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14話

『腐敗はそのままの意味だ。お前もあの風景を見ただろう?』

「ええ。あれをどうすればいいの?」

『……ふむ。その前にまず、我とお前の今後を決めよう』


 リーアは首をかしげた。


「それは、どういう?」

『我は今までこの大陸に関与できなかった、封じられていたのでな。だが、こうしてお前を媒体にすることで動けるのならば腐敗を放置せずに済む。我がお前に求むことはそれだ。我は大陸を本来の姿に戻し、完全なる姿で顕現けんげんせねばならぬ』

「完全なる姿……」

『このような小さき姿ではなく、人の形でもないものだ。おそらく聖花だろうお前とともに封印を解けば、完全なる姿となり大陸を元に戻せる。お前はこの町の腐敗を防ぎたい。目的は一致しているであろう?』

「確かにこの町の腐敗を防ぎたいけど……」

『あの領域はこの世界の来たる姿を映し出す。あの風景は、この街だけに留まらぬ。いずれこの大陸全土にまで及ぶであろう。それは我にとってもお前にとっても本意ではない。違うか?』

「あれが、大陸全土に?」


 荒れた大地、よどんだ空気、泥になった水、漂う紫がかった霧。

 あの光景がアザゼイの町に限らず、大陸全体に及ぶのなら自分の今後にも関わる。それだけではない、大陸全土があのような人の住めない場所になってしまえば、人はどのようにして生活すれば良いのだろうか?

 だが、そこで疑問が浮かぶ。この大陸には統治者がいるのだ。


「ロジェーリン王国はそれを知っているの?」


 アザゼイの町で知った汚染化という状態を国が認識しているのなら、自分ではなく国王を頼ったほうが話は早いのではないか。もしかしたら、国はいずれ来る大陸への脅威を察知してすでに動いているかも知れないし。

 しかし、オグマルはこれに首を横に振った。


『さてな。エスディンヴァン帝国のころは我を神のようにと信仰していた者たちもいたが、今の治世では我の名も知らぬのだろう?』

「ええ、デーウルグス教と聞いているわ」

『なんだ、その化け物じみた名は』


 不愉快そうに顔を歪めたオグマルに、リーアは考える。

 デーウルグス教は、やはり問題があるのでは?


(……そもそも、教会は旧帝国時代のことを消し去りたがってる)


 教会の一部はオグマルの存在を知っているのではないか。

 旧帝国時代、神のように信仰を受けていた存在を彼らが握りつぶして現在の宗教をたちあげたのだとしたら、オグマルの存在が意図をもって徹底的に消されていたのにも納得がいく。彼らにとってオグマルの存在は不都合なのだろう。オグマルを封じたのも、現状は教会側の可能性が高く思える。

 その教会が信仰する宗教を国教としているのが現在の王国だ。

 教会に存在を消され、誰の目にも留まらないオグマルを気にする者はいない。

 リーアは、こちらを見上げるオグマルを見つめる。

 もしかしたら、オグマルはずっと。封じられている間、自分の半身である大陸が穢れていくのを見ているしかない状態にずっと焦れていたのかも知れない。だからこそ、媒体らしい自分の存在がオグマルにとってはどれだけ重要なのか。

 自分は、どうだろう。この存在を信用できるだろうか。


「私は、オグマルを信じていいのよね?」


 リーアの問いかけに、オグマルは特に気分を害した素振りもなく。


『その判断はお前に任せる。だが、我はすでにお前を聖花と認識し、信用した。それ以上は我からはなにも言えぬ。お前が協力を拒むのなら、それも仕方あるまい。強制はせん、お前が決めろ』


 それもそうだ。今、リーアに判断できるのは協力するか否か。

 たぶん、オグマルは言葉どおりに協力を拒んでも怒りはしないだろう。仕方ないと、リーアの前から姿を消すに違いない。オグマルに強制的に従わなければいけない理由はない。

 だが、協力を受け入れればオグマルは力になってくれそうだ。果たして、このオグマルがどんな存在なのかどんな力を有しているのかは未知数だが、目的が同じなら悪いようにはならないだろうし、現状、解決策がないアザゼイの町を救う方法を知っていそうなのはオグマルだけだ。


