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精霊術師②

 邸宅の屋根まで流されてきた黄色の綿毛は、待っていた青年の手元に戻ってパンッと弾けた。


「──さて、渡せるものは渡せたね」


 黒いローブを羽織った青年は、被っていたフードを外して豪華な侯爵邸を一望した。

 正面入口から本邸まで、完璧に管理された見本のような邸宅だ。厳かな雰囲気も漂い、上流貴族であることを顕現している。

 しかし、その内側は調べれば調べるほど均衡が取れていなかった。


「魔水晶が問題なく取り扱われていれば、気にすることもないと思っていたけど」


 邸宅を吹き抜ける風がオレンジ色の髪を撫ぜ、両耳についたピアスを揺らし、空高く昇った太陽が青年を照らした。そして、鮮やかな赤い眼が本邸の後ろに建てられた別邸を鋭く見下ろした。

 魔力を持たない普通の人間であれば何も感じないだろうが、青年の目には違って見えた。

 建物全体が禍々しいオーラに包まれ、とくに部屋の一角は元の光景が分からないほど真っ黒に染まっていた。


「精霊様に守られている彼女に害はなくても、あれは怖いなぁ」


 すでに危険な物質の正体を突き止めた青年は、「一体誰の仕業だろうねぇ」と苦笑を浮かべた。

 ──どこにでも似たようなことはあるものだ。

 王位を巡って実の兄から殺されそうになった青年もまた、人間の欲深さを思い知った一人だ。

 その高い能力から人に妬まれ、疎まれてきた。幾度となく送り込まれてくる暗殺者から、時には逃げ、時には戦い、死に物狂いで生き延びてきた。

 救いの手を差し伸べてくれる人がいなかったら、今もこうして生きてはいなかっただろう。その相手もまた、血の繋がった兄だった。


「久々に帰って兄上に相談してみるか。……可愛い弟子からの頼みも終えたことだし」


 青年は懐かしい故郷に思いを馳せた後、フードを深く被ると右手を上げた。すると、青年の体がふわりと浮かび、次の瞬間には侯爵邸の屋根から消えていた。





 カルロと向かい合って言葉を交わすのは二度目だ。

 一回目は、契約を結ぶとき。あの時はまだ夫婦ではなかったから、夫と妻という関係で対面するのはこれが初めてになる。


「突然すまない」


 アメリアの部屋に訪れる者は誰もいないと思われているのか、夫であるカルロがやって来てもお茶は運ばれてこなかった。一人でいる時も、一度として運ばれてきたことはなかったが。

 しかし、それに気づかないほどカルロは神妙な面持ちで目の前に座っていた。

 両手を組みながら思い詰めた顔で一点を見つめる目に、アメリアは映っていない。彼が誰のことを考えているかなんて、尋ねなくても分かり切っていた。


「いいえ、それより何かございましたか?」


 アメリアは命じられた通り、大人しく部屋で過ごしていた。

 これと言って問題は起こしていない。──窓の外にあるリンゴの木以外は。それを問われたらどうしようかと、内心ハラハラしていた。窓側を見ないように努めても、つい窓の外に視線をやってしまう。


「実は、君にお願いがあってきた」

「……お願い、ですか?」


 これまた想定外の出来事だ。

 彼は、視界に入らないようにしてきた契約妻に頼みごとをしてきたのだ。立場が違うのだから命じれば済むことなのに、なぜかそうしなかった。


「君が昨日出会った女性だが……、彼女がまた君に会いたいと。……その、君に会ってから体の具合が良くなったと。彼女は君を、新しく入ってきた使用人だと勘違いしているようなんだ」


 カルロは複雑そうな表情で話してくれた。

 確かに、彼からすれば戸惑うだろう。夫が、妻と愛人を引き合わせようとしているのだから。アメリアだって正体がバレていないとは言え、どこで露呈するか分からない。

 根拠のない「絶対」は、無いに等しいのだから。

 けれど、これはアメリアにとっても立場を上げるチャンスだった。


「私の力を以てしても、旦那様の大切な方の治療は難しいです」

「そう、なのか……」

「ですが、少しだけ──ジェナさんの命を引き延ばすことは、できるかもしれません」

「──な、なんだと……!? 君は、一体……? ああっ、それより、そんなことができるのかっ?」


 アメリアが正直に話すと、カルロは興奮しつつも、期待と疑いの両方が混じった顔で訊き返してきた。彼の態度から察するに、これまでにも愛する女性のために心を砕いてきたのだ。

 ……これほど男性から愛され、気遣われ、大切にされる女性はどんな気分だろう。


「もし、可能なら……」


 カルロは自らを落ち着かせた後、慎重に尋ねてきた。すぐに信じられないのも無理はない。実際のところ、アメリアも彼女の容態を詳しく調べる必要があった。

 しかし、これでひとつの交渉権を手に入れることができた。


「分かりました。……その代わり、旦那様にお願いがあります」

「もちろん、治療に関する対価は支払う。他にもできる範囲で君に援助を──」


 対価はそれほど望んでいなかったが、彼が先に言ってきたのだから、貰えるものは貰っておこう。だが、アメリアが本当に頼みたかったのは、カルロが思っているようなものではなかった。

 居住まいを正したアメリアは、冗談と受け取られないために真剣な顔でカルロに言った。


「……私への嫌がらせを、やめていただきたいのです」

「なん、だと? 一体、誰がそんなことを」


 どんなことを要求されるのかと身構えていたカルロは、想像もしていなかった頼みに顔を顰めた。

 部屋の空気が一気に重くなり、緊張が走る。

 だが、これだけは譲るわけにはいかない。


 その時、何の前触れもなく突然部屋の扉が開いた。

 勢いよく扉が開くと、専属のメイドがアメリアの昼食をワゴンに載せて運んできた。


「夫人、昼食の時間……」


 乱暴な言葉遣いで入ってきたメイドは、アメリアの他に当主であるカルロの姿を見つけて固まった。

 一方、カルロもまたメイドの横暴な様子に唖然としていた。


「だ、旦那様……! なぜ、こちらに!?」

「この邸宅の主人である私がどこで過ごそうが、それを一介の使用人に過ぎないお前に許しを得る必要があるのか?」


 ソファーから立ち上がったカルロはメイドの元へ行き、威圧的な口調で尋ねた。

 メイドはあまりの恐ろしさに蒼褪め、床に両手をついて跪いた。


「た、大変、ご無礼を……っ!」


 見ているこちらも震え上がってしまうほど冷たい声だった。

 けれど、問題はそれだけではない。

 アメリアは鳥肌が立った腕を摩りながら、カルロの傍に近づいた。そして、メイドが叫ぶのと同時に、ワゴンに載った食事からクローシュを取って中を開いて見せた。


「今日はとくに当たりのようですね」


 オープンになった皿には、色の悪くなった肉と、カビの生えたパン、しっかり煮込まれたかどうか分からない野菜のスープが用意されていた。

 それを感情のない目で見つめていると、横にいたカルロは理解できないような表情でアメリアを見下ろしてきた。


「まさか君は、私がこれを指示したと思っているのか……?」

「──違うのですか?」


 最初は「そうです」と言いたかったが、驚愕に見開く夫の目を見て返す言葉を変えた。

 彼は本気で知らなかったのだ。

 アメリアがこのような嫌がらせを受けながら、日々耐えていることを。

 何も──。

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