第五話 筋肉は裏切れない
Ⅰ
地球人の姿をとると恒星エネルギー吸収効率が極端に悪くなるという点を、その時の私は失念していた。地球人的に言えば餓死寸前の状態で、公園で倒れていていたところを、林さんという華僑に救われた。自身が営む中華料理屋に私を連れていき、十分すぎる量の中華料理を食べさせてくれたのだ。彼の姓と、店のあるこの地〔麹山駅前商店街〕から名を借り、私は林田コウジと名乗った。
ATMの入隊試験を受けたのは、侵略性宇宙人の情報を効率的に集められるからだ。司令機フラミンゴや悪路走破車リンクスはアストロマンの姿に戻らずとも怪獣の近くまで到達できたし、万能戦闘機トッピーや深海戦闘艇オクトパスは、相手の戦力を測るのに有効だったが、戦力としてあてにしてはいなかった。
か弱い小動物の群れを肉食獣から守ってやる――。私ことアストロマンヘプタは、自分に与えられた〔未開発惑星の護衛〕という任務を、その程度のものとしか捉えていなかった。たかだか百年程度の寿命、十万年程度の歴史、生命を摂食することでしか生存できない進化過程の肉体。極めて貧しい財産しか持っていない種を守るのは、強者にのみ与えられた責務なのだと。攻めるか守るかの違いだけで、私は侵略性宇宙人と同様に、地球人を見下していた。アストロマンとして彼らを助け、感謝されることが当然と考えていたのだ。最大の難敵であるヴォーダン星人たちに、怪獣との戦闘を観察されていたとも知らずにだ。
ATMアジア基地の周辺を直径三十キロの分厚い雲に覆われる日が一週間続き、私はエネルギー不足の状態だった。サクマ隊員とともに雲の調査に出発し、その成分の異質さを基地に報告した直後、撃墜された。すかさずアストロマンヘプタの姿に戻ったものの、二体の怪獣相手にエネルギー不足に陥り、倒れ、絶対零度近くに凍結されてしまった。
ATMの開発部が人口竜巻を発生させて雲を払い、人工重力レンズで集約された太陽光を私に恵んでくれなければ、そのまま干物になるところだった。復活した私はトッピーの援護を受けて怪獣を倒せたが、その時のヴォーダン星人は逃してしまった。
「コウジ。あなた、サクマ隊員をおいて、一人で敵の基地を叩くつもりだったんでしょう?」
同僚の菱美リリィの指摘は、真実という的をほんの少し外しただけだった。彼女だけでなく、同僚たちは私の素性を九割方見抜いたうえで、知らぬふりをしていたのかもしれない。一人の耳目より大勢の耳目、一本の太い腕より多数の細い腕を頼みとしなくては、奸計を巡らす侵略性宇宙人には太刀打ちできなかったのだ。
リリィの助言を受け入れながら、私は少しずつ、自分の態度を変えようと思った。まずは敵基地の破壊、強敵の撃破などの〔大仕事〕を終えたあとの打ち上げだ。それまで、エネルギーにはならないアルコールなど摂る気にはならなかったのだが、交流のためにと、一杯飲んでみることにした。
望月隊長が全て奢ってくれるというので、せっかくなので銘酒とやらを注文してみた。純米酒、ワイン、シャンパン、芋焼酎、シングルモルトウイスキーといろいろ試したら、これが地球人の体に合う。戦いにこわばった筋肉がほぐれた。注文するたびに隊長の顔が青くなっていったというのは、後に同僚から聞いた。「次からは幕僚にも来てもらわないと、割に合わない」とぼやいていたとか。以後、祝勝会には必ず参加するようになった私には、〔ATMの赤い悪魔〕という二つ名が賜われていたそうだ。
我々アストロマンは、二百五十万年前に恒星のフレアバースト電磁波を受け、突然変異により鋼の肉体と超能力を得た。恒星からのエネルギーも直接享受できるようになった。実は、ヴォーダン星人を初めとする侵略性宇宙人も、同様に恒星やダークマターからのエネルギーを直接受けている。地球人が未熟で野蛮と揶揄されるのは、恒星のエネルギーを植物・動物を経由して摂取する必要があるためだ。
これが、彼らを増長させる主因となった。生きるために他の生命を犠牲にする必要がなく、余程の天変地異がないかぎり無限に存続できる。神か、宇宙の意思か、その代理人か。自らを途方もなく偉大な生物と勘違いしてしまったのだ。我々アストロマンは、幾分か自制が働いただけで、似たようなものだったのかもしれない。
さてヴォーダン星人侵攻部隊の最後の切り札にして地球最大の危機である複合怪獣ゼッペリンを倒した我々は、基地の機能の七割、予備も含めた全ての戦闘機、つまりほとんどの戦力を使い切った。武器だけでなく、誰もが傷つき、隊員として働くことは暫く不可能だった。私はこれを機に、リリィとともにATMを辞した。
同時に退職したリリィとともに麹山稲荷駅前商店街に赴いた。今後の仕事について林さんに相談すると、「自分もちょうど引退を考えていたので、店を継いでほしい」と言われた。この地で店を構えて以来、三代にわたり九十年継ぎ足してきた伝統のタレとともにだ。我々アストロの一族からすればたかが九十年だが、地球人にしてみれば三人分の人生が詰まった、命とも言える「宝」だった。
林田という借り物の姓には未練がなかったので、私はリリィと再婚した。彼女の姓を取り、〔ラーメン菱美〕の店主・菱美コウジとして、第三の人生を地球で過ごすことにした。
ヴォーダン星人の猛攻を最後に、波状攻撃とも思える侵略活動は鳴りを潜めた。旧ATMはその武装を各国の防衛組織に委ね、解散した。したがって、シンイチ君たちが立ち上げたのは名称こそは同じだが、全く別組織のATMである。カズヤが、私と同様の戦闘力を持ち、旧ATMと同程度の部隊と共闘するといっても、許さなかっただろう。私の二十五分の一にも満たない戦闘力しかないカズヤだったが、旧ATMとは比べようのない全世界二百五十万人もの隊員がついている。ある者は耳となって闇に潜む敵の情報を探り、ある者は目となって死角を補い、ある者は小刀を大剣に変える知恵を貸す。無敵の力を持つ少数ではなく、無数の微々たる力を持つものが集まり、各々の能力を活かして故郷を守る。アストロ戦士とは正反対の戦い方が、逆に私を安心させた。
遠くから終業を告げるチャイムが聞こえる。そろそろカズヤたちが、新世紀のATM隊員として活動する時間だ。
その日も新ATMの部室には、五人が集い、めいめいの時間を過ごしていた。
「メールの自動判定をバージョンアップしたら、これまで以上に振り分けられるようになってな。真実味のある通報だけが残った。疑う愉しみがない」
シンイチが、誰にともなく呟いた。
麹山高校にあるATMのPCには、毎日百通を超えるメールが届く。「怪獣の足跡を見つけた」「宇宙船が飛んでいた」「裏山で秘密基地を発見した」という内容のものが大半だが、うち半分が差出人匿名の悪戯、残り四割が気象・天文現象の見間違いだ。残った事例の検証のため、現地にATM隊員を派遣すると、基地と思い込んでいたのは遺跡や近世の文化遺産、怪獣の痕跡と思ったのは地すべりや地下水の噴出だったりする。つい先日も、「山の一部が光っている」という現象を調査しに行ったら、新種の粘菌類だった。カズヤやユウには理解できないが、シンイチに言わせれば「科学的に説明できても神秘であることに変わりない」とむしろ喜んで報告書を書いている。天文学者・地質学者・生物学者に映像を提供するとやはり喜ばれるそうな。地球防衛活動の副産物だが、彼らにとっては格好のフィールドワークだ。
今回も、一%弱の三例が残った。日本海で目撃された巨大生物の正体は、宇宙から飛来した巨大生物で、近隣の水産資源を食い荒らすため、ミサイルで処分された。山の中の発光現象は成長した宇宙アメーバで、放置すると土壌中の有機物を全て吸収してしまうために菌を植え付けて処分した。
「さて困ったのが、残る一通の処遇についてだ」
「シンイチがなにか言ってるから休憩しない、ユウ?」
「駄目。そのまま」
部屋の隅では、カズヤがユウによる監視の元、ひたすら座禅を続けている。今回の訓練は精神世界に入る必要があるらしい。反対側ではアキラがソファーに寝そべってギャグマンガを読み、エレナがぶらさがり健康器でコウモリになっている。
「話し相手が欲しいのかい、ホームズ?」
アキラが訊ねる。
「探偵を気取るつもりはないが、君の意見を伺いたいね、ワトソン」
「宛先を間違えた恋の相談かい?」
「当たらずしも遠からず。知り合いの女の子が、宇宙人かもしれないというご相談だ」
「ほほ~う」
アキラだけでなく、ユウとエレナも首を回した。
「『同級生に、最近気になりだした女の子がいる。一見すると普通の家族だ。先日父親が死去したのだが、忌引明けに登校したところ、同級生が漏らしていたのを小耳に挟んだ。『銀行や保険の手続きなど、多忙な母に代わって自分が書類を書いたりしたのだが、なぜか市役所にだけは行かないよう言われた』と」
