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別邸の主⑤

 フラワーアーチの真下、それぞれの道から近づいてくる人の気配に逃げ場はなかった。

 それに、下手に立ち去れば不信感を抱かせてしまう。今もすがるような目で両手を握り締めてくるジェナに、アメリアも無下にすることができなかった。


「ジェナ姉さん……!」


 最初に現れたのはカルロの従者、ルーカスだ。

 主人の後ろに控えていても存在感があった彼のことは覚えている。

 ルーカスはアメリアの存在に気づいて表情を険しくさせたが、座り込むジェナの傍に駆け寄ってきた。


「ルーカス、この子が私を助けて……」

「姉さん、それよりまた勝手に部屋から抜け出すなんて! 心配かけないでくれと、あれほど言ったじゃないか! それにこんな格好で……っ」


 本気で心配してくるルーカスに、ジェナは素直に謝った。

 彼らが仲の良い姉弟であることは一目で分かった。まるで、自分とオスカーを見ているようで胸が締め付けられる。病気の姉を労わるルーカスの姿が、オスカーと重なってしまった。

 しかし、ルーカスはジェナと手を握り合うアメリアを鋭く睨みつけてきた。アメリアは咄嗟に手を離して、曖昧な表情を浮かべた。

 すると、今度は後ろから使用人を引き連れたカルロが現れた。彼もまた慌てた様子で駆け込んできた。

 アメリアはカルロと目を合わせることができず俯いた。と、それに気づいたジェナが、カルロに向かって口を開いた。


「カルロ、この子は何もしていないわ。具合の悪い私に付き添ってくれたのよ」


 だから叱らないでほしいと訴えるジェナに、カルロは戸惑ったはずだ。けれど、この状況で説明するには場が悪すぎる。自らの肩書を、まだジェナに明かしていないのだから。

 しかし、それはカルロも同じだったのか、姉を心配するルーカスを見て前髪を掻いた。


「とりあえず、ルーカスはジェナを部屋に連れて行ってくれ」

「カルロ、待って……! 私の話を……」

「姉さん、まずは部屋に戻ろう。ほら、裸足じゃないか。風邪をひいたら大変だ」


 ルーカスは自分より、一回り、二回りも小さい姉を軽々抱き上げると、アメリアから早く引き離すために背中を向けて行ってしまった。

 取り残されたアメリアは膝をついたまま、遠ざかる姉弟を見送った。

 刹那、強い力で手首を鷲掴みされた。


「──来るんだ」


 カルロに捕まったアメリアは、半ば引きずられるようにして本邸まで連れて行かれた。

 何度も転びそうになったが、カルロは一度も振り返ることなく、アメリアの過ごしている客間までやって来た。

 その間に、何人もの使用人が乱暴に扱われるアメリアを目撃していたが、笑っている人はいても、助けに入ってくれる人は誰もいなかった。


「どういうことか説明しろ! 別邸には近づくなと言っていたはずだ!」


 部屋に入るなりアメリアを中へ押しやったカルロは、怒声を上げて責め立てた。

 アメリアは勢いのあまり床に倒れ込んだ。


「申し訳ありません……」

「謝罪は結構だ! なぜ、街で一人になった!? まさか別邸に近づくために君が仕組んだのかっ!」

「それは違います」

「だったら……っ!」


 同行していた者から離れ、近づくなと言われていた別邸の近くにいれば、カルロが誤解するのも無理はない。夫の愛する女性を一度でもいいから見てみたいと思うのは、妻として当然だろう。

 けれど、アメリアは不運が重なっただけだった。別邸に興味がないと言えば嘘になるが、人並みの生活を手放してまで危険を冒したいとは考えていなかった。

 カルロは苛立ちを募らせたが、アメリアが落ち着いた口調で答えると、それ以上何を言っても無駄だと判断したようだ。


「とにかく、今後一切別邸には近づくな。君が侯爵夫人だとは気づいていなかったが、軽はずみな行動は慎んでくれ」


 抑揚のない声に背筋が凍りつく。

 カルロは大人しくなったアメリアに嘆息し、客間から出て行った。

 一方、扉が完全に閉まったのを確認してから、アメリアは立ち上がった。膝が絨毯に擦れてひりひりと痛んだ。

 ……ろくに、説明もさせてもらえなかった。

 伝えたいことは沢山あったのに、言葉を交わす余裕すら与えてくれなかった。

 アメリアは崩れ落ちるように近くのソファーに座った。

 どうしようもない状況はいつでも訪れる。

 そのためには、常に最悪な状況を考えておかなければいけなかったのに、今日は予想外のことばかりが起きてしまった。

 アメリアは深く沈んだ気分に溜め息をつき、両膝を抱えて頭を下げた。


「大丈夫、大丈夫……これで、良かったのよ……」


 自分にそう言い聞かせることで、落ち込んだ自分を慰めた。

 ここでは、話し相手になってくれる人もいないのだから。






「運んでくれてありがとう、ルーカス」


 ルーカスに抱えられて戻ってきたジェナは、ベッドに腰を下ろしたと同時にお礼を言ってきた。

 すると、ルーカスは目を丸くして姉を見つめた。ここ最近は、お礼を口にする気力すら残っていなかったからだ。

 姉からの「ありがとう」に頬を染めたルーカスは、「姉さんが気にすることないよ」と答えた。

 幼くして両親を事故で失ってから、血の繋がりで言えばお互いが唯一の家族だ。侯爵家に引き取られる前に、二人は悲しみを乗り越えて一緒に大人になろうと誓い合った。

 大人になれば、どんなに辛いことが襲ってきても平気になれると、子供だった頃の自分たちは本気でそう思っていた──。

 部屋に入ってきてすぐ、メイドがお湯とタオルを持ってきた。ルーカスはメイドから容器を受け取り、ジェナの前に跪いて姉の汚れた足を取った。


「今日いたあの子は、新しく入ったメイドなのかしら? 見ない顔だったわ」

「それは……」


 ジェナの足を拭いていると、ふいに尋ねられてルーカスは返答に困った。

 なぜ、あの場にアメリアがいたのかは分からないが、姉が傷つけられる前に見つけられて良かったと安堵する。

 ルーカスは奇麗になった姉の足を確認し、彼女を布団の中へ入れた。

 部屋からいなくなったと聞かされたときは今度こそ姉の死を覚悟したが、心配とは裏腹に、今日のジェナは顔色が良い。調子も悪くなさそうだ。


「……あの子を別邸に配属することはできるかしら?」

「どうして、急に……。他の使用人には見向きもしなかったじゃないか」

「だって、死ぬときは何も持っていけないじゃない。……未練を、残したくないのよ」

「ジェナ姉さん……」


 弟である自分は、愛し合っているカルロは、彼女の未練になれないのだろうか。それとも、考えられない程に病が進行してしまっているのか。

 もっと生きたいと思ってはくれないのだろうか。

 姉が生きる希望を持ってくれるなら、どんなこともできるのに。突き付けられた現実を前に、己の無力さを覚えずにはいられない。

 けれど、ジェナは布団から顔を出しながらルーカスに言ってきた。


「でも、あの子のおかげで……胸の苦しみが和らいだの。苦しかった息も楽になって。……彼女、何か特別な力を持っているんじゃないかしら?」

「まさか──……」


 そんなはずはないと言いたかったが、これまで僅かな希望にもすがってきたルーカスは、姉の言葉を無視することができなかった。

 何より、笑った姉の顔を見たのは久しぶりだった。

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