3-2 Rewrite〜 アイのまにまに
sideシロ
『ザッ……ご搭乗のお客様、当機機長の大橋と申します。先程は急な悪天候により不安定な飛行を余儀なくされ、皆さまには多大なご心配とご迷惑をお掛けした事、深くお詫び申し上げます。しかし当機は無事水上に着水に成功し、機体の損傷も有りません。これより客室乗務員の指示に従って、慌てない様速やかに避難をお願いいたします』
さっきまでの悲鳴と叫喚が嘘の様にシンとする機内に、突然機長のアナウンスが流れた。
「水上?着水?」「外が暗いぞっ、どう言うことだっ?」「避難?」「救助はっ?」
「海?大丈夫なの?救命胴衣を付けないとっ」
「何だよふざけんなっ」「最悪だぁ〜〜」
死の恐怖が去ったと思えば今度は緊急の避難指示。
ガタッ、ガタガタっ
「早く外に出ろっ、沈むぞ」「ちょっと暴れるなっ」「外が暗いけどどうなってんだよっ」
「ちょっと待てって」「押さないでよっ」「バカヤロー止まってんじゃねぇよっ」
機内は一瞬でけんけん轟々となる。
『皆様お静かにお願いしますッ、落ち着いて下さいッ』
怒声交じりに騒然とする中、厳しく澄んだ声が響いた。
『先程も機長が申し上げました通り当機には故障はなく浸水も有りません。急に沈むことは決して有りません。予断の許されない状況だからこそ皆様の冷静なご判断が皆様の命を守ります。どうか私共の避難指示に従った上での行動をお願いいたします』
皆が客室乗務員の方を見る。
その毅然とした態度は立ち上がった人達を徐々に座らせ、落ち着いた力強い説明は機内に平静さを取り戻していった。
そしてテキパキと動くCAにより機体のハッチが開かれると、そこから緊急用のスライドスロープが伸びた。
けどマジで暗いな…
一体どうなってんだよ。
そしてそのスロープは機体が地面に埋まっている為か、映画なんかで見る滑り台の様な角度ではない。
オレ達はぞろぞろと動く列に沿って進む。
「それでは次の方準備を」
そう言ったCAはオレとリュウコウ君が手にした手荷物を一瞬睨むけど
「ブーツの踵等で傷付けない様慎重に歩いて下さい。ではどうぞ」
直ぐに足下を確認し、そう言って次の人へと視線を移した。
これは…
ボムっボムっ
「………… 」
薄暗い外へと踏み出して直ぐ目に入ったのは一面の岩壁。
次に足元からスロープの先に視線を動かすと、先行組の集団が携帯を片手に騒めいている。
ボムっボムっボムっ
「………………… 」
更に声のする右手を見るとビジネスクラスからも疎らに乗客が降りており、機体前方は浜に刺さる様な形で不時着している感じ。
ボムっボムっボムっボムっ
「…………、………… 」
夜光虫か?
いやちょっと待てよっ
左手の機体後方にはキラキラと異常に青白く輝く海が広がっているがしかし、その海らしき水面の彼方は真っ暗闇。
その奥も上も全部。
つまりこの旅客機が飛んで来た筈の空が何処にも見当たらない。
ボムっボムっボムっボムっボムっ
「…リュウコウ君。あれ、どう思います?」
戸惑いを抑えつつ取り出した携帯はやはり圏外。
「………、………、………、……… 」
周囲を見回しているリュウコウ君も何も言わない。
はぁ…
そりゃどうもこうもないよな。
つまりはここは誰がどう見ても岩に囲まれた洞穴の中……としか言いようのない場所だった。
「何だよここはっ」「誰か携帯繋がる人居ますかーーっ」「最悪だぁぁ…クソッ」
ホント最悪だよ。
しかもこっちは自分の事すら分からんてオプション付き…
「何処だよっ、日本なのか?」「ダメよ、全然繋がらないっ」
「おい君、これはどう言う状況なのか早く説明しなさいっ」
少し離れた機体前方にいる一団、ビジネスクラスの乗客の1人がこっちにまで聞こえる声でそう言うと
「お客様、大変申し訳ございません。現在機長が確認作業をし、救助要請をしております。もう暫くこのままお待ち下さい」
こんな状況とは思えない冷静な口調で返すCAに、不満を露わにしていたその乗客は押し黙る。
ザっザっザっ…
そして離れていく足音に振り向くと、リュウコウ君の背中は旅客機の後方へと向かっていた。
『チャポッ』
「海にしては波がないな… 」
青白く光る海にリュウコウ君が小石を投げ込むと、その光は更に弾ける様に輝いた。
「でもどっちにしろ飲用は難しそうですね」
「だね」
そんな風に幻想的な光を浮かべている地底湖を眺めていると、途方に暮れかけた脳内にCGで描かれた様な巨大な星が描かれた。
" 表面の凹凸までしっかりと見えるなぁ、過去か未来の地球とかなら笑えるけど "
またも記憶に引き摺られるオレは、頭を整理し直す為そこから少し離れた。
ー20分後ー
ずっと…ずっと奥底で静かに眠っていたみたいな、数々のボヤけている幼き記憶の瞬きたちを見つけた。
" イッサ以上の男は居ないから " "いい男になれよ " " はいお味噌汁 " " 泣くな、お前は女かっ " " ふふ、こっちへおいで "
両親の惚気る声や叱る声。
ママチャリの後ろで流れて行く景色。
オモチャの様に抱き上げられる安心感。
それはこんな現状さえも一瞬忘れさせるほどに優しくて、温かくてくすぐったくなる様な、心地良く胸を締め付ける春色の陽だまりみたいだった。
" どうして目を離したッ "
ふと額に指を這わせると、幼い頃に縫った傷跡がある。
懐かしいな…
けど懐かし過ぎるせいなのか、掘り起こした今初めて知ったみたいな記憶もチラホラある。
" そ、そんなっ右耳が? "
続けて右耳にそっと触れ、手の平で押さえてみるけれど、そこには何の変哲も感じられない。
" お前は血筋に縛られず自由に生きろ "
血筋……ってなんだ?