「役所に行かれると、まずいことでもあるのかな?」
カズヤが座禅を続けながら言った。メールには、集合写真から切り抜いたと思しき、同級生とやらの写真が添付されている。
「土地や建物の相続の際は、縁戚関係を証明するために、戸籍謄本が必要になることがある。それも、祖父母の代から載っているやつがね」
アキラが補足した。
「自分たちの間に血縁関係がないことが分かってしまう……。本人じゃなくて、親が宇宙人かもしれないって? 考えすぎじゃないのか。たとえば養子だったら、本人が成人するまで教えたくないのかしれない」
「普通ならそう考えるのが妥当だ、カズヤ。だが、差出人を見てくれ」
「〔市立月雲農業高等学校二年・菅原タカカズ〕。月雲市って、ここからちょうど東京湾を挟んで反対側にあるよな。それがどうかしたのか?」
「月雲市――。そうか」
アキラがソファーから飛び起きた。
「二十余年前、ある宇宙人の一団が地球への移住を目論み、日本に飛来したことがある。拠点にATMが突入し、半数は捕獲したが、残り半分には逃亡を許してしまった。その拠点となったのが、月雲市だ!」
「なんか、久しぶりにそれらしい出番だな!」
座禅から立とうとするカズヤを、ユウが押し留めた。
「駄目よ。アストロマンの出番は最後なんだから。そうでしょ、シンイチ」
「そうだな。まだ調査の段階だな。それに、我々には本分たる期末考査が待ち構えている」
カズヤとユウが「うげぇ」という顔をする。
「というわけで……」
「ハーイッ! ハイッ! ハイッ! ハイィィィィッ!」
中国武術の道場のような奇声とともに、逆さ吊りのエレナが力いっぱい手を挙げた。
「ウチが行くで! テスト関係あらへんもんな!」
コウモリというよりは猿のように、ぴょんと飛び降りる。
「よかろう。決定だ」
「よろしく頼むわね、アキラ」
「え? え? いつ決まったの?」
「消去法でそうなるだろう。エレナはまだ地球の文化と風俗と習慣に不慣れだし、お守――じゃなくて後見人としては君が最適だろう」
「プータロー学生だしな」
「いいわねえ優等生様は」
カズヤとユウは悪意分が多い羨望の眼差しを送った。
「全然言葉に実感がこもってない。羨ましがってる顔じゃない!」
「よろしゅう頼むで、守屋くん」
月雲市は、麹山稲荷から神奈川急行に乗って新橋で乗り換え。東京から内房線に乗りかえて、三時間ほどの距離にある。千葉県房総半島の西岸に位置する市だ。
「中途半端な出張だ。しかも……」
「いやー、中距離列車なんぞ乗ったのは初めてや。マッハ五で飛ぶんとは違ったオモムキやな~」
アキラの隣では、エレナがロングシートに反対向きに座り、車窓の光景を堪能していた。
「鉄道を楽しんでいるあたりは感心するけれど。十年前倒しで子連れ旅行してる気分だよ」
「なんやアキラ、二十代前半で結婚するつもりやったんかいな。その性格やったら相手選ばんと、三里塚離婚どころか式場離婚やで」
「なんでそんな地名と用語知ってんだよ。ボクだって普通の女の子の夢くらい見るわ!」
「まあ初日からそんなイキるなや。首都近郊やけど楽しい出張や。とっとと依頼人探して千葉県名物の――。あれ、ピーナッツと闘争小屋以外に、なにか名物ってあったっけか?」
「千葉県民に失礼だね。芝山鉄道、流山電鉄、いすみ鉄道、銚子電鉄、千葉都市モノレール、ユーカリが丘線と、日本人なら一度は訪れるべき聖地がメジロ押しじゃないか。ちなみに月雲市は内房線の、かつての快速停車駅。ついでに菠薐草や葱などを栽培する他、東の丘陵地帯では酪農も行われて、東京に生野菜と乳製品を供給している」
「偏った教養やな」
月雲駅には十六時過ぎに到着。アキラたちの他にも、若干のビジネス客が降車し、入れ替わりに学生たちが乗車した。駅舎もラーメン店がある他はいたって平凡だし、駅ビルもスーパーの他、ドラッグストア、百均ショップ、クリーニングのチェーン店が入っているごく平凡なもの。侵略性宇宙人が狙うような、軍事や科学の最先端設備があるとは思えない。
「さて、とりあえず情報収集やな」
「心得てるじゃないか」
「刑事ドラマの基本やで。本人に話が聞けんとなると、友達でも探すか?」
「それについては妙案がある。ほれ」
アキラが指し示す先に、地元のファミリーレストランがあった。放課後ということもあり、下校途中の学生たちの他、子連れの主婦で賑わっている。店内には、ポップスをアレンジしたピアノソロのBGMが流れていた。
「噂話を大音量で提供してくれるカオスな時空だよ」
平凡そうなファミリーレストランに見えたが、待合席横のスペースに、奥行き一間、横六間、高さ一寸ほどの、一段上がった床が設けられていた。季節に応じて、例えば七夕の笹飾りやクリスマスツリーでも置くスペースだろうかと、アキラはみなした。席に座り、〔私の嫌いな鰊のパイ〕と〔シュールストレミングのサンドイッチ〕を注文する。
「んふっふ~。経費から出して貰えるとは役得やな」
「メニューを舐め回すのはいいけど、ちゃんと財布の中身と相談してくれよ」
「何言うとんねん。シンイチから銭もろうとんのやろ?」
「ボクは知らないぜ。てっきり君が経費を預かってるものかと」
「何の話や」
嫌な予感に促され、アキラは、その場でシンイチに電話をかけた。
「もしもし、シンイチかっ? 合資会社アキラ&エレナ商店が債務超過に陥りそうだ。経費くらい前払いで渡してくれよ!」
「合弁会社のほうが似合ってるんじゃないのか?」
「あかん。やらかしてもうたわ。こっちの〔ザブトンステーキ五百グラム〕もありやったな」
「そうそう二人揃って無駄に舌が回って全く役に立たない方面で弁が立つからねえって、ぃやっかましいわ!」
「ネット経由で君の口座に振り込む予定だったが、サーバが故障してできなくなった」
「〔バッテラとゴマサバのセット〕かぁ。健康のためにEPAもとらんとなあ」
「早くメンテしてくれ」
「我が校は、卒業生が自前で構築したサーバをそのまま使っていてな。誰か直せそうな生徒を探している最中だ」
「〔チキンと鮭のタルタルソース・季節外れのクリスマスセット〕か。悩ませるわぁ」
「ここ日本だよね。しょっちゅう民族紛争とかクーデターが起きてる国じゃないよね?」
「そのうちなんとかなるから、のんびり構えていてほしい。活動費をネット投資で増やそうとして、溶かすよりはましだろう」
「どこかで聞いた話ですなあ、おい!」
それ以上話しても埒が明かないので、アキラは精一杯の抗議の意を込めて電話を切った。
「よっしゃ決めたで。お姐ちゃ〜ん、〔ハンバーグととんかつとエビフリャーの全部乗せカレー〕頼むわ! ご飯も福神漬もラッキョも大盛りでよろしゅうな」
「いいかげん危機感を共有していただいてよろしいでしょうかねえ、そこの宇宙人ッ!」
「そうイキんなや。ちゃんと分けてやるさかい」
「現在のフレアバースト胃袋状態では入りそうにないないない。二人そろって食い逃げするか、警察に突き出されるかの瀬戸際なんですけど!」
苛立つアキラを更に苛立たせるものがあった。待合席にいた二組の高校生グループが、割り込みがどうのこうのと騒ぎ出したのだ。
「おもしれえ、やろうってのか?」
「ステージに上がれ!」
そこは「表にでろ」なのでは? アキラは訝しんだ。それとも月雲市ではステージがどうのこうのとは喧嘩の売り文句なのか。いずれにせよ自分は経費が振り込まれるまで、スマホとにらめっこでもする他ない――。そう思うアキラだったが。
突如、店内のBGMがアップテンポ調に変わった。
「な、なんだ?」
顔を上げるアキラ。男子高校生は、くだんのステージに上ったかと思うと、おもむろに上着を脱いだ。制服の下には、彼女も感心してしまうほどの筋肉が漲っていた。店内の客も、子供から老人まで、いっせいにステージを向く。
「フロントリラックス!」
男子高校生二人は正面を向き、両腕を少し開いて下ろしたまま、ゆっくりと回った。
「ほう、僧帽筋と三角筋と広背筋と大胸筋と外腹斜筋と大腿四頭筋のアピールやな」
「ねえエレナ、あれって見たところボディビルだけど、なんで君詳しいのさ?」
「戦士に筋肉の知識は必須やで」
「偏った教養に見えるけど」
続いて正面を向いて、ガッツポーズの要領で両腕を掲げる「フロントダブルバイセップス」。ボディビルの肖像画ともいえるおなじみの体位である。
「サイドチェスト!」
「バックダブルバイセップス!」
「アブドミナルアンドサイ!」
ただ黙って見ているわけではなく、観客からも「筋肉の集積回路かっ!」「筋肉の福袋かっ!」などと声が飛んでいる。
「モストマスキュラー」が終わったところで、各自自由なポージングに入る。そこで、ただ黙って見ていたアキラとエラナにも「お前らもなにか気の利いたこと言え」という無言のプレッシャーがかかった。
