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1.婚約破棄



「レティーシャ・フォン・アントラクス!

 王太子、エドワード・ルイス・アダマン=リトスの名において、君との婚約を破棄する!」


 広いホールに響き渡る凛とした声。

 歓談していたはずの生徒たちは話をやめ、ただただ息を飲む音が聞こえてくる。レティーシャはその綺麗な明るい緋色の瞳を、わずかに大きく見開いて眉間に皺を寄せるが、それが見て取れたのもほんの一瞬、好奇の視線に晒されているとわかればすぐに貴族らしい微笑みを浮かべた。


「エドワード殿下。その前に、理由をお聞かせ願えますか?」


 半分おろしていた金髪がさらりと豊かな胸元で流れる。普段ならその美貌に、ほうと息が上がるような場面だが、今はそれどころではない。


「君がおこなった、ローズマリー・コラリア嬢への数々の嫌がらせを知らないとは言わせない」

「ローズマリー様への数々の嫌がらせ、ですか?」


 そのローズマリーはエドワードの隣、彼のベストと同じ柄の生地でできたドレスを身にまとっている。誰が見ても、エドワードのパートナーとしてこの場に来たのだとわかる出で立ち。

 そろいのドレス姿で彼に寄り添うように立ち、そのコーラルピンクの瞳にわずかに涙を浮かべ、レティーシャを見つめている。


「知らないとでも言いたげだが、君がやったという証拠があるのだ。君は王太子妃になるには、人間性が伴わないと判断した」

「……殿下が彼女に惹かれていることは存じておりました。ですが、わたくしはそのようなことは行なっておりません」

「なっ!? ちが、そっ、こっ、この後に及んでそのような言い逃れを! 君がやっていないという証拠はないだろう!?」

「やっていないことを証明せよ、とおっしゃるのですか?」

「そうだ! ……君への沙汰は追って伝える。今日ここは、この学園の卒業生のための祝いの場である。今はこの場を辞すように!!」


 言いたいことはまだまだありそうではあったが、レティーシャは他に聞こえないように小さく息を吐き出すと、綺麗なカーテシーを返した。その所作はどこまでも優雅で見事としか言いようがないが、終わった後、立ち去る前に体の前で握られた両手の爪先は、力が入っているのか少し白くなっていた。





◆◆◆





「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁぁぁああぁぁぁ…………!!! どうして()はあんなことを……!!!」

「乱れてます乱れてます、言葉と髪」


 王太子の自室、その部屋の主は机に突っ伏し、頭を掻きむしっていた。白銀の髪が藁のように指の隙間からぴょんぴょんと飛び出していたが、よく手入れされた髪は手を離せばするりと流れていき、またすぐに元の位置へと戻る。


「……うぅっ……ふ」


 そのまま顔を上げず、ふるふると震え出したエドワードの肩が目に留まり、王子の側近であるロイド・トパズィは泣いているのだろうかと、そちらへ手を伸ばす。


「ふ、……ふふふ。可愛かったなぁ……」


 が、杞憂だとわかればすぐにその手を引っ込めた。


「あ、もう立ち直りました?」

「立ち直るわけないだろう! 現実逃避でもしないとやっていられない!!」


 エドワードは、ダンッと思わず机の上に拳を打ち付けたが、思いのほか痛かったのかそっとさすっている。


「じゃあ言わなきゃよかったじゃないですか。婚約破棄なんて」

「そうしようと()がこれまでどれほど努力してきたか知っているだろう!? 本来ならあそこでローズマリー嬢の腰に手を回し、あの言葉に続いてローズマリー嬢との婚約を発表しかねない状況を回避しただけでも褒めてくれ!」

「アースゴイスゴイ」

「そんな棒読みは嫌だっ!!!!」


 わっと声を上げ、また机に突っ伏しだした主を眺めながら、ロイドは聞こえるように盛大にため息を吐き出した。





◆◆◆





 大陸の中央に位置するリトス王国。

 その国の王太子、エドワード・ルイス・アダマン=リトスに前世の記憶が戻ったのは5歳の頃だ。


 1週間も高熱でうなされ、混濁した意識の中で、長い長い夢を見た。


 日本で、サラリーマンとして働いていた自分。

 ひとり暮らしをしていて、休日にはよくゲームをして過ごしていた。ある日、ジャケット買いした今までやったことのないジャンルである乙女ゲームにどハマりして、かなりの時間をそのゲームに注ぎ込んだ。