「…ふぅーー〜っ」
まぁとりあえずは話さないとだな。
ザ…ザ…ザ…
「リュウコウ君、ちょっと良いですか?」
「大丈夫?やっぱり調子が悪いの?」
「…調子は問題ないんですが……実はオレ今、過去の記憶が曖昧なんです」
「っ………… 」
ピクリと反応したリュウコウ君だけど、驚き掛けた表情をすぐに消し続きを待ってくれる。
「最初、突然機内で目を覚ましたみたいな感じになって…、自分が何でここに居るのかすら全く分かんなかったんです」
「そん…シロ君頭痛や吐き気はっ?」
言葉を詰まらせて血相を変えるリュウコウ君。
「頭痛は…思い出そうとすると時折。でも眩暈や吐き気は勿論痺れも全然無いので、脳梗塞や脳内出血とかではないと思います。ほら、呂律も大丈夫ですしね?」
「いやそんなのは分からないよ。でもこの状況じゃ検査はもとより治療なんて… 」
そう言ってリュウコウ君は横たわった旅客機を険しい顔で見る。
そうだよな。
いきなり記憶がブッ飛んだなんて言い出したら普通脳のダメージを心配するよな。
「でもリュウコウ君、記憶の事を抜きにすると身体の調子は頗る良いんです。自分でも違和感を感じる程に軽いと言うか」
「いや、違和感を感じる程って余計に心配になるよ。曖昧ってのはどの程度?僕の事は分かるよね?」
「…リュウコウ君は過去の記憶ってどの程度ありますか?」
「そう言われると程度の部分が難しいな」
「じゃ誰かのお祝いとか、何処かへ行ったとか特別な記憶はどうですか?」
「それならまぁ二年前くらい前までは割と細かく覚えてるかな?」
「ですよね。でもオレはここ数日どころか、さっきまでリュウコウ君とラウンジで飲んだ事も忘れていたんです」
「………それは」
リュウコウ君は見るからに険しい表情を浮かべた。
「逆にここの所のオレはどうでした?何か変わった事はありましたか?」
「変わった事?……〜いや、僕が知る限りのシロ君はいつもと変わらない様子だったかな。でも徐々に思い出しているんだよね?」
「はい。それに体はマジで快調なんですよ、メッチャ休息取れた後よりも更にって感じに」
「なら今は記憶云々は置いておいた方が良いかもね」
「そうなんです。それで今はそれよりも大事な事を思い出したんですよ」
「それよりもって何?」
「リュウコウ君。もしかですけど、ここが地球じゃないと言ったら信じますか?」
「…………は?地球じゃない?…って別の星ってこと? 」
そう言ったリュウコウ君の目は体調云々よりもオレの正気を窺うようだけど、別の星ってワードが出てくる辺りは流石だ。
「えぇ。この頭がブッ壊れていなければオレは、以前ここと似た様な世界に行った事がある…と思うんです。こんな地底ではないんですけど」
「……ちょ、ちょっと待ってよシロ君。似た世界なんて、いきなりそんな事を言われても………… 」
「変な事を言っているのは百も承知です。さっきオレも考えましたから。でもこの有り様をまんま受け止めて下さい。こんな地底湖みたいな所に旅客機が着水出来ると思いますか?しかもあの高々度から… 」
「それは…言われてみれば着水までの時間が余りにも短過ぎたけど、でも………じゃあシロ君、この岩に囲まれた景観以外に、ここが地球じゃないって言う根拠を教えてくれる?」
「…すみません、根拠と言うほど確かな何かは有りません。でもオレの記憶が、感覚が、ここの空気はあっちだって訴えているんです」
記憶の欠片が少しずつ増えていくにつれ、この不安しかない状況を受け入れていく自分が確かにいる。
「う〜〜ん……そうか。でもと言う事はさ、シロ君はその何処かから戻って来た。つまり行き来が出来たって事だよね?」
戻った…
するといつもの玄関で靴を脱ぎ、自分の部屋の匂いに懐かしさを覚えながらフラフラとリビングへ歩き、更にプロテインの味、心地良いシャワー、アツアツの宅配ピザと映像が次々と流れていく。
これはそう…
いつとかは分からないけどでも、間違いなくあっちから戻って来た時の記憶。
「…はい。だからこの旅客機の後方ずっと向こうに、日本へと戻る出入口があると思います」
「でも…仮にシロ君のその話が本当だとしてもさ、あそこからはとても帰れないよね」
この現状の厳しさを理解するリュウコウ君は、どこか吐き捨てる様にそう言った。
湖の方へと視線を向けるオレはそれに頷くと、強い覚悟で臨んだあの時を思い出した。
激しい波音と潮の香りに包まれた、あの GapSpot を越えた日を。