「き、筋肉のコキ二十六連桃太郎かっ!」
アキラの一声に、店内が音を失った。BGMだけが気まずく流れていた。
「何ですねん、それ?」
冷え切った目と声のエレナ。
「え、EF210が牽引する、六百五十トンを一気に運ぶ日本最長編成の貨物列車をご存知ない? 日本の物流を支える最上級の賛辞なんだけど」
「鉄女知識を一般化するなや。ほれ見てみい、お客さんもステージ上の兄ちゃんたちも、リアクションに困った顔しとるやないかい。声の消えた店内にBGMだけが景気よく流れて、賛辞どころか大惨事の脱線事故やで」
扱いに困った視線がアキラを責め立てる。
「しゃーないなあ」
水銀並みに比重の重い空気を、エレナはかき分けかき分け前に出て、ステージに上った。
「鉄道ネタで空転した相方の不始末、こんなんで堪忍したってや」
エレナは男子高校生たちの背後に回ると、右手と左手を股の間に差し込み、えいやっと持ち上げた。
体重七十キロを下回らない二人を、である。
どよめきが戻り、観客がぐるりと円弧状にエレナを囲む。
「あの服の下、どれほどの筋肉が?」
「見たい。見たいわ。その娘の裸を見せて頂戴!」
「君、水着がないなら僕が買ってきてあげるから脱いで!」
「ここは変態の扇形車庫かっ!」と頭を抱えるアキラだった。
観客の熱量がとんでもないことになって来たうえに、持ち上げられている男子高校生たちも股間に全体重がかかって恍惚とした表情になっている。持ち上げられながら和解の握手もして、いつの間にか騒動はアキラには理解不能なベクトルで解決していた。
「ほれアキラ。なんかご褒美にここの商品券もろうたで」
「うん。凄いっす。レストレード警部と連れ立ってる気分だよ。ああ、これは褒め言葉。ホームズ自身も彼の粘り強さについては評価してるからね。冷たい霧雨の中を何時間も張り込んだり、ブルドッグみたいに食らいつく体力の方が、実際の捜査では大事だから」
とりあえず腹ごしらえをすると気持ちに余裕が出てきた。アキラはスマートフォンを取り出し、シンイチがまとめた月雲市に関する資料に再度目を通してみた。後回しにしておいた「その他備考欄」だ。
「筋肉が資産として通用する特区か。やっと合点がいったよ」
二十余年前に宇宙人が逃亡し、そのまま行方をくらませたあと、当然ながら月雲市での騒動は収まらなかった。警察や防衛隊に巡回を要請したが、月雲市だけに人員を注力するわけには行かない。自警団を編成しても、日本の法律では木刀一つ持ち歩けない。頼れるのは己の体一つ。と、にわかに巻き起こったのが格闘技ブームだった。
「当時の月雲市には、いろんな流派の道場が乱立してたみたいだ。中には不名誉除隊された自衛隊員とか暴力団員がテキトーな看板を掲げたのもあったらしい。……嘘だろ、道場破りまであったのか」
やがて侵略性宇宙人が鳴りを潜めると、持て余した筋肉を互いに自慢するようになった。一過性のブームが姿を変え、月雲市のボディビル文化に変わって根付いている。
「ほれ見てみいアキラ。ここだけやのうて、向かいの喫茶店にもその二階の学習塾にも、トレーニングの道具やステージがあるみたいやで」
「ああ本当だ。ちょうど今、ママ友グループ最下層の主婦が筋肉を披露して、カーストをひっくり返したところだな」
とりあえずシンイチがエレナを同行させた理由が、やっと理解できた。
「あなた、いい筋肉してるわね?」
おもむろに声をかけてきたのは、眼鏡をかけ、セミロングの髪を後ろで束ねた少女だった。制服から見るに自衛隊のスカウトではなく、どこかの高校の生徒らしい。
「おおきに。顔と性格の次に褒められとるで」
「しかも市外の人ね? 他所の人があれ見ると、ドン引きして半分近く帰っちゃうのよ。でもあなたの筋肉との相性は良かったみたいね」
「まあ本能もしっくり来たけどな」
「なんで地球人のボクを飛び越えて、サックリ溶け込んでるのかな、この宇宙人は――。おや?」
と、アキラは、スマートフォンを取り出し、画像一覧を見た。女子生徒の顔に見覚えがあったのは、はたして気のせいではなかった。
(メールにあった、例の宇宙人疑惑の当人じゃないか。名前は確か、井手口ヒトミといったな。偶然にしては、できすぎてるか?)
「私も転校組だから、よそからの人には積極的に話しかけるようにしてるのよ」
(いちおう辻褄は合う、か)
「実はな……。話しかけてもろうたんもなにかの縁。うちら、こういう者でな」
「あ、こら――!」
アキラが止める間もあればこそ。エレナは不用意といえるほどに、携帯していたATMの隊員証を取り出し、ヒトミに見せた。
「極秘調査で来とるんや。学校のみんなには内緒やで」
「まさか、この月雲市に宇宙人の前線基地とか?」
「それをこれから調査したいところなんやけどな――」
そこで、エレナは意味ありげにアキラに目配せした。
(こいつ……。仕方ない、乗ってやるよ!)
彼女の意図を悟ったアキラは、調子を合わせた。
「ボクたちは特命を受けて先行調査に来たのだが、いかんせん、女子高生二人がビジネスホテルやネカフェに寝泊まりしてはたちどころに噂になる。ボクたちの本部との連絡に適している拠点を探しているところなんだ。機密保持にご協力願いたい」
「要は、どっか泊めてくれそうな所を探しとるんや。できればタダでな」
「だったら、うちに来ればいいわ。あなたたち二人が泊まれるくらいの、ちょうどいい部屋があるから」
ゲンキンなことに、アキラもちゃっかり、心のなかで「ラッキー♪」と叫んでいたのだが。
「よくもまあ図々しく『泊めて』なんて言えたもんだ。アストロ戦士ってのはもれなく心臓に毛が生えてるのかい」
「いかなる時も勇気を持って、とらのあなに飛び込むのがアストロ戦士の心得やさかいな」
「『勇気』って単語が迷惑そうな顔してるよ」
井手口ヒトミの自宅は、駅前からバスに乗り、三十分の距離にあった。バスは市街地を出るとしだいに速度を上げ、市東部の丘陵地帯を登っていった。街灯も少なく、中央分離帯もなくなる。途中、空のダンプカーとすれ違うたび、ヒトミは眉をひそめた。
「着いたわ」
ヒトミに連れられてバスを降りると、目の前には長大な柵と草地が広がっていた。
「ここは……」
「井手口農場にようこそ。ちょうど外国からの実習生が逃げ出しちゃってね。調査ってことは一週間はいるんでしょ? じゃ、起床は朝の四時ね」
Ⅱ
「寝床だけじゃなくタダ飯なんて、話がうますぎると思ったんだよなあ」
翌朝四時に起床し、牛舎の掃除に乳牛の乳搾りまでさせられ、アキラのエナジーインジケータは早朝から赤く点滅してしまった。
井手口農場の敷地は、地方の小学校程度だろうか。牛舎の他には母屋稼業として酪農を営んでいたが、三年前に父親が急死。以後、アルバイトや技能実習生で労働力を賄ってきた。だが最近は酪農以外にも「割の良い仕事」があるらしく、夜が明けると逃げ出している例が多くなり、確保が難しくなっているという。銀行から融資を受けてまで建てたという宿舎はがら空きだった。
「あんたもどこからか人手を探してくるなんて、やるようになったわね」と、ヒトミの母親まで二人を労働力として歓迎した。それでもアキラは知能指数を有効に使い、作業を手際よくこなした。元気なのはエレナで、牛に噛まれたり舐められては喜んでいた。
チーズにバタートースト、ヨーグルトといった自家製品に加え、乳牛を潰した焼肉を朝から堪能する。体にこびりついたアンモニア臭を二度目のシャワーで洗い流すと、二人宛にシンイチから小包が届いていた。市立月雲農業高校の制服とジャージである。
「うわ、ぴったり。シンイチのやつ、いつの間にボクたちのサイズを測ったんだ?」
メッセージのたぐいは同梱されていない。潜入捜査しろという意味だろう。こんなものより、早いところ送金してほしいのだが。エレナは地球の制服が気に入ったらしく、姿見の前でくるくる回っていて、「バスに間に合わないぞ」とせかされる始末だ。
「搾乳って、普通機械でやるものだろ? なんでわざわざ手作業にする必要があるのさ」
「『女子高生が絞った』って銘打つと、よく売れるのよ」
「さっき写真撮ったのはそのためか」
途中のバス停で、男子生徒が一人乗ってきたので、ヒトミはつり革を渡って近寄り、話しかけた。
「あれは……!」
「ウチも見たで、メールを送った張本人やな」
菅原タカカズだった。身長は百九十センチ近くあろうか。高いだけでなく、肩幅もある。揺れる車内でも動じず立っている。髪は無造作だが、顔にはニキビ一つ出ていない。スポーツウェアのモデルが務まりそうなバランスの良さだ。ヒトミと二言三言会話しているところを見ると、やはり二人は同級生らしい。
「それにしても君、よく牛糞の始末が務まったな」
