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13話

 温かいものに包まれている。

 目を開けたリーアは、最近ではすっかり見慣れた天井に息を吐いた。

 薄暗い部屋の感じからして、夜の気配が近づいているのがわかる。


(ここはラルたちの家……)


 やはりさっきまで見ていたのは夢だったのか?

 それにしてはあまりにも鮮明だったがと思いながら身を起こしたところで強烈な違和感。自分だけだと思っていたベッドに、誰かがいる。

 おそるおそるといったふうに視線を横に向け、“それ”を見下ろす。

 体格の良い男がリーアの隣で同じようにブランケットに入っている。神聖な炎のように思えた鮮やかな紅い髪がベッドに散らばり、その男はこちらに体を向けた状態で寝そべっており、片肘で頭を支えた姿勢でリーアを見上げた。しかも上半身裸で。なぜだ。


「………………、なにしてるの?」


 たっぷりの間をとって、リーアは男——オグマルに尋ねた。


『外の空気、触り心地の良い寝床。悪くないと思っていたところだ』


 そういうことを聞きたいのではないのだが。


「私を媒体にすることは成功したの?」

『うむ。やはりお前は”聖花せいか“なのだろうな』

「せいか?」

『まぁ、今は知らずとも良い。順を追って話す』


 そう言って、オグマルは身体を仰向けに倒す。

 ゆっくりと大きく伸びをすると、上半身裸なのが目につく。夢の中、というより、オグマルがいた領域の中では白い装束のようなものに身を包んでいて上半身裸ではなかったはずだが。しかも、人のベッドに勝手に侵入しているのはどういうつもりだろう。


「ねぇ、ベッドから出ていって欲しいの」

『非道なことを言うな。我はずっと、あの陰鬱とした空気の中にいたのだぞ。こうしてうまい空気の中、寝転がりたいという気持ちを理解するべきではないか?』

「だったらどうして裸なの? さっき会ったときは服を着てたのに」

『領域から出たのでな。衣服は持ち込めん』

「それならなにか着なさい。不愉快だわ」

『我のどこに不愉快な部分があるというか。高貴な身体、肉体美というやつだぞ』

「そんなものには興味がないの。ただ、最低限のマナーは守ってと言っているの」

『お、お前。……我になんという口の利き方を』

「待って。もしかしてなにも履いていないの?」

『そうだが?』


 なんということだろうか。頭痛がして、リーアは片手で額を抑えた。

 そんなリーアの気持ちなど知らず、オグマルがブランケットを捲り上げようとする。それを慌てて止めた。


「見せようとしないで。それ、セクハラというのよ」

『せくはら? なんだ、その聞き慣れぬ言葉は。我の知らぬ間にこの大陸にどのような言葉ができたのだ?』

「とにかく、ベッドから出てこないで」

『……お前、先ほどは出ろと言ったではないか』


 不満げに眉根を寄せたオグマルにため息をついて、リーアは先にベッドから出た。

 見下ろすと、着ている服は丘に向かったときと同じもの。意識を失ったのはラルたちの家の前だったが、もしかしたら家の前で倒れていたのだろうか? だとしたら、ラルたちに迷惑をかけてしまった。

 セクハラとはどういう意味かと尋ねてくるオグマルを一旦無視して、リーアは考える。


(ちょっと待って。オグマルのことをなんて説明したらいいの?)


 ラルたちはすでにオグマルと会っているのだろうか?

