか手伝えることはないかと思って」

「うーん、特にねぇな。座っててもいいんだぜ? あ、嫌いなもんとかあるか? 食べられねぇやつとか」

「大丈夫。食べたことのない料理は好きか嫌いかはわからないけど」


 もともと好き嫌いはない。苦手なものでも我慢して食べられるようになったのは、家族が好き嫌いを考慮してくれず、気にもかけてくれなかった過去があるからだが。

 ただ、ここは異世界である。どんな食べ物が飛び出してくるかわからないので覚悟だけは決めておこうと、リーアは口には出さずに思う。

 グレンは、リーアの返答にうーんと頭を悩ませながら。


「ええと、あんたは……」

「リーアよ。呼び捨てでいいわ」

「その、リーアは貴族でいいんだよな?」


 おそるおそるといった問いかけに、リーアは苦笑する。

 本当に感情が顔に出やすい子だ。


「そうね。でも、気にしないで。ここにいるのは身分もない、ただの私だもの」


 胸に手を当ててそう言ってみせると、グレンは目を瞬かせた。

 なにか言葉を飲み込んで、彼はうなずくと。


「……うん。ええと、リーアが普段食ってるようなやつより美味いもんは作れねぇけど、その」

「ラルにも言ったけど命の恩人が作ってくれたものに文句なんてつけないわ」

「命の恩人なんて大げさだってば! 飯が不味くても言っていいからな」


 グレンとそんなやりとりをしていると、背後から声がかかった。

 二人同時に振り返ると、ラルが窓から外を眺めている。


「俺は少し畑のようすを見てくる」

「わかった!」


 グレンの声に軽く手をあげて、ラルは部屋を出て行く。


「役割分担があるのね。料理はグレンくんが担当?」

「今はそうだな。兄貴も飯は作れるんだけど畑の世話とかあるから。うちは親がいねぇから、俺が小さい頃は兄貴ばかりやることが多くてさ。んで、家事とか覚えれば兄貴の負担を少しは軽くしてやれるかなぁって」


 慣れた手つきで野菜を切りながらそんなことを言うものだから、口をつぐんでしまった。

 なんとなく、その気配はあった。この家には二人以外住んでいる気配がないと。

 黙り込んだリーアに気づいて視線を向けたグレンが苦笑する。


「気にしなくていいって。俺がもっとガキのころの話だし。親は流行病で死んじゃったんだ」

「……そうなの?」

「うん。親はどっちも医者でさ。たくさんの人を診察して薬を渡してって頑張ってたんだけど、そのせいで自分達がかかって。俺はそのあたりはうろ覚えなんだけど兄貴はよく覚えてるんだ。……たぶん、その辺から兄貴は貴族とか王様とか、あとは教会の連中も嫌いになったみたいで。俺も嫌いだけど」


 アザゼイの町は、王国民からよく思われていない。

 そんな扱いを受けるアザゼイの町近辺で流行病が起きた場合、アザゼイの町が忌避される状態を許している国が行動を起こすだろうか。答えは明白だ。


「彼らは助けてくれなかったのね?」


 グレンが野菜を切る手を止めずに、こくりとうなずいた。


「……兄貴、親から教わってたから医学も薬学も詳しくて。医者って名乗ってねぇけど診察とか処置は的確だって町の連中から信頼されてるし、薬草の調合だって完璧なんだ。うちの庭で薬の材料も育てて毎日親が遺した本とか日記とかで勉強してる」

「優秀なお兄さんね」

「そうだぜ。だから、兄貴はアザゼイの町出身じゃなかったら王都の学校とかに行ってすごい医者になれるはずなんだ。けど、ここに住んでるってだけで冷たい目で見られることばっかでさ。この辺の都市の学校でも断られるよ」


 見捨てられた土地に近いからという理由だけで、平然と彼らを切り捨てる。国にとって重要ではない町の一つを、そこに住む人々を、権力者はきっと気にかける必要もないのだろう。

 伯爵領はどうなのだろう。父であるフォアサース伯爵も、国と同じ価値観なのか。


(私は一応、伯爵の娘だけど。この世界に住む貴族の価値観に合わせるのは無理そうね)


 だって、グレンという青年を知ってしまった。彼は助けてくれた。

 そして貴族に対して警戒を露わにするラルの態度にも納得がいってしまう。


(死んでいった人たちをラルは見ていた)


 その事実が重い。彼が国を嫌うのは仕方がないことだとリーアは思う。

 彼らには身分など関係なく、誠実でいよう。その振る舞いが認められてもらえればいいと。

 そんなことを考えていると、グレンが手を止めてリーアの顔を覗き込む。


「なんか悪い。暗い話になったよな?」

「ううん、話してくれてありがとう。立派なご両親だったのね」


 リーアの言葉が意外だったのか、グレンはきょとんとしたように目を瞬いて、次に破顔した。


「……うん。へへ、なんかリーアって俺の知る貴族っぽくねぇな」


 そうして再び野菜を切りはじめたグレンに、リーアは尋ねる。


「貴族の人、アザゼイの町によく来るの?」

「領主がたまに様子を見に来るけどすげぇ嫌そうにしてるし、俺らと話すのも近づくのも嫌がるよ。なんかこう異物扱いみてぇな」

「それはもう貴族という身分以前に人としてどうかと思うわ」

「……でも、俺らの知る貴族ってそういうやつばっかだからさ」


 諦めたように息を吐くグレンに、リーアは眉根を寄せた。

 難しい顔のリーアに気づいたのだろう、グレンは首を横に振ると。


「こういう話はやめ! せっかくだから美味いもんの話とかしようぜ」


 あえて明るい声を出すグレンに、リーアは失敗したなと思った。自分より年下の青年に気を遣わせてしまった。

 話題を変えたグレンの料理に関する話に耳を傾けながら、どうしたものかとリーアは悩む。

 もしもこの先、自分を探しに来るフォアサース伯爵の関係者が来た場合、アザゼイの町民はきっと嫌な思いをするだろう。アザゼイの町へ向ける悪感情を貴族だけでなく、伯爵に仕える騎士団も持っている可能性がある。

 きっとフォアサース伯爵の娘という立場が彼らを余計な問題に巻き込んでしまう。


(私は早いところ二人から離れたほうがいいかもしれないわ)





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