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第六話 父、還る

   Ⅰ


「お客として入ってくれるのはありがたいけれど、うちでよかったのかしら?」

「他じゃなく、ここが良かったんだよ、マダーム」

 アキラはユウの母・シヲリに、空になった皿を満載したトレーを渡した。彼女

の両親は別居しているが、母・ミカゲにお灸をすえるため別居中である。身を寄せている父・ハルヨシは仕事柄出張が多いので、いっしょに食事をとれるのも月に一度ていどだ。

 その月に一度の大事な定時連絡の場に、アキラは〔タグ〕を選んでいた。それも父娘二人水入らずではなく、ユウやカズヤたちを伴ってだ。

「お父さん、黙ったまんまだったじゃないか。それに加えて勘定まで全部だしてもらって、申し訳ないにも程があるな」

「この年頃の娘と共通の話題なんてあるはずないだろ、カズヤ。それよりも――」

「友達と仲良くやってるところを見られて、安心して帰っていったのよ。父親って、そういうものを気にするらしいわ」

 カズヤの物心ついたときから、すでにユウの父親は不在だった。死別したのか、別居中なのか。尋ねてもシヲリはただ笑っているだけで答えてはくれなかった。カズヤ自身も詮索されるのは嫌だったので、途中で尋ねなくなってしまった。

 今日中に福岡に戻らなければいけないというので、ハルヨシは「娘をよろしく」と言う代わりにカズヤたちに軽く頭を下げ、店を出ていった。残ったのはカズヤたちと、カウンターでコーヒーを飲む中年の男性客が一人と、隅のボックス席で話し合っているこちらも中年の男性客二人組だった。


「あれが、アストロマンカズヤだよ。南詰さん」

 細めのスーツを着た方の男が囁いた。眼鏡をかけた勤め人にも見えるが、ケースや鞄は持っていない。

「どこにでもいる平凡な、むしろ皮下脂肪が多めの高校生に見えるが」

 すぐそばで噂されているとも知らず、カズヤが嚔をした。南詰と呼ばれたもう片方は、職業の判断がつきかねる風貌だ。角刈りの頭に張った肩。作業着を着ているが、口調や態度は農林課の職員にも思えない。腰に太刀でも差せば様になるような、時代からずれた体格ともいえる。

「侮るな。君も知っているだろう。これまでに十体の怪獣を倒している」

「そうは言うがな、穂積。文字通り、『倒した』だけだろう。視界を奪って転倒したところを、自衛隊の火力でとどめを刺したようなものだ」

 南詰、穂積と互いに呼び合う二人は、店に置いてあった〔最新怪獣総監〕をテーブルに開いている。最新と言っても、アストロマンヘプタと当時のATMが倒した怪獣が記載されている時代のものだ。怪獣が有していた強固な皮膚、火炎や毒ガス、熱線などの武器も載っているが、弱点までも暴かれている。

「同じ個体が現れても、自衛隊の火力で始末できるだろう。仮に今、本物のアストロマンが現れても有り難みは薄れるだろうな」

「一応いるじゃないか。かつてのアストロマンの上司の娘と、先妻の息子が来ている」

 穂積は、先に運ばれてきたコーヒーを味わいもせずに飲んだ。

「知っているさ。どちらも半端者だ。片方は光線技を使えなず、片方は怪獣にとどめを刺せない未熟者だ」

 そこへ、シヲリが頼まれた品を運んできた。穂積はナポリタンだが、南詰はトルコライスに山盛りのパフェだ。

「食後の方がよろしかったのでは?」

 やはり南詰のキャラクターとパフェは似合わず、シヲリは念の為に訊いた。

「すぐに食べ終わりますから」

 南詰は丁寧な口調で答え、三分もかからずに平らげた。大きな子供が、特製のお子様ランチをかき込むようだった。

「早食いは体に悪いぞ。以前食事をしたときも喫茶店を指定されたが、そんなに甘いものが好きなのか?」

「子供の頃は、食事は中身も時間も制限されていてね。加えて、過度に砂糖を使った食事は摂らせてもらえなかった。おやつはいりことか、蒸かした芋とか、よくて安倍川餅だったな。スイーツなるものを口にできたのは、防衛大学校の食堂が初めてだった」

「それはそれは。私の食生活のほうが、まだ彩りはあったな」


「さて、そろそろ真面目に仕事をするかな」

 一方のテーブルで、シンイチは印刷物の束を取り出した。

「このデジタルの時代に紙資料かい、シンイチ?」

「ピザを食べて脂まみれの指で、パネルをいじりたくはない。たまには古典部的な活動もいいもんだぞ、アキラ」

 シンイチが配ったのは、過去に出現した怪獣の写真や、その生態や戦闘能力を、ATMが独自に編集した図録だ。

「父さんと母さんも言っていたな。旧ATMが、それこそ命がけで採集したデータだ。当時は一体倒すのに一週間かかるなんてざらだったからな」

「なんでそんなに手間取ったの? 普通の怪獣なら、汎用ミサイルで倒せるってのに」

「既存の軍隊の火器は無機物の破壊が目的だ。未知の怪獣の皮膚や鱗、再生能力が高い体組織に対して有効なのは、ATMが開発した新兵器やアストロマンの武器だった」

「それが研究が進められ、お手頃価格になって各国軍隊が使えるようになったからな」

 ユウとアキラは、ピザから垂れるチーズを器用に舌で巻き取った。


 自衛隊の話が漏れてくると、南詰の眉がわずかに吊り上がった。

「どうした、コーヒーが苦かったのかね」

「苦いのは経歴の方でね」

 南詰は、数秒だけカズヤたちの方を見ると、支払いのためにシヲリに声をかけ、レジに向かった。

「ごちそうになりました。食事でこんなに幸せな気分になったのは、久しぶりです」

 店を出た直後、穂積は言った。

「さて、どうやって菱美カズヤの血を手に入れるかだな」


 南詰トモキの少年時代に、笑った記憶は少ない。子供向けのテレビ番組で流されているようなキャラクターものではなく、いわゆる知育玩具ばかりだった。絵本も、何も考えず楽しめるものではなく、子供向けの問題集ばかりだった。週に一度は家庭教師。問題が解けると父・クニヤスは満足げにうなずいたので、トモキは勤しんだ。大学付属小学校への受検に落ちた時、父は大いに落胆し、トモキを「バカ息子が!」と罵った。

 やむなく入った公立の小学校では常にテストの結果をチェックされ、高学年になると部活のレギュラーをとらされた。私立中学校にはいっても尻を叩かれ続け、防衛大学校への願書は勝手に出された。カリキュラムはきつかったが、父の許を離れて、皮肉にもトモキは生まれて初めての自由を味わった。

 卒業後、約九ヶ月の幹部候補生学校での教育訓練と約三ヶ月の普通科隊付教育を経て、トモキは晴れて三等陸尉に任命された。ATMが創設されたのはこの頃だったが、トモキは当初、怪獣の出現や侵略活動が長期化するとは考えておらず、隊員への志願はしなかった。

 三年後、トモキは退職を余儀なくされた。小隊の指揮を任されたのだが、その指導がうまくいかず、逆にパワハラで訴えられたのだ。しかも連名でだ。

 一人息子の「不甲斐なさ」に今度こそ失望したのか、クニヤスはぷっつりと連絡を絶った。電話はつながらず、実家を訪れても玄関は固く閉ざされたままだった。

(どうすれば、父に認めてもらえるのだ?)