(もしかしたら、教会を敵に回すかも知れないけど……)


 今は、目先の判断で考えていいかも知れない。

 まずはアザゼイの町の汚染化を止める。これを前提に考えればいい。その後、大陸や王国、教会の関係が見えてきたときに考えればいい。一人ではなく、このオグマルと一緒に。


「あなたを信頼して協力するわ」


 リーアは強い信頼の心でオグマルを見つめた。

 オグマルはそんな言葉をわかっていたように、口の端をつり上げる。


『成立だな。まずは、南方の土地を正常化せねばならん』

「南方っていうと、……見捨てられた土地のこと?」

『言い得て妙だな。南方はすでに我の領域で見た風景がほとんどだろう』

(……見捨てられた土地が、あんなふうに)


 リーアが見たものはアザゼイの町がいずれそうなるという未来の風景だが、あの風景がもうすでに起きている場所があるのだ。それもほとんどということは、教会が名づけた“異教人”と呼ばれる人々は苦しい生活を強いられているのが想像につく。

 見捨てられた土地と呼ばれていても、人が住んでいる以上はロジェーリン王国と貧富の差はあれど住めないほどではないと思っていたが。作物が育たない環境で彼らはどうやって生きているのか。


「南方には、まだ人が住んでいると聞いているけど」

『限られた場所に拠点を作り、生活をしている気配はあるが。その限られた場所もいずれは、だろうな』

「……それなら、急いだほうがいいわね」


 その限られた場所さえ奪われてしまったら、南方の人々の住む場所はなくなる。そしてロジェーリン王国は大陸を追われた彼らを迎え入れるということはしない。


(異教人がどうなっても構わないんだわ)


 そう考えると、解せない部分がある。

 なぜ彼らはそうまでして旧帝国時代に関わるすべてを消そうとするのか。今の王国が偉大なものであると示すためだけではない、なにか根が深いものがありそうだ。


「腐敗はどうすればいいの?」

『まずは、そうだな。南方へ向かい、恩寵を届ける必要がある』

「恩寵というのは?」

千聖樹せんせいじゅだ。これがなくては始まらぬ』

「知らない固有名詞が出てきたわね……」

『大陸を守る大樹だ。大気を安定させ、大地を豊かにし、空気を清浄する。群がる魔のものを退け、元素を活発化させるだけでなく生み出す力を備える。自然の源と言えよう』


 それだけ聞くと、かなり重要そうだ。

 実際に現物を見たことがないので判断に困るが、たぶん、とても大事なエネルギーみたいなものだろう。ファンタジー的にいうと、それこそ魔法じみたものに近いのだろうか。


「それはどうやって手に入るの?」

『植えるのだ。苗は我が作り出す』

「見捨てられた土地にそれを植えることができれば、大地や空気は改善される?」


 オグマルはうなずいた。


『だが、適当に植えるわけにもいかぬ。育たぬのでな。見捨てられた土地というのは、南方のことでいいな。あそこに我の遺跡があるはずだ。そこに植える必要があるが、瘴気しょうきが溢れていては使い物にならぬ。まずは現在の瘴気を取り除いて植える』

「瘴気というのは?」

『魔の気だな。動物がその気を吸うと異形となる』


 それを聞いて、リーアは少し前にしたラルとの会話を思い出した。

 見捨てられた土地には、奇怪な動物がいると言っていた。普通の動物ではない異形の姿を、人々は奇怪な動物と表現した。その正体は、本来の動物だったものが瘴気なるものを吸い込んで異形に成り果ててしまったということだろう。


「瘴気は、どうやって発生するの?」

『そもそも、腐敗を防いでいるのは千聖樹なのだ。瘴気も大地から湧き出ているが、千聖樹によって浄化される。しかし今、南方には千聖樹がない。浄化されず、腐敗した大地に漂い続けた瘴気はいずれは魔と結びつき、被害に及ぶ』

「それじゃあ、北方には千聖樹がある?」

『ああ。しかし、どこにあるかまでは我に感知できぬ』


 顔を顰めるオグマルに、リーアはとりあえず大陸の北側はすぐにどうこうなる問題ではないという認識をもった。だが、アザゼイの町はぎりぎりだけどロジェーリン王国側にあるはずで、それなのにも関わらず腐敗の気配が見られるのは、どういうことだ。


