11話
「汚染化はこの町の近くで話題になってたんだ」
家に戻るなり、グレンはそう切り出した。
ラルは町長が開く集会に呼ばれてこの場にはいない。ラルの代わりにグレンが教えてくれるということになったのだが、グレンの表情はだいぶ暗かった。
「どのくらいの被害なの?」
「被害がで始めたのは二ヶ月くらい前だったと思う。最初の畑に被害が出て、だんだんと町全体に広まっていったんだって聞いてる」
「どのような症状が出るの?」
「土が変色するんだ。紫っぽくなるって聞いたよ。それが徐々に広がっていって、最終的には畑全体が変色して土が水分を含んで泥みたいになる。そうなってしまうと農作物は育てられないんだって」
リーアは眉根を寄せた。天候不良などで農作物が駄目になるケースはあるだろうが、そもそもの土壌が使えなくなるのなら農業を奪われるのと同じだ。
「だいぶ問題ね。その町ではずっとその状態なの?」
「多分、そうだと思う。改善されたとは聞いてないから」
それなら、グレンが言う“近くの町”の現状はとても厳しいだろう。農業が奪われれば、それで収入を得ている家はどうなってしまうのか。町全体に及んでいるのなら彼らの食糧もどうなっているのか。
「この町の近くならハーリファ子爵の管轄でしょう? 領主はどのような対応を?」
グレンは難しい顔で黙りこむ。それが答えだった。
「……特に対応はとってないってこと?」
「そうらしい。……というか、改善方法が見つからないんだ」
最初の畑から町全体に及ぶのであれば考えられるのは感染だが、果たして土壌が変色して腐敗するほどの感染とは一体なんなのか。
転生前も後も畑仕事とは無縁の生活なため、考えられる要因が思い浮かばない。
「被害があるのは畑だけ? 汚染化というくらいだから他には?」
「うーん、水に問題はないって聞いたよ。ただ、畑は駄目になるって聞いた」
例えば農業に使用する水がなにかしらの要素を含んでいて畑を駄目にしている可能性を考えたが、水に問題がないのなら他にどのような原因が考えられるのだろう。
いや、ここで自分が考えている要因探しなんて他の人がすでにしているだろうし、その上で改善方法が見つからないという状態なのかもしれない。
「ねぇ、汚染化というのはそこが最初なの?」
グレンは首を横に振った。
「ううん。町長が情報を集めた限りだと、半年前に大陸の北で発生したのが初めてだって。国や教会が対応したそうなんだけど、改善されたかどうかまでは分からない。北部って俺たちにはすごく遠い場所だからさ」
「それじゃあ、アザゼイの町は三カ所目になるのかしら」
「どうだろ。北部はもちろん、東部とか西部で発生してても俺たちが集められる情報って少ないし」
「……そうね。要因の特定は難しいのでしょう?」
「うん、多分。今回だってレイラんところがなにかしたとは思えないし」
レイラと聞いて、先ほど会った女性を思い出した。
走り去っていってしまった彼女は今頃、自分の家の畑で起きた状態を把握しているだろうか。
「レイラさんというのは?」
「リーアがここに運ばれたとき、俺たちの代わりにドレスを脱がせてくれた人がいて。レイラはあの人の娘で俺たちの幼なじみ——というか、この町の同世代はみんな幼なじみみたいなもんで」
「ああ、だからラルとあんな感じで……」
「兄貴? なんかあったのか?」
「いえ、大したことじゃないわ」
幼なじみということは、昔から交流があって良い関係ではあったのだろう。いつかは町で一緒に結ばれる可能性だって考えていただろう相手がいきなり令嬢と一緒に住んでいるなんて、それはだいぶ腹を立てたに違いない。
ただ、そんな彼女も自分の家から汚染化したとなれば恋心どころではないはずだ。
アザゼイの町で起きてしまった汚染化は、今後、アザゼイの町が困窮してしまう可能性を秘めている。
「こうした汚染化は国内で話題になっているの?」
「どうだろう。……リーアは聞いたことがなかったんだよな?」
「ええ」
「南部でも知らないとこは多いかも。新聞で記事が出たことないし」
(……ああ、それはそうね)
国全体で情報を共有するのは難しいことだ。