「アストロの星の住民は、基本恒星のエネルギーの直接吸収やからな。モノ食わへんし、よってウンコもせえへん。ウンコの臭いは希少な体験、帰ったら自慢できるで」
「ウンコウンコ連呼すな。アストロマンがスカトロマンでしたなんて、勘弁してくれ」
月雲農業高校に着くと、二人はヒトミたちと別れ、職員室に向かった。タカカズには、東京からの実習生とかなんとか説明していた。
二人を応対したのは、成美マキホという若い女性教師だった。ショートヘアで、体育教師でもないのに上下赤のジャージを着ている。彼女だけでなく、校長も教頭も教務主任も、教職員室にいる職員全員がジャージを着ていた。
「麹山高校でも、私が部長になってボディビル部を立ち上げることになりまして。先進校たる貴校の取り組みを参考にさせていただきたいと思いました」
「よろしゅうにな」
アキラのでまかせに、エレナも調子を合わせる。そのような「事情」にしておくよう、昨晩のうちにシンイチとメールで打ち合わせてある。今頃麹山高校のWEBサイトは、フェイクの方針に書き換えられているはずだ。
「先進校って言うけれど、特別なことやってるわけじゃないわ。ただ生徒に十分なトレーニング器械を用意して、学食に筋肉を育てるメニューを用意したり、あとは筋肉を育てるための弁当レシピを保護者に配布したり、教室にステージを備えたり、昼休みにエキシビジョンタイムを設けてBGMを流しているだけよ」
「はっはっは、独特の校風ですねえ(独創的すぎらあ)」
図書室の書架には〔魅せる筋肉の作り方〕〔ポージングのための体幹講座〕〔骨格筋が喜ぶ食事〕〔内臓脂肪から絞れ!〕といった本が並んでいた。体育会系は筋肉の露出が多いユニフォーム。水泳部も休憩時間にポージングをしている。文化部系の部室から「いよぉぉぉ~」っと聞こえてきて、能楽かと思いきや、「あ、筋肉の雛壇かぁ~っ」と、鼓が鳴って、ボディビル大会での掛け声を探求研鑽していた。
成美の先導で校内を案内されている最中、二人はタカカズとすれ違った。筋トレに励むのかと思いきや、白いエプロンを身に着けている。
「よう、兄ちゃん。また会うたな」
「あ?」
タカカズは、千年来の友人のように馴れ馴れしく話しかけてくるエレナに、胡乱げな視線で返した。
「昨日駅前のレストランで嵐を起こしたっていう小型生物って、お前だよな。なんだ、井手口のところで働いてるのか」
「情報の周り速いなぁ。お呼ばれに応じて、麹山経由で宇宙の彼方からやってきたで。――ほんまは大型やけどな」
「いや、小惑星は知り合いにいないんだけど」
アキラは「おや」と思った。麹山から来たと言ったのだから、当然ATMから来たとわかるはずだ。それが、怪訝そうな顔をしている。
「すまない。合宿に来たものだからテンション上がっちゃってね。エレナ、あっちに購買があるぞ。プロテイン入りのアンパン、試してみようじゃないか」
「菅原くんを知っているの?」
タカカズに馴れ馴れしく呼びかけたのが気になったか、自身もプロテイン入りクリームパンをかじりながら、成美が尋ねてくる。
「はい、昨日ビルドアップをしているのを見かけたもので」
「そう。最近は、あまり外では筋肉を見せなくなったはずだけど」
「最近てことは、昔はやってたんやな」
「半年くらい前まではね。それまでは校内に十あるボディビルサークルの一つに入ってて、普通に大会めざしてトレーニングしていたわ。最近部活を変えたけどね」
「そういえば、さっきの白衣は?」
「〔大豆ミート研究会〕よ」
成美は答えた。代替肉の一種である大豆ミートは、肉牛肥育の環境負荷対策や菜食主義者向けの食材への需要から、スーパーにも並ぶようになっている。豆腐を乾燥させて、挽肉状にしたものなら家庭でも作れる。ハンバーグやそぼろにしたレシピも日々更新されている。大豆ミート研究会は、新しい代替肉や新しい調理法の開発に勤しむ、農業高校ならではの部活だった。
「う~ん。プロテイン入のこしあん、砂食っとるみたいで食感はイマイチやな。外れや」
「あとで百円返せよ」
「おごってくれるんと違うんかい。人にこしあんルーレットまでさせといて」
「方便だよ。ほら、さっそくメールが転送されてきた」
「連絡はメールでするから、学校では話しかけないでくれ」とある。
成美は、〔農業科学研究会〕の部室に二人を案内した。乳牛の肥育を促す新しい飼料やその栽培法、農薬を残さない有機農法などが伝統的に研究されている。
「最近は、私の指導で、ツクモアオイの有効活用を研究しているわ」
顧問の
「ツクモアオイ?」
「ため池に繁殖している外来の水草よ。どこから来たのかわからないから、月雲市の名を採っているけれど。成分を分析したら、窒素が豊富でね。乳牛が嫌がる味の成分を除去して、飼料に作り変えることに成功したわ。今、市内の酪農家と協力して実証中よ」
従来、牛の飼料と言えばせいぜい藁に米糠を混ぜる程度だったが、生育を促したり良質の牛乳を出すために、おからや麦芽など、いろいろな飼料が混入されてきた。ツクモアオイは水草特有の臭いが難点で、乾燥の時間や温度を試しているという。
その後は、タカカズがいる〔大豆ミート研究会〕を見学した。タカカズの家は半世紀ほど前から豆腐店を営んでいるが、最近では大手メーカーの安い豆腐に押され、高級料亭くらいしか買い手がつかないという。
「お手軽な充填製法だけじゃねえ。やつら、破砕豆とか割豆とか虫食い豆でも、最終的に砕けば同じだと思ってやがるからな……」
タカカズがぼやいていた。庶民がお世話になる一丁百円未満の豆腐は、型に入れて圧縮するのではなく、いきなり袋に詰めて充填する。味や舌触りに拘らなければ十分というわけだ。
その先はアキラにもわかった。豆腐から大豆ミートを自作する場合は、さらに水を切って煎ってペースト状の乾燥豆腐にする。これが研究中の製法だと、最後まで型くずれせずに「肉」としての歯ごたえを味わえるというのだが。
「充填式の代替肉は固まりにくいが、昔ながらの製法だと固まりやすい。あとは風味なんだ――」
再び、タカカズはつぶやいた。
「宇宙人なんかより、厄介な連中よ」
帰りのバスの車内で、ヒトミは漏らした。
「ああ、山の方に、瓦礫やら残土やら家電やら自転車やらを積んだダンプが向かってるなあ。酪農や林業が立ちいかなくなって買い叩かれた山が、廃棄物の処分場にされてるのか」
「小学校の図工の時間で水彩画を描いた時に、筆を洗う小さいバケツがあったでしょ? 雨が降ると、川や用水路がまんまあの色で染まるのよ」
他にも、廃タイヤに溜まった雨水にボウフラが湧いたりと、「処分場」と名ばかりの、不燃物ゴミ置き場として放置されている――らしい。
「らしい」というのは、林道ごと不法占拠され、中に入って確かめようがないからだ。勝手にゲートを設けられ、鍵をかけられ、市職員が指導に訪れても居留守を使われる。
「この前もテレビ局が取材に来たけれど、雇われている外国人たちに囲まれて、機材を壊されたっていうわ。『ナニシテンダ』『アッチイケ』『トルナ』ってカタコト日本語でね。処分場に逃げ込まれると、もう治外法権で手が出せないのよ」
その日も井手口農場に帰ると、アキラにとっての地獄が待っていた。給餌や牛舎の清掃は半分は機械化されているが、出産といったイレギュラーな仕事はやはり手作業に頼る。エレナは鼻歌交じりだったが、常時は未使用だったアキラの筋肉はオーバーヒートを起こし、無音の悲鳴を上げていた。
「おーい。返事せいやそこの地球人」
夜食までしっかり平らげたエレナは、うつ伏せになっている瀕死体をツンツン突いた。
「邪魔しないでくれ。ボクのピンク色の脳細胞は今、かような目に遭わせたシンイチへの復讐案を練るのに忙しい」
「憎しみからは何も生まれへんで、アーデルハイド」
「干し草のベッドでなくて残念だね、ロッテンマイヤー。アイダダダダ、それにしてもこんな責苦は中学校の体育祭以来だよ」
「体は動かんでも、舌はよう回るなあ」
「君に言われたかないよ。ねえエレナ、君の一族ってほら、癒やしの力もあるんだろ? 修行中でもいいから、なんかこう楽になる治療ビームとかないもんかねえ」
「アストロニウム光線を直に打ち込むやつなら」
「物騒なお灸だな! 知らずにやられてたら内臓が熱膨張であべしになるところだった」
そこで、盛んに犬が吠える声がした。井手口家の飼い犬・ミニチュアダックスフントのコンコルド君だ。ここに来た当初はエレナのポニーテールを、独立した生物個体と勘違いし、さかんにまとわりつこうとしていた。
「お客さんかいな」
「すまないけど君、見てきてよ。帰りに湿布もらえるとありがたい」
「ひょっとしたらそのタカカズっちゅう男が、夜這いに来とんのかもしれ……」
ぴょ〜ん!
