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第四話 練りが肝心


   Ⅰ


 期末試験の期間、城北大学文化人類学部・岩橋ショウジのゼミは静かになる。ふだん学生と寝泊まりしている竪穴式住居も、煙が立ち昇っているのは彼のものだけだ。

 透明度ゼロの構内最大の池、通称〔ミドロヶ池〕の畔にある林が、彼の庭だ。濾過した井戸水で、茹でたどんぐりや椎の実から丹念に皮を外し、擂り潰す。当初は手間取ったが、今では呼吸するように要領良くできる。栽培した野菜に、種籾から育てた米、大豆から作った味噌、飼っている鶏が生んだ卵。構内に流れている川に鯰がいるとの噂があるので、今度罠を仕掛けてみるつもりだ。最初の頃は魚籠一つ満足に編めず、縄文人の工芸力の高さに感心したものだ。

「一年目の笹を使ってようやく形になったもんだよな。海が近かったら、塩が採れるんだが」

 冬の寒さは絶やさぬ焚き火と重ね着でしのいだが、やはり夏の虫は困る。干した草を燻したり、虫よけに効果があるというラベンダーやゼラニウムを植えたりしてみるが、気がつけば蚊やダニに食いつかれていたりする。

「縄文人が短命だった理由だものなあ。これだけは文明の利器を借りるしか」

 焚き火に蚊取り線香の先端を当て、紐で吊るした。毒虫はもちろん猪や狐から食料を守るために、当時は交代で寝ずの番をしていたのだろう。せめてあと一人いればと考えない夜はない。ここ、城北大学には怪談も多いが、一人で寝泊まりしていても恐怖は感じない。むしろ幽霊でも出てくれたほうが寂しさが紛れる。ネットはおろかラジオがない時代には、相槌を打つだけでもいいから誰かそばにいると心が和んだだろう。

「食料だけなら囲いを作ればなんとかなるかもしれない。だが人が単身ではなく群れるようになったのは、やはり寂しいからなんだな」

 話す相手もいないのに独り言を漏らす。

 と――-。

 じゃば、じゃば……。

 聞いたことのない水音に、池の方を見やる。そこで彼が目にしたのは、水面を移動する四角い金属の箱だ。出前に使われるオカモチである。夜の構内では、たまに不可思議な気配を感じたりする彼でも、初めて目にする奇怪な現象だった。

 オカモチは岩橋の近くまでよってくると、突如、水柱とともに伸び上がった。

「ダッダーン!」

 短く切った栗色の頭にポニーテールを生やした少女が、池の中から飛び出した。器用にオカモチを頭に乗せている。進学したばかりの中学生か、小学校高学年に見える。

「おっと、ボヨヨンボヨヨンはなしやで。花も恥じらう四千歳の乙女やさかいな」

 水中から突如出現した怪生物の正体は、アストロマンエレナの地球人態だった。

「あのな、私に心臓の持病があって、『麹山稲荷にアストロ本星からの留学生が来ている』って予備知識がなかったら、即死してるぞ」

「こんな所で野宿とは。おっちゃん、いわゆる不審者か?」

 エレナは意に介さず質問した。

「君が言うかっ!」

 緑色のジャージのポケットに頭を突っ込んでもがいているのは、誰かが無責任に放流したブルーギルだろうか。

「アメちゃんと違うけど、あげるわ」

 ニカッと笑った顔は体格相応で可愛かったが、開いた口の奥に並ぶギザ歯に、岩橋はちょっと戦慄した。

「晩のおかずにもう一品欲しかったところだ」

 ブルーギルは油に合うので、酪農研究会から分けてもらったバターで焼いてみたい。

「地球の大学の講義でも受けに来たのかい?」

「まさかや。赤点をぎりぎりかわすスリルは、アストロ本星でじゅうぶん味わっとる」

「最近はヒーローの質も落ちたなあ。だいたいなんだい、その中途半端な関西弁は。さっきからこっちは言語中枢をかき乱されてるよ。標準語習ってこなかったのか」

「到着地点を五百キロほど目測で間違うてな。百三メートルくらいの高さの建物の近くに落っこちてもうた。せっかくやから展望台にあった金色の置物の足の裏、撫でてきた」

「そこの一階で賭け将棋やってたろ。大騒ぎだったろうなあ通天閣」

「で、親切な長距離トラックの姉ちゃんに乗っけてもろうて、土産にこのイケてる上下ももろうて、ヘプタのおっちゃんの店にたどり着けた次第や」

「最初の落下地点でエセ関西弁身につけちゃったわけだね」

「タダ飯食って居候ってのも気が引けてな。こうして出前のお手伝いっちゅうわけや。で、地図見てみたら『池を渡れば近道や!』思うてな」

「標準語の前に、地球の常識身につけようとは?」

「ところでおっちゃんは、こんな所で何しとるねん」

 本人にとってどうでもいい質問らしく、再びさらっと流された。

「文化人類学の研究だよ。文部科学省から認められて予算もついてる」

 有史以来、なぜ人間は「移動」し、「交流」を求めてきたのか。現代でも、人間の移動のついでにくっついてきたり、あるいは無責任な養殖・飼育放棄による特定外来種は存在するが、人間の場合、衣食住に恐れが出た場合に限らない。人は自由意志で、命をかけてまで生まれ育った土地を旅立ち、他の土地に根付いてきた。