 攻略対象ではない推しをなんとか長い時間画面に映そうと、いろんなルートを試し、少しでも画面に映れば歓喜し、小躍りし、愛でる、めくるめく楽しい日々。


 大ヒットしたそのゲームは舞台化された。当然のようにチケットをとって見に行った舞台の上、推しを演じる役者さんは、見た目はもちろんのこと、声まで役にぴったりで、本当に、推しが生きて目の前にいるような錯覚さえ覚えた。

 舞台が終わった時には、拍手をしながら泣いていた。


 あぁ、こんなに素晴らしい作品に出会えてよかった!

 これでもう死んでも悔いはない!


 そう、思いはした。思いはしたが、まさかその帰り道に、本当に死ぬとは思わないじゃないか!


 グッズもたくさん買い込んだ帰り道、青になったことを確認し、ようようとわたっていた横断歩道で、目の前に迫ってくるトラック。全身を襲う激しい衝撃。倒れ伏した地面の上で、目の前にじわじわと広がっていく赤、赤、赤……そこで意識が途切れた。



 ようやく目が覚め、起き上がって鏡を見た時には愕然とした。


「う、嘘だろ……?」

「お、お目覚めになられたのですね、エドワード様! 大丈夫ですか?」


 傍らにいたメイドにそう声をかけられ、確信した。

 ここは前世でドハマりしていたあのゲーム、『ローズマリーの宝石箱』その世界なのだと。

 最愛の推しである、レティーシャ・フォン・アントラクスが生きている世界なのだと。


 そして彼女は、今世の自分の、婚約者になる女性である。


 前世の自分の死を嘆くよりも先に、歓喜に雄叫びをあげ、ベッドの上で飛び跳ねるエドワードの姿を見たメイドが慌てて医師を呼びに走り、王宮内では気でも触れてしまわれたのではないかと一時うわさが流れたが、それはまた別の話。




 しかし、転生に気付いたとて、ただ日々を安穏と過ごしているわけにはいかなかった。


 なぜなら、最愛の推し、レティーシャ・フォン・アントラクスは、ゲーム『ローズマリーの宝石箱』の中では主人公であるローズマリーの前に立ちはだかる悪役令嬢。

 エドワードと婚約破棄をすることだってあるし、ルートによっては修道院送りや、断罪後、死罪になるものまである。


 それだけはなんとしても避けねばならない。

 幼いころから仕えてくれていたロイドにだけは、前世のことをかいつまんで話し、協力を請うた。

そこから始まった、レティーシャとの婚約をつなぐための奮闘の日々。


 ゲームの舞台である学園に入学するまでの出来事は、ゲーム内では過去回想でちらりとふれられる程度だった。

 前世で覚えているゲーム内のイベントやストーリーを書き起こせるだけ全て書き起こし、入学するまでの間に、今の自分にできることを模索した。


 初めてレティーシャに会えた時には感動した。

 王家主催で行われたお茶会。そこに招かれた令嬢たち、その中に彼女の姿を見かけた。

 本編と比べて随分と幼いけれど、推しが、本物の推しが目の前にいて、生きて、動いて、喋ってくれている。

 はにかんだ笑顔がなんて可愛らしいのだろう。

 前世で、舞台の上で動く推しを見た時とはまた違った感動に、思わず立ち尽くしたまま号泣した。

いきなりむせび泣きだした王太子のために、その時のお茶会はあえなく中止となってしまったが。


 高熱が続いたあとからエドワード王子は情緒がおかしくなってしまっている、という妙な噂が王宮に広まってしまったせいで、無事に彼女と婚約できるのか怪しくなってきて焦りを覚えたりもした。


 レティーシャとの婚約を無事に果たせた時には、ロイドと共に手を叩いて喜びあったっけ。




 そうして、学園に入学したあとも婚約破棄ルートや断罪ルートにならないように、慎重に慎重にすごしていたはずなのに。


 どうしてこうなった?


 ダンスパーティーが始まる直前まで、婚約破棄をするつもりなど毛頭なかったというのに。

 顎に手をかけたまま思案していれば、ロイドが片眉をあげ、楽しそうに問いかけてくる。



「それで? エドワード様。このまま引き下がっていいんです?」

「いいわけがない。

 いいか、ロイド。今から婚約破棄撤回ルートを模索するぞ!」


 

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