「効果音付きで飛び起きたで、この出歯亀女」
コンコルドは小さく長い胴体をめいっぱい駆使し、不埒な侵入者を威嚇していた。ヒトミまで様子を見に来ていたので、夜の逢引ではなく本当に侵入者らしい。
「ハンバーグやのうて残念やったなあ」
「アイビキが違うわ。せめてキャトルミューティレーションの犯人を見届けてやる」
「それが、家畜に被害が出てるわけじゃないのよ」
ヒトミもヘッドライト付きの懐中電灯を被り、金属バットを携えていた。
「つまり、夜のお客さんは、こちらだけではないってことかい?」
「最近、うちみたいな酪農農家だけじゃなく、工場とか学校とかの防犯カメラに、侵入者が写っていてね。――ああ、やってきたわ」
ヒトミの視線とコンコルドの鼻の先に、ふらふらと歩いてくる人影があった。アキラは、ATM隊員に支給されている万能ペンの先を捻り、LED照明として使った。
そこには――。
「宇宙人?」
異形の生物がいた。二足歩行だが、特に頭部の造形が地球人とは大きく異なる。逆三角形の頭と、両側に大きく突き出た丸い複眼。額の部分には、三つの黒い点。Tシャツを着ているが、だらりと下がった両腕の先は、薄く長い刃物。カマキリそのものだ。
「出番だよ、アストロマン!」
「そらあかんな。あいつからは、殺気どころか悪意も闘気も感じ取れん。宇宙人やろうが怪獣やろうが、散歩しとるだけのもんに見境なく襲いかかったら、ただの通り魔や」
「変な場面で正論かましやがってこの女は。ええと、あの宇宙人なんてったっけ、ATMのデータベースで、見た覚えあるんだけどなあ」
「ちょっと、そのライト貸して」
ヒトミに言われ、アキラは万能ペンの使い方を簡単に説明した。
「こうかしら?」
ヒトミはペンの先端を捻り、光線を絞り、宇宙人の額の中央に当てた。直後、宇宙人は空気銃を当てられたかのようにのけぞると、逆回転クロールのように両手を回し、夜の闇に逃げ帰っていった。
「何やったの、今?」
「マンティス星人は、見た目だけじゃなく生態もカマキリにそっくりなの。額中央の単眼に光を集中したのよ。夜間、複眼部分は光を吸収するために感度全開にしてるから、視覚が大混乱起こしたわけ。だいたいこれで追い払えるわ」
「ああ、思い出したよ、マンティス星人だった! え? ちょい待ち。あの宇宙人、もうそんなにこの市に出回って、対処法まであるの? なんでATMに報告上がらないの?」
「実害ないし、それに、月雲市ならではの事情もあるしね」
アキラたちは月雲市の事情とやらを思い出した。二十余年前、月雲市一帯に逃亡したまま消息をくらませたという宇宙人こそ、そのカマキリ型宇宙人なのだ。
翌朝、二人はヒトミの母にあらためて当時の話を訊いた。
「当時は、家畜が襲われる被害が相次いで、市内大騒ぎになったわね。無人の部屋や倉庫、農機具小屋やちょっとした洞窟、港に放置されたプレジャーボートとか、マンティス星人が潜んでいないか徹底的に調査されたわ。凶悪な強盗事件が起きるたび、正体を暴こうと拷問じみた取り調べまで行われたって。数人は見つかったけど、まだ残っているんじゃないかと、市民全員が疑心暗鬼になったわね。とくに『よそからの転勤組・転校組』は」
「ひょっとしてこの家も?」
「ええ。ちゃんとした戸籍はあるのに、父さんが婿入りしてきただけで、宇宙人じゃないかと噂されたってわ。それも数年間までだったけど」
噂も危機感も、一種の祭りみたいなものだ。実害が出なければニュースの種にはならない。飽きられれば噂は消滅する。
「昨夜のあれも、意外とあのヤードの中で働かされているのかもね。他にまともな居場所があるでしょうに」
菅原タカカズから、自分がその宇宙人と疑われていると気づいていないのか。ヒトミは完全に他人事のように呟いた。
「でも変ねえ。母さんの話だと、たしかに二十年前まではよく出没したらしいけど――」
「じゃあ最近は、とんと見かけなかったのかい?」
「あたしが目にするようになったのは、ごく最近よ。しかも酔っ払いみたいに、なにか悪さをするわけでもなくうろついて、騒がれると逃げ出すだけなの。警察を呼んで、辺りをうろつく怪しい人を捕まえても地球人だし……。あ、でもこの前のおまわりさん、妙なこと言ってたわね。赴任してきて数人似たようなのを連行したけど、みんなそろって『記憶がない』って言ってるって」
Ⅲ
「なるほどヒトミが言ったとおりだ。二十年前に一旦収まった宇宙人騒ぎが、また再発しているらしい」
現地のATMと連携し、アキラは警察に手を回してもらっていた。農業高校での捜査はいったんお休みし、二人は地元の警察署に話を聞きに行った。すると、予想以上に、宇宙人の出没が確認された。十名近い数の「宇宙人」が、警察に確保されていたのだ。
しかし翌朝になると、地球人の姿に戻っている。免許証や健康保険証から月雲市民であることも確認され、実害もないので、任意の調書だけとって返されていた。氏名を黒塗りという条件で、調書を見せてもらうが、これといって怪しい部分も見つけられない。
「なんか平均的な月雲市民だな。住所も年齢も職業もバラバラ。女も男も半々」
「時刻表でも買うてくるか、警部? なんかのヒントになるかもしれへんし」
「多分トラベルミステリーは関係ないよ、カメさん。宇宙人が出没してるって割には、市民はみんな呑気に筋トレに励んでるし」
「違法ヤードっちゅうたか? あのガラクタ置き場の方に、むしろ頭痛めとるみたいやな」
バス停に向かう二人の脇を、ぺしゃんこになった廃車を積んだダンプカーが走っていく。
が――。
業者のダンプでありながら毛色の変わったものが一台、反対側から走ってきていた。ブレーキをうまくかけられず、前に止まっていた運送業者のトラックに追突してしまう。空荷かと思われたが、荷台に乗っていたのは大勢の外国人だ。衝突で動かなくなったダンプを見捨て、全員がわらわらと飛び降り、逃げ出した。
「変だな」とアキラは呟いた。これまで、スクラップを積んだ運転手は例外なく日本人だったのだが、今回は運転手まで外国人だ。運転を見る限り、免許の所持は疑わしいが。
「おい、待ちたまえよ!」
アキラの意図を察し、逃げ出そうとする外国人運転手の襟首を、エレナはすかさずつかんだ。振りほどこうにも、接着剤でもついているかのようにエレナの手は離れない。だが相手もさるもので、「ニホンゴワカラナイ」と繰り返した。
「普段は流暢な日本語で、脅し文句をのたまってくれてるそうじゃないか。まあいい、どこの国かは、顔つきでだいたい想像がつく」
アキラが北部ベトナム語で喋りだすと、外国人――。いやベトナム人の顔はみるみるこわばった。
「『君たちは、どうせ分かるまいと仲間で話していただろうが、とっくに筒抜けだったんだよ』ってハッタリかませてやったのさ。あとは自分で勝手に喋りだしたところをスマホに録音しておいて、あとで翻訳アプリで解析した。」
「悪やなぁ~。勉強させてもらうわ、ホンマに。で、なんつうとったんや?」
「『宇宙人が攻めてきた』って」
「下手な漫才より面白うなってきたやな」
アキラは、ヒトミの母親に頼んで酪農の同業者を集めてもらい、外国人たちが逃げ出したヤードを調べてみたいと持ちかけた。やはり廃液による土壌の汚染を懸念していて、全員一致で行ってみようということになった。軽トラや軽バンの荷台に、武器になりそうなフォークやエンジン式の草刈り機を載せ、総勢二十名ほどの小隊である。
普段ならでかい錠前がかかっている門は、脱走者たちの手で壊されていた。監視カメラで録画されて、あとで不法侵入呼ばわりされるのも嫌なので、「ごめんください」と連呼しながら敷地内に入る。「不法占拠や廃液の件で来た」と言い訳するためだ。小体育館ほどもあるプレハブは、従業員たちの居住区も兼ねているらしかった。こちらも鍵はかかっていない。
事務所にはパソコン、電話機、ファクシミリが一台ずつ置かれている。意外に紙くずが散乱していないのは、請負先の情報を漏らさぬよう、書類を焼き捨てているためだろうか。
「うわ。これうちの牛たちのほうがまだましだわ」
居住区を覗き込み、その異臭にヒトミは鼻をつまんだ。
