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2話

 艶やかな黒い髪、吸い込まれそうな紫の瞳、透き通るほどの白い肌、理知的で秀麗な面立ち、女性として魅力的な色香と体躯。

 十人が見れば十人が美人と認めるほどの女性である。間違いなく辺鄙なこの町の人間ではない。いや、平民ではないと言えばいいか。

 身につけていたドレスから判断しても、相応の地位にある娘だと想像がつく。この見た目で無防備に森の奥で倒れていたとは。よく無事だったものだ。


「……どう見ても貴族だと思うが、受け答えは普通だったな」


 ラルの言葉に、隣に立っていた弟のグレンが顔をあげた。

 黄緑色の独特な瞳の色をした弟は、不満げに兄を睨みつける。


「な、やっぱり悪い人じゃないだろ?」


 弟の不満げな顔に肩を竦め、ラルは鋭い金色の瞳を横たわる女性へと向けた。

 年齢はわからないが、おそらく自分たちよりは年上。どこにいるのかまでは把握していないようだったが、こちらに感謝を述べる姿に貴族特有の横柄さを感じなかったのがラルには意外だった。

 なにせ、自分たちが住む町は貴族からは忌み嫌われるほどのものなので。


「……とりあえず治療は続ける。今後は本人から事情を聞いてからにはなるが、問題が少し」

「なんだ?」


 ラルは先ほどまで、町の住民と一緒に森の奥を捜索していた。

 女性が倒れていた場所の近辺でなにか事件が起きたのだと考えたので、ラルが数人の住民に声をかけた。美貌の女性を連れてきたラルとグレンの姿を住民たちは見ているので、この女性に一体なにが起きたのか調べたいと言えば、住民の何人かは応じて一緒に森の奥へ行ってくれたのだ。もちろん、町長にも許可を得ている。


「この女が倒れていた上の通りで、馬車の残骸が見つかった。明らかに貴族の馬車だが不自然な点が多い」


 グレンがなんでと首を傾げたので、ラルは息を吐いた。


「まず、同乗者がいなかった。貴族の女が一人で馬車に乗っていたとは考えにくいから、同じように倒れてるやつがいるんじゃないかと思ったが付近を捜索しても誰もいなかった」


 襲撃に遭ったのか、残されていた馬車は無惨なものだった。

 馬は死骸となり、箱は破壊されていた。あの惨状を見ると女性が無事なのは奇跡だろう。

 擦り傷や打ち身は多いが、致命傷になり得る傷はなかった。ただ高熱がひどく、なにか毒物を口に含んだ可能性はある。

 彼女は果たしてただの被害者なのか、それとも——。


「それって命を狙われてるとか、追われてるとか、そういうやつじゃねぇの?」


 それならただの被害者だが、なにかの事件に関与して追われているのなら彼女が被害者とも限らない。

 先ほどの受け答えは普通だったが、彼女も“貴族”なのだ。

 貪欲で狡猾で差別的で横柄。自分の知る貴族は総じてそんな連中だから、貴族というだけでラルは疑う。連中は欲深く、場合によっては無邪気なくらいに残忍だ。自分たちに向けてくる権力は、そういうものだ。

 自分とは反対に素直に女性を心配するグレンに、ラルは呆れながら。


「町長には事情がはっきりするまで領主には伏せておくということで話はまとまっている。貴族の娘が行方不明なら、まぁ、探しに来る連中がいるだろ」

「……わかった。看病は続けるからな」

「お前もお人好しだな。この町の人間を良く思わないのは貴族のほうだろうに」

「兄貴だっていいやつだろ。俺が言わなくたってこの人の持ってた鞄の中を勝手に触ったりしねぇし」


 グレンの指摘に、ラルは顔を顰めた。

 横たわる女性のベッドのそばに置かれているのは、倒れていた彼女の持ち物らしい汚れた鞄である。

 中身は確認していない。最初は確認しようと考えたが、高熱で倒れていた女性の持ち物を許可なく漁ることに抵抗があって、結局触れずに置いたままにしてある。中身を調べればこの女性について何かわかるかもしれないが、ラルの手が伸びることはなかったのだ。


「……俺のことはいい。看病を続けるのは良いが相手の態度が変わっても傷つくなよ」

「でも、さっき話したときはそんな感じじゃなかったぞ?」

「それはどこにいるのか分かってないからだろう。ここが“アザゼイの町”と知ればどうだか。ともかく、あまり気を許すな。相手は貴族なんだ」


 忌み嫌われる土地に、好んでやってくる貴族はいない。

 だから、この貴族の女性もきっと態度を変える。そのとき女性の本性が見えるに違いない。それを一生懸命に看病している弟が知ってしまうのは心が痛むので、この女性が目を覚ましたときには自分が事情を聞いたほうがいい。

