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10話

 ラルとグレンの家に厄介になってから、数日が経っていた。

 その間、リーアはラルの了承を得て読書に没頭していた。リーアの“記憶“だけでは補えなかった情報を得るためでもあった。

 ラルの父親が歴史にも関心をもっていたことから、ロジェーリン王国の歴史や体制の変化などの内容が記された本が多くあったことは、この世界を知りたいリーアにとっては幸いだった。

 リビングで一人、リーアは最後のページを読み終えたところで息を吐く。


(意外と、しっかりと組織的なのよね……)


 公爵と呼ばれるのは四家——四大公家よんだいこうけとも呼ばれ、東部はガーメルデイン公、西部はベラデーゴ公、北部のパーテズ公、そして南部をリヴェンデル公が治めている。

 公爵を冠するのはこの四家以外にはなく、四家はロジェーリン王家との関わりが強いようだった。

 東部全体を、正式にはガーメルデイン州とも呼び、公爵は言わば州知事のようなものであるらしい。ガーメルデイン公が住まうのは東部最大の都市・州都ガーメルデインである。

 フォアサースでいえば、ガーメルデイン州フォアサース伯領が正式名称といった感じだ。


(王家を頂点とし、貴族においては公爵が王家に次いで権威を要する。そこから順に侯爵、伯爵、子爵、男爵と続く)


 貴族の序列は所有する土地の大きさに比例し、権威も比例する。明確な序列が敷かれているロジェーリン王国の貴族の在り方は、リーアにとっては組織的であるように感じた。自分が知る封建制とは少しだけ違う気がする。


(侯爵とか伯爵という爵位は、県知事や市長といった認識でもよさそう)


 ただ、そのまま当てはめられるかと言えばそうではなく、貴族は貴族。民意による選挙があるわけでもなく、王から与えられた権威と土地を、昔から長く守り継いでいく世襲制ではあるようだった。


(そう考えると、伯爵令嬢ってだいぶ地位が高いわね)


 私情で縁切りは難しいかもしれない。

 ロジェーリン王国の司法はどんな感じなのか。まだまだ知りたい情報がありそうだと机に頬杖をついて考え込むリーアの耳が扉の開閉する音を拾う。

 視線を向けると、木製の剣を数本手にしたグレンの姿があった。


「リーア、また本を読んでるのか」


 アザゼイの町では、十六歳以下の少年少女は町にある私塾のようなものに通っていると教えてもらった。

 そこでは読み書きから始まり、計算や農作物の世話の方法。男子は剣や槍、弓といった稽古を、女子は裁縫や料理などを教わるのだという。教える先生は資格などなく、町の大人たちが寄り集まって指導する。

 都市のほうであれば平民でも通える学校があるそうだが、アザゼイの町民は疎まれているし、アザゼイの町から近い学校がある都市もだいぶ距離がある。こういう僻地にある町では、大人たちが個人的に塾を開いて教えるのは珍しくないことのようだった。


(でも、リーアは学校に通っているようすはなかったのよね)


