悪役令嬢にしては如何せん強すぎる
「え? あ? え……? 婚約破棄?」
「そうだ! 貴様のようなガサツで荒っぽい女など願い下げだからな!!」
戦慄。騒然。空気が凍った。
国王主催の夜会にあって、まるで誰もいないのではないかとすら思う静寂である。しかしその本質は、息もできぬほどの緊張。誰一人として、その会話を聞き流すまいと最大限の努力をしている。
あまりにも、恐れているからだ。
この中でただ一人、デーヴィッド・V・コーンウェル公爵子息だけが恐怖していない。むしろ、私をにらみつけて腹を立てているらしい。
私——ハリエット・クロムウェルなど何するものぞと、勇ましくも糾弾しようとしているのだ。
「ハリエット、貴様は貴族に相応しくない! 貴族の婦人とは、もっと淑やかで厳かなものなのだ!!」
「そうは言っても貴族ですが……」
「烏滸がましいと言っているのだ!!」
生唾を飲む音が聞こえた。それも、いくつも。
見回せば、皆及び腰である。一人残らず震えている。目をむいている者すらいる。私がいつも向けられている視線に相違ない。
まさか、私を怒鳴りつける者がいるなんて。貴族であろうと、王族であろうと、そんな命知らずはもう国内にいないと思っていた。
なにせ、私の武勇は知られた事実だ。
自分が強いと知ったのは七歳の頃。それまで紅茶のカップより重い物を持った事のなかった私は、その時同じくらいの年頃の男子から意地悪を受けていた。妾の娘であったために、いつだって疎まれていたのだ。
育ちの良い貴族の子女たちは暴力に訴えるまではなかったものの、持ち物を盗られたり汚されたり壊されたりは日常茶飯事である。
普段なら、決してやり返したりしないが、その時はうっかり手が出てしまった。紅茶をかけられそうになり、咄嗟に手を払ったのだ。
まさか、相手の手の骨が折れるなんて。
相手が持っていたカップはまるで投げつけたようにまっすぐ飛んでいき、屋敷の窓ガラスを割ってを横切って道向かいの木に叩きつけられた。破片は木に突き刺さり、道を歩く人にも怪我人が出た。
それから、私への嫌がらせ行為がなくなった。調べると、どうやら私の身体は生まれつき特別らしい。
私は騎士見習いになった。この国においては女性として初。周辺国全てを合わせても三例目である。そして、騎士として大成したのは私だけだ。
辺境での異民族戦線。山賊の討伐。被災地での魔物狩り。その全てで、私は誰よりも多くの武勲を上げた。
聞けば、国外においても私の名は知られているらしい。この国にハリエット・クロムウェルあり。どうやら、歴史に名を残す英傑と並べられて語られている。
国内で最も多くの騎士を輩出したコーンウェル公爵が、私の名に目をつけたのは当然と言える。私自身はそれほどのものとは思っていないが、少なくとも実態を超えて名が売れすぎてしまった事は確かだ。
かくして私は、公爵家の次男と婚約する事となった。血脈に私という逸材を入れたいのだと、誰の目にも明らかだ。
その婚約相手が、デーヴィッド・V・コーンウェルである。
なのに……
「手は傷痕だらけで皮が分厚く、全身筋肉だらけだ。マナーも礼儀もあくまでそこそこ。およそ公爵家として生きるに値しない。何より! この私を尊重しない事が最も許し難い! 私を誰だと思っている!」
この言い様である。その気になればこの夜会にいる全ての人間を瞬く間に手の平ほどの肉片にできる私に対して、これほどにものを言える人間はそういるものではない。
世間知らずのお坊ちゃんかと思っていたが、存外度胸がある。その自信に満ちた顔は、果たして何によるものだろうか。
「これで貴様にも自らの愚かさが分かったろう。これに懲りたらもっと謙虚に生きる事だな。当然、私の知らぬところでひっそりと」
周りを見る。誰もが怯えている。かつて私が手を弾いたあの子供のように。かつて私が討ち倒した異民族のように。私が腹を立てて、暴れてしまわないかと。
デーヴィッドを見る。腹を立てている。今まで私が見た事のない顔で。今まで私が感じた事のない感情で。私が愚かにも、自らに無礼を働いたからだ。
生唾を飲み込んだ。心がどうにも高鳴って。
「お、お断りします」
「は?」
「いやです。デーヴィッド様をお慕い申し上げておりますので」
思わず口走った。しかし、全て本心だ。
誰もが私を恐れ、今にも逃げ出しそうだというのに、デーヴィッド様だけは私をまっすぐ見ている。親すら一歩退いて話す私に対してだ。
こういう時、何というのだったか。確か小説では、演劇では、芝居では……そうだ。
——おもしれぇ男。
「あなた様と共に生きられるのであれば、私は今仰った全ての要望をお聞きしますわ。あなた様のためだけに生きます。生きさせてくださいな」
「は、はぁ???」
デーヴィッドが退く。何故だろう? 少しだけ驚いてしまったろうか?
「私……私今、今まで生きてきた中で一番幸福ですの。そしてあなた様といられたらもっと幸福になれます。どうかお願いですわ」
「い、いやだ。お前と結婚したくない」
「何故ですの? もしかして、私を恐れておりますの?」
もしそうならば、私はこの婚約破棄を受け入れなくてはならない。
恐れないから、惹かれているのだ。震えないから、魅せられているのだ。そうでないと言うのなら、彼とその他に違いなど何もなくなってしまう。
デーヴィッドは、顔を赤くする。私の言葉に、腹を立てたのだ。
久しく現れていない、私に怒る人間だ。嬉しくて、嬉しくて、飛び上がるかと思った。
ならばすなわち、答えの言葉は……
「お前など恐ろしいものか!! 馬鹿にするな!」
「ええ、ええ! そうでしょうとも!」
やはり、思った通りだ。彼は思った通りの人だ。
勇敢にも私に辛く当たるデーヴィッドを、私は愛してしまった。
絶対に、絶対に、何があっても手放す事はできない。なにせ、この世でただ一人、私を人間扱いしてくれる人なのだから。
「私、必ず幸せになってみせますわ!」
「話を聞け! ああ、クソ腕を掴むなっ! いやツッヨ、全然振り解けない?! は、離せよぉ!」
◆
ある時代の、ある国の、ある貴族の次男坊は、常識を超えて世間知らずだった。父も、母も、歳の離れた兄に至るまで、まるで鳥にそうするように接した。まるで花にそうするように守った。
ただ末子が可愛いと言えばよくある話だが、それが貴族の権力と財力でなされたのなら冗談では済まされない。出来上がったのは、家の外の事をほとんど知らない高飛車なばかりの愚息である。
それだけに飽き足らず、家族はその息子の婚姻を国で一番強い女性に求めた。息子の安全を盤石とするためには、その妻が強くあれば良いと考えたのだ。
だが、そんな考えは通じていなかった。息子は身分違いの女に不満を募らせ、自らにはもっと相応しい妻がいるはずだと考えるようになる。そして悪い事に、その女性が国内外で有名な英傑である事をまるで知らなかったのだ。
いくつかの不運と短慮が合わさり、事態は悪く転がる。貴族の息子の、婚約破棄騒動である。
あわや大惨事かと思われたこの事態ではあるが、しかしここに来て奇跡的な噛み合わせを見せ事なきを得た。
その女性が、なんと息子に熱を上げたのだ。
その理由は誰も知らない。何に惹かれたのか。何がそうさせたのか。
ただ一つわかるのは、彼らが二年の後に結ばれた事だけだ。