「それが文明の始まりであり、互いに交流し、ときとして争うという人間の本質に迫る源流だと考えている」

 そして、古代人の心情に迫るためには、古代人と同じ生活をする必要がある。岩橋のゼミの根幹は、そのための野外生活にある。極力古代人と同レベルにまで衣食住を追い込み、それらを満たした上で次の段階に進む。

「ようわかった。なにせ千年前に修学旅行に来たときよりも時代遅れな顔と格好しとったからな。宇宙人の罠に嵌ってタイムスリッパしたのかと思うたわ」

「ほっといてんか」

 エセ関西弁が伝染ってしまったが、顎髭を生やした姿が縄文人のイメージそっくりだと言われているのは事実だ。

「せめて平安貴族と言ってほしかったな」

「ところで戌井研究室とかいう、ちょい前の生き物の仕事しとる部屋ってこっちでおうとるんか?」

「六郎先生のところに出前か。全然棟が違うよ。ちょっと待ってくれ、もうじき留学生のクアンくんが戻ってくるから案内させて――。危ないっ!」

 岩橋の警告は間に合わなかった。エレナの背後から第二の水柱が吹き上がったのだ。

 今度の正体は怪生物ではなく、れっきとした地球の生物だった。淡水生態系の頂点に立つ爬虫類・アリゲーターだ。全長五メートル、体重は四百キロを下らないだろう。誰かがペットとして飼育していたものの大きくなりすぎたため無責任に放棄されたアリゲーターは、エレナの胴体に横向きに食らいつき、水中に引きずり込もうとしたが……。

 エレナは瞬時に変身した。銀色の体に緑色のライン。ヘプタとは異なるが、その姿は紛うことなきアストロマンだった。

「デアーッ!」

 巨大化こそしなかったものの、エレナはそのまま胴体をくいっと回し、アリゲーターを陸地に放り投げた。頭に載せたオカモチが一緒の軸で回るほど、体幹は安定していた。

「え?」

 そのまま陸に上がって地球人態に戻るエレナ。岩橋はどちらに生命の危機が迫っているか、即座に知った。

「あかんあかん。生命の危機が迫ったさかい、自動的に元の姿に戻ってもうたわ。さて、えらい威勢のいい挨拶やったな、若いの。爬虫類の肉は鶏肉に近いって聞いたで」

「やめてくれ! クロちゃんは学生も教員も襲わず、不法投棄されたブルーギルとかブラックバスとかアメリカザリガニとかミシシッピーアカミミガメみたいな特定外来種だけ食べている優しいアリゲーターなんだ! あ、そういや君もいちおう外来種だったか」

 エレナは、仰向けになってもがいているクロちゃんに近づき――。

「おーし-しおーしおーし♪」

 アリゲーターなのになぜかクロちゃんと名付けられた鰐はおとなしく腹を撫でられた。

「こいつ、鰐の分際で敵わないと悟ったな」

 そこに、ゼミに入っているフィリピンからの留学生・クアンがやってきたので、岩橋はエレナの案内をたのんだ。今後、危険人物をよく見極めてから近づくように諭し、岩橋はクロちゃんを池に逃した。


 その頃。

 紙袋にぎっちりと、かつて薄力粉だったものの塊を詰め、カズヤは帰途についていた。

「一つ質問がある、ユウ」

「天使のような慈愛をもって特別に許可するわ、カズヤ」

「堕天使さえケツまくって逃げ出す凶悪地球人、またの名を高峯ユウのおおせに従い、駅の反対側のうどん店〔はがねや〕に奉公に出たわけだけど、これってなんの意味があるんだ?」

 この一週間、カズヤは〔はがねや〕でうどんの生地をこねている。今は機械でこねているのだから、正しくは「こねさせてもらっている」だ。昭和初期の創業時に先々代が使っていて、今では倉庫代わりに使っている作業場で、昔ながらに両腕で、薄力粉をこねていた。