 リーアの日記に、学校という単語が出てきたことはない。

 貴族の場合は学校に通うよりも家に教師を呼んで教わる形なのかもしれない。


「今日の稽古は楽しかった?」


 朝方、グレンは嬉しそうに木製の剣を抱えて出て行った。

 グレンは身体を動かすことが好きなようで、特に実戦的な稽古を好んでいる。今日はその稽古が予定に組み込まれていたことから意気揚々と家を出て行ったのだ。

 帰ってきたグレンは、リーアの問いに満面の笑みで。


「おう! 俺、やっぱり筋がいいんだって!」

「でも、この後はお勉強なのでしょう?」

「……うん」


 途端に、しょげたようにうなずくグレンにリーアは笑いを堪えた。

 グレン曰く、頭で考えて答えを出す計算は特に苦手のようだ。


「お昼は食べてから行くの? なにか作りましょうか?」


 このリビングに初めて入ったときには見つけられなかった時計は、本棚の影に隠れて見えなかっただけで、壁にかけられて今も時を刻んでいる。

 時刻は午後二時。お昼には少し遅い時間帯で、リーアは先に食材を少しだけ拝借して簡単なスープとパンで昼食を終えていた。

 帰る時間がいつかはわからないと言われていたので残っても大変だとグレンの分は作らなかったのだが、これならなにか用意してあげるべきだったかもしれない。

 ちなみに、今日はラルが不在だ。

 町長のところでなにか話し合いがあるらしく、急遽呼ばれて行った。本来は家長が行くべき話し合いにラルが参加するのは、父親がいないからなのだろう。

 リーアの提案に対して、グレンは素早く首を横に振った。


「いいよ、自分で適当に作ってまた出かけるから。リーアは? 石碑を見に行くって言ってなかったか?」

「ええ。そろそろ出ようかと思っていたの」

「石碑って言っても、でけぇ岩に知らない文字が書かれてるだけだぞ?」


 誰も読めないって言ってたし、と不可解そうなグレンにリーアは微笑む。


「それが見たいからいいの。私、先に出ても良い?」

「うん、気をつけてな!」


 グレンに見送られ、リーアは以前ラルに渡されたマントを羽織って家を出た。とはいえ、フードを被ると怪しい出立ちになって逆に目立ってしまうので、フードだけは被らないでおく。

 一人で、アザゼイの町を歩くのにも慣れた。

 町長たちの配慮のおかげで、アザゼイの町を歩いても絡まれない——どころか、年配の人からはなにかと労わるような声をかけられる。町長たちがなんと言って広めたのかは気になるが、今は心優しい彼らの厚意を素直に受け取るべきなのだろう。


 中央広場に出て、以前ラルに教わった上り道をあがっていく。

 それなりに傾斜のある道を進むと、視界がひらけて見えたのは芝生に覆われた丘。

 そして、自分の身長の二倍はあるだろう歪な形をした岩が八つ。一つに近付いて岩の表面を見つめると、そこには五行ほどの文字がびっしりと刻まれている。

 リーアに“なって”から、この世界の読み書きは問題なくできた。今では本も当たり前に読めるし、こういう文章を書きたいと思えば自然とペンが動いた。リーアの身体が覚えているかのように。

 だからわかる。刻まれた文字がロジェーリン王国で使用される文字とは異なる形状をしていることを。


(……でも、なぜかしら。なんとなく見覚えがあるような)


 少し文字のくせが強くて、そのままというわけではないが引っかかる。


「なんとなくどこかで——」

「ねえ、あなた」


 思わずとこぼれたリーアの声にかぶさるように、背後から声がした。

 振り返ると、そこに立っていたのは同世代くらいの女性だ。いや、少し下か?


「……私になにか?」


 返した言葉は少し冷たかったかもしれない。

 けれど、そこには理由がある。こちらを見る女性の視線に少しの敵意を感じたからだ。


「ラルたちの家にいるのってあなたですよね」


 次の女性の言葉には刺々しさがあった。

 ラルのことを呼び捨てにしているとなると、ラルとは顔見知りだろう。

 女性の敵意を感じる視線から、次になにを言われるのかリーアは察することができた。


「早く、ラルの家から出て行ってくれませんか」

(やっぱり)


 思わずこぼれそうになった言葉を飲み込む。これは明確な嫉妬だ。


(そういえば、町長さんも言っていたわね)


 ラルは町の娘たちから人気があると。

 目の前の彼女もラルに想いを寄せているのだろう。好意を寄せている相手が、突然女性を家に住まわせているとなれば彼女がこうして自分に敵意を向けてくるのは、まぁ当然と言える。


(こういう嫉妬に対して、どう返すのが良いかしら)


 妬みというのは厄介で、その感情からどのような行動に走るのかが読めない。刺激しないことが一番だが、どういう言い方が相手の感情を安心させられるのか。


(……学生時代にもあったわね、こういうの)


 リーアは——というより、紫乃の人生は恋愛とは無縁だったので適切な言葉が思い浮かばない。

 中学時代、そのときの友人が好きだった相手と会話をしていただけで標的になってしまったなんて過去もあったが、高校時代はそういうのが煩わしくて女子校を選んだので恋愛のいざこざには慣れていない。もっと言うと面倒だと感じてしまう。


