永遠の愛②
フローデン子爵夫妻が、実は恋愛結婚だと知ると誰もが驚く。
今はどちらも愛人に夢中で、お互い相手に関心すら寄せていなかったからだ。それでも離婚せずにいるのだから、夫婦の絆は残っているのかもしれない。
後継者になるオスカーが生まれてから、アメリアの母親は他の男性に関心を持つようになった。一方の父親はすでに愛人宅に入り浸り、ろくに姿を見せなかったからだろう。
しかし、夫婦で出席しなければいけない式典やパーティーでは、二人揃って出掛けていく。仮面舞踏会では、仮面夫婦がさらに仮面を被り、腕を組んで密着する姿はなんとも言えなかった。
母親がそんな愛人を邸宅に連れ帰るようになったのは、アメリアが十歳になった頃だ。
仕事のパートナーだと言って連れてきた彼は、小麦色の肌に黄金色の髪と金色の瞳をした男だった。ツィンゲル大国ではあまり見ない容姿に、アメリアとオスカーは興味津々で陰からこっそり様子を窺った。
すると、母親が席を外している間に男が近づいてきて、良いものを見せてあげようと庭に誘ってきた。始めは警戒したものの、貴族の家で堂々と犯罪を起こす者はいないだろうと思って、男の誘いに乗った。
外に出た男は周囲に人がいないことを確認すると、アメリアたちの足元に向かって何かの種を蒔くと、円を描くように手のひらを翳した。
刹那、土から小さな芽が顔を出し、瞬く間にアメリアと同じ背丈の木が生った。二人は驚きのあまり口を開けて、大きく目を見開いた。
一瞬にして成長した木はアメリアたちに向かってお辞儀をすると、桃色の果実を実らせて器用に渡してきた。
「三人の秘密だよ」
男は口元に人差し指をあて、アメリアたちにそう伝えると、母親の元へ戻って行った。頬張って食べた果実は、甘くて美味しかった。
後に、彼がノールデン大国出身の精霊術師であることが分かった。旅人としてツィンゲル大国の首都へ足を踏み入れた時、男に絡まれる母親を助けたのがきっかけだったらしい。絡んできた男は、間違いなく母親から体良く金づるにされた男の一人だろう。
大陸を巡りながら草木の手当てをしていると教えてくれた男は、元より一カ所に留まることはなく、ひと月もしない内に子爵邸から去って行った。
──アメリアたちが精霊の力に触れたのは、その時が初めてだ。
気まぐれな精霊の目に止まることができたのは男のおかげだろう。本人の知らないところで新しい精霊術師が生まれたのだから、男が残していったものは大きかった。
それから暫くして、母親はまた懲りずに次の愛人を連れてきた。
金髪碧眼の王子様を彷彿させるような外見をした青年は、フロイント出身の無名の弁護士だった。魔法で何でも解決してしまうフロイント大国では弁護士の需要がなく、ツィンゲル大国にやって来たようだ。
そこで貴族たちと交流を持とうと躍起になっている内に、悪い女に引っかかってしまったのだ。それがアメリアの母親である。
「──久しぶりね、パウル」
「ええ、アメリアお嬢様……おっと、今はヴェンツ侯爵夫人とお呼びしないといけませんね」
手紙が届いてから五日後──。
アメリアは客人が訪れることをカルロに伝え、応接間を借りることができた。
当日を迎えたアメリアは朝からそわそわと落ち着かず、食事を摂ること以外、何も手につかなかった。
早めに部屋を出て玄関ホールで待っていると、そこへ紋章のない馬車が止まった。
すると、中から秀麗な顔立ちに金髪碧眼の男が颯爽と現れた。侯爵家に降り立った彼は、他の使用人たちが思わず立ち止まって見つめてしまうほど美しい容姿をして、実年齢を全く感じさせなかった。
弁護士として、普段から落ち着いた色の服を選んで着ていたのは今も変わらず。アメリアを見つけて細めた目元に皺ができたことを抜かせば、最初に出会った頃のまま。
最悪な環境に取り残されたアメリアとオスカーに、唯一救いの手を差し伸べてくれた恩人がそこにいた。
『──取引をしよう。今はお前の望むままに協力してやる。その代わり、大人になってから弁護士が必要になった時は、必ず俺に依頼してくれよ』
皆の視線を独り占めしたパウルを応接間に案内すると、アメリア以上に落ち着かない様子のメイドがお茶を淹れてくれた。
護衛のルーカスとメイドを退室させて二人きりになると、アメリアは口元をほころばせた。
「もう大丈夫よ、楽にして」
「……はぁ、緊張した。なんで伯爵家で働いていたはずのお前が、いきなりヴェンツ侯爵夫人になっているんだ!? 報告の手紙をもらったときは目玉が飛び出すかと思ったぞ」
許しを得た途端、パウルは全身から力を抜いて、緊張で固まった体を解した。
舌を出しながらネクタイを緩める姿を見たら、先ほどまでそわそわしていたメイドは幻滅するだろうか。それとも、こんな姿もまた良いと惚れ直すだろうか。
どちらにしろ、何をやっても絵になる男だ。母親の愛人に選ばれたことだけはある。
本人曰く、素顔を知っている人はそう多くないようだ。
職業柄、外面だけは良いということだろう。それで落とされた女性はどのぐらいいるのか。アメリアたちがいなければ、子爵家も莫大な弁護士費用を支払うことになっていたかもしれない。
「詳しくは話せないわ。──そういう契約だから」