「ねぇ、オグマル。一応、この町は千聖樹の力が及んでいるのよね?」


 オグマルは、なにかを感じ取るように目を閉じて顎を持ち上げた。

 数秒後、オグマルは首を横に振る。


『この町から感じ取れる千聖樹の気配はだいぶ弱い。だから腐敗が起きたのだろうが、……不自然だな。我が感知できぬことも、気配が弱っているのも理由がありそうだ。それも人為的な理由がな』


 そうなると、当然候補にあがってくるのは王国と教会だ。

 それら二つの組織が千聖樹をどのように扱っているのかが気になる。


「ちなみに、千聖樹は人々が見えるものなの?」

『さて。エスディンヴァン帝国のころは、何本もの千聖樹を中心にしてそこに都市が発展したものだが。我が感知できぬのだ、今の治世では人々は千聖樹の存在を知らぬのではないか?』


 これはだいぶ、ロジェーリン王国の建国にも根深いものがありそうだ。

 この世界では千聖樹という大樹がかなりの重要性を秘めていると思われる。しかし、その千聖樹の所在をオグマルが感知できないということは王国か教会か、どちらかはわからないが秘匿としていることになる。

 旧帝国時代は多くの人々にとって当たり前に見られた千聖樹を隠した理由はなんなのか。そして北側にも腐敗の気配が現れ始めていること、それが千聖樹に関係していることを彼らは理解しているのか。それとも全く理解していないのか。この辺は今知ることは難しいだろう。

 ただ、オグマルとの話である程度の方向性はできたなとリーアは思う。


「この町の腐敗を取り除いた後に私とオグマルで見捨てられた土地に向かい、まずはそこで大陸を元に戻す。南方はどれくらいの期間を放置すると問題になりそうかしら?」

『我の見立てでは五年は保つ。だが早くに越したことはない』

「そうね。だとしたら……」


 そこでふと、リーアは考えた。自分の立場のことである。

 この場合、ロジェーリン王国の意に反する動きにならないだろうか。

 見捨てられた土地を元に戻す。オグマルと一緒に行動する。これら二つは、教会と対立する可能性を秘めている。教会と王国が連携しているのなら、必然的に王国に逆らうことになりそうだ。

 となると、伯爵の娘という地位は、やっぱり厄介にならないか?


(最初は義理の母親から命を狙われているから逃げ込める場所にと思っていたけれど)


 オグマルと共に必ず行かなければいけない場所になった見捨てられた土地。

 幸いにしてアザゼイの町から近いのですぐに向かうことはできるが、伯爵令嬢としてのリーアはどうしてしまうのが良いのか。

 そのまま行方不明扱いになるのなら良いが、伯爵と完全に決別しないままでいるのは後々困りそうだ。となると。


(見捨てられた土地に入る前に、伯爵領へ戻るべきね)


 そこで、伯爵令嬢の身分を完全に終わらせる。そのほうが今後邪魔されることはないし、義母も喜んで縁を切ってくれることだろう。父親である伯爵のほうは、まぁ、どうかしらないが。


「オグマル。少し、私の家のことを片付けておきたいの。自由の身になってから見捨てられた土地に行くわ。そこで、千聖樹を植えましょう。やり方はあなたに任せていいのよね?」