 そんなことを思いながら、ラルは素直にうなずくグレンの頭を軽く撫で回してから部屋を後にした。


++


 紫乃は長い夢を見た。

 日本とは異なる世界。

 イステリアルスという大陸のロジェーリン王国、そこに暮らすフォアサース伯爵の娘。

 リーア・フォアサースという名の、貴族の女性の人生の断片。


『お母様はどうして死んでしまったの』


 幼い少女には大きすぎる薄暗い部屋で一人、膝を抱えてつぶやく。目には涙を溜めて、痛みを堪えるように。

 答えてくれる人はいない。いつも愛しい私の子と頭を撫でてくれた母親は、最期のとき、青白い肌に弱った微笑みを浮かべながら眠りについた。

 少女——リーアは、母を亡くした。その瞬間から彼女の世界は崩れ始めた。

 母が間に立っていたからこそ成り立っていた、家族を顧みない父親との親子関係は、母が消えたことで破綻した。無関心な父親は、すぐに再婚して子を作った。

 義母は前妻の子であるリーアを疎んで冷遇し、三歳下の義妹が誕生すると、リーアはフォアサース家で孤立した。フォアサース家で立場をなくした孤独な娘を伯爵夫人となった義母が虐待しても、使用人たちは見て見ないふりをした。

 義母が伯爵夫人として娘たちの処遇を決め、リーアは病弱という設定を押しつけられた。

 他の貴族の令嬢たちと交流をもつことは許されず、表舞台に伯爵の娘として出ることはなかった。そのくせ、義母はリーアに評判のあまりよろしくない男を婚約者に仕立て上げた。幸い、父親が世間体を気にして破談にしたが、義母はとにかく悪い噂がある男と、リーアを結婚させたがった。義母が、疎ましく思う娘の幸せを願うはずなどなかったから——。


 そんな貴族の女性の人生が紫乃の脳裏にこびりついて、そして消えて暗闇に満ちる。


(……暗い。ここは夢の中?)


 周囲を見渡しても、どこまでも闇が続く。夢だというのなら、さっさと冷めてくれないだろうかと紫乃が考えたとき、不意に闇に覆われた世界に光が当たった。

 スポットライトのようにその場にだけ光が落ちて、そこに立ち尽くしていたのは黒髪の女性だった。振り返った彼女の神秘的な紫の瞳が、紫乃を見つめている。

 その顔に見覚えがあった。


「あなたはリーア・フォアサース……?」


 先ほど夢に出てきた貴族の女性だ。どういうことだろうか。

 リーアは首を横に振ると、重たいものなど持ったこともないだろう華奢な腕を上げる。彼女が指差した方向に縦長の鏡が一つ。

 そこには、まったく同じ見た目の人間が並んで映っている。

 鏡には紫乃が映っていなかった。無表情のリーアが一人、驚きで目を見開くリーアが一人。


「……驚いた。これは一体どういう」


 これではまるで、自分がリーアになったみたいではないか。

 意味がわからないと首を横に振る紫乃は、そこで違和感に気づいた。

 まったく同じ二人が鏡に並んで映っているが、無表情なリーアの身につけているドレスの腹部が破れ、真っ赤に染まっていたのだ。見ているだけであまりに痛々しいのに、当人は平然としている。

 紫乃は、自分の腹部に目をやった。

 そこに刺し傷はなく、泥で汚れているだけで赤く染まってはいない。


「……なぜかはわからないけれど、私はあなたになったということ? そしてあなたは殺されたのね?」


 尋ねてみたが、無表情なリーアから回答を得ることは叶わなかった。

 その代わりにリーアは再度、鏡を指差した。

 鏡が大きく歪んで、次に映ったのは男女の二人組。女性のほうには見覚えがあり、男性のほうは見たことがない。

 女性のほうに見覚えがあったのは、夢の中、リーア・フォアサースの人生の中で、リーアの側に仕えていた侍女だったから。

 男女の二人組は鏡に映っていることも気づかず、なにやら言い合っている。


『おい、本当に死んだんだろうな!? 俺たちは女の遺体を確認してねぇぞ?』

『お腹を刺されて虫の息だったのは確認したわ。その後どこかへ駆け出したのは見えたんだけど、私のほうも隠れていたから……』


 顔を顰める侍女に、男性が詰め寄る。


『もしも生きてたら俺たちの報酬はどうなる! ちゃんと貰えるんだろうな?』

『あんたたち賊への報酬なんて私が知るわけないでしょう! ともかく、フォアサースに急いで戻るわ。奥様には死んだと報告する。あの傷で生きてるはずないもの。それに、あの辺はアザゼイの町でしょ? あそこは異教人いきょうじんと関わる貴族嫌いの気味悪い連中が住んでる。死にかけの貴族なんて助けるはずないわ』