「以前母さんが手伝いに入って縁があったのよ。期待していたのと違って、半分くらい出前に時間を取られちゃったけど」

「お前が何を目論んでたのか知らないが、こっちは落ち込んでるんだ。飲食店に生まれたから少しは自信があったんだけどな」

 カズヤが提げていたのは、一日中取っ組み合ってもダマになったり水気が偏ったりで、とても店にだせるものではないシロモノだ。

「均質になるまで働かせてもらいなさい」

「何のために?」

「目的はもちろんあるわ。でも今は、教えない。無心で練りなさい」

「で、お前は何のために僕の家に向かってるんだ? 宿題なら明日の朝イチでシンイチに教えてもらえよ。僕もそうする予定だから」

「熟慮の結果、あんたを物干し台に追い出して、あんたの部屋を使うことにしたわ」

「お前の頭の中は逆立ちしてんのか。暴挙に至る因果関係を言え」

「あんたの家に、尻尾付き栗まんじゅうが居候してるんでしょ?」

「未来のアストロ戦士を菓子名で呼ぶなよ。通じちゃったけど」

「だから、あんたが外に出ないと、アタシがあんたの部屋で寝られないじゃない! ほら、林間学校で使ったテント引っ張り出してきたから。特別に蚊取り線香も使わせてあげるわ」

「宇宙人を相手に喋ってる気がするの、僕だけか?」

「年頃の若い女と男が一つ屋根の下ッ! 何も起こらないはずがなくッ!」

「エロゲみたいなシチュエーション、そうざらにあってたまるか。だいたいむこうは四千歳だぞ」

「エロゲってなんや?」

「自分を磨こうともしないで異性にモテモテになりたいっていう、横着者御用達の地球の文化よ」

「ほんならベクターもしょっちゅうやっとるみたいやで、アストロ本星の女の子に相手にされんのか、そこらへんの宇宙人の女の子にコナかけまくっとるっちゅう評判や」

 そこでようやく、カズヤたちは第三者の登場に気づいた。

「出前終わってたんだな、エレナ」

 いつの間にか空になったオカモチをぶら下げて背後をとっていたエレナに、ユウは反射的にぴょーんと跳ねて距離をとった。

「ふ、不意打ちとはヒキョーなり! かかってこんかい!」

「あーあかんあかん。その構えは我流やな。平面移動の相手ならそこそこ使えるけど、飛べる相手には隙だらけやで」

 言いながらも、エレナはユウに応じて構えをとった。

「くっ、隙がない。そもそもあんた、何で地球に武者修行に来たのよ?」

「体術はそこそこいけるって師匠もお墨付きなんやけどな。決め手に欠けるねん。うちな、光線技が苦手なんや」

 アストロマンが怪獣と戦う際は、打撃技や関節技で痛めつけ、動けなくなってから光線技でとどめを刺すというのが定番である。だが最近では侵略性宇宙人に改造されている怪獣も多く、従来のやり方では倒せなくなってきている。

「筋繊維ぶった切って骨叩き折っても、戦意喪失どころか殺意マシマシになる怪獣が増えてきてな。エネルギー貯めこんどる臓器をビームで爆発させんとトドメさせんのや。師匠もお手上げでな。地球に行ったらできるようになるかもしれんと、送り出された次第や」

「物騒な用語の連投だけど、あたしたちの地球、便利な道場みたいに使われてない?」

「ちょっと見せてみろよ。もちろん僕は光線技は撃てないけれど、姿勢とか構えとか、助言できるかもしれない」

「それはええけど、威力ギリギリまで抑えても三千℃くらいあるで」

「いい場所があるわ」


 ユウがエレナを連れてきたのは、商店街から少し離れ、住宅街の手前にある〔麹山こども遊園〕という公園だった。

「常識的な範囲でぶっ放していいわよ」

「周りに人おるけど?」

「ああ、あいつら? 最近遅くまで公園に入り浸ってる学生たちでしょ。苦情来てるらしいから、気にしなくていいわよ」

 ユウが顎でしゃくって見せた先には、「こども」とは言い難い大きい子供、別名大学生たちが、スケートボードやインラインスケートや花火やバーベキュー用品など、最初から禁止されている物質を持ち込んで好き勝手やっていた。生ゴミやビールの空き缶が散乱しているが、持ち帰ろうという素振りすらない。

「ほんならお言葉に甘えて」

 自分のことしか考えていない連中の視野に入っていなかったエレナは、遠慮なくアストロニウム光線の構えをとり――(余談だが元の姿に戻ってはいない。コウジの時も同様だが、ちょっと撃つだけなら必要ないそうだ)。

「ふん!」

「詰まっていた鼻くそを弾き出すような気合の入れ方はやめてほしい」とカズヤは思ったが、後の祭り。エレナの掌から火花が飛び散った。四方八方にだ。例えて言えば、やたら元気のいい線香花火の断末魔か。先端が壊れた溶接用トーチランプか。