 無職のままではみっともないので、トモキは職安に通った。職員からは、奇しくも自衛隊を辞する際に言われたことと同じ助言をもらった。「あなたの性格上、多人数で働く仕事は向いていない。スキルはあるので、個人か少数名のチームでできる仕事を探したほうが良い」と。いくつかの面接を経て、とある山奥で森林の伐採をする組合に、見習いとして雇ってもらえることになった。

(このまま山奥で埋もれるものか。父さんに認めてもらうのだ。そのためには、まず周囲からの信用を得なければ)

 仕事自体はできたので信用は得られ、トモキは縁談を世話されて結婚した。しばらくは穏やかな生活が続いた。妻は当初の見た目ほど静かではなく、「年長者の言うことには従っておきなさい。他人を見下す癖はやめなさい」と説教を繰り返した。煩わしかったが、離婚は世間体が悪いので渋々従った。

 長男が生まれると、入れ替わるように父・クニヤスは死んだ。一番欲しかったものを、トモキは最後まで受け取れなかった。


 一週間後。

「埼玉県西部・破風雁山の山中で怪獣らしき生物を目撃した」という情報を受け、カズヤたちは現地の高校に向かった。こういった情報は、現地ATMの山岳専門の部隊からもたらされ、同行するのが常なのだが、その日は別の山で登山競技があるということで、麹山高校組だけが破風雁山に赴いていた。名所というわけでもなく、椎や楢が生い茂る昔ながらの狩りの場所だという。一旦入ってしまうと周囲を見通せず、昼でも薄暗い。

「こういう場所には、山童という妖怪がでたそうだがな」

 シンイチが生き生きとして言った。夜に出没するとかで、いそいそとキャンプの準備までそつなくこなしていた。

「一回じゃなく、毎晩のように目撃されるそうじゃないか。無駄足にはならずに済みそうだぜ」

 本日はお守り役免除のアキラも軽快に義足を鳴らしている。キャンプと聞いてエレナも行く気満々だったのだが、その襟首はおもいっきりベクターにつかまれていた。

「本星に送るレポートが、溜まりに溜まってんだろが! だいたいなんでご本人様じゃなく俺の方に督促のアストロサインが送られてくるんだよ?」

 そりゃあ、そっちの方が確実だからだと、地球人四人は呟いておいたが。

 目撃地点の近くでテントを張り、火は使わずにレトルトで夕食を済ませ、一行は夜まで仮眠した。夜の十時に起き、会話も明かりも最小限にとどめ、じっと「怪獣」の出現を待つ。

 山童が呼んだか。日付が変わって午前二時。破風雁山が、みしりと揺れた。

 眠っていた山が目を覚ます。森の木々がざわめき、塒にしていた烏たちがいっせいに飛び立った後、それは現れた。しかも一体ではなく、二体。

 片方は人間型。月明かりの下とはいえ、顔は見えない。

 もう片方は――。

「牛?」

 カズヤは呟いた。

「違うわね。牛の角って、あんなにバンザイするみたいに高く伸びないわよ」

 広葉樹の森から体半分ほど突き出た巨獣は、大型化した鹿と思われた。枝分かれして然るべき角は、V字という不自然な形をし、先端は槍のように尖っている。

「枝打ちしてあるな」と、シンイチは言った。

 鹿は角を二条槍のように向け、突進した。腹を貫かれる直前、巨人は角をつかんだ。

「ギュイ、ギュイッ!」と、重たい鹿の鳴き声と、巨人の低い唸り声がぶつかっている。

「すごい」

 カズヤは率直に言った。人間と同じ背丈の鹿でさえ、二百キロ超の体重がある。人間の数倍のスピードで斜面を駆け回り、捕食者と戦うパワーは侮れない。だからこそ人間は古来は集団と猟犬による追い込みで、近代以降は狙撃に頼らなければ狩りができなかった。

 その獣に単身で挑んでいるのだ。鹿は頭を激しく振り、巨人を突き放し、振りほどこうとするが、離れない。粘り強く角を握り、機を伺っていた。その様子を、ユウは暗視カメラで撮影していた。

 十分ほど経過しただろうか。万策尽きた鹿が、頭を下げ、巨人の足が地についた。刹那、不安定なはずの体勢から、鋭く顎を蹴り上げた。続けざまに、蹴撃を連続して鹿に見舞う。

 鹿は逃げたが、巨人は後を追わなかった。

 ふっと、月明かりが雲に遮られ、周囲が暗くなる。雲が晴れた月下の森からは、巨人の姿は消えていた。


 テントで一泊した一行は、翌朝、巨人が出現した地点まで進んだ。ところどころ、三メートルを超える足に雑草が踏まれた箇所がある。

「どうするんだ、シンイチ?」

「昨夜巨人が出現した地点は割り出してある。行ってみよう」

 獣道すらない山奥をスマホのナビを頼りに進み、一行はその地点にたどりついた。

「集団で夢を見たわけじゃなさそうだな」

 カズヤが真っ先に言った。遠くからは、針葉樹が生えているだけの山林に見えるが、近寄ればそうでないことがわかる。木々は一部が倒されるか、不自然に途中で折れ曲がっていて、二種類の足跡も残っていた。

「巨人の身長は二十メートル弱あった。どちらも通常の十倍ほどの大きさであれば、計算は合うな」

 シンイチは、昨晩の映像から巨人と巨獣の全高を概算していた。

「昨晩巨人が出現した地域を中心に、衛星画像を拡大してみた。ここから北北東三キロの地点に、小屋がある」

 足を進めると、一行の前に自動車が通れそうな山道が現れた。轍は軽トラックだろうか。小屋もすぐに見つかった。裏の山から引いてあるパイプが上水道らしい。屋根にはソーラーパネルと太陽光温水器がついている。トタンで延長した庇の下には薪が積まれていて、外風呂もあった。

