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契約結婚④

 ヴェンツ侯爵家の紋章がついた馬車が玄関前に止まり、颯爽と降りてきたのは当主のカルロだ。

 元王女である母親は社交界の花としてその美貌を謳われた人だけに、カルロもまた眉目秀麗だ。父親譲りの長身と、黒髪に青く澄んだ瞳も特徴的だ。

 若くして当主の座に就いても威厳を感じさせるのは、人離れした容姿のおかげでもある。

 カルロは出迎える使用人たちの間を通り過ぎ、そのまま執務室に向かった。

 彼の後ろには従者の男がしっかりついてきていた。精悍な顔立ちに茶色の髪と琥珀色の瞳をした男は、従者というより騎士のような見た目をしていた。


「お疲れ様でした、ご当主様」


 従者がカルロのジャケットを脱がしながら労いの声をかけた。

 二人の動作は流れるように息が合っている。


「王室がまた魔水晶の流通価格を下げるように言ってきた。まったく、母上が隠居した途端にこれだ。私なら従うだろうと思っているのだろう」


 カルロはネクタイを緩め、デスクの椅子に腰を下ろした。そこへ、メイドがお茶を運んできた。

 王宮では美味いお茶もろくに味わえないまま帰ってきた。親族とはいえ、王族の話し相手は疲れる。やはり落ち着いてお茶が飲めるのは自分の屋敷だけだ。

 カルロは淹れたてのお茶で一息つき、メイドが退室するのを見計らってから従者に話しかけた。


「ルーカス、ジェナの具合はどうだ?」


 二人きりにならなければ話せない内容であり、何より長年一緒に育ってきた従者が、気軽に口を開くこともできないからだ。


「ああ、今日は悪くない」


 先ほどまでとは違い、カルロの横に立ったルーカスは、従者から一番親しい友人の立場になって答えた。

 しかし、その表情は優れない。悪くないと言いながらも、ルーカスの様子から察するに期待するような状態でもないことが窺える。

 カルロは深い溜め息をつき、両手を組んで頭を垂れた。


「国中の医者に診せても、返ってくる言葉はみな同じだ……」


 愛する女性が病に倒れ、彼女の命があと半年だと知らされたのはひと月前のことだ。刻一刻と迫ってくる終わりの足音に、カルロは整った顔を歪めた。


「父上がお前たちをここへ連れてきた日のことを、今でも鮮明に覚えている。ジェナとルーカスがいなかったら、私は寂しい子供時代を送っていただろう」


 前侯爵は事故で亡くなった友人夫妻に心を痛め、彼らの子供を引き取った。

 それが、ジェナとルーカスだ。

 当時、仕事や社交界の活動で家を空けることが多かった両親の元で育ったカルロは、広い屋敷の中で寂しい幼少期を過ごしていた。そこへ二人の姉弟が現れ、彼らのおかげでカルロの人生は一変した。

 二人はカルロの話し相手になり、成長するにつれ使用人として働くようになった。それでも一緒に育ってきたことに変わりなく、カルロにとって二人はかけがえのない家族だった。