 いや、それなら一緒のベッドに寝かせるなんてことはしない。オグマルにはきちんと別の部屋を用意する律儀さが二人にはあるし、オグマルが神様的なものだとしても見た目はちゃんとした男。リーアと一緒のベッドに寝かせるなんて判断を二人はしない。

 ラルたちの知らないところでオグマルが勝手にベッドに侵入したとする。しかも全裸で。この光景を目の当たりにしたら、二人に誤解される。それは絶対に嫌なので、とりあえず服を着させて、そこからこの男をどう説明すべきか。

 神様みたいなもの(仮)、と言ったところで誰が信じるだろう。

 知人、も無理だ。リーアは東部に暮らしていた貴族の娘。この辺に知り合いが住んでいるわけがない。

 リーアは振り返った。ベッドに座るオグマルの姿。

 その向こうに見える窓の外は、空は淡い朱を残しつつも群青が滲み出していて、遠くに見える家や畑の輪郭がじわじわと影に溶け出そうとしていた。

 石碑を見ていたときは朝方だったからずいぶんと時間は経っていて、たぶん、家にはラルも戻っていることだろう。


『む、なんだその顔は』


 胡乱な目を向けるリーアに、オグマルが顔を顰めて問う。

 その不服そうな顔は出会ったときよりも人間染みていた。


「汚染化、どうにか出来るのよね?」

『おせんか? なんの話だ?』

「あの、紫がかった泥のことよ。あれをここでは汚染化と言っているみたいなの。なんとか出来るのでしょう?」

『ああ、腐敗のことか』


 オグマルは腕を組む。なんてことはないといった態度だ。


「オグマルはあれを腐敗と呼ぶのね」

『そうだ、あれは人にはどうにも出来ぬ。外的な要因ではないからな』

「……外的な要因」

『水や虫、気候の変化や土壌の病気。それらは人の力でなんとか出来よう。だが、あれは別の力によって腐敗している。この町だけの腐敗というよりは、大陸が少しずつ力を失っている』

「大陸が力を?」


 意味がわからなくて首をかしげるリーアに、オグマルは怪訝そうに。


『お前、どこまで我のことを把握している?』

「名前以外は全くなにも知らないわ」

『どこで我の名を知った?』

「この町の丘に石碑があって、そこにオグマルの名前があったの」

『……なるほど。一から説明せねばなるまいか』


 そう、オグマルが言ったときだった。

 扉を叩く音が聞こえて、リーアはかすかに身体を震わして後ろを見た。この部屋の扉を叩くということは、ラルとグレンのどちらか。すぐに視線を前に戻す。全裸らしきオグマルがいる。

 瞬時に考える。この場合、オグマルをどこに隠すべきか。

 とりあえずは強引にベッドに押し込んでなんとか……、いや、この体格の良さだ。ブランケットが膨らんでいることは一目でわかる。

 ラルとグレンを部屋に入れないようにすれば——、とあれこれ考えているうちに扉を開く音が聞こえてリーアは諦めの境地で振り返った。そこにはグレンがいて、立っているリーアに気づくと慌てて駆け寄ってきた。


「リーア、起きてたのか!?」


 最早どうにでもなれという気持ちでグレンと向かい合う。

 自分が男を連れ込んだわけではないと説明する必要があると思うと憂鬱ではあるが、こればかりは正直に話すしかない。


「グレンくん……」

「家の前で倒れてたのを見つけて俺が運んだんだ。身体はもう大丈夫なのか?」

「あ、ええ。問題ないわ、運んでくれてありがとう」

「兄貴も心配してたぜ。良かった、なんともなくて」


 そして思う。これはおかしい。

 リーアは横目でベッドを見た。うん、間違いなく“それ”はいる。


「…………グレンくん」

「うん?」

「なにか気になることはない?」

「え? え、えーと。なんでリーアはあそこで倒れてたんだ、とか?」


 不思議そうにしながらも答えてくれるグレンを見て、リーアは即座に理解した。これはあれだ、空に浮かんでいる赤い線と同じようにグレンにはオグマルが見えていないのだ。


「そうね、……なんでかしらね。気分が悪くなったのかしら」

『そいつに我のことは見えぬぞ。媒体と言ったろう、我を認識できているのはお前だけだ』


 自分の声に被さるように、そう言ってきたオグマルのことは無視をする。先に言っておいてくれれば慌てなかったのにと文句を言ってやりたい気持ちだが、今はグレンと会話しなければ。


