4-5 清算者物価指数
side比奈
・・・・・812号室。
プルルルル
「…………あ、班長」
「あ班長じゃないお前っ‼︎ 今度は一体何をやらかしたっ」
うるさいなぁ…
「やらかすもなにも、こっちは訳も分からず拉致された被害者ですよ。それにそっちには連絡済みだと言ってましたけど?」
「あぁ、来た。なんと長官から直にな」
やっぱり、二つ返事と言ったのは誇張じゃない…か。
「……班長」
「何だ?」
「隊は、班長は私を守ってくれますか?」
「それは、任務外の話か?」
すぐ様答える班長だけど、向こうからは核心には触れては来ない。
その声音には灰色の困惑が滲み出ていた。
「…………… 」
犯罪者や、敵勢力に発揮される私達の強味も、それを束ねるヒエラルキーの前ではこんなにもか細く頼りない。
けれど私は元より班長も、そのずっと上の連隊長ですらも、誰もがその中の歯車の一つに過ぎないのだから仕方がない。
「…おい、何かマズイのか?おい」
けど、そんな疑問も思惑も介在しない組織の常に、どこか喪失感にも似た、不思議な空虚さを覚える自身に気が付く。
あぁそうか、やっと離れられたんだ。
目を逸らしていたら、いつの間にか見えなくなっていた、大人のもどかしさってのと。
「あ、すみません。なんか電波が悪いかもです」
「今は?聞こえるか?」
「あ〜はい。それで事故の件も含めて、暫くの間休暇を取りたいのですが」
「ことが事だ、ゆっくりと休め。正直こっちもな、お前の扱いをどうしていいか保留している所なんだ」
「ありがとうございます。あと一点だけ良いですか?」
「何だ」
「生死問わず、身元が判明した方の情報を逐次下さい」
「分かった。この後すぐに言っておく」
「よろしくお願いします」
「……和同隊員」
切ろうとしたところでの呼び掛け。
「なんですか?」
「何かあれば連絡をしろ。やれるだけのことは、してやるつもりだ」
「気持ちだけ貰っておきます。さっきはあんなことを言いましたけど、私には何の落ち度もありませんので。では」
ドサっ
「はぁ… 」
流石に色々起こり過ぎ。
疲れたな…
電話を切った後、4人は座れそうなソファに背を沈ませ目を閉じるも、まだ整理し切れていない脳だけは動いてしまう。
最初は疑っていた。
死の入り混じる混沌にあって、誰もが恐怖に震え死に怯える中、恐れを感じさせない幾つもの彼の行動が、人間味の無さが、余りにも不自然過ぎて。
でも…
" 下等な血でここを汚すか。この上粗忽ものとは救いようが無い "
見えない巨大な手に首根っこを掴まれた最中でも、私の耳ははっきりと憶えている。
" やめて欲しい。どうか "
不安、配慮、恐怖、尊重。
あのとき間に入ってくれたのは、そんな様々な思いが孕んだ普通の人間の声だった。
なのに食料も無く、安全に眠れる場所すら無い隔絶された地獄が開放され、漸く天から垂らされたクモの糸とも言える旅客機からも、あの人はいきなり飛び降りてしまった。
あの姿を見せつけられて、もういい加減理解せざるを得なくなった。
この人は、その身を差し出す覚悟をもって本気で行動し、誰よりも必死に、ただ必死に抗っていたのだと。
そして私の迷いも無くなったと同時
" ハッ、だよな "
そう呟いたヤマが飛び降り、私も後に続く形となった。
「異常だよ。躊躇も無く、何であそこまで出来るんだろ… 」
その後も目の前で繰り広げららた綱渡りの連続は、シミジミとした思いを吐き出させた。
けどそう思う反面、心底から腑に落ちている。
だからあの人は道を切り拓くし、だからシロさんは、あの黒装束にすらも特別視されていたのだと。
…
…
あ〜また3回っ、全然ダメだー〜
いや、巳邦。跳ねるのはいいからあそこ狙ってみな?