(下手に彼女を刺激して、私をより敵視されても困るわ)


 アザゼイの町の人たちとは拗れたくはない。

 リーアは、自分を睨みつける彼女に対して安心させるように微笑みかけた。


「そんなに長居することはないと思うわ。すぐにというのは無理だけれど、私もできれば早く出ていきたいと思っているの。このままアザゼイの町に暮らすこともないと思うから心配しないで」

「でも、それは……!」

「リーア」


 なにかを言い返そうと顔を上げた女性の向こう側から自分を呼ぶ声がした。

 最近ではすっかり聞き慣れた声を聞いた瞬間、リーアは眉根を寄せる。


(これは助けに船という感じにはならないわね。むしろ火に油かしら?)


 案の定、女性を横切って近付いてくるのはラルだった。

 ラルはリーアと会話している相手を見て、わずかに目を見張る。


「レイラ。お前、ここでなにを」


 レイラと呼ばれた女性はラルの視線から逃れるように顔を伏せる。

 名前を呼び合うくらいなら、だいぶ親しい間柄なのだろうか?


「わ、私は、別に」

「おばさんが探してたぞ。お前のところの畑でなにか問題があったみたいだが」


 途端、レイラと呼ばれた女性は顔を上げてラルを睨んだ。


「そんなこと言わなくてもいいじゃない!」


 叫ぶように言い放つと駆け足で坂を下っていく。怪訝そうにその背中を見送るラルの顔を見やり、リーアは息を吐いた。まぁ、ラルに責任があるわけではないのだけど。

 ため息を吐いたリーアに気づいて、ラルは首をかしげた。


「なにか怒るようなことだったか、今」

「きっと、難しいお年頃なのね」

「なんだそりゃ」


 あれはたぶん、貴族の娘と平民の娘という差を指摘されたように受け取ってしまったのではないだろうか。

 彼女は、ラルにそのつもりはなくても認識させられたような気がして嫌だったのかもしれない。


(やっぱり火に油だったのでは?)


 と思わないでもないが、ラルのせいでもないので仕方がない。


「まぁ、いいか。それで興味深いもんでも見つけたか?」

「あ、そうだったわ。ねぇ、この石碑って昔からあるのよね?」

「俺がガキの頃からあったと思うが」


 リーアは視線を石碑へと戻した。

 それにつられるように、ラルもリーアの隣に並んで石碑を見上げる。


「石碑が建てられた位置から見ても、儀式的な意味合いで使われていた可能性は高いと思うの」


 この場所で石碑を見渡してすぐに思ったことだ。

 石碑は総じて八つ、それらは丸を作るようにして配置されている。ちょうどそれら八つの石碑の中央になるだろう地面は少し盛り上がっていて、そこだけ芝生が剥げているのが印象的だった。

 リーアがそこを覗くように屈むので、ラルも同じように屈む。


「ここが中心点か?」

「ほら見て。ここに立って石碑を見渡すと、石碑は全部こちら側を正面にしているもの。この石碑にはなにか用途があったに違いないわ」


 リーアの顔を覗き込んで、ラルは呆れたように息を吐いた。


「……目が輝いてるぞ」

「好きなの、こういうの。……石碑って国とか王様とかの業績や伝説を記してあったりすることが多いそうだけど、ロジェーリン王国の権威を高めるために作られたにしてはアザゼイの町に置いてあるのが不思議よね。もっと国の要所に建てたほうがいいでしょうに。アザゼイの町はロジェーリン王国の端のほうなのに」