「さっきの従業員が喋ってくれた。日本に実習生という名目で来たけれど、より高給な職場があったらいつでも転職するつもりでいた。ネットで探して応募してみたら、あとはご覧の有様だ。雇い主は顔を見せず、連絡係を使って仕事を指示したり、食料を運んできたりしていただけ」
特に収穫もなく、アキラたちは撤収した。
それからも別のヤードで「宇宙人襲撃」は相次いでいた。いずれも今回のように集団で逃げ出してくる。手向かう者もいたそうだが、相手は鋼の皮膚を持つマンティス星人だ。鎌状の手で、シャツごと胸を切り裂かれたという。脱走した従業員のうち何人かは警察に捕まって、違法ヤードの件で取り調べを受け、例のごとく「ワカラナイ」を繰り返している。
「よかったなあ本気やなくって。鬱陶しくって、ちょっと薙ぎ払っただけや」
エレナが、珍しく地元新聞の読者投稿欄に目を通していた。
「あーこれ過激な意見やなあ。『天罰が下ったのだ』『宇宙人を違法ヤードの監視員として雇うべきだ』。と思ったら『市民に被害が出る前に宇宙人を捕まえろ』か」
「うちも、どっちかっていうと前者の意見に賛成ね。地元の酪農業者には屎尿の処理とか悪臭対策とかねちっこく指導してるのに」
「違法ヤードを見てみぬふりの行政に痺れを切らし、宇宙人は時代劇のヒーローなり、か。うんうん、ネットでも意見が割れてるねえ。市役所にも意見殺到だろうに。ああ、食事中に失礼するよ」
アキラは、月雲市に来てから収集した結果をまとめ、シンイチにメールを送った。
「ATMに追跡調査を依頼した。敵さん、計画を練り上げたつもりだろうが、天狗になるとアラが出やすいものさ。さて、我々は果報をゆっくり……」
「アキラ、あなた農作業が様になってきたわよ。今日もよろしくね。よかったら夏休みもフルでバイトに来ない?」
「残念。その頃には彼女の祖父の初盆が来る予定でね」
「そりゃ知らんかった。うちの爺ちゃん去年死んどったんか。一万七千五百歳のバースデー祝ったばっかりやけど」
「ついでに、あと三日程度で今回の事件には片が付きそうなんだよ。あー残念無念」
「じゃあ帰ったらふるさと納税よろしくね。うちのプロテインも返礼品だから」
「地球の未来もこの農場の未来も明るいねえ。さて、手駒が出揃ったらどう追い詰めていくか。生きていて一番楽しい時間だねえイヒヒ……」
アキラは、本領とも言える陰湿な笑みを浮かべていた。
翌日。
市立月雲農業高校は、朝から喧騒の中にあった。登校中から始業前、いや授業中でも、生徒たちは唯一つの話題で尽きることなく会話している。授業中に、いくら教師が注意しても私語を止めないので、諦めて自習にしてしまうほどであった。
「月雲市の皆さんも大変やな。一時期にいろんな話題が重なり合うて」
ネット発の、月雲市に関する「話題」とは、「マンティス星人の前にも、実は明治時代に多数の宇宙人が月雲市に訪れて帰化していた。月雲市民には、二十%の割合でその遺伝子が伝わっている」という噂話だ。
「明治時代といやあ百五十年前やな。ちょうどその頃も、宇宙人同士の侵略活動がえらいさかんでな。アストロマンも他の銀河系に出ずっぱりで、地球に来る暇はなかったんや。カズヤの親父さんみたいな例は、ごく最近やで」
「その話はいずれ詳しく当事者同士から伺いたいもんだねえ」
二人は、タカカズが所属する〔大豆ミート研究会〕に足を運んでいた。
部室でも、研究そっちのけで、誰が宇宙人の遺伝子を引き継いでいるのかという話題で盛り上がっていた。成美も手を叩いて本業に戻そうとしているのだが、手が休み口が働くという有様だ。
「なんの用だ?」
菅原タカカズの応答は相変わらずつっけんどんだった。
「まことに申し上げにくいんだけどね。ATM発の勧告で、ここの部活をしばらく停止してもらいたいんだよ」
「少しも申し訳無さそうな顔してねえで、とんでもねえ無茶言いやがる!」
「宇宙人になって翌朝戻った人たちを調査するとね、もれなくボディビルが趣味と判明したんだ。ボディビルには良質なタンパク質が必須だろ? で、その被疑者が全員、畜肉じゃなく大豆の代替肉を食べてるって判明したんだよ」
「そんな……。うちの部活には関係ない。ツクモアオイの飼料化実験も、やっと軌道に乗ったんだ。井手口のところ以外にも、協力してくれる農場がやっと出てきたところなんだぞ」
「そりゃ他の学校からも苦情が上がってきていてね。でもこの学校だけ、特別扱いで除外ってわけにもいかないだろう? せいぜい数週間の辛抱なんだし、地球の平和のためにご協力お願いするよ。では!」
放課後。
トレーニングルームの一つで、タカカズは単身、スピンバイクをこいでいた。
「よう。ちょいと隣失礼するで、若いの」
エレナの正体を知らないタカカズは訝しんだが、せいぜい気取っている小学生かなにかだと思っていた。怒るのも大人げないので「好きにしろ」と答えた。
シートの高さを二段下げて、ようやくペダルに足が届いた。
「なんやこれ。おもろないなあ。眼の前の景色がバァーっと変わっていかんもんかな」
「電車のゲームじゃあるまいし」
エレナはおもむろに、筒状にした両手を口に当て、「ボンボンシュカシュカボンボンシュカシュカ♪」とビートを刻みはじめた。
「や、やめろ。素人なりにリズムのいいヒューマンビートボックスをやるな。そんな調子のいい音をやられたら、俺は、俺は……」
心は拒んでも体は正直だった。タカカズはバイクを降りて上着を脱ぎ、みかん箱でしつられてあった畳三条ほどのステージにあがり、ポージングを始めた。
「関東の人間の割にはノリが良くて楽しめるわ。キレッキレやで」
「くぅ。アップテンポの曲が始まるとつい脱いでしまう、月雲市民の性が哀しいッ!」
「ナイスバルク。といいたいところやけど」
エレナは、どこからか取り出した羽箒の先っちょでタカカズの乳首をぺろんと撫でた。
「ああっ?」
タカカズの体に電流が走る。
「大胸筋のバランスが悪いな」
「ああっ、もっと、もっと見てくれっ!」
「ふっふっふ体は正直やな。その他大勢の月雲市民なら、文字通り胸を張って筋肉ご披露しとるところやけど、あんたは違うな。なにやら引け目を感じるで。筋肉からな」
「筋肉からそこまでわかるとは。お前、やっぱただ者じゃないな?」
「面倒な駆け引きは苦手やから先に訊くわ。ヒトミが宇宙人かもしれへんていうメール送ってきたのは、あんたと違うな?」
「知らん。昔の同級生のイタズラじゃないのか。あいつ、親父さんを亡くしてからは一所懸命おふくろさんを手伝ってな。農場特有の、牛糞の臭いが体に染み付いてたんだ。それを、女の同級生に嫌がられてた。牛糞よりも腐臭のする、陰湿ないじめを受けていた。無視されたり、グループにも入れなかったりな」
「そこを助けてやったんやな」
「偶然だよ。ちょうどその頃、クラスの男全員が、男気溢れる主人公のヤンキー漫画にはまっててな。卑怯な真似をする奴はダサいっていう雰囲気だったんだ。隠された上履きを学校中探してやったり、陰口を書いた回し手紙を途中で止めてやったりな。それでも、あんまりにもおどおどした顔してたんで、筋トレを勧めてやったんだ」
「ほうほう。地球人の男もやるもんやな。アストロ男前ポイントがドンと壱萬や。彼女もさぞ感謝しとるやろ」
「それが最近妙な具合だ。俺のほうが勝手になってるだけなんだがな。たしかに井手口に筋トレは勧めたが、筋肉のつき方が、俺たち、いや一般の女とは違うことにすぐ気づいた。考えてみりゃ当たり前だ。彼女は朝から夜まで、自動化できないところで稼業の手伝いをしてるんだ。俺も家の豆腐の配達くらいはやるけれど、あれに比べればどうってことはない。人に見せて、褒められるための筋肉よりも、見栄えはしないけど実際に金を稼ぐ筋肉の、どちらが尊いんだとな」
「あんたらの筋肉拝みに他所から観光客も来とるんやろ。どっちも経済活動しとるから偉いんと違うか」
「斜め上方から肩を叩かれた気分だよ。それに、別に俺は恩人を気取るつもりはない。女子の筋トレ指導してるのは、成美先生だからな。顧問だけじゃなくて、筋肉を育てるための栄養指導もやってる。ツクモアオイを飼料にして牛を育てて、副産物としてできるホエーからプロテインを作る工程を考えて、実用化したのも先生だ。教員にしとくにゃ惜しい人材だよ」
その夜、遅く。
