3-1 Disastar〜 ヒクチカラ
sideシロ
「………… 」
ジェットコースターの様な角度で傾くのは何度経験しても良いものじゃない。
そして旋回し、傾いた機体の窓にはミニチュアの様な地上の建物が映り、そのままグングンと高度を上げ、白い霧の様な雲の中を突っ切って行く。
『ザァーーーーーーーーーーーーーーーー』
静かな機内には空調なのか機体の摩擦音なのか分からない、擦れるような音がずっと鳴っていて、それがまたこのシチュエーションの非現実感に拍車を掛ける。
子供の頃によく見た明晰夢に近いっちゃ近いんだけど…
そう思いつつポケットの中の携帯を取り出すと
「…………… 」
またも混乱が加速する。
細かな日にちは覚えていないけど、漠然と認識していた時節とのズレは三ヶ月以上。
しかしそう思うと…
右側胸に半円のレースが付いている左右ドッキングの再構築白Tに、ナイロンの様な質感のライムグリーンの長袖シャツ。
それに薄ピンクとマゼンタの柄のややダボっとしたハーフパンツに、シルバーにコーティングされた特注のタクティカルブーツ。
…随分浮かれた感じの薄着だな。
と言ってもこれらは間違い無く自分で買ったアイテムであり、やはりここが夢だと言うのは有り得ないと物語っている。
じゃぁ何故今ここに居る?
まともに歩けない程酒を飲まされても、酔っ払って葉っぱをキメた時も、ブッ飛ぶクスリを試しに飲んでみた時も記憶の半分も飛ばないのに、今は気を抜くとさっき蘇った記憶の断片すら飛んでってしまいそう。
静かに目を閉じたオレは没入する。
自分の今までに…
これが、記憶喪失か…
ポッカリと抜け落ちた感覚はただ只管に空寒く
積み重ねた筈の一切合切が消えたそこはまるで闇の底。
その一糸すら纏うもの無き寄る辺なさは
自分と言う存在自体の平衡感覚すら失わせる。
こう言う不安も…
あるんだな。
「スゥーーーーーーーッ…フゥーーーーーーーーーーーーーーーー~~~… 」
膨らむ肺…
「スゥーーーーーーーッ…フゥーーーーーーーーーーーーーーーー~~~… 」
揺れる心臓…
「スゥーーーーーーーッ…フゥーーーーーーーーーーーーーーーー~~~… 」
血管から四肢の隅々へ…
「スゥーーーーーーーッ…フゥーーーーーーーーーーーーーーーー~~~… 」
うん。
「スゥーーーーーーーッ…フゥーーーーーーーーーーーーーーーー~~~… 」
やっぱり見えないし見当たらないな。
けど…
「スゥーーーーーーーッ…フゥーーーーーーーーーーーーーーーー~~~… 」
在る。
在った。
全身を巡るこの熱が、感じる命の拍動が、オレが積み重ねて歩いて来た確信を齎してくれる。
すると…
~~*
~~*
音も感触もない微かな煌きが、遠く揺らめく蜃気楼の様に舞い降りる。
"お疲れ様でーす『カツン』"
口に広がる苦いビールの刺激と、美味そうに目を瞑るリュウコウ君。
" ゴロゴロゴロゴロゴロゴロ… "
続いて聞こえて来る音と眩しい程の日差し。
エレベーターから出て伸びる、長い長い空港への通路。
そんな風に真っ暗な虚の中、か細い残滓の様な記憶を手探っていくと
⁉︎
" ザっザっザっザっザっザっ… "
これは揺れる木々の影。
それに薮の生い茂った葉っぱの臭い。
そこへ問答無用で覆い被さる鮮烈な記憶の波。
" 私がここで敵をとめる "
敵?
思い出し始めたのは良い兆候だけど、どうしてオレは山の中を女と逃げてんだ?
「フゥ… 」
" シロ、無理はしないでね "
ん?
この声はヒロ君か?
いや、ヒロ君は安全な場所に居…
…いや、何だっけ?
今何か思い出せそうだった。
と意識の指先が記憶に触れた瞬間
" キャアーーーー~ァ~~~~…~ "
驚きに目を見開いた女が落ちていく。
「…~ッ」
コイツはさっきの女…
何だ?
まさか死んだ、のか?
こんな目の前で?
ドクンッ⁉︎
" ーーーーーーーーーーー『ドパンッ‼︎ 』"
突然跳ねた鼓動に思わず目を開く。
「……………フゥ~~~… 」
" 僕ね…お母さんが居なくなったんだ。シロ君はお父さんがいないんだよね?寂しくない?"
割り込んで現れた少年が浮かべるのは、自虐的な弱々しい笑み。
[ 目が合った。笑っていた。あの時オレが叫んでいたら、前の日に違う言葉を掛けていたら、アイツはいつもと同じ席に座っていた? ]
そして同時に胸を締め付ける最悪の逼迫感と悔恨。
「…………………………………… 」
久し振りに思い出すそれは、忘れかけるくらいに色褪せたずっとずっと昔の古いキズ。
『『『ズドンッッ‼︎‼︎‼︎︎ 』』』
うぉぉおっ⁉︎⁈
突如シートとぶつかる程の衝撃が走る。
「キャァーーーーーーァッ」「うわぁっ⁉︎ 」
「うおぉッ何だぁ?」
更に機体は大きく揺れ傾き、慌てたCA達がそれに対応しようと反応した時
『バサッ』
落ちて来たのは黄色い酸素マスク。
「おいなんだよっ⁉︎ 」「何かがぶつかった?」「機体が損傷したのかッ」「まさか墜ちやしないよな?」
この余りに突然の出来事に何人かが激しく声を上げ、機内は尋常じゃない雰囲気に包まれる。
「Jast stay calm ‼︎ 皆様落ち着いて下さいッ」
「「「「「「「「「…っ」」」」」」」」」
アナウンスをしたCAは同僚に酸素マスクの取付説明を指示し、直ぐに壁の受話器を掴み取り話し出した。
ピリピリと張り詰めた機内はパニック一歩手前だけど、必死なCAの説明に従って皆んなマスクをし落ち着こうとした。
((…シャ……バッ…… ))
ん?