「たーのもおーうっ!」

 ユウが、ここぞとばかりに大声を出した。

 すぐに返事はなかったが、外で待つ。小屋の中では、木材がきしむような音がして、人が何かを作業していると伺えたからだ。ほどなく、「入っていいよ」と声がかけられた。

「お邪魔します――。わっ」

 カズヤが思わず声を出した。入って手前には炊事場と居間を兼ねた寝室こそあったものの、奥の半分は動物を解体するための屠畜場だったからだ。射殺され、血抜きされて運ばれてきた鹿だろうか。皮を剥がれた四足の動物が一頭、梁に逆さ吊りにされている。小屋を埋め尽くす臓物の臭いに、アキラはたまらず鼻を抑えた。

「珍しいな。こんな見晴らしも良くない、ただの山奥に登山客とは」

 大きな刃物を片手に、大柄な中年の男が振り向いた。前掛けは血と体液にまみれている。

「怪獣の出現情報があったので、調査に来ています。このあたりで、巨大な獣や人間がいるのを見ませんでしたか?」

「知らんなあ。夜は寝る他無いからな」

 シンイチの問いに、男は興味なさげに答えた。

「その鹿は?」

「知り合いの猟師が持ってくる。その場で血抜きはするが、本格的に捌くとなると設備があったほうがいいんでな。俺は猟はしないで、解体専門だが、分け前をもらって契約したジビエ料理のレストランに卸している。――見ていて面白いか?」

 カズヤとユウは、きれいに骨から剥がされた肉に見入ってる。

「すごいな。図解では見たことあるけれど、本物は初めてだ。それって、サドルっていう背肉ですよね? 脂肪を削ぎ落としているところだ」

「ほんとねー。あ、こっちは猪の肉よ。スネ肉、内もも肉、シンタマ、シキンボウ」

「背ロースが一番うまいんだよなあ。でも猪肉って硬いから、ほとんどが挽肉とかコンソメとかに使われちゃうんだ」

「君たち、よくわかるなあ」

 見ただけで部位を当ててみせたカズヤとユウに、男が感心して言った。

「そりゃあ料理人にとってジビエ肉は憧れですからね。店に卸されるのは解体後のきれいなやつだし。僕たち飲食業なんて、肉から筋や脂を除いてくれる業者さんがいなかったら、ただ火を着けて包丁振り回してるだけの危険人物ですよ」

「なるほど、君も料理人の雛か。分けてやりたいが、あいにく畜産と違って入る時がわからないものでね。入ったとしても、まず猟師仲間内で分けて、契約してる料理店に優先して連絡している」


 名残惜しそうなカズヤとユウを引っ張るようにして、シンイチは小屋を出た。

「結局、一番目撃しそうな人だったのに。収穫なしか」

 骨折り損だと、カズヤは背伸びして言った。

「作業場だけじゃなく、兼自宅みたいなのにね」

「おいおい、何を言ってるんだ、二人とも。足を運んだ甲斐はあったってもんだ」

 アキラが、血と脂の臭いがついてしまった自分の体をかぎながら言った。

「さっきあのおっさん、なんて言った? 『夜は寝る他ないからな』だぜ。巨人が出現したのが夜だなんて、シンイチは言ってないぞ」


 学校の部室に戻ってきたちょうどそのとき、シンイチのスマホに着信が入った。

「母さんからだ」

 シンイチは通話ボタンを押して、普通に話し始めた。

「そっちからかけてくるなんて、珍しいじゃないか。え? ああ、昨日からキャンプに行っていたけど、それがどうか――。待ってくれ、みんなで聞いていいか?」

 シンイチは、スマホをPCに接続し、スピーカーとマイクで母・マドカと通話した。

「今日、破風雁山に行ってたんですって?」

「よく知ってるな。母さん、拙僧のやることには無干渉だったじゃないか」

 スピーカーの向こうのため息を、カズヤはたしかに聞いて、今までの認識が少しずれていたことを理解した。家族のことなので直接訊くのは差し控えていたが、彼はてっきり、母・マドカが宗教にでものめりこみ、シンイチを幼少期から僧侶にすべく施設に放り込んだものと思い込んでいた。だが二人のフランクな話し方からは、険悪な関係は伺えない。

「あなたたちがそこで会ったのは、父さんよ。あなたの父・南詰トモキ」


「拙僧は、小学校時代に仏教系の全寮施設に入れられた。幼い時分だからわけもわからなかったが、母は別れ際に何度も手を握ったし、毎週欠かさず手書きの手紙もくれた。内容もとにかく体を気遣うものばかりで、修行がどうとか立派な坊主になれとは一言も書かれていなかったから、子供心にも、いわゆる教育虐待の類ではないことはわかった」

「理由は話してくれなかったのか?」

「話せなかったのだ、カズヤ。原因は母ではなく、父にあった。父というより、父の家系だな。母は静岡の山で、移住して森林組合に勤めていた父・トモキと見合いで結婚した。当初は、酒も飲まず遊びもせず、山と家を往復するだけの真面目な男だったらしい」

「なにか様子が変わってきたのか?」

「拙僧が生まれたときからな。拙僧の記憶はおぼろげだが、麓の小学校に通いながら、有名私立中学校の受験のための問題集をさせられていたようだ。休日は山でキャンプして、テントの張り方、結索、火の起こし方や川魚を釣るための仕掛け・餌のとり方を教えられた。あれはあれで楽しかったな」

「受験勉強が楽しかったなんて、衆生には嫌味もいいところだけどな。あ、だから林間学校のときといい昨夜といい、妙に手際が良かったのか」

「中学受験はともかく、同時期に父が読み漁っていた書籍を見て、母は疑念を抱いたらしいな。代議士とか、大企業経営者の自伝を読み漁っていたらしい。そこで気づかれぬよう、母は実家のつてで密かに父の生い立ちを探ったのだ」

 シンイチの母の実家・黒部家は、地元の旧家であり、各方面に縁故があるという。

「そもそもの発端は、先の大戦時に旧日本帝国海軍飛行専修予備生徒に曽祖父が入隊していたときかららしい」

「長い名前だけど、要は?」

「当時の専門学校から志願入隊した、全国数万の中から選ばれた精鋭だ。一万メートルマラソンに闘球、グライダーと日々訓練に励んだが、若鷲として飛び立つ前に終戦を迎えた」

「そうか。戦地に赴かずに命拾いしたな」

「その息子、つまり祖父・クニヤスは帝国主義を打倒すべく革命闘士となったが、よど号や浅間山荘や安田講堂立てこもりといった流血事件から、革命運動は世間からそっぽを向かれた」

「う~ん?」

「そしてそのまた息子、つまり拙僧の父・南詰トモキも然り、幼い頃から英才教育を受けたらしい。自衛隊の幹部となるべく日や猛勉強を重ね、晴れて防衛大学校に入学、卒業し、幹部候補生となったが、部下へのパワハラを責められ、退官した」