『そうだ。だが、大陸の南は規模が大きい。一箇所では足らぬだろう。お前にもいろいろと協力してもらう必要がある』

「私の命に関わらない程度なら協力するわ。あんまり無茶振りすると怒るけど」


 オグマルは愉快そうに目を細めて、その小さな体を楽しげに揺らした。


『くく、豪胆な娘だ。気に入った、お前の好きなように動け』

「お前はやめてほしいわ。リーアよ」

『では、リーア。お前の身は必ず我が守ると誓おう。安心しろ』

「ありがとう。——それから、この町のことだけど」

『腐敗を治したいのだろう? 構わん、明日にでも実行しよう。千聖樹の気配が弱いとはいえ、この町からはまだ力が感じ取れる。それならば我の力で取り除ける』

「明日? 今からではなくて?」

『うむ。単純なことだ、我は疲れている』


 そういうと、オグマルはぺたりと顎をブランケットに押しつけた。

 深いため息をついたところを見ると、本当に疲れているらしい。

 リーアが手を伸ばして頭を撫でると、オグマルは心地よさそうに目を細めた。


『数百年ぶりの会話は疲れた。……我は眠る。急を要することがあれば呼べ』


 そう言った後、オグマルは柔らかな赤い光を放ち、瞬く間に消えていた。

 オグマルが消えてしまった後、リーアはベッドに倒れ込んだ。


(……なんだか私も疲れたわ)


 一気に情報が叩き込まれて、オグマル同様に疲れてしまった。ただ、この世界に自分が来てしまった理由はわかった気がする。

 聖皇なる存在はおいておくとして、オグマルとともにこの大陸の問題を解決すること。そのために自分が役割を与えられたといった話なら、それはそれでいい。伯爵令嬢を捨てた後にどう生きていくかは悩みの種だったので、するべきことがあるほうが動きやすい。

 かなり大きな問題になったなというのも正直な感想だが、オグマルが一緒ならたぶん大丈夫だ。自分一人だけじゃないというのは安心感があるし、なにかあれば頼れる存在があるのは大きい。

 リーアはふうと息を吐いて、目を閉じる。

 明日、オグマルとともに問題を解決したらアザゼイの町を出て行く。

 そう考えると、少し寂しい気がする。


(……グレンくんは悲しがってくれるかも)


 だいぶ心を開いてくれているようすだったし、ラルも寂しいと思ってくれるかもしれない。そう考えるとだいぶ惜しむ気持ちが湧いてしまうが、この場所に居続けることはできない。

 今からその話をしようかと考えて、リーアは首を振った。

 明日オグマルが汚染化を解決したのを見て、二人に話を切り出そう。


(こういうとき、携帯がないって不便ね……)


 アザゼイの町にまた来られるかどうかはわからないし、この世界に遠く離れても話せるような、携帯電話のような連絡手段があるとは思えない。このまま一生会わないままということだってあるのかもしれない。

 この出会いが一度きりの交流だと思うと、もったいないような気がして。そのもったいないという気持ちに蓋をするように、リーアは目を閉じた。


+++


 だから、まぁ、お別れは寂しいなという気持ちで居たのだが。


(どうしてこうなったのかしら)


 リーアは冷ややかな目で、その男を見た。

 翌日。早朝からラルたちの家を訪ねてきた町民に従って、リーアはラルたちとともに家を出た。ずいぶん慌ただしいようすの町民について行けば、そこには人たがりができている。なにやら喚く声が不愉快で、リーアは顔を顰めた。

 人だかりの向こう側、下品な印象を与える華美な馬車が見える。

 数人の護衛をつけてそこにいたのは、金の刺繍が入った濃紺の外套をまとった男が。年齢は四十を過ぎたくらいだろうか。その男が、町長にあれこれと問い詰めている。

 男の腹回りには見苦しい贅肉がのしかかり、苦しげに膨らんでいた。装いの豪奢さとは逆に顔のつくりはどこか卑しく感じるのは貴族としてどうなのだろう。

 その男が、リーアの存在に気づく。

 男が、リーアに目を留めた。その視線は実に露骨だった。男はリーアを値踏みするかのように遠慮なく視線を向けてくる。まるで選別しているかのように。

 やがて、にやりと笑ったその表情は端的に言うと。


(気色悪いわ……)


 なるほど、愛人を囲っているという噂は本当のようだ。もうそれくらいになると、この男が何者かということには察しがついていた。

 近づいてくる気配を、リーアは冷ややかに見返す。

 そばにいたラルとグレンが、庇うようにリーアの前に出た。それを不愉快そうに一瞥した男だったが、次の瞬間にはラルとグレンをまるで存在しないかのように、ただリーアを見下ろす。


「君が、東部の伯爵令嬢というのは本当かね?」


 そう話しかけてきた男——ハーリファ子爵に、リーアは顔を顰めた。

 どうやら、汚染化を片付けて解散というわけにはいかなそうだ。






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