 けれど、思春期を迎え、姉として慕っていたジェナに少しずつ恋心を抱くようになっていた。否、初めて会った時からすでに恋に落ちていたのかもしれない。

 ジェナはいつも屈託のない笑顔で周囲を明るくさせ、侯爵家の使用人たちからも愛されていた。

 大切な女性だ。──だから、失いたくなかった。



 短い沈黙が訪れた時、部屋の扉がノックされた。

 やって来たのは老執事だった。彼はカルロ宛に届いていた手紙をサルヴァに載せて運んできた。手紙はルーカスが受け取り、カルロに手渡された。


「それから……夫人が庭へ出て、揉め事を起こしたと報告を受けました」

「夫人? ああ、あの令嬢か」


 とくに命じたわけでもないのに、カルロの妻になった彼女を誰も「奥様」と呼ばない。

 それは、カルロの妻になることも叶わず、尽きかけようとしている命を懸命に生きようとしているジェナこそ「奥様」だと、使用人たちは思っているのだ。


「正面の庭は別館からも離れている。散歩ぐらい問題ないはずだ」

「ジェナ様のために育てられた花に触れようとしたようです」

「なるほど。では今後そちらには近づかないように、しっかり誘導するようにしてくれ」


 カルロは手紙の宛先を確認しながら、老執事に伝えた。

 婚前契約を結ぶ時と、挙式で顔を合わせたぐらいの妻だ。容姿などろくに覚えていない。ただ、不自由しない暮らしを与えれば問題ないと考えていた。

 老執事が一礼して部屋から出ていった後、手紙を読み始めるカルロに、ルーカスが口を開いた。


「ジェナ姉さんのためとはいえ、お前が結婚を決意するとは思わなかった」

「だが、そうしなければジェナはこの屋敷から追い出されていただろう。私とジェナの関係に腹を立てた母上が、他の貴族女性と結婚しなければジェナを追放すると言ったんだ。母上はやると言ったらやる方だ。あの状態で出されたら、ジェナは耐えられなかったはずだ」


 そのためにお飾りの妻が必要だった。

 愛する女性を守るために、どんな犠牲も厭わない。上級貴族の子息として教育を受けてきたことが、こんなところで役に立つとは思わなかった。多少の罪悪感にも、目を瞑ることができるのだから。


「ジェナのためならどんなことでもしてやれる。それでも、その時がきたら……ジェナには最期の瞬間まで笑っていてほしいと思っている」

「カルロ……」


 医者から余命を知らされて、ジェナの死を嫌でも考えずにはいられなかった。

 最初は大金をはたいて各国の名医を呼んだが、その全員に首を振られてしまった。神官や魔術師の治癒も試したが、効果は現れなかった。

 王室を通じてアカデミーにも掛け合ったが、個人的な治療のため人が派遣されることはなかった。打つ手はなかった。

 カルロは今回も「許可できない」と書かれた手紙をデスクに置き、天井を仰いだ。


「……もしジェナを見送ることになったら、夫人には悪いが離婚するつもりだ。ジェナがいなくなってしまったら、私は侯爵家のために尽くす生きた屍となるだろう。夫人とは別れ、さらに高貴な女性を妻に迎えるつもりだ。母上も許してくれるだろう。夫人はそれまでの繋ぎでしかない」

「夫人は大人しく離婚に応じるだろうか? 侯爵家の財産を考えれば、すがりついてでも残ろうとするんじゃないのか?」

「応じてもらわなければ困る。人並みの生活を渇望するほど貧困にあえいでいた女だ。一生暮らしていけるだけの慰謝料を支払ってやると言えば応じるはずだ」

「貴族の娘ではなかったのか?」


 覚えていないと思っていたが、妻となった令嬢の姿が徐々に浮かんできた。

 とても貴族令嬢とは思えない平民のような装いに、小柄で、がりがりに痩せていた。


「子爵家は破綻寸前の状態だった。夫人の両親であるフローデン子爵夫妻はどちらも愛人を囲み、至るところで借金を作っていたようだ。今回の結婚で借金を肩代わりしたが、あの調子ではまた同じことを繰り返すはずだ。そうなれば、夫人は嫌でも私の提案に従う他なくなる」


 婚前契約を結ぶ前から、すでにいくつもの筋書きが出来ていた。そのために条件に合う女性を探していたのだ。

 紹介してくれた伯爵には感謝している。あとは彼女が侯爵夫人でいる間に、余計な欲を持たず過ごしてくれることを願うばかりだ。

 冷たく言い放つカルロに、ルーカスは一歩下がって左胸に手を当てて「私は当主様の意向に従うまでです」と頭を下げた。

 そんな親友の姿に、カルロは口元を緩めた。


「一仕事したらジェナのところへ行こう。今日は天気が良い。また三人一緒に中庭で食事をとるのも悪くない」

「畏まりました。別邸の者に伝えて参ります」


 嬉しそうに部屋から出ていくルーカスを見送った後、カルロは椅子から立ち上がって窓から外の景色を眺めた。

 穏やかな日差しに照らされて心地が良かった。

 ふと庭に視線を落とせば、いつもより花壇の花が元気に咲き誇っているように感じた。


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