転生前の世界は情報社会だったこともあり、つい当たり前のように考えてしまったが、日本では問題が起きればそれを知るためのインターネットが存在していたし、テレビがあってニュースがあった。
しかし、この世界で情報を共有するために使われるものは新聞くらいだろう。
汚染化が起きたのは半年前だとグレンたちは認識しているが、それも本当かどうかは分からない。それより以前から、どこかの場所で汚染化が起きていて国がそれを隠していても知る術はないのだ。
そして今も、汚染化がどこの町でどのように対応しているか平民が知るには限界がある。
(改善方法が見つかってないのが事実なら、汚染化の情報を全国民が把握すれば混乱を招くわ。あちこちで一気に広まって感染というわけではなさそうだし、国がこの問題を伏せているのはありそう)
そして、国が改善方法を知っている可能性もある。
ハーリファ子爵がそれを知っていれば良いが、二ヶ月前に起きた汚染化に対応をしていないところを見ると、自分の領内でおきた汚染化を国に報告した上で打つ手がないのか、それとも国に伏せているのか。
自分の足元で起きた難題を隠す権力者は、まぁ、いるものだ。
「……今回の件、領主に伝えるのよね?」
「町長はそのつもりだと思う。ただ、どれだけ対応してくれるかは……」
これはたぶん、グレンだけではなく町長含めた町民が思っていることだろう。日頃、嫌がらせのように鬱憤晴らしに来る部下たちを抱え込んでいるのだ。これ幸いと、アザゼイの町を放置しそうな気がする。
グレンは考え込むリーアをちらと見やり。
「……どうしよう、リーア。俺たちの畑もたぶん」
「そうね、避けられないとは思う」
リーアは窓の外に目をやった。見えないが、そこにはラルが面倒を見ている畑がある。
この畑だけ汚染化を避けられるとは思えない。町全体に及ぶまでどれくらいの日数がかかるか、それまでにどういう対応をとるかが重要となってくるだろう。
(町長さんは、だいぶ難しい判断を迫られてしまうわね……)
数日前に言葉を交わした、穏やかな老爺が思い浮かぶ。
町長だけに責任を負わせるには、あまりにも問題が重すぎる。
「俺たちの畑だけじゃない、町全体に被害が及んだら……」
「食べるものには困るでしょうし、収入も減るわ。税にも苦しむ」
領主が町民に寄り添って免除してくれれば良いだろうが、アザゼイの町にやってくる部下を思い出すとそれも期待できなさそうだ。むしろ苦しむ町民を無視して税を徴収しそうな気がする。
そこで、黙りこむグレンに気づいてリーアは意識をそちらに向けた。
いつも明るいグレンの表情が不安げで暗い。
(……そうだったわ、十五歳だものね)
中学三年生くらいと思うと、体格が良いので忘れがちだが、彼はまだ幼いのだと思い出す。
自分の家の畑が、そして自分の住んでいる町がこれから苦しむことを想像してしまうのだろう。その中には親しくしている町民の顔だって浮かんでいるに違いない。不安になるのは当然だ。
少し怖がらせてしまったとリーアは内心で反省して、手を伸ばした。
向かいの席に座るグレンの握りしめられた拳に手を置く。
はっとして顔をあげたグレンに、リーアはなるべく安心させるようにと微笑みかけた。
「グレンくん、まずは町長さんたちの判断を待ちましょう?」
「う、うん。ごめん、なんか不安になって……」
「謝ることじゃないわ、不安になっていいの」
そう伝えると、グレンは力なくうなずいた。
いつも明るかったグレンの、そのあまりにも落ち込んだ姿にリーアは眉根を寄せた。
自分はいずれアザゼイの町を去ろうと思っているし、それは遠い未来ではない。
フォアサース領に一度戻らなければいけないし、そこが自分にとって未来のための主戦場になるだろうと考えている。リーアの実父や義母との決着をつけなければ今後の未来が考えられない。
だが、こうしてアザゼイの町に問題が発生してしまうと出て行くのが忍びない。
ラルとグレンは当然として、穏やかな町長や気の良い町民たちも“知って”しまったのだ。これから困窮する可能性のあるこの町の住人をおいて、自分だけフォアサース領へ戻るのはどうなのか。