僅かに聞こえた音に呼ばれ首を動かすと、水飛沫が窓を隈なく覆っていた。
雨雲?
積乱雲に突っ込んだのか?
『『『ドンッ‼︎ 』』』
『『『ドドンッ‼︎ 』』』~~ブワァ~~
うわわわっ浮いたっ
今完全に身体が浮いたっ
またも機体が揺れたあと唐突に襲い来る浮遊感で、数秒間シートベルトがガシャガシャと音を立てた。
「キャーーーーーーーーーーッ‼︎ 」「うわぁぁあぁぁーーーーーー」「フザケンナーーーーーーーーーっ」
「ブッ…皆様っ落ち着いて下さいっ。当機の機長は国内有数のベテランパイロットです。今は急な乱気流に巻き込まれましたが… 」
「「「「「「ウワァーーーーーーーーッ」」」」」」「「堕ちるー~っ」」「「「「キャーーーーーーーーーッ」」」」
「助けてーーーーーーーっ」「「「イャーーーーーーーー~」」」「カミサマーーーーっ」
「嫌だーーーっ」
大声を出してのCAの説得も虚しく、機内を突き破りそうな様な悲鳴は止まらない。
空の上で身体が落ちていく感覚は、これ以上無い程に死を明確に予感させる。
「リュ、リュウコウ君っこんな揺れる事ってあります?」
ただただ墜ちる事を考えず、現実逃避をする様にリュウコウ君に尋ねる。
「………ないよ。……………ヤバい」
そう言って上半身を曲げたリュウコウ君は、シート下から救命胴衣を取り出した。
え?
マジで…?
えっ?
これ墜落するの?
『『『ガガゴッドンッ‼︎ 』』』
うぉわぁぁあっ
「「「「ギャーーーーーーーーっ」」」」「「「「「キャーーーーーーーーっ」」」」」
「落ち着いて下さいっ、大丈夫ですっ」「嫌よーーーーーっ」「どこが大丈夫だよ死にたくねぇーーーー」「クソクソっ」「もう嫌だぁ~」「マ"マ"ァーーっ」
揺れを超えた衝撃が機内を掻き回し、それにお似合いの死の合唱が耳を劈く。
『『『ドンッドンッドンッ‼︎ 』』』
「「「ギャーーーーーーっ」」」「「「「キャァーーーーーーーーツ」」」」「もう嫌ーーーッ」「いい加減にしろーーーーーーっ」「誰か助けてくれーーーーーーーーッ」
阿鼻と叫喚に溢れる機内は正に地獄の底へと向かう最中の様相で
「……ー~ッ」
懸命にアナウンスをしているCAも、収拾の付けようのない状況にとうとう固まってしまう。
" 人はいつ死ぬか分からない "
なんて常々意識して来ても、本当の終わりを前にしては意味などないと思い知る。
はぁ…こんな最期じゃ母さんが泣くな。
ーーズキンッ√
" どこでも良いから当てろッ射て射てッ "
足掻きようもない状況にそう観念した時、またも浮かんで来る鮮明な映像は、怒鳴る様な物騒な叫び声と目の前を走り抜ける自分の姿。
これはどう見てもオレ…
でも脳の混濁か走馬灯か知らんけど、何で自分を見るんだ?
外から自分を見るという初めての記憶に戸惑った瞬間
ーーズキンッ√
「ゴホッゴホッ、ォゴホッゴホッゴホッ」
今度は突然喉に激痛が走り思わず咳き込んだ。
オレ死?……いや、でもだって今…
" 運が悪×××××××××ねぇなぁ "
そして機内が叫喚で溢れる中、聞き取れない微かな声が頭に流れると
スゥ~…
あれ?
突然喉の痛みが消え、さらには叩く様な機体の振動も、徐々に徐々に弱まっていった。
「お……ぉぉ、収まった?のか?」
「助かった…?」「本当に?」「ズズ…ヒっく… 」
「…ご搭乗の皆様、当機は気流の渦を抜け、無事安定飛行に戻りました。大変なご心配をお掛けしましたことを深くお詫び申し上げます」
「「「「「「おおーーーーーーっ‼︎ 」」」」」」
『『パチパチパチパチパチパチパチパチパチパチッ』』
「良かったー~」「あぁ助かったーーーーっ」
「おい涙出てるぞ」「アハハハマジで?」「ワハハハハハっ」
乗客が落ち着き始めたタイミングでCAが謝罪をすると、機内には次々と安堵の溜息が吐き出され、それに呼応する様にオレの全身からもへにゃへにゃと力が抜けていく。
「フゥーーー~~…何とか助かったみたいだね。流石にダメかと思ったよ」
頭の後ろからゴムを取りマスクを外すリュウコウ君。
「…………ハぁ~~~、オレも死ぬかと思いましたぁ」
オレも同じようにマスクを外すと
「フフっシロ君、その鼻栓そろそろ外したら?…ってあれ?」
リュウコウ君の王子スマイルが途中で止まる。
スポッ
「どうしました?」
「…止まってない?」
「スンッスッ、いや止まりましたね」
「…いや、鼻血じゃなくて飛行機」
「へ?」
人生最大の危機を乗り切ったと思われた直後、リュウコウ君の渋い声によりその平穏は容易く打ち砕かれた。