「言われてみりゃ、そうだな」


 ふと、リーアは思った。これはロジェーリン王国ではなく、旧帝国時代のものではないかと。

 そのまま口に出してみたが、ラルの反応はいまいちだった。


「今の国も教会も、旧帝国時代の名残を許さない。旧帝国時代の偉業が記されていたとしたら、とっくに壊していると思うが」

「読めないから放っておいたとか?」

「読めないだけが理由なら、旧帝国時代の書物も徹底的に排除する必要もないだろ」

「じゃあ、壊せなかったとか?」

「まぁ、確かにでかい岩だな」

「それか、壊すほどの労力をかける必要がないと考えたか」

「ああ、それなら有り得るな」


 人の身長の二倍はあるだろう岩だ。それに幅もそれなりに大きい。

 この世界に重機はないから、手作業で破壊するとなるとだいぶ面倒そうだ。


「読めたら手っ取り早くわかるのに」

「言っておくが、書かれていることは読めないぞ。町長がまだ若かったころに国から学者どもが集まってきて解読を試みたんだが難しかったそうだ」

「難しい? そんなに?」

「という話を町長から聞いた。実際、こうして目の当たりにしても読めないだろ?」

「……読めない、と思うのだけど」


 リーアは石碑を見上げた。最初に見たときから、どうも引っかかるのだ。

 見慣れた文字ではない。が、なにかによく似ている気がする。だいぶ記号めいているが、なにかに当てはめられそうな気がするのだ。この既視感は一体なんなのだろうか。


(——あ。これ、アルファベットだわ)


 ABCDEFG、と良く似た文字を見つけることができる。

 英文になっているかはわからないが、文字の一つ一つを拾って、それに近いアルファベットを当てはめる。そうすれば単語くらいは読み解けそうな気がする。

 胸がどくどくと高鳴った。

 アルファベットかもしれないと思うと、途端にそう見えてきた。


「急に黙り込んで、どうかしたのか?」


 石碑に触れたまま固まったリーアに、ラルがそう声をかけたときだった。

 兄貴、と叫ぶ声が響き渡って、リーアとラルは同時にそちらに目を向ける。

 案の定、駆け上がってくるのはグレンだった。その切羽詰まったグレンの表情に、ラルは何事かと弟に駆け寄った。


「グレン、なにがあった」


 必死にここまで走ってきたのだろう、グレンは息を整えると。


「大変だ、兄貴。町の畑に汚染化がでたんだ!」

(……汚染化?)


 聞き慣れない単語にリーアは首をかしげて、ラルのようすをうかがった。

 自分とは対照的にラルは驚愕している。その表情から只事ではないことを察する。この二人が驚くようなことが町で起きたのだとわかった。

 ラルは腕を組むと、険しい表情でグレンに尋ねた。


「もしかして、レイラのところか?」

「え、あ。知ってるのか?」

「いや、おばさんが慌ててたのは見たからな……」


 先ほどの女性の顔が思い浮かぶ。

 おばさんという呼び方的にたぶん彼女の母親で、彼女の家の畑でなにかが起きたようだとぼんやり考えていたリーアに、二人の視線が集まった。二人はどちらも気まずそうな顔をしている。


「どうしたの?」

「あ、いや。リーアがいるの見えてなくて、俺、汚染化の話をしちゃって」

「私が聞いたらまずかったのね。でも、私は汚染化って知らないし」


 そう答えると、ラルは気まずそうな表情から一転して息を吐き出すと。


「……そういやリーアは貴族だったな。知らなくても普通か」

「汚染化ってなに? 畑で起きるものなの?」


 尋ねてもよさそうな雰囲気だったので聞いてみると、ラルの表情が険しくなる。その表情を見ても、よほどのことが起きたのだと察することができる。


「言葉通り、畑が汚染されるんだ。そしてこれを改善する方法は未だ見つかってない」


 リーアは目を瞬いた。改善方法が見つかっていない、とは?

 どのような現象を汚染と表現しているのかは分からないが、イメージ的に畑が汚染となれば問題なのは作物である。作物が育てられないのなら、その畑は使えなくなってしまう。

 そこでふと、リーアは思った。

 それは汚染した畑だけの問題なのか、それとも。


「ねぇ、それって。アザゼイの町全体に広まる可能性は……?」


 ラルとグレンから返事がないことが答えのようなものだった。

 これは思った以上に、とんでもない状況に立ち会ってしまったのかもしれない。





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