「お腹は減ってないか?」

「大丈夫、少しぼーっとしてしまって。今は何時?」

「六時くらいだったかな」


 それなら一緒に夕食をとも思ったが、目下、今はオグマルを優先べきだろう。オグマルからこの世界のことや、オグマル自身のことは聞いておきたいし、汚染化の解決方法も早めに知っておきたい。


「まだ気分が落ち着かないしこのまま寝てしまうわ。大変なときにごめんなさい」

「いいよ、そんなの。でも具合が悪いときは先に言ってくれ。俺も兄貴もすげぇ焦ったんだからさ」

「ありがとう。ラルにもお礼を言っておいてくれる?」

「わかった! おやすみ、リーア」


 部屋を出ていくグレンを見送って、リーアは一息ついた。

 訪ねてきたのがグレンで良かったのかもしれない。聡いラルだったら、倒れていた理由をあれこれと聞かれそうだし、自分のようすがおかしいことにも気づかれていたかもしれない。

 とりあえず、全裸の男を見られなくて良かったという安堵とともにベッドに目を向けたリーアは、ぱちぱちと目を瞬かせた。


 先ほどまでの全裸の男がいない。その代わりに、ベッドの真ん中でもぞもぞと動く存在。何事かと見守っていると、ブランケットから這い出てきたのはいわゆる小動物というやつだった。

 両手に乗りそうな小さいそれは、真っ赤な体毛をもっていた。小さな猫と言うには羽が生えているし、尻尾が尖っている。なんというかこう、猫と想像でしかない竜を合体させたらこんな生き物になるかなといった感じでなんとも形容しがたい。

 ただ、大きな瞳には人の姿だったオグマルと同じ複雑な模様が浮かんでいて、それだけでこの小動物がオグマルなのだと気づいた。

 リーアは手を伸ばしてそれを同じ目線の高さまで持ち上げる。

 触れた体毛はふわふわで柔らかく、本当に猫のようだ。苛立たしげに羽がばたついているのが気になるが。


「…………、なにしているの?」


 本日二度目である。その不可思議な物体に問う。

 尋ねられたオグマルは不服そうに顔を顰めた。リーアが知るどんな動物よりも人間らしい表情だ。良かった、この姿でも言葉は通じるらしい。


『……人の形を保つほどの力は戻っていなかったようだ』

「可愛いからずっとその姿でいいと思う」

『先ほどの姿のほうが勇ましかっただろうが! お前の目は節穴か!』


 ああ、一応。オグマルにそういう感性はあるのか。

 そんなふうに考えているリーアの前で、尻尾がすごい勢いで左右に揺れる。


『軽々しく持ち上げるとは不敬だぞ』

「このほうが親しみやすさを感じるわ」

『そういうものか? 理解できぬな。ああ、待て。羽に触れるな、ぞわぞわする。頭頂部ならば構わぬぞ、優しく撫でよ、叩くなどあり得ぬと思え』

(わがまま……)


 口には出さずに、リーアは小動物オグマルをベッドに下ろして横に座る。

 そっと優しく頭を撫でてみると、これが満更でもないらしい。


『ほう、悪くない。丁寧に扱えよ』


 そう言って心地良さそうに目を閉じる姿は猫に近い。

 見た目が大変愛らしいから先ほどの全裸の男と一致しないが、声は一緒なので感覚が狂う。というか、さりげなく人の形を保つためには力が必要らしいことを言っていなかったか。力ってなんだ。


「……とりあえず、オグマルのことが知りたいわ。それから汚染化、いえ、腐敗のこと。この大陸に何が起きているのかということを全部」


 頭から手を離してそう言うと、オグマルはリーアの顔を仰いだ。


『この大陸は我にとって半身のようなものでな』

「土地神みたいなこと?」

『神という表現は違うが。……かつてはこんな大陸ではなかったのだ。我が阻害されることなく、この大陸を自由に飛び回っていた時代。エスディンヴァン帝国のころは、この大陸は腐敗とはほど遠い、豊かな自然で溢れていた』