「ええと、つまり、なんといったらいいか……」

「退官後は、自分の経歴を知らない山奥に移住。山林の仕事に着きながら地元の信頼を得て、町議・町長と政治家の道を志しているらしい」

「それって、つまり……。お前の母さんとの結婚も、世間体を取り繕うためだったとか?」

「そりゃさすがに」

「ひどすぎるだろ、シンイチ。うちの母に負けてないな」

「いや、構わない。『男子として生まれたからには、功名を成し後世に名を残したい』――。行動を伴った中二病といえるのだろうな。祖父も父も自分の代で挫折、その夢を我が子に託した」

「お前さんの母さんが寺に預けたのって、ひょっとして」

「父の家系の呪われた血を知った母は、拙僧を教育虐待の犠牲にさせまいと、隔離された施設に預けた。手紙の他はほとんど連絡をとらなかったのは、万が一にも父に居場所を知られないためだった」

「だったら、やばいんじゃないのか?」

「母は言っていた。『お前も高校生になったし、友だちもできた。自分が従うべき言葉は、判断をつけられるはずだ』と。ときにカズヤ、最近、自分の遺伝子を提供した覚えはあるか?」

「いや。誰かと健全なお付き合いをして結婚に至るまでは……」

「そういう意味じゃない。自分の体組織の一部を誰かに提供したかと訊いている。たとえば血液サンプルを第三者に提供するとか」

「ああ、それなら緊急に献血したことはある」

「君はまだ十五歳だろう。献血ができる年齢は満十六歳からだ」

「それが、二週間前、出前の途中で交通事故に遭遇したんだ。横断歩道で、自転車がトラックに引っ掛けられた。いっしょに救急車に乗せられて、救急病院に運ばれたんだ。たまたまO型の血が無いって言うんで、その場で輸血したよ。家族が駆けつけて感謝された。照れくさいから黙っていたけど。……なんだよ、みんなして怖い顔で」

「どこの病院よ?」

「隣町の北村病院。――おいおい待てよ、なにスマホで検索してんだユウ。まさか騙されて血を取られたって? 救急車も本物だったし、ちゃんと救急救命士も乗ってたし、病院には他に患者もいたんだぜ」

「北村病院は、去年廃業になってるわ」

「え?」

 ユウに引っ張られるように〔北村病院〕を訪れると――。そこは無人の、廃病院だった。

「嘘だ! ちゃんと医者だけじゃなく、看護師も、家族だっていたんだ!」

「それが全部、偽物だったとしたら?」


「僕たちの血があれば、誰でもアストロマンになれるのかい?」

 帰宅後、カズヤはコウジに尋ねた。

「ハムと叉焼は似て非なるものだ。できあがったあとに手を加えても、片方がもう一方になるわけじゃない。むしろどうしようもない失敗作が出来上がる。そもそもどちらかが優れている訳じゃない。現に、旧ATMが関与せぬところで、放射線を照射してアストロマンを作ろうという研究はあったらしい」

「どうなった?」

「死刑囚を使って数体の実験が行われたが、ろくな最後じゃなかった。自分で自分の力を制御できず、細胞が暴走し、怪獣並の化け物になった。最後はATMの火力を叩き込んで潰した。事情が事情とはいえ、地球人が地球人を殺したんだ。後味は悪かったな」


   Ⅱ


「救急車の偽装と廃病院への設備の運搬、救急隊員と医者と看護師と患者役の手配。全部含めて三百万円か。よくこんな金が出たもんだな」

「投資で稼いだのさ。わけもない」

 その頃、南詰トモキと穂積は、破風雁山の小屋ではなく、麹山稲荷駅前ネットカフェのペアルームにいた。さすがに山中の電波状態では、動画の再生速度が遅いからだ。

 トモキはスマホへ着信したメールを一読して、面白くなさそうな顔をした。

「いいのかい、削除して? 大事な報せじゃないのか」

「柿本といってな、高校時代の同級生だ。自ら創設した会社の十周年記念パーティーを開催するそうだ。おって正式に葉書を送るが、早々に御返事をだと」

 不愉快な相手だったと、トモキは吐いた。トモキは空手部だったが、メールの送り主である柿本という男はサッカー部に所属し、主将を務め、インターハイまで持っていった。

「優秀だったが、卑屈だったな。教師や顧問には面従腹背するから受けはいい。勉強でも部活でも、頭一つ抜け出そうとする執念がおぞましかった。で、部長になったら後輩はおろか、同学年でさえ顎で使う。一流大学に行くとか試合に勝つとかじゃなく、逆らう理由を無くして他者を高いところから見下ろすことが目的のやつだった」

「受け取りたくないのなら、アドレスを教えなければよかっただろう」

「それでは、こちらからも肝心なときにメールを送ってやれない」

 今、二人が見ているのは、二十年前、アストロマンヘプタが苦戦した、寒冷惑星の怪獣ガリピターとエネルギー吸収怪獣ブラトールの二体を相手にした戦いの記録映像だ。初戦ではエネルギーを吸い取られ、アストロマンは凍結されてしまった。その窮地を救ったのは当時のATMだ。

 旧ATMは宇宙と地上で二面作戦を展開。囮のリンクスをわざと撃破させる一方、人工竜巻発生装置の部品を人力で運ばせて現地で組み立てた。宇宙ではステーション建設用の衛星を移動させ、重力レンズを生成。雪雲を払うと同時に太陽光をアストロマンヘプタに集約し、エネルギーを供給。ブラトールに対してはATMがただのサーチライトを照射してひきつけ、その隙にアストロマンヘプタが冷凍ガスを防ぎつつガリピターに肉薄、これを持ち上げてブラトールの大きく開いた口に投げつけた。

 ガリピターはその性質上熱いものを冷やし、ブラトールはエネルギーを吸収しようとする。互いに熱エネルギーを吸収しあい、二頭とも氷の塊になった。活動を止めたところをATMが開発したブーメラン弾を、アストロマンヘプタが手持ちにして両断したのだった。

「参考にはならなかったな。あの二体の怪獣、最初からアストロマンの敵ではなかったということだ」

 トモキは、ヘッドホンを外して言った。

「人に金を出させておいて、今さら『参考にならなかった』はないだろう。そもそも君はどうしたいのだ。アストロマンカズヤに取って代わりたいのではないのか? 君はいつでも同条件で巨大化できる。今度怪獣が出現したついでに、彼を倒せばいいだけの話だろう」

「わかってないなあ、君は!」

 自分の頭の悪さを自覚しないトモキが、逆に自分を見下す言い方をしたので、穂積はむっときた。

「私は彼の敵になるわけではない。味方だ。いいかね穂積、ヒーローの交替というものは、ドラマチックに行われなければならない。未知なる強敵に襲われて絶体絶命に陥ったところに颯爽と登場するのが定番だ。昔は一年、それが半年、最近では三ヶ月に縮まってきたがな」