菅原タカカズは、井手口農場に電話をかけていた。
「井手口が誘拐されたってのは、本当か?」
「耳が速いね」
警察から事情徴収されているヒトミの母に代わり、アキラが固定電話に出ていた。街路には、ライトを消したパトカーや消防団の自動車が走り回っている。
「ボクたちは宇宙人に関する聞き込みをしていたから、ヒトミが一人で先に帰ってね。大胆にも、バスジャックでやられたのさ。カタコトの日本語を話すサングラスの集団が乗ってきて、運転手と他の乗客を引きずり下ろし、山に向かって走り去ったんだそうだ。連中も防犯カメラのない一角を狙ってきてね。バスも乗り捨てられていて、足取りが負えないんだ。――何か知ってるのか」
「いや。同級生からの通信アプリで流れてきたんだ」
「そうか」
アキラは、それ以上は訊かずに受話器を置いた。
タカカズに通知は来たが、それは同級生からのものではなかった。正体不明の電話番号からのショートメッセージだ。
「『井手口ヒトミを無事に返したかったら、一人で指定のヤードに来い。君の部屋は監視している。警察にも親にも告げるな』だと? 探偵ドラマの主役になるなんてな、くそったれ!」
悪態をついたものの、タカカズに選択肢はなかった。親にもだまって家を出て、スマートフォンを片手に、メッセージに従い自転車で走った。やはり山奥の違法ヤードに案内されているらしい。釘を踏んでパンクしてしまったため、途中から歩きになった。スマートフォンの他に携帯型のライトを持ってきたのは正解だった。
部外者を通せんぼしていた鉄門扉は、奥に向かって開き、手招きしている。オカルトや肝試しなど興味のないタカカズにも、不気味さがわかる。ヤードの中は静まり返っていて、プレス機の音も聞こえない。焼却炉の残り火が、廃棄物の山を薄赤く照らしている。
メッセージは急に鳴りを潜めたが、気味が悪いというか、自分をずっとつけてくる、複数の人の気配がした。
〔一人で来たか?〕
沈黙していたスマートフォンが、仕事を再開した。
「指図通り来てやったのに、もてなしもなしか」
本当は癪に障ることもあり、指図どおりになどしていなかった。
(あのATM隊員、ギリギリのタイミングだったな)
別れ際に、エレナは「ほれ、アメちゃんやるわ」と包み紙を渡していた。中味は飴ではなく、ビー玉みたいな球だった。光沢はないが、しばらく掌で弄んでいるとパカッと、くす玉みたいに割れた。一本だけはみ出たテープには、「これで君の居場所はバッチリだぜベイビー!」と書いてあった。小型の発振器だった。
(ベイビーは余計だろうが)
軽く舌打ちしたタカカズの前後に、目出し帽をかぶった男たちが現れた。いずれも手に鉄パイプを携えている。両側は廃車が絶壁をなして積み上がり、逃げ場所は塞がれている。
「宇宙人でも不法就労でもなんでもいい。とっとと井手口を返せ!」
ただ鍛えていただけの筋肉が、役に立った。振り下ろされる鉄パイプを筋肉で受け止め、指先まで鍛えた筋肉で喉を締め上げ、投げ飛ばす。
「お前らの労働筋肉はその程度か! 農家を見習え」
両側から振り下ろされる鉄パイプを両手で受け止めたとき。廃車の崖が崩れた。
海上保安庁のSAセスナから、二つの人影が飛び降りた。一人はユウ、もう一人はユウに蹴飛ばされたカズヤだ。
「ほら、でっかくなりなさい」
「お前な、ぶっつけ本番にも限度があるぞ!」
二十メートルの高さで、カズヤは巨大化。同時に掌にユウを乗せ、地上に下ろした。
「敵、って呼んでいいのか?」
カズヤから五百メートルの先には、巨大化した宇宙人が暴れていた。市街ではない。ヤードの中を、視線を下に向け――。まるで何かを探すように、積まれたジャンクをかき分ける、マンティス星人の姿があった。
菅原タカカズが、父から受け継いだマンティス星人の形質を取り戻した姿だった。
Ⅳ
ヤードから少し離れた道路脇に停まっていた軽ワゴン車が、突如ひっくり返った。上下逆になったワゴン車から這い出たのは、成美マキホだ。
「教え子が二人そろってエライコッチャなのに、呑気に車中泊か?」
ひっくり返したのはエレナだった。
「どうしてここが?」
「当時のATMはマンティス星人の数名を鹵獲してその生体構造を調べ上げた。マンティス星人は言語の他にも、三百メガヘルツの電磁波でメッセージを授受する器官がある。その性質を利用して、君たちはマンティス星人を操ったんだろう、ヴォーダン星人?」
アキラに正体を暴かれた成美の体が、焦点を失ったかのようにぼやけると、固まって別の形を結んだ。
ヴォーダン星人としての正体を表したのだ。今後はEと呼ぶことにしよう。
「三百メガヘルツの電磁波を、ATM総動員で逆探知したわけね。でも……」
成美ことヴォーダン星人Eの肉体が変貌した。これまでのヴォーダンとは違う。肩、両腕、両腿が、御中元のハムのように隆起する。
「私を、これまであなたたちが相手してきた貧弱な連中と同列に思わないことね。地球に来る前からも合わせて百年間、そして病死寸前だったこの女の体をもらってからも、私は己の肉体に磨きをかけてきた」
だがアキラは臆せず、いつものアルカイックスマイルで一瞥した。
「ツクモアオイが『出所不明の外来種』だって? 言ってくれる。君自身が宇宙から持ち込んだ、数世代前の遺伝子を覚醒させる成分がある宇宙植物だろ。環境保全の名目で乳牛に与え、ホエーを生産した。さらにホエープロテインに加工したうえで、ボディビルに余念がない月雲市民に与えて、宇宙人への先祖返りを図った。なんとも手数がかかったが、地球人と、地球人に溶け込んだ宇宙人との対立を煽るためだ。いや、同士討ちを図ったと言うべきか」
「ご明察。そして今、菅原タカカズには最後のメッセージを与えたわ。『お前はもう地球人の姿には戻れない。友達も恋人も、家族もできない。この地球に唯一人、宇宙人として殺されるのを待つだけだ』ってね」
「そりゃご苦労さま。無駄だったけどね」
「ATMがいるからって言いたいのかしら? お生憎様。先祖返りする宇宙人は、この月雲市からもっと出てくるわ。そのたびに、あんたたちは地球人同士で殺し合うのよ」
「おっと、月雲市だけじゃないんだなぁ~」
「えっ?」
「知らないのも無理はない。国際宇宙遺伝子学研究所が、つい一昨日発表した。地球には明治時代どころか、少なくとも一万年前から幾多の宇宙人が飛来している。そのうちの、かなりの数が地球人との間に子孫を設けていることが判明した。もともとの地球の生物だって種は宇宙から来たんだから、不思議な話じゃない。ボクたち地球人は、最初から宇宙人だったんだよ。その事実がわかって争うほど、地球人は馬鹿じゃない。まさかと思うけど、知らなかったのかい?」
ヴォーダンEは言葉を失い、その場に立ちすくんだ。描いていた図面が脳内でガラガラと崩れていく様が、アキラにはよく分かった。
「……ううああああああああああっ!」
全ての目論見が潰えた、苦し紛れの咆哮とともに、ヴォーダン星人Eは二人に襲いかかってきた。が――。
振り下ろされた剛腕を、瞬時に姿を変えたアストロマンエレナが受け止めた。
「え?」
「デアーッ!」
ぱっとその腕を払い、がら空きの横っ面に左フック。さらに右フック、左、右、左、右。メトロノームのように正確な拍子で、アストロマンエレナはヴォーダンEの頭をサンドバッグにした。
「ダッ、ダーッ!」
倒れる間も与えずに連続回し蹴り。腹の正面から連続のストレート。
最後はダメ押しの背負投げ。音速で大地に叩きつけられ、ヴォーダンEはたまらず「ぐえっ」とうめいた。
「な、なぜ……」
エナジーインジケーターが点滅を始める前に、エレナは地球人の姿に戻った。
「甘いで、おばはん。こっちはアストロ戦士になると決めてから一千年やで」
十倍の年季の差を痛感し、ヴォーダンEは気絶した。
「もしもし、こちらアキラ。こっちは片付いた。そっちはどうだ?」
「言われたとおり、カズヤが適当にあしらってるわ」
「適当じゃねーよ!」
アストロ念波で二人の通話はカズヤにも筒抜けである。適当どころの話ではなく、時速五百キロで振り回される両手の大鎌をナットリウム光壁で受け流している。一歩間違えれば両手両足バラバラだ。