『……まぁ、そりゃあそうか。そのためにこの辺まで別荘へ向かうと偽って来たんだもんな』


 侍女は深く息を吐き出すと。


『私の合図に合わせてあんたたちが馬車に一人取り残されたお嬢様を襲撃する計画は完璧だった。雇った御者の男はちゃんと殺して遺体も処分したんでしょう? それなら、私たちが関与しているかどうかは誰にもわからないはず。奥様が報告を受け取れば、あんたたちにも報酬の連絡がいくわよ』

『貴族の娘の遺体が見つかりゃ、騒ぎになるんじゃねぇのか?』

『騒ぎになるのは私もあんたたちも報酬をもらった後になるわ。責任を問われるのは私たちじゃない。あの根暗なお嬢様が万が一生きていようと、私の知ったことではないもの』


 冷めた侍女の言葉を最後に、鏡が再び大きく歪んで先ほどのようにリーアを二人映し出す。

 紫乃は、無表情に鏡を見つめているリーアに目をやった。

 人形のような今の彼女がなにかを話してくれることはないとわかっていても、聞かずにはいられなかった。


「あなたは侍女の裏切りに遭って死んだ。今のはあなたが死んだ直後の犯人のやり取りってことでいいかしら?」


 リーアはなにも言わずに、紫乃を見つめ返す。

 その物言わぬ瞳が肯定しているように思えた。


「……私が病室ではなく地面に倒れていたのは、あなたが刺されて死んだ直後に私があなたになったから。でも、それならどうして?」


 個人的な感情はおいて、客観的に考えてみる。これがいわゆる転生というものなら、リーアはどうなってしまうのか。そして死ぬはずだっただろう自分が、リーアになったのはなぜか。どうして自分だったのか。

 紫乃は、物言わぬリーアに目を向けた。

 これをただの夢の出来事で済ますには、あまりにも強い意志がありすぎると紫乃は思う。

 あの侍女と賊の男のやり取りを見せた意味はなんだったのか。今、こうして自分の前にいるのはなぜか。


「ねぇ、もしかして。……あなたはもうすぐ消えてしまうの?」


 そう思ったのは、ほぼ直感だった。

 残りの時間を使って、リーアはなにかを自分に伝えようとしているのではないかと思えてしまったのだ。

 無表情のリーアはなにも答えないだろうという紫乃の予想に反して、目の前のリーアが表情を和らげて、そしてうなずく。


(……ああ、そうか)


 “リーア”になったのなら、命を狙われていることは知っておいたほうがいい。

 なぜだろうか、それを案じて教えてくれたのかとさえ思えた。気をつけろと言われているような気がして。

 不意に、スポットライトのような光が強くなって、目の前に立っているリーアの存在感が薄れる。膝から下は消えかかっている。彼女は確かに消えかかっているのだ。それはたぶん本当の死を意味する。

 初めて会った見ず知らずの他人。それなのに、どうしてだろう。他人のように思えないのは。


 それは、もしかしたら境遇が似ているからかもしれない。家族から嫌われ、孤立して、若くして死ぬなんて。

 だとしたら、これから生きていくのはきっと“二人分”の魂なのだろう。紫乃とリーア、二人で一つとなった不思議な人間の人生になる。


「……リーア。私、これからあなたが生きられなかった人生をあなたとして生きていくわ。あなたの身体を借りて、あなたを苦しめた人たちに屈さずに強く生きてみせる。リーア・フォアサースという人間の歴史を、強く堂々と生きた女性にしてみせる。だから私にこの世界を冒険させてくれる?」


 健康な身体を手に入れたのなら、日本とは異なるこの世界のすべてを堪能してみたい。この世界の隅々までを体感してみたい。病室で後悔したのだ、なにもしなかった人生を。それがリーアの身体を借りてチャンスが与えられたのだとしたら、冒険してみたい。


「そして、その過程であなたが望むかはわからないけれど、あなたを苦しませた家族の前でも毅然とするわ。その私の行動があなたの家族に災いになったとしても許してほしいの」


 これからリーアとして生きていくのなら、当然、彼女を苦しめた家族は避けて通れないだろう。

 だが、自分がリーアである以上は泣き寝入りする気などない。

 自分が家族に上手く媚びて逃げ回っていた苦い記憶を思い出して、そんな逃げ腰になるつもりはないと紫乃は思う。なにせ二人分の人生になるのだから、出来うる限り、堂々と立ち向かってみようと思うのだ。

 だから、彼女が復讐を望んでいなくとも、結果として復讐という形になっても許してくれと。

 そんな紫乃の意思を感じ取ったのか、目の前のリーアが微笑んだ。

 それは上品さと美しさを兼ね備えた微笑みだった。


 リーアの姿が、急速に広がる真っ白な光に呑まれていく。

 彼女の身体が光に溶けて、その存在が消える。

 思わずと伸ばした手がなにかを掴むことはなく、紫乃はまばゆい光に目を閉じた。





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