まるでアザゼイの町から逃げるみたいになってしまうのは、リーアにとって避けたいことだった。
++
翌日。
リーアはまだ陽も出ていない時間帯に目を覚ました。二度寝しようかと考えているうちに、玄関から音が聞こえた。
二階に自室を持つ兄弟とは異なり、一階の部屋を借りているリーアには玄関の音が聞こえる。
軽く身支度を整えてリビングに足を運べば帰ってきたばかりのラルが立っていて、その表情には疲労の色が濃かった。
朝方まで話し合いが行われていたのだろう。ラルが帰ってくるまで起きていると豪語していたグレンを夜のうちに宥めて寝かせて良かったと思う。
「悪い、起こしたのか」
「違うわ、ちょうど目を覚ましただけなの。だいぶ疲れているわね」
「まぁ、こんなことが町で起きるとは思ってなかったしな」
深くため息を吐いて椅子に座ったラルを見て、リーアも向かいの席に座る。たぶん、話が聞いて欲しいのだろうと察したからだ。
うつむいている姿に、よほど堪えているのだろうと思う。これから先、自分の畑や町民のことを考えればそうなる。ラルの育てていた薬草だって立派な収入源だっただろうし、それがなくなる可能性も考慮しているだろう。
まだ出会ったばかりだが、ラルは思慮深い青年だ。そして察しが良く、視野が広い。そんなラルだからこそ今回の問題をさまざまな角度から見てしまうだろうし、その先に広がる多くの難題に悩んでしまうはず。
「お茶でも用意しましょうか?」
「いや、……あ、ああ。悪い、頼んでもいいか?」
反射的に断ろうとしたラルは、首を横に振って頼んできた。
それだけでも、だいぶ疲れているのだなとわかってしまってリーアはすぐに了承した。
この家で常備しているのはメバテ茶だ。
メバテ茶は、とても飲みやすいだけでなく淹れやすいお茶である。
この家では乾燥した細かいメバテの茶葉が木箱に入っていて、それをスプーンで掬って急須にも見える鉄製の小さなヤカンに入れる。メバテ茶の特徴はすぐにお茶の味が出ることだ。
小さなヤカンの中には茶こしのようなものがあり、マグカップに注ぐだけで緑茶色の液体が出てくる。これは緑茶を入れるやり方と同じだなとリーアは思ったものだ。
マグカップを二つ持って、再び椅子に座る。
差し出したメバテ茶を受け取ったラルは、ゆっくりと口に含むと。
「……これも、飲めなくなるかもな」
そういえば、畑でメバテ茶を作っていると言っていたか。
自嘲の笑みをこぼすラルに、あえてなにも言わずにリーアは尋ねた。
「グレンから汚染化のことは聞いたわ。集会ではどんな話になったの?」
ラルはひどく疲れたように深いため息を吐くと。
「町長含めてみんな動揺していた。近隣の町で起きた汚染化も、実際は他人事ではあったんだ。自分たちのところに影響が及んだら困ると情報だけは集めていたが、実際にこうなるとな。知っている人の話だと、二ヶ月前に起きた別の町の汚染化は進み、どれだけ掘り起こしても変色した土なんだそうだ。そっちは領主に相談したそうだが、良い返答は得られなかったと聞いている。隣の領主を頼ったって話も出ていたが、現状は変わらないまま二ヶ月が経っているそうだ」
やはり、領主の対応は望めなさそうだ。
「町長は、ハーリファ子爵に伝えると言ったの?」
「それもだいぶ揉めた。良い返答は得られないから言っても無駄だと。近隣の町でさえ対応してもらえないのにとか、うちの町なら領主は喜んで放置するとか。まぁ、その考えには俺も同意した。ただ、町長は隠しておくのは良いことにならないって言い続けて、領主に報告することにはなった」
「そうね、相手が対応しないにしても隠しておくのはまずいと思うわ。あとで、なぜ報告しなかったのかと追及されるもの。報告をしたという事実は残しておくべきだわ。……ただ、ハーリファ子爵は報告を受けていなかったと言い逃れしそうな人のようだけど」
「町長も同じことを言っていたな」
「町として、対策は話し合われたの?」
ラルは疲れたように首を横に振った。