「エスディンヴァン帝国というのは?」

『我が封じられる前の時代に人の世にあった国の名だ。今は確か、ロジェーリンだったか。その国の前だ』

「……今は、たぶん、旧帝国時代って呼ばれているわ。そんな国の名だったのね」


 ロジェーリン王国が旧帝国時代の資料を積極的に潰していったのは知っている。

 どれくらいの年月をかけて、今を生きる人々から歴史を奪ったのだろうか。


『その時代、我の領域は美しく、人の世とも関わりがあった。だがある折、この大陸で内乱が起き、いつしか我はあの領域から出られなくなっていった。その後、次第に荒廃していく領域で自由が利かず、我は眠りにつくことにした』

「内乱というと、初代ロジェーリン王国が帝国を斃したという……。でも、あれは帝国が悪政を行ったと」

『ほう、そのように語り継がれたのか。あれは強欲な者が行った結果だ。気づいたときには手遅れだった。我を領域に封じることから始めたのは的確だったな。なぜ、我を封じれたのかはわからぬし、今も封じられているのは変わらぬが、お前を媒体にすることはできた。お前は我を見るし、触れられる。なぜ、お前だけそれが出来るのか』

「それが、聖花?」

『聖花というのは……、待て。お前の出自を聞きたい。お前は何者だ?』


 そう尋ねてくるオグマルに、リーアは簡単に今までの経緯を説明した。

 自分がこの世界の人間ではないこと、自分の世界で死を感じたとき、こちらの世界で目を覚ましたこと。

 そして、リーアという貴族の娘としてこの世界に存在していること。

 本来、この世界に存在するはずだったリーアはおそらく死んでいるということも。

 黙って聞いていたオグマルは、話し終えたリーアを見上げた。


『異なる世界となると、やはり聖皇せいおうの介入があったのかもしれぬ』

「せいおう……」


 オグマルは小さな顔を縦に振った。


『この世界の唯一神であるが、多くの人間はその存在を知らぬし信仰もない。我らのような存在が知る唯一神だ。我らが神と言うとき、それは聖皇のことを指す。だが、聖皇は人の世には介入しない。人がなにかを神として信仰が生まれても関与しない。聖皇は唯一であるが故、我らと異なり、人の信仰など必要としない。ただ在り、我らを作り出した。そういう存在だ』


 オグマルは聖皇とやらを神と表現したが、オグマルの話し方には信仰のようなものがある感じはしなかった。ただ、淡々とその存在を説明しているだけの物言いで、自分が想像する神様とは少し意味合いが違うのかもしれない。リーアはそう思った。


「なぜ、そんな存在が私を?」

『分からん。本来、人に介入せんだろうが聖皇のことだ。なにかを視たのかもしれん』

「聖花というのは?」

『聖皇を目視できる人間のことをそう呼ぶ。なにか役割を与えられていると聞くが、その役割がなんであるかは我にはわからん。それは聖皇しか知らぬ』

「どうやって会えるの?」

『わからぬ』


 リーアは眉根を寄せて、小動物を見下ろす。

 自分がこの世界に来たことになにか意味があるなら、それはいい。なんの説明もなく放り出された気分ではあったので、理由が明確にあるほうが納得できる。しかし、それが聖皇にしかわからない上に会えるかどうかもわからないときた。


「……オグマル、それは困るわ」

『仕方なかろう。聖皇は聖皇の意向のみ動く。我らには関与できぬ。お前が本当に聖花ならば来たるべきときに接触は必ずある。気長に待て。聖皇は人ではない、そのようなものだと思えばいい』


 そこまで言われてしまえばリーアはこれ以上は聞けない。

 大陸を半身とまで言うオグマルにさえ分からない存在なら、自分にはどうしようもない。まぁ、聖皇なる存在がいてなんか自分に役割を与えたいらしいくらいの考えを頭の隅に置いておく認識にしておこう。オグマルにもこれ以上わからないみたいだし。


「……わかったわ。それなら今度は汚染化の、いえ、腐敗の話をしましょう」





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