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精霊術師⑥

 アメリアがジェナの部屋へ駆け込んだとき、事態は最悪だった。重病から精神まで蝕まれた彼女が、カルロに自分を殺してくれと迫っていた。

 しかし、愛する人に殺してくれと頼まれて首に手を掛けるカルロの姿は、ジェナに対する深い愛情が感じられた。

 それまで知り得なかった「愛」に、アメリアの胸は高鳴った。

 ──彼らの近くにいれば、愛というものがもっと理解できるだろうか。

 ジェナから引き離され、自らの行動に恐れをなしたカルロを眺めて、アメリアは今彼らを失うわけにはいかないと思った。それに、契約結婚も結んだばかりだ。

 カルロに声を掛けたアメリアは、そのままジェナに近づき、限られた人間だけが知る精霊術を使った。

 驚いて声も出ない彼らの前でジェナを治癒して見せたアメリアは、ふと血で汚れた手を見下ろした。

 最初は赤かった血が、黒く変色して禍々しい色を放つと、スーッと消えていった。精霊の力によって浄化されたのだろう。異様な空気が漂っていた部屋も、窓から心地よい風が入ってきた。


「まさか君は……精霊術師、なのか?」


 その時、固唾を呑んで見守っていたカルロが話しかけてきた。ようやく声が出せるようになったらしい。

 彼らの前で能力を使った以上、自らの能力を隠し通すことはできない。尋ねられたアメリアは、素直に認めて頷いた。



 精霊術師──自然界に存在する火、水、風、地の四大精霊の力を借りて、想像の域を超えた現象をいくつも起こしてきた能力者のことだ。

 ひと昔は珍しくなかったが、大陸中が戦火に包まれると広い範囲で自然が破壊され、精霊術師が生まれてこなくなった。

 その数が年月と共に減少していくと、自然界に干渉できる存在自体が貴重になった。

 現在は、農業大国ノールデン出身の精霊術師が数人残っているだけだ。彼らは大陸を巡りながら、戦争で失われた自然を治癒して回っているという。



「──君のおかげだ、感謝する」


 アメリアによる治療が終わった後、カルロは念のため侯爵家の専属医を呼んで診察させた。すると、医者は容体が安定しているジェナに驚きを隠せなかった。

 その医者もまた、ジェナの余命を宣告した内の一人だろう。医者はどんな奇跡を使ったのかとカルロに詰め寄ったが、彼はアメリアの存在を明かすことはなかった。

 別邸が本来の静かさを取り戻すと、カルロはルーカスや使用人たちにジェナを任せ、アメリアを伴って本邸に戻った。

 そのまま部屋に戻ろうとしたアメリアは──しかし、カルロに「話がある」と言われ、彼の執務室に連れて行かれた。

 夫の仕事場に初めて足を踏み入れたアメリアは、重厚感のあるデザインで揃えられた家具や装飾品に感嘆の息を漏らした。ここなら仕事も捗りそうだ。

 三人掛けのソファーに促されたアメリアは、これまた高級なソファーに浅く腰掛けた。それから、斜め前に置かれた一人用のソファーに座ったカルロを見た。

 カルロはまず、ジェナの治癒にあたったアメリアに感謝の言葉を述べた。

 彼から感謝されるのは初めてだ。結婚証明書にサインをした時も、そんな言葉はなかった。

 だが、アメリアが遠慮がちに首を振ると、カルロは自分の顎を撫で、掛ける言葉を探っているようだった。


「君が、精霊術師だったとは……。アカデミーには、なぜ入らなかったんだ? 君の能力なら無条件で入学できただろうに」


 結婚の契約を交わした時とは違い、カルロは興味深そうにあれこれ質問してきた。ただ、なぜ最初に言ってくれなかったんだと怒られなかったのは幸いだ。


「……弟がいましたから」

「ああ、なるほど。能力者でなければアカデミーの保護は受けられない。君がいなくなってしまえば、君の弟は屋敷に取り残されていただろう。……もしや君の弟も精霊術の能力者なのか? 数年前にアカデミーで保護されたというのは」

