精霊術師①
昨日の契約違反により、アメリアは十日の謹慎処分となった。
部屋から一歩も出られないように、ドアの外では常に使用人が交代で見張っている。唯一の楽しみである食事はいつも以上に酷く、とても食べられるようなものではなかった。
これでは、牢屋に入れられた囚人ではないか。
客間の豪華な家具とは裏腹に、そこで過ごすアメリアの待遇が違いすぎて、もはや笑うしかなかった。
アメリアは外が見える窓際の椅子に座り、手入れの行き届いた庭を眺めた。遠くにあった木が風に揺れて手を振っているように見える。
そんなことを思っていられる内はまだ平気だ。
考える余裕すらなくなったときが、一番危ない。
──確かに良くないことは重なったが、すべてが悪かったかと問われればそうでもない。
まず別邸の位置を把握することができた。また、カルロの愛する女性の顔と名前を知ることができた。それから、外側からは決して気づくことのできない、侯爵家にいる人間たちの歪んだ関係性も見えてきた。
だからと言って、興味本位で侯爵家の内情に首を突っ込めば、また疑われて二度と外へ出してもらえなくなるだろう。こういうことは、外部の人間に頼るのが正解だ。
「そういえば、伯爵家から出るときに送った手紙が、そろそろあの人の元に届く頃ね」
窓の外へ視線をやりながら、アメリアは弟のオスカーと、あの恐ろしかった実家から救い出してくれた男性を思い浮かべた。
彼らがいなければ、この命はとうの昔に失われていた。だから、受けた恩はいつか返したいと思っている。そのためには、ここで踏ん張らなければいけない……。
その時、目の前の視界を黄色い物体が横切った。
ふわふわと浮かんだ物体は、一度通り過ぎてはまたアメリアのいる窓に戻ってきた。
「まあ、あなた……!」
見覚えのあるそれに、アメリアは咄嗟に立ち上がって窓を開いた。
この間は白い帽子を持ってチップの回収をしていたのに、今日は小さな巾着袋を持ってアメリアの傍に寄ってきた。
「どうしたの? ……これ、私にくれるの?」
黄色の綿毛は、アメリアが差し出した手のひらに巾着袋を載せると、再び風に乗って飛んでいってしまった。
アメリアは手のひらに置かれた袋に首を傾げ、袋の紐を解いて中身を確認した。
すると、小さな紙切れが入っていた。
二つ折りされた紙を開くと、そこには『銀貨の君へ』と書かれていた。──間違いない、これは橋の上で魔法を披露していた旅芸人からだ。
けれど、どうしてアメリアの居場所が分かったのだろうか。
正体を告げたわけでもなく、出会ったのもあの時が初めてだ。不思議に思って窓の外を見渡したが、それらしい人物は見つからなかった。
アメリアは肩を竦め、再び袋の中を調べた。
実を言えば、先ほどまで落ち込んでいたのが嘘のように気持ちが昂っていた。他人からのプレゼントなど、初めてだったからだ。それが、憧れの魔術師からであれば尚更、興奮を抑えきれなかった。
ドキドキしながら手のひらの袋を覗き込むと、中には様々な種類の種が入っていた。それ以外は、何も入っていなかった。
もっと凄いものを期待していただけに拍子抜けだ。橋の上で見せてくれた魔法が、また見られるかもしれないと思ってしまった。
しかし、手元にあった紙切れがいきなり浮かび上がると、書かれていた文字が変化して「窓下の花壇に蒔いてみて」と光った。それから紙切れは、一瞬の内に燃えて灰も残らなかった。
アメリアは再び高鳴る胸を押さえ、種の一粒を摘み、二階の窓から真下の花壇に落とした。
──だが、しばらく待ってみても辺りは静かなまま、近くの木では鳥が囀っていた。
種なのだから、すぐに変化が訪れないのは当たり前だ。アメリアは肩を落とし、手元の巾着袋を見下ろした。他の種は、鉢を貰って経過を見守った方が良いだろう。
いつまでも窓を開いておくことができず、アメリアは窓を閉めようとした。
直後、真下から地鳴りのような音が響いて、静寂を破った。木々で羽を休めていた鳥が一斉に飛び立つ。
「……え?」
驚きのあまり目を見開くと、地面から一気に伸びてきた木がバキバキと音を立てて大樹を成していく。眺めていた景色は瞬く間に変わり、アメリアの前には立派な木ができて、枝には真っ赤なリンゴが実っていた。
今まさに起きた現象に、アメリアは呆然と立ち尽くした。
……一体、誰が信じるだろうか。
種を植えた瞬間にリンゴのなる木が生えた、と。アメリアの持つ能力が加わったとしても、ここまで育てる力はない。
アメリアは恐る恐る、実ったリンゴに手を伸ばした。
高貴な人間だったら不審に思って触れることもしなかっただろう。けれど、アメリアは空腹だった。美味しいものに飢えていた。そこへ真っ赤に熟したリンゴを見せられて、抗うことはできなかった。
「精霊様、どうか毒リンゴではありませんように」
アメリアは祈りながら、手にしたリンゴにかぶりついた。はしたないことは分かっていても、誘惑には勝てなかった。
頬張ったリンゴは果汁が滴るほどジューシーで、蜜がぎっしり詰まっていた。リンゴの爽やかな甘みが口の中いっぱいに広がり、アメリアはものすごい速さで一個を食べきった。
ある意味これは、毒リンゴかもしれない。食べるのが止まらなくなる毒だ。
アメリアは次から次に実っていくリンゴを収穫しては、口に運んだ。一瞬、魔術師の彼が見せている幻かもしれないと思ったが、それでも良いとさえ考えた。
そのまま無我夢中で食べていると、突然部屋の扉がノックされた。
もう、リンゴの存在に気づかれてしまったのか。
焦りを滲ませたアメリアは、頬張れるだけリンゴを口に詰め込んで扉に近づいた。だが、今日まで誰かが扉をノックしてきたことはない。
しばらく様子を窺っていると、廊下側から声が掛けられた。
「私だ、カルロだ。……今、いいだろうか?」
これは、予想外だ。
──あの夫が、自ら妻のいる部屋にやって来るとは。
アメリアは慌ててリンゴを飲み込み、急いで窓を閉めに戻った。