「何の話を……」

「しかる後、今度は私が危機に陥ったところでパワーアップした彼が再登場。これが鉄板だ。そのためには、あの二体の怪獣程度では役不足だと言ったのさ」

「前から訊こうと思っていたが、君、私の助力を当然のものと勘違いしていないか? 模擬戦の相手を用意してやったのも私だぞ」

「つまらないことを言うな。地球の命運がかかっているんだ。彼はまだ高校生だ。勉強が本分だし、デートもしたかろうに。繰り返すが、彼は私の敵ではない。むしろね、解体という仕事を、あれほどまでに目を輝かせ、頬を紅潮させて語ってくれて、感激しているのだよ」

 野生の猪や鹿を解体し、肉として配給する技術は、陸上自衛隊時代に身につけたものだ。退官後も生活の術として使っていたが、それに対して、素直に熱く感激してくれたのはカズヤとユウが初めてだった。

「これ以上裏切るような真似はしたくない」

「もう手遅れだろうが」

 お気づきだろうが、この穂積という男、ヴォーダン星人である(以下、ヴォーダンFと呼ぼう)が、苛立っていた。自己承認欲求を拗らせ、カズヤやATMが怪獣を倒すたびにあれこれSNSで批評していたトモキを見つけ、利用しようと接近したが、その図々しさは予想を超えていた。カズヤを騙して血液を取り、DNAに作用して巨大化する薬を提供してやったというのに、感謝するどころか逆に指図してくる始末だ。

 ヴォーダンFが騙したのはカズヤだけではない。トモキを騙すためには相当の金を使った。空き物件に雇った地球人を集めて、もっともらしい画面をモニターに映し、宇宙や海底を走査しているように見せかけたのだ。だが当初の目算は狂った。煽ってカズヤとの相打ちを狙っていたのだが、妙に拘りが強く、思惑通りに動いてくれないのだ。

 穂積は地球人のように、こめかみに指を当てた。理解不能な現象に対し、比喩でなく本当に頭痛が起きるのはヴォーダン特有の症状である。

(見切りをつけるか)

 穂積は、怪獣発見の報せが入ったと言って外に出た。雑踏の中、携帯電話を取り出し、地球人には理解できない言語で喋った。

「怪獣の手配をお願いします。ええ、今からお伝えする四体です」


 三日後、日曜の夜。

 営業終了間近の〔ラーメン菱美〕の小上がりで、二匹のナマコが打ち上げられ……。もとい、エレナとベクターの二人がうつ伏せでへばっていた。

「し、死ぬ。朝も早うから暴言の鞭でウチをしばき倒しおって。ウチは宇宙一不幸な美少女や」

「やめんか。二方面から苦情が来る」

「二人してうつ伏せになってピクピクうごめかないでくれよ。瀕死のゴキブリと勘違いされる」

 テーブルを拭きながら、カズヤは苦情を申し立てた。エレナは地球留学のレポートが溜まりに溜まっていて、昨晩が提出期限だった。それをつい先刻聞かされたベクターは、つきっきりで手伝いをしていたのだ。

「昭和に絶滅したと思われた『宿題を夏休み最終日までやらない小学生』が、ここに生存していたとは」

 ユウやアキラに教えないのはせめてもの情けである。エレナは長文のアストロサイン作文を送ったおかげで、エネルギーを使い果たしてしまった。

「俺はというと、ええとお分かりですかね皆さん? 四則演算ができてない子供に、因数分解を教えるようなもんですよ!」

「誰に言ってんだよ、ベクター」

「とにかく、うちは寝るで〜。いやその前に、がむばった自分へのご褒美にオリエンタルライス(つまり中華風トルコライス)大盛り一丁や、おっちゃん!」

「俺も自分へのご褒美にジョッキ生! あと餃子も」

「なんか二人とも、うちを実家と勘違いしてるだろ」

 自分も風呂に入ろうとしたカズヤだったが、スマホが鳴った。

「お二人さん、疲れた頭にいい気分転換だ」

「なんかいやーな予感するなあ」

 エレナが、むっくりと起き上がった。

「日本の複数箇所に、同時に怪獣が出現した」

 怪獣は新潟・和歌山・宮崎の三箇所に出現。ATMとの連携作戦で、自衛隊はアストロマンとともに各所に向かった。部隊を展開しやすい新潟は陸上自衛隊を主力とし、残り二箇所は住宅街に近いため、カズヤとエレナを輸送機で運んでもらう。たまたま昼食をとりに来ていたベクターも、ついでにエレナに同行させられた。


「これで関東には、アストロマンは不在になった。僥倖だな。アストロマンが危機に陥らずとも、君は堂々と新ヒーローの仲間入りができるというものだ」

「アストロマンヘプタとも戦ったグレイキングにギガス、バンドロンか。火事場泥棒みたいで、気に食わんがな」

「まだそんな注文を……」

 火事を引き起こしたのはヴォーダンなのだが、視野が狭くなっているトモキは知る由もない。二人は、CL級巡視艇に偽装したクルーザーで東京湾を北東に向かっている。同乗して操船している〔海上保安官〕は、またしてもヴォーダンFが雇った人間だ。

「そして君たちが、海浜市に接近する怪獣を検知したと」

「怪獣出現と同時に、自衛隊に一報が入る。君はその前に巨大化し、新たなアストロマンとなって、怪獣を食い止めてほしい」

「よかろう」

 トモキの返事が合図となったか。海浜市にある、世界的にも有名なテーマパークの地表が割れた。天災の警報と聞き間違えるような「声」が響き、来客や周辺住民に異変を兆しださせた。

 埋立地の亀裂から這い出す怪獣。濃紺のガマガエルのような巨体。

「あれが、検知していたっていう怪獣か?」

「〔ギギレデル〕という。とある惑星の森林地帯に生息していたものを、ヴォーダンが圧縮冷凍して地球に運び入れた――。という情報が入っている」

 運び込んだ側の穂積が答えた。

 トモキもスマートフォンでニュースを確認する。ちょうど取材に来ていたTV局のスタッフが、怪獣や逃げる客たちを映していた。だが客は逃げ惑うのではなく、避難している。レポータもきわめて冷静だ。悲鳴こそあげたものの、従業員の指示に従い、地下避難路を落ち着いて進み、脱出していた。