「なるほど、契約か。まぁ、その辺は調べればすぐに分かることだ。……にしても、あの伯爵め。勝手にうちのお嬢を売り飛ばしやがって」
「仕方ないわよ。伯爵だって、本当に親戚かどうかも分からない私を雇ってくださったんだもの」
「なに? お前の父方の祖父の従弟で、その妹の娘が生んだ娘が嫁いだ先だって調べてきてやっただろ?」
「それがまかり通るなら、国中の貴族は皆親戚になってしまうわ」
アメリアが伯爵家で働けるようになったのはパウルのおかげだ。また精霊術を発現したオスカーを、アカデミーで保護できるようにしてくれたのも、この男のおかげである。
初めて顔を合わせたときは好きになれなかったが、怪我を負ったオスカーをアメリアが治癒した時、彼はその光景を偶然見ても秘密にしていてくれた。
それから、子供相手に取引を持ち掛けてきたのだ。
その日一日を生き延びることで精一杯だったアメリアにとって、将来を見据えた取引は生きる希望を与えてくれた。
大人になるまで彼は自分たちを見放したりはしないのだと、心が奮い立ったのを覚えている。
そして彼は彼で、母親の愛人として長く留まってくれた。アメリアたちに最低限の援助をしながら、近くで成長を見守ってくれた。
母親とそういう関係になるパウルを軽蔑したことはない。
アメリアたちがいなければ、彼はもっと早く愛人という立場から脱していたはずだ。母親からの寵愛を失ってからも、彼は子爵家の顧問弁護士として残っていてくれた。
勉強をして知識を蓄えるように言ってきたのもパウルだ。それが未来の自分を救うことになるからと話してくれた。
彼が本当の父親だったらどんなに良かっただろうと思ったことがある。
けれど、まだ弁護士として人脈を築いているだけの彼に、子供二人の面倒を見る余裕はなく、彼なりに歯痒く思ったに違いない。それに過度な援助をすれば、アメリアたちが酷い仕打ちを受けることも知っていたから。
ただ、日差しを遮るカーテンもない部屋で、パウルに文字を教わりながら、オスカーと寝そべって絵本を読んでいるときは幸せだった。
三人で過ごしたあの瞬間が、誰かに見守っていてもらえる安心感が、今でも忘れられない。
「──それで? 本当は何しに来たの?」
「もうちょっと俺との再会に喜んでほしかったが、長居はできなそうだからな。用事はいくつかある。まずお前にプレゼントだ」
そう言ってパウルは懐から取り出した手紙を渡してきた。
送り主を確認する前に「オスカーからだ」と付け加えられ、アメリアは喜びと感動で目を潤ませた。
手紙はなかなかの分厚さで、便せんが何枚も入っているのが分かる。アメリアはオスカーからの手紙を胸に押し当て、遠く離れている弟に思いを馳せた。
「オスカーは元気? 保護を要請した弁護士には、その子の近況ぐらい送られてくるんでしょ?」
「ああ、元気だ。十五歳から正式にアカデミーの学生として通うことになったからな。最近だと、凄い方が師匠に付いてくれたそうだ」
「まあ、それは安心ね。どんな方が師匠になったのかしら」
「……次期魔塔の主の候補にも挙がっているお方だ」
いつもはっきり喋るパウルにしては妙に歯切れの悪い言い方に、アメリアは眉根を寄せた。
そんなに凄い人なら手を叩いて喜ぶべきなのに、パウルは恐れにも似た態度を取った。さらに相手の名前を出すのも憚られたのか、それ以上は教えてくれなかった。
「それから報告がいくつかある。フローデン子爵夫妻だがな、お前がヴェンツ侯爵夫人になったことを良いことに、至るところから金を集め回っているらしい。侯爵家は魔水晶の鉱山を保有しているからな、口を利いてやると言えば誰だって飛びつくだろう」
「そう。あの人たちは何も変わらないのね。私が頑張ったところで、我が家門の没落は免れそうにないわね」
子爵家の借金がなくなれば心を入れ替えて家門のために尽くしてくれるかと思ったが、一度現実から目を背けて外れてしまうと、戻ることは難しいのだろう。
それが快楽を伴う道であれば尚更、良心すら置き捨ててしまったのだ。
「だから言っただろ。オスカーと一緒にお前もアカデミーに入れば良かったんだ。子爵家がお前たちにどんな仕打ちをしてきたのか。救う価値なんかないだろ」
「……それでも、私は長子だし。オスカーにも帰る場所を残しておきたかったのよ。あの子が次のフローデン子爵を継ぐのだから」
「オスカーは、自分のせいでお前が犠牲になることは望んでないと思うぞ。むしろ、精霊術師として功績を挙げて養ってやるぐらいには思っているはずだ」
実際に近くで姉弟の成長を見守ってきたからだろうか、彼の話には妙な説得力があった。
アメリアは口元を手で隠しながら笑った。きっとパウルの言ったことは正しい。遠く離れていても、オスカーのことはアメリアが一番よく分かっていた。
「アカデミーに通えるのは十五歳から十九歳までだが、さらに優秀な生徒は二十五歳まで研究員として滞在が認められる。精霊術師のお前なら、国だって喜んで推薦状を出すさ。……結婚したばかりのお前に言うのもあれだが、決めるのはお前だ」
パウルはいつだってアメリアの意思を尊重してくれた。助言はしても必要以上に口を出さず、言いたいことがあっても最後はぐっと堪え、できる範囲で協力してくれた。
だから、今回も引き止めたりはしないだろう。
「──三年。三年だけ、待ってくれないかしら」