「旦那様の仰る通りです。本年度からアカデミーの学生として通い始めたので、いずれ公表されると思います」


 最初は隠そうとしたが、上級貴族であれば調べなくても耳に入ってくる情報だ。

 下手に隠したところで立場が悪くなると踏んだアメリアは、正直に話した。それに、彼は周囲に言いふらすような男ではないと思ったからだ。

 医者への対応を見れば分かる。何より、カルロ自身がアメリアの能力を秘密にしなければいけないと考えたはずだ。事業を営む貴族なら、瞬時に打算が働くようになっている。


「それにしても、姉弟で精霊術が宿るとは。両親はどちらもツィンゲルの出身で間違いなかったか?」

「それは間違いありません。ただ、両親に特別な能力はなかったと思います」

「生まれながらに魔力を持った魔術師と違い、精霊術は突然発現するという。意思を持つ精霊は気まぐれで、気に入った相手にしか力を貸さないとも聞いている」

「お詳しいのですね」

「ヴェンツ侯爵家は魔水晶を扱う家門だ。魔力を持たない人間には毒にもなる魔水晶を取り扱うには、魔術師の協力が必要不可欠だ。だから、魔術師との付き合いも古い」


 カルロは面倒な態度を取ることもなく、アメリアでも分かるように説明してくれた。

 彼はその後も、精霊術師に関する話をしてくれた。それから、図書室でどの本を読めば良いか、リストを作っておいてくれることになった。


「精霊の性格までは分かりませんが、能力を扱う方には個人差があるようです。私の弟は精霊の姿をはっきり視ることができますが、私にはそれだけの能力はありません。一方、治癒能力があるのは私だけです」

「それは精霊との相性にも関係しているのだろう。……そして、治癒能力に恵まれた君のおかげで、ジェナの容体が安定した──改めて礼を言う」

「いいえ、お役に立てて良かったです」


 再びお礼を言ってきたカルロに、アメリアは些細な出来事だと軽く受け流した。

 初めて精霊術を使った時は数日寝込むことになったが、今は能力の加減もできるようになった。今回は、一階にある廊下の窓をすべて磨き上げたぐらいの疲労感だろうか。

 アメリアは部屋に戻ったらゆっくり休む計画を立てた。その他に、やることもないのだから。

 しかしカルロには、アメリアの態度が「大丈夫です、今回だけですから」と見えたようだ。

 彼は急に立ち上がると、ソファーの横に両膝を突いた。

 王族の血まで流れた夫が膝を突いて頭を垂れる相手は、この王国でも数えるほどしかいない。それこそ精霊術師の数と同じぐらいだ。

 アメリアは突然のことにひゅっと息を吸い込み、自分も慌てて立ち上がった。


「──君にこんなことを頼める立場にないことは良く分かっている。だが……っ! どこの医者も、彼女の病はもう治る見込みがないと言ってきた! 余命もあと半年だと……! だから、どんな形でも良い、彼女を治療できるなら! 悪魔にだって魂を売っても構わないとさえ思っていた!」

「旦那様……」

「数ヵ月、数週間……たった一日でもいい、彼女が苦しむことなく生きられるなら、私は何でもする。だから、どうか君の力を貸してほしい……!」


 最後は目に涙を浮かべて頼んでくるカルロに、アメリアは悦びに似た感情が駆け巡るのを感じた。

 たった一人の女性のために貴族の矜持も投げ捨て、立場の弱いアメリアにも必死で頼んでくる彼に胸が熱くなった。求めていたもので心が満たされていく気分だ。

 と、アメリアはカルロに駆け寄り、彼の前で同じく膝を突いた。


「旦那様……、旦那様の望む治療にはならないかもしれません」

「っ──、ああ、分かっている」

「症状は和らげても、ジェナさんの命がどこまで延ばせるか分かりません」

「……っ、それでも、君に頼みたい……っ」


 整った顔をくしゃくしゃにしてお願いしてくるカルロに、アメリアは何度も緩む口元を堪えなければならなかった。


「分かりました、旦那様。──私にお任せ下さい」


 アメリアはカルロの震える手を取り、しっかりと握り締めた。

 彼の愛する人に対する想いが、願いが、自分のところにも伝わってくるようだった。カルロは何度もアメリアにお礼を言ってきた。

 その日から、二人の間には結婚以外の契約が結ばれることになる。



 アメリアをよく知る弁護士は、後に起こる悲劇に「厄介な相手と契約したものだ」と、ヴェンツ侯爵家に対して同情せずにはいられなかった……。

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