「この二十年で百体以上の怪獣が出現したが、地球人も対応に慣れてしまったな」

 竜巻や津波や感染症のようなもので、対処を間違えなければ被害は少なく抑えられるのだ。

「ちょうど、アストロマンカズヤが宮崎の怪獣を倒す頃合いだ。戻ってくるまで三十分といったところか」

「あのギギレデル、ただぼーっと歩いているだけに見えるが」

「放置すれば好物である東京湾のフルボ酸鉄を食い尽くす。この一帯の海ではヘドロが分解されず、海藻も生えない死の海になるぞ」

「江戸前の寿司が食えなくなるか」

 海浜駅の北側にはオフィスビルが立ち並んでいるが、休日の夜でもあり、ほとんど明かりは灯っていない。無灯火のビルが街灯に照らされ、墓場のような光景である。

「あれを見ても、そんな不謹慎なことが言えるのかな?」

 ギギレデルは、テーマパーク側からJRの線路を乗り越え反対側のオフィスビル街を俯瞰した。大きく、それこそガマ口のように開いた口から、緑色の液体が吐き出される。

 無造作に吐き出された体液はビルに付着すると、ビルのコンクリートや鉄筋を溶かした。塩素ガスの発生とともに、ぐずぐずとビルは崩れていく。

「フルボ酸鉄を効率よく摂取するために、ギギレデルは強酸の胃液を吐き出し、余分なものを溶解する。無機物であろうと有機物――。つまり生物であろうと関係なくね」

「無人のビルだから関係ないだろうが。いや、あのフロア、照明がついているぞ!」

「そのようだな。避難指示は出ているはずなのに」

 逃げろ! というトモキの叫びが届くはずもなく、休日深夜に稼働していたビルは頭から酸を浴びせられ、休日深夜に出勤していた社員たちごと溶かされた。

「自衛隊やアストロマンを待っているつもりだったが、仕方ない。出るぞ!」

「だったらこれを着たまえ。君に頼まれていたものだ」

「おお、遅かったじゃないか。ぎりぎり間に合ったから、まあ許容範囲としよう」

 穂積は、トモキに銀色のウェットスーツのようなものを手渡した。

「旧ATMが解散直前まで研究していたデータを引き継ぎ、自衛隊が局地用として開発した新型戦闘服だ。千倍に拡張するだけではなく、怪獣の皮膚並みの強固さを保つ。頭部もすっぽり収まるが、視界は確保されるぞ」

 トモキは、穂積に巨大化するための注射を射ってもらうと、パンツ一丁になって〔新型戦闘服〕に身を包んだ。

「いつもの倍で、約五分後に効果が出てくる。膨張は指数関数的だから、私は離れておくぞ……。おい、震えているのか」

「ふふ、武者震いというやつを体感するとはな」

 銀色の全身タイツ姿のトモキは、海に飛び込んだ。東京湾を泳ぐうち、トモキはずんずん大きくなっていく自分の体を感じた。泳速が上がり、海底に指先がつくようになった。足がつくようになったので、立ち、海浜市に上陸し、ギギレデルに向かい、足元を照らされたビル街を走る。スーツのおかげで風も感じない。

 ギギレデルは、トモキを前にしても動じなかった。同族が接近したとでも思っているのか。

「そんなに鉄がほしけりゃ食わせてやる」

 トモキは、足元に放置されていた自動車をつかみあげ、ギギレデルの口に投げた。フルボ酸鉄ではない鋼板の味はお気に召さなかったらしく、銀紙のようにクシャクシャにした自動車を吐き出した。

 トモキは走り出し、ギギレデルが吐いた胃液を上半身を屈めて躱し、半円形の顎にアッパーを見舞った。

(この日のために、樫の材木相手の正拳突きを続けてきたのだ)

 皮膚や脂肪が薄い部分の内臓や細い骨を折っていけば、勝算はある。たしかに、ギギレデルは怯み、あたり構わず胃液を吐き散らした。顎をぶつけられ、トモキも横にふっとび、ビルにのめりこんだ。

 トモキへの攻撃は意外な方向からなされた。背中に、焼串を刺されたような痛みと熱さをおぼえ、トモキはたまらず振り返った。

 自衛隊の高速装甲車の砲門が、自分を向いている。

(何故だ?)

 夜間ということもあり、ひょっとして、自分を怪獣か侵略性宇宙人と間違えているのではないか。トモキは「違う。私は敵ではない」と叫んだ。が――。

(声が出ない?)

 トモキの喉から出される音声は、人間のものとは程遠い。それこそ怪獣のものと変わらない、低い声だった。何度試みても、同じだ。首を捻ったり、上下に揺さぶって「人間の」声がでないか足掻いているうち、ふとビルの窓に映る自分の姿が目に入った。

(なんだ、これはっ?)

 自衛隊のヘリのサーチライトが、より姿を明確に映す。トモキの全身は、ごつごつとした岩肌のような皮膚に覆われていた。目の部分は楕円形の水晶体で、一つ目の奇怪な獣にしか見えない。

「ようやく、自分の姿にご対面できたようだね」

 穂積の声だ。トモキの脳内に直接語りかけてくる。

 尋ねられるのを待たずに、穂積はべらべらと喋りだした。自分が本当はヴォーダン星人であること。カズヤだけでなくトモキをも、エキストラを多数雇って騙したこと。トモキに着せたのはバレードという怪獣の皮膚で、冬眠時には体が人間サイズにまで縮小し、皮膚の形質が変わること。もとのサイズに戻ると同時に、もとの形質に戻ること。

「声が低くなったのは私の責任ではないよ。考えてもみたまえ。君の体のサイズは約一万五千倍。舌や声帯もその分太くなっている。人間の可聴域のはるか下の、一キロヘルツ程度の声しか発せられない」

(だが、アストロマンカズヤは仲間と会話しているぞ!)

「まがりなりにも彼は本物の血を引いている。仲間となら音声でなく、『念波』で会話できる。君もやってみたらどうだ?」

 トモキは自分を狙うヘリコプターや装甲車に心で語りかけてみたが、答えてもらえるはずもなかった。

「できるわけもないな。能力云々以前に、君には『仲間』がいなかったんだからな。君が毛嫌いしていた柿本という男と、本質は同じだ。君の頭にあるのは、常に自分の能力を見せつけ、他人を見下すことだった。ひねた承認欲求の怪物だよ」

(貴様、何が目的で――)

「君みたいな自己顕示欲の持ち主は、この地球にいくらでもいる。そいつらを自我を残したままで怪獣化させる。死んで解体されたあと、中身は地球人でしたと判明する次第さ。やがて中身が地球人であろうがなかろうが、躊躇せず殺すようになる。同胞同士で殺し合う姿は、最高の見世物じゃないか。さあ、餞別がわりのその毛皮は、いつまで君を守ってくれるかな?」

 ヴォーダン星人Fは、それきりぷつりと念波を切った。トモキがいくら呼びかけても、答えは帰ってこなかった。


   Ⅲ


「さすがに僕でも二体同時に相手にはできないぞ」

 宮崎から海浜市に直行したカズヤが見たのは、二体の怪獣が取っ組み合う光景だった。

「どっちがどっちの餌なんだ?」

「うーん。雌を巡っての雄同士の戦いかしら?」

「お前も罪な女だな、ユウ」

「そうそう宇宙怪獣と地底怪獣の両方からモテてモテてMMK――って阿呆!」

「痴話喧嘩の最中だが失礼するぞ、カズヤ。自衛隊でも扱いに困っているが、連中が暴れるたびにビルが潰されて金銭的被害が出ている。しばらくはあのガマガエル怪獣の溶解液を避けながら相手してくれ。その間、解析を進める」