あ、当たったっ
な?正確に当てられるお前の方が余程凄いよ
ブブブっ
⁉︎
「…………………… 」
いつの間にか行っていた夢の中からはたと戻り、送られて来た一覧に目を通していくけど、そこに景織子の名前は書かれていなかった。
病室から廊下へ出ると、空気が少しだけ肌に纏わりつく。
雨…か。
「すみません」
「はい、どうされました」
柔らかな笑顔で対応するナースセンターの事務員さんは、うちのグランドスタッフ並みに洗練されている。
「今日の航空機事故で、運ばれた生存者の中に日比谷景織子は居ませんか?あの、同僚なんです」
「少し、お待ち下さい」
私の言葉で真剣な面持ちへと変えた彼女は、無駄のない動きでPCをカタカタ叩く。
「………、…そちらの方は、運ばれていませんね」
「他の病院、ということは?」
「無いと、思います」
「そうですか」
パタパタパタっ
「817の北居さん、容体が急変しました」
「至急三井先生に連絡っ」
「はい、分かりました」
「あの、事故の?」
「いえ、長期の方です」
受話器を掴んだ事務員さんは首を横に振った。
「すみません、ありがとうございました」
重い空気を出来る限り残さないよう、いつも通りの声と、いつもより軽快な歩調でカウンターから離れる。
もしかして景織子はあの機材の中に居た?
凄まじい轟音と弾け上がった水柱。
高高度からの墜落の衝撃は、人体なんて簡単に破壊して、残った機体の破片ごと海の底へと消えてしまう。
座席のクッションや、食器トレーなんかの軽い物であれば、海流に乗って何ヶ月後にどこかの大陸の浜辺や、島の沿岸なんかに漂着することもあるけど…
" 先輩、やっと帰れますね "
今朝話したばかりの景織子のことを思い出す。
実感なんて、湧かないよ。
『コンコン』
805号室の扉を叩く音が、静かな廊下に細く響く。
『コンコン』
「…………… 」
確実に聞こえている筈だけど、中からの返事は返って来ない。
カラカラカラ…
「失礼しまーす」
寝ているかもと思い、遠慮がちにドアをスライドさせて入る。
「…ウソ」
すると案の定室内は真っ暗だったけど、ベッドの上には誰もいない……どころか、シンとした室内はもぬけの殻になっていた。
くッ
バカか私はっ
タッタッタッ
「ハァハァハァっ」
急ぎ部屋を飛び出した私は廊下を駆け抜けエレベーターへ。
カチカチカチっ
遅いっ
早く来い早くっ
『チーーン』
〜フウン〜
異界からの帰還当日で、尋問からの解放直後。
だからと言って、どうしてまだ動かないなんて決めつけたんだ。
せめて連絡先を聞いておけば…
下降する浮遊感は、私の中を攪拌された泥水みたいに混ぜっ返す。
『チーーン』
「………、……… 」
右手は本館への通路、左手は専用駐車場。
…〜〜〜、〜〜〜〜〜♪
誰もいない静かな空間に、聴き覚えのある歌声が微かに響いた。
タッタッタッタッ
「ハァハァハァっッ」
柔らかな絨毯を踏み込んで走り抜け、駐車場へと続く通路を進んで行くと、脇の通路から出て来ようとした男が立ち止まった。
「あっぶね…って男女」
「ハァハァやっぱりッ、……シロさんはっ」
顔を洗ったのか濡れた顔を拭い、手を振り乾かす八参はどこかバツの悪さを隠すような表情をした。
「あ?なんでだよ」
それを見て間に合ったことを悟った私は、上がり掛けた口角を親指で擦る。
「…ハァハァ2人で、行くつもりなんでしょ」
「あぁそうだよ。真黎さんには助けられちまったし、松宮姉とは約束もあるからな」
「私も連れて行って」
「いや、お前はさぁ…犯罪者の俺と違って仕事があんだろ?お堅い公務員様の守るやつが。それに年頃のなんだしよ、恵まれた人生を謳歌しとけよ。花の職業恋せよ乙女ってな?」
「……アンタ、私のなんだよ」
「あぁー〜っもう面倒クセェっ、2人のことはこっちに任せておけよ。色々と危険だろうし、女はションベンとかもパッと出来ねーだろ『バチィッ‼︎ 』おぶっ」
心配してる風で、適当にあしらう気満々の鬱陶しい横っ面を張り飛ばし
「テンメ、何すウオ⁉︎ 」
戻った顔面スレスレで繰り出した蹴り足を止め、固まった八参の胸倉を引っ掴む。
「人生謳歌ァ?今困ってるのはどっかの誰かじゃない、私の友達なんだッ。それに言っとくけど私はねェ、アンタなんかよりよっぽど使えるんだ。立ちションくらいいつだってしてやるよッ‼︎ 」
私はもう、止まらない。
止まることを許さない。