上空では、陸上自衛隊のヘリコプターがサーチライトで照らしながら、距離を保って旋回していた。機体下部には、このサイズの宇宙人や怪獣なら数発で葬れるミサイルが発射を待ち構えているが、シンイチの要請により待機していた。
「反撃はしていないけど、はずみでカウンター食らわさない保証はない。すみやかに次の指示を出せ。あ、今バリボリって音がした。二人して煎餅食ってるだろっ!」
「あー待て待てうっさいなあ」
アキラは、煎餅片手にひっくり返ったワゴン車に入り、探していたものを見つけた。
「もしもし、気持ちよく涎垂らして寝てる井手口ヒトミさん」
頬をつねったり髪や耳を引っ張ったりしたが、寝付きが良すぎていっこうに目覚めない。アキラはヒトミの懐からスマートフォンを拝借し、予め調べていた番号を入れてみた。
「ええと生年月日を入力。外れか。自分の携帯電話の番号。これも駄目」
「大丈夫かいな。たしか三回失敗するとロックされるんと違うか」
「じゃあ君、心当たりの番号は?」
「あの男の誕生日」
「――ビンゴだ」
二人はパアンと手を叩きあった。
「カズヤ。今からボクと意識を同調して、まず言葉を後追いしろ。その後は覚えたての技を試す絶好の機会だ」
カズヤは、アキラと意識を同調した。彼女の言葉と見ている映像が、カズヤの頭に流れ込んでくる。
「菅原タカカズ。君の本当の姿はマンティス星人なんかじゃない。それはヴォーダン星人が見せた幻影だ。宇宙人は、二十年前どころかもっと前から地球に来ていた。長い年月をかけて、地球人と同化したんだ。これが君の姿だ。」
カズヤは、タカカズの腹を蹴って距離を稼ぐと、ナットリウム光壁を前方に展開した。鴨が根島で使った凸レンズではなく、平面だ。
〔アストロ・プロジェクション〕
鏡でもレンズでもない。平面状の壁だ。カズヤは、巨大なスクリーンに、菅原タカカズの地球人としての姿を投影した。ヒトミのスマートフォンに保存されていたタカカズの写真だが、光の壁に映し出された姿はマンティス星人のものではなく――。
〔輝け! 第五十五回月雲市ボディビル大会〕においてポージングを決めた姿だった。前歯がキラリと光っていた。
「それしかなかったんか~いっ!」と叫ぶユウのツッコミに、「これしかなかったんだよ~」と、遠くでアキラが答えた。
「あ、でも効果あったわ。膝を折ってへたりこんだ。でもなんだか変ね。がっくりと肩を落として、落ち込んでるわ」
「そ、それは……」
ううんと頭を振りながら、意識を取り戻したヒトミが言った。
「万全の体調で挑んだのに、三位だったから……」
「気にしとったんかーい!」
「ううん……」
「よう、お目覚めかい」
拘束衣に包まれたヴォーダンEを、アキラとエレナが見下ろしていた。
「わ、私をどうするつもり?」
「おいおい、こっちが悪役みたいな物言いだな。ふふ、そう警戒するなって。小学校のテストよりも簡単な話だ。往生際ってものを良くして、こっちの気に入る答えを返してくれればいい。さて質問だ。ヤードで外国人を不法労働させていたのは君だな? もとの経営者はどこへやった」
「殺して、なりすまして、現場にはメールで指示を出したわ。言っておくけど、不法投棄や占拠は私が始めたわけじゃないわよ」
「いいだろう。エレナ」
「はいな」
エレナは、ヴォーダンEの拘束衣を外してやった。
「あら、優しいのね。見逃してくれるの?」
「違法ヤードを経営するなんて、どうせろくでもないやつだ。これから立入検査も入るから、運営もできなくなる。それに、ただ見逃すだけじゃない。条件がある。このまま、タカカズたちにとって『いい教師』であり続けろ」
「……わかったわ」
ヴォーダンEは、ほくそ笑んだ。どうせ自分たちの表情など、地球人にはわかるはずがないと、たかをくくっていた。
「『数十年ていど猫をかぶっていればいい』なんて思うなよ」
だがその魂胆は、見透かされていた。
「君はたっぷり、一時間失神していたんだぜ。何もせずにただ寝かせておいたと思っているのか?」
「ま、まさか!」
ヴォーダンEは自分の体をペタペタ触った。器具をつけられた形跡はなかったが――。
「同族がぎょうさん解剖されとったの、知らんらしいな。ヴォーダン星人の体の構造は既に公知の事実らしいで」
「プレゼントだ。超小型の爆薬を埋め込んどいてやったぜ」
「自分、いらんこと考えたら、その場でドカンや。〔ケツ爆竹〕って知っとるか?」
「ひいいっ!」
ヴォーダンEは尻を押さえた。
「忠告してやるけど、外そうとしてもドカンだからな」
「ひ、卑怯よ! なんて卑劣で残酷なの、地球人って」
「過去のお前さんたちのやり方をちょいと真似しただけだ。さ、行けよ」
アキラに促され、ヴォーダンEは成美マキホの姿に変わりながら、逃げていった。
「このまま大人しくしとると思うか?」
「するんじゃないかな。ありもしない爆弾を探し出すまでは。猫の皮さえ被ってれば、いい教師なんだ。せっかくの筋肉、有効に再利用してもらおうじゃないか」
「で、結局最初のメールは誰が出したんだ? 菅原タカカズは知らないって言ってるし」
珍しく、ユウたちが部室に来るのが遅れているので、カズヤはつかの間の休息を味わっていた。シンイチは、今回の事件をレポートにまとめている。
「井手口ヒトミ本人だ。IDの追跡でも裏付けられた。彼女は最初から、成美を疑っていたのさ。酪農農家の勘だな。出所はおろか、詳しい性質もわからないツクモアオイを、半ば強引に乳牛の飼料にした時点で怪しんでいた。牛の食いつきは悪いし、飼料化に手間と費用がかかりすぎる」
「なんでわざわざ自分を調べろなんて、回りくどい真似を?」
「成美ことヴォーダンの目的は最初からタカカズで、常に監視していた。タカカズ本人は気づいていなかったが、成美が必要以上にまとわりついているのを、ヒトミは気づいていたんじゃないか? 現に、先行偵察しただけのアキラでさえ、毎日のように試作のプロテインを飲ませて、体重や体脂肪率だけでなく血液検査までしていた成美を怪しんでいたくらいだ」
「そうか。直接タカカズの周りを警戒したら成美は警戒する。だから、自分を調べさせる名目で、ATMを月雲市に呼び寄せたのか。すごいな。女の勘てのは」
「いや、最初から成美を怪しんでいたわけじゃないだろ。それ以上の詳しい理由はユウにでも訊いてみたらどうだ」
「面倒くさいからいいや。――お、その本人たちからメールが届いたみたいだぞ」
部室のモニターを覗き見て、カズヤは言った。
「ええと――。『ヤードは無事撤去され、不法就労していた外国人たちは蜘蛛の子を散らすように逃げていった』か。今度はまともなところに就職できるといいな。ツクモアオイを飼料として使う試みは突如中止だってさ」
と、そこにけたたましくドアをきしませ、ATMかしましトリオが乱入してきた。
「いよう、男二人してモニターの前に張り付いているとは不健全だな!」
アキラが、ハンバーガーをパクついている。
「ヒトミから宅配便が届いたんで、食堂のレンジでさっそくチンしたよ。井手口農場産のホエーを混ぜて、歯ごたえを改良した代替肉のパティだとさ」
「プロテインも豊富よ!」
「光線技もええけど、やっぱ基本は筋肉やな」
すっかり三人揃って名誉月雲市民になっていた。
「ちなみにこれはヒトミから違法ヤード排除の謝礼として貰ったものだ。断じて部費の流用などしていないぞ。結果としていいホームステイになったから旅費に関する君の不手際はご破算にしてやる。感謝したまえ、シンイチ!」
「健全な脳筋になったようだな。それにしても、地球人の遺伝子の一割以上が宇宙人由来のものとは、また壮大なハッタリをかましたものだ」
「知識人を気取るやつは、自分の知らない知識を持ち出されると途端に萎えるのさ」
「それがな、あながちハッタリでもないんやで」
指についたソースをペロペロ舐めながらのエレナの一言に、一同「え」となった。
「だいたい一万年前は、文明の黎明期にあった地球に観光に来るのが、宇宙全土のブームやったんや。アストロマンが睨み利かしとったから、余計な真似はせえへんかったけどな。でも何人かは、ツアーの途中で行方不明になったらしいで」
何気ないエレナの言葉が、部室をしばらく静寂に浸した。
「じゃあ……」
「カズヤの他にも、そのうち誰かが宇宙人の姿に戻るかもしれんなあ」