「解析って、あの見るからに臭そうな涎のか、シンイチ?」

「それもだが、片方の、体格が人間に似ている怪獣だ。過去に出現した怪獣と、類似した個体が見つからない。それに発している声のパターンが、既存の怪獣のものとも異なる。言語解析が得意な部門に回してみる」

「それと、カズヤ」

 アキラが割り込む。

「あの人に似ている方の怪獣、知性があるのかもしれない。言語での会話は無理だろうけれど、コミュニケーションを試みてくれ。被害を抑えられるかもしれない」

 カズヤは、しばらくの間、ギギレデルが吐く胃液を、ナットリウム光壁で遮り、被害を抑えるという地味な仕事に没頭した。その間、トモキは火砲から逃げ惑っていた。

 そして十分後、シンイチから指示が入る。

「今から言う座標めがけて走ってくれ。北北東三キロに肥料工場がある。社員が集まって、照明をつけて迎えてくれるからすぐに分かるはずだ」

 言われたとおりに走ると、わかりやすいように円筒形のタンクに青色の照明が当てられていた。

「これが中和剤か?」

「少し違う。米糠や油粕、魚粕を発酵させたEMボカシというやつだ。百五十トンあるが、持てるか?」

「わけもない」

 人間であれば十キロ程度だ。カズヤはボカシを鉄製のタンクごと持ち上げると、走って戻った。

 海浜市では、トモキがカズヤの代役を試みていた。自分が「敵」ではないとアピールするのに必死だった。ギギレデルの胃液を正面から浴びて、トモキは火傷のような痛みにうめき、たまらずのけぞった。

 そこに、ギギレデルの額めがけ、ビルを足場にして跳んだカズヤの上空からの蹴りが入った。ナットリウム光壁の応用で、額に蹴りが命中する瞬間にエネルギーを爆発させる。頭に衝撃が弾け、ギギレデルはのけぞった。 

 トモキとギギレデルの間に割って入る形になったカズヤは、トモキをきっと睨み、制止するように左掌を立てた。

 自己顕示欲のためではない、純粋に、命がけで戦ってきた者のみが発せられる無言の圧力に、トモキは動けなかった。

 トモキは自分が唯一できることを見つけた。来た道を逆に辿り、海へと逃げだした。

「はるばる宇宙からようこそ。ごちそうで歓迎してやるよ」

 カズヤは、金属製のタンクを、胃液を吐き出そうとするギギレデルの口に投げつけてやった。異物を押し込まれて戸惑っているところに、またしても飛び蹴りでタンクを押し込んでやる。たまらず飲み込んでしまったタンクは胃袋の中で溶け――。

「離れろ、カズヤ」

 ギギレデルの腹が膨張する。ATMの解析により、ギギレデルの胃液とボカシは極めて相性が良く、反応して多量の水素ガスを発生することがわかったのだ。

 腹が半球状に膨れたギギレデルは仰向けにひっくり返り、全く動けなくなった。腹は文字通りガスタンクのように丸く膨れ上がり、仰向けのまま、その場でぷかりと浮かび上がった。

「植物が豊かな星なら特に害はなかったんだろうけれど、連れてきたやつらを恨んでくれ。じゃあな」

 カズヤは、そのままギギレデルを東京湾まで引っ張っていき、押し出してやった。十分に陸地から離れたところで、航空自衛隊の攻撃機にミサイルを撃ち込まれ、ギギレデルはシャボン玉のように弾けて散った。


「最後まで悪あがきするかと思ったが、逃げ出すとは。少しは知恵が回ったらしいな」

 ヴォーダンFこと穂積は、クルーザーを手近な波止場に泊めると雇ったスタッフを解散させた。経済的損失は大きかったが、地球人を怪獣化する目処はついた。異星から怪獣を運んでくる必要はない。第二第三のトモキを探し、地球人同士、殺し合わせれば良いのだから――。

 夜の散歩と洒落込みながらそのような算段を立てるヴォーダンFだったが、三十分も歩くうち、異変に気づき始めた。自分の背後に、地球人たちが集まってきているのだ。

 数十メートルを空けてはいるが、一人、二人、三人と脇道から合流し、数十人が集まっている。警官や自衛官や消防団も混じっているが、高校生を中心に、大学生、明朝出勤を控えているはずの勤め人もいる。

(ばかな。真夜中だぞ)

 四つ角にさしかかったところで、ヴォーダンFこと穂積は足を止めた。後方からだけではない。正面から、右から左から。計百人は超える地球人が集まっているのだ。

「逃がしゃしないわよ、ヴォーダン星人」

 拳に、見るからに頑丈そうな手袋を嵌めて進み出たのは、高峯ユウだ。

「地球人を舐めるんじゃないわよ。さっきの怪獣の一体が不自然な動きをしていたから、誰かが近くで高みの見物決め込んでると見当つけといたのよ。出現したのは東京湾だから、船からじゃないかとあたりをつけて、ATM臨検部に調査させたら大当たり。近辺をうろついている船を片っ端から照合して、怪しい船をマークしていたのよ」

〔臨検部〕とは、もともと護衛艦や巡視艇や軍艦が好きな連中がシンイチに目をかけられた、ビル部同様ATMの偵察組織の一つだ。かつて、地球の船舶に偽装した侵略宇宙船も多数あったために、疑わしい船舶を探し出すという名目で権限を認められている。

「あんたが上陸地点で解散させたメンツは、今頃全員事情聴取中よ。あとはコンビニや倉庫とかの防犯カメラから情報を提供してもらって、ずっとあんたを追いかけながら、近隣のATM隊員だけじゃなく一般市民にも声かけといたのよ」

「舐められたのはお互い様だな。進化過程の地球人が、百人程度束になってかかったところで、私には傷一つつけられやしない。君たちを全員始末したあとで、のんびりと夜の散歩を続けるさ。さ、かかってきたまえ」

「あら、ヴォーダンってのは百までしか数を数えられないの?」

 言われて、あらためてヴォーダンは人数を数えた。百どころではない。ユウと問答している間にも人は集まり、現在だけでも千はくだらない。集結もとどまるところを知らない。素手派は少数で、木刀・バット・ゴルフクラブ・模造刀・鉄パイプなど、好みの凶器を手にしている。

「これだけの人数を……。いったいいくらかかった?」

「ボランティアだから、無料!」

「卑怯だぞ!」

「あんたたちの長きに渡る侵略活動のおかげで『卑怯』ってのは褒め言葉だと学習したわ。それに、『かかってきたまえ』と言ったのはそっちだからね」

 逃げ場所を塞がれたヴォーダンFに、万の暴力の嵐が襲いかかった。あまりの混乱に整理券が配られ、ダフ行為まで始まる始末だ。長い待ち行列をあてこんで臨時にラーメンの屋台まで立ち、招集されたATMはメガホン片手に列の整理に回った。

 たしかにヴォーダン星人の肉体は頑強だ。いくら凶器を持っていても、地球人が相手では子供に竹刀で叩かれるようなものだ。だが竹刀でも当たりどころが悪ければ痛い。急所を突かれればもっと痛い。それが何万発も続くのだ。

(このままでは殺される。そうだ、こんな奴ら、巨大化して踏み潰してしまえば!)