「具体的なものはなにも。実際、要因の特定ができていない。レイラんところのおじさんとおばさんも、だいぶ落ち込んでる。自分のところから町全体に感染させてしまうことになるってな。町長が誰の責任でもないし、こういうときに責めることをしてはいけないって全員を落ち着かせていた」
話を聞いている限り、町長はだいぶ冷静に対応してくれているようだった。ともすれば混乱して感情的になるだろう町民の分断を避けたがっている印象も受ける。町長がそのように振る舞ってくれることは、町民たちにとってありがたいはずだ。
「レイラさんのご両親に、なにか原因があったわけではないのよね?」
「ああ、みんなで話を聞いたがここ数日の畑の世話に問題はなかったと思う。なにか変わったことをしたわけでもないからな。むしろ、これからが大変だ。町全体の畑が汚染化になるなら今から対策を取らなきゃいけない。早めに収穫もしておかないとどうなることか……」
そこでふと、ラルは顔を上げた。
こちらを見つめてくる視線に、リーアは首をかしげる。
「どうしたの?」
「いや、……レイラが汚染化はリーアのせいじゃないかと喚いていたのを思い出した」
唐突だなとリーアは思った。どうしてその考えに至るのか。
いくら妬まれているとはいえ、今回の汚染化との関連性が無さすぎる。
「レイラさんって石碑のある丘にいた子よね?」
「ああ。一応、事情を聞くためにレイラも呼ばれてな。そのときにいきなりリーアの話をして。貴族の令嬢を匿うからいけなかったんだとか、やけに攻撃的な言い方をしていて」
リーアは深くため息を吐いた。
真剣に話し合いが行われている場でそんな感情的になっては逆効果だろう。
「私、どうも彼女に嫌われてしまったようね」
「おじさんとおばさんは呆れながら宥めてたし、町の連中は関連性がないって相手にしなかったんだが。帰り際、レイラが俺にリーアに気をつけたほうがいいってしつこくて。石碑の丘でそういう話をしたって言い出して」
「それはだいぶこじつけね。私、その時点で汚染化を知らないもの」
「だよな。レイラ、やけにリーアに突っかかるんだよな……」
あんなやつじゃなかった気がするんだけど、と続けるラルの言葉に、それはあなたが原因なのだとも言えず。どうにかして彼女を宥める方法がないかと考えて、ふとリーアは引っ掛かりを覚えた。
(私が来たから汚染化ってことはないと思うけれど)
もしも、義母が徹底的に根回しをするタイプだったとしたのなら。
万が一にも生き残ったリーアがアザゼイの町で排除されるように仕向けることまで考えていたのなら。
(さすがに考えすぎね。汚染化は自発的に起きるものではないし——……)
いや、どうだろう。そこは断言できない。
だって自分は今、汚染化に対して正確な情報がない。今あるのはアザゼイの町民が集めた情報に過ぎず、この世界においての汚染化がどのように認識されているのかも、アザゼイの町にいる範囲でしか知ることができない。
(汚染化を起こす方法があったのだとしたら?)
アザゼイの町が汚染化されたところで、誰も助けはしないだろう。
むしろ、ラルたちには絶対に言わないが、アザゼイの町は好都合な存在だ。元より疎まれている町が汚染化されたところで困る者はいない。
汚染化が発生している町の共通点を知りたい、が、ここにいるだけでは情報が手に入らない。
(こういうときこそ、伯爵令嬢という地位の使い道なのかしら)
汚染化という問題をフォアサース伯爵は知っているのだろうか。
いや、フォアサース伯爵でなくともいい。ハーリファ子爵に情報を要求できるかも。一応、伯爵という地位は子爵よりは上になるだろうし、フォアサース伯爵を全面的に押し出せば、ハーリファ子爵も無視はできまい。
自分が伯爵令嬢だと証明する方法はないが、ハーリファ子爵もリーアの見た目ならば簡単に追い返すことはしないかもしれない。
「……ねぇ、ラル」
「どうした?」
「私がハーリファ子爵に会うことってできないかしら」
行動を起こすにしても正しい情報が必要だ。それがあるだけで次の行動につながる。
それなら、アザゼイの町よりももっと情報を持っていそうな相手を狙ってみるのは良いかもしれない。