 その場で巨大化しようとするヴォーダンFだったが――。

「アストロ・チョップ」

 すでに背後に立っていたカズヤにより、脳天にチョップを振り下ろされた。


 それに比べれば、トモキはまだよかったのかもしれない。巨大化が解除され、地球人サイズに戻ったトモキは手近な波止場まで泳いでいった。ヴォーダンFと結果的に別行動となり、誰も彼を見咎めなかった。縮んだバレードの皮は銀色の全身タイツのようなものだったので、仮装と言ってしまえばなんとか誤魔化せそうだった。

 空きっ腹を抱えたまま、たまたま葛西に住んでいた知人を訪ね、叩き起こして服と金を借り、始発電車で破風雁山へと帰った。車内の乗客が、「ヴォーダン星人がボコボコに叩きのめされたあげく確保された」と話しているのを聞いてひとまず溜飲を下げた。


   Ⅳ


 それから警察が訪れることもなく、トモキには三日前の日常が戻っていた。ラジオのニュースによれば、海浜市で溶かされたビルは同窓生・柿本の会社が事務所として入っており、避難指示も無視されて多くの社員が休日出勤を続けさせられていたという。IP電話や新電力という、いわば他人のふんどしで相撲を取る業者だったらしいが、業績は伸び悩んでいたらしい。強引なセールスが苦情を招き、逆に顧客離れを招いていた。

 柿本自身は、家族とハワイに旅行にでかけていたというが、帰国してからが地獄だ。マスコミはもちろん、遺族からも追いかけられる余生が待っているのだ。

(これが、ヴォーダンの言っていたとおり、もう一人の俺だとするならば……)

 この、ヴォーダンに道化にされかけた失敗は、誰にも見られていないだけ、かえって幸運だったのかもしれない。

(久しぶりに、マドカやシンイチに連絡を取ってみるか)

 と――。

 作業小屋の扉を、ノックする者がいた。

 またシンイチたちか? と思って出ると、そこにいたのは、中年の髭の男と、大学生らしき男女の一団だった。

「初めてお目にかかります。私、城北大学で非常勤講師をしております、岩橋という者です。先日、人づてに南詰さんのお話をうかがいまして……。私どもの研究室は、縄文時代の死生観を継続課題としておりまして。そのためには山野で捕れた野生動物を実際にこの手で捌き、食べてみなければ始まらないと思った次第です。聞けば南詰さんの解体の技術は、頭一つ抜きん出ていると猟師仲間でも評判だと。ぜひとも我々に解体から調理までをご教授願えないかと。さ、皆も先生に礼だ」

 きれいな姿勢で頭を深く下げられると、「先生」という単語が、電流となって南詰トモキの脊髄を駆け上がった。


 そして、その同時刻。破風雁山から数キロ離れた湖畔のキャンプ場に、五名の男女が時間差で集まっていた。バンガローに集うと、食事の支度をするでもなく、全員がソファーに座った。

「Lはまだ着いていないのか?」

 そう口を開いたときには、全員が地球人の姿からヴォーダン星人の姿に戻っていた。まとめてGからKと呼ぶことにしよう。ここにはいない同胞を地球のアルファベットで「L」と呼んだのは、彼がそう呼ぶようにと命じたからである。

「珍しいな。今までアストロマンとATMにしてやられた連中には好きにさせていたのに、今更指示を出してくるとは」

「さすがにこれ以上の失敗は看過されないのだろう」

 そこに、バンガローに備え付けの電話が鳴った。なにかの間違い電話かとも思ったが、自分たちがここに集まっているのを知っているのは、一人しかいない。

 Hが、受話器を取った。

「つくづく君たちには失望したよ」

 受話器から流れるのは、地球人に擬態したLの声だ。ヴォーダン星人の肉声は周波数域が高く、電話回線では伝えられないのだ。

「いきなり失礼ね。あなたが命じたからここに集まったんじゃない。遅れているやつの挨拶じゃないわ」

「君たちがそこにいることは、もう管理人からATMに通報されている。地球の文化を見下すにもほどがあるぞ。食料の用意もせず着替えも持たず、キャンプ場に集まるばかがいるか!」

 慌てて外を見る一同。迷彩服をまとった自衛隊員たちが、銃を構えてバンガローを狙っている。籠められているのは、無論宇宙人用の弾丸だ。

「どのみち、自我ばかりが肥大した君たちに任せていても、いたずらに怪獣を消費するだけだ。もういい、拘置所でゆっくりしていたまえ!」

 通話が切れると同時に、無数の弾丸が惜しみなく、バンガローに叩き込まれた。


 帰宅後、〔タグ〕のカウンターに座っている男を見て、ユウは一度外に出て、ドアに下っている〔店休日〕の札を確かめた。

「すみません、今日は……」と声をかけようとした矢先、シヲリがキッチンから出てきた。

「いいのよ、ユウ。ほら、覚えていないかしら。この前シンイチ君のお父さんと、ヴォーダン星人が来店したときにも、カウンターにいたでしょう?」

 母の口から笑顔で発せられる情報が多すぎて、ユウの処理が追いつかなかった。シンイチの父親とは誰のことか、彼女は知らない。

「ちゃんと会うのは初めてよね。あなたのお父さんよ」

 男は、気まずそうに笑った。ユウは反射的に後退りしてしまったが、そのときに、隅のテーブルの辺りに転がっている、二つの直方体が目に入った。冷蔵庫ほどもある、でかい氷だ。それぞれ人間が一人ずつ入っていそうなほどのサイズであり……。エレナとベクターが閉じ込められていた。

「この二人をどうしたの? それに、お父さん、ですって?」

「そうよ。長く留守にしていたけれど、やっと一緒に暮らせる日が来たのよ。さあ、これから親子三人で仲良く――」

 高峯シヲリと、高峯ヒロシ――。ヴォーダン星人Lが、結婚式の写真のように並んだ。

「地球を征服するのよ」





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