「仕方ないなあ」とぼやきつつ、カズヤはユウを背後にかばってナットリウム光壁で火花をはじいた。バーベキュー学生たちにとってはたまったものではない。頭をかすめて頭髪が丸焦げになるわ、ガスボンベが爆発するわ、無差別テロに遭ったように悲鳴を上げ、逃げ出し、ふだんからさんざ迷惑をかけている近隣住民宅の庭先に逃げ込んだ。

「うっさいわねえ。花火ならあんたらしょっちゅうやってるでしょうが。熱いんなら、その噴水に飛び込みなさいよ」

「こりゃ駄目だな。威力がどうのこうのじゃなく、コントロールの問題か」

「で、修行のあてはあるの?」

「ノープラン! 地球には海とか滝とかあるし、来ればなんとかなるかなと」

「よく渡航許可が下りたわねえ。アストロ本星だってパスポートくらいあるでしょうに」

「手続きとか書類とか面倒ごとはベクターに丸投げしたんよ。あいつ、パートの事務員やったら意外と稼げるかもなあ」


   Ⅱ


「もう来ないでくれと頼んだはずだが」

 調理で残ったアラをクロちゃんにあげながら、岩橋は背中に声を投げた。

 学生たちはバイトに行ったり、他の授業のレポートのために帰宅したりで、塒にしている里山には岩橋と、一名の来訪者しかいない。

「頼めるのは岩橋先生だけなんですよ。――いえ、元お笑いコンビ〔タイタニック〕のショウジさん」

「何年前の話だよ、邑藤さん。今どき、誰がそんな名前覚えているか。――除虫菊じゃなく生化研が研究した巨大ウツボカズラでも植えてみるか」

「私の企画〔昔のコンビで生きてます〕は、親の世代が覚えてるくらいが丁度いいんですよ。これ、学生さんと飲んでくださいよ。編み物ばかりしてないで、たまには現代の美味いものでも食べて精をつけないと」

 邑藤と呼ばれた四十代の男は、近くのスーパーで飼ってきた発泡酒のパックを置いた。へりくだってはいるが、ボサボサの頭といい、アイロンもかけてないワイシャツといい、敬意をもって挨拶しに来る格好ではない。

「うちのゼミは一年も出入りしてるし、ムスリムもいる。酒はご法度だ。だいいち、リバイバルを果たしたい元芸人なんていくらでもいるだろう」

「浜川さんはだめですよ。十年前から変わってない。変わってなきゃ面白くないんですよ」

 岩橋と浜川ミツヲとは、高校時代に〔タイタニック〕のコンビ名でデビューしていた。全国ネット局が地方を回って漫才コンテストを開く企画で、その週の優勝を勝ち得たのだ。芸能事務所から声がかかり、しばらくバラエティ番組にも出たが、肝心の漫才がふるわなかった。番組での優勝は、本当にまぐれだったのだ。

 岩橋は早々に見切りをつけて大学受験に戻ったが、浜川は芸能界に食らいつき、コンビは解散となった城北大学に入学し、卒業論文のテーマが担当教授にいたく気に入られた岩橋は編集者を紹介された。書籍化したところ、これが古代史のテキストに使われるほど、その分野では好評を得た。岩橋はそのまま大学に残り、非常勤講師を経て准教授になった。

 一方の浜川は、それなりに演劇の勉強をしたらしい。〔何でもできる芸人〕を目指して、ドラマにも脇役で出演したりしたが、やがてブラウン管から姿を消した。高校時代から付き合っていた鈴木フタバの実家に婿養子のような形で弟子入りし、義父が引退した今ではうどん屋の店主に収まっている。

 そのうどん屋の店名は〔はがねや〕。ユウが、カズヤの特訓の場として選んだ店だった。


 カズヤたちと入れ替わりに、店主の浜川が不機嫌そうに帰ってきた。さらにその一時間後、岩橋がゼミの学生たちを連れて来店した。

「ご注文は?」

 浜川は、不倶戴天の敵でもあるかのように岩橋を睨んだ。

「いつもどおり、たぬきうどんを六人前」

「たまには肉そばか天ぷらでも頼めよ。儲かっているんだろ?」

「前にも行っただろう、うちにはイスラム圏からの留学生も来ているんだ。ここは雑節と鰹節しか使わないから、安心して連れてこられるんだよ」

 さっき城北大学で、エレナを堀田研究室に案内させたクアンという学生は、インドネシアからの留学生だった。この時間は、インドネシア料理店でアルバイトをしている。

「オレの方はさっぱりだよ、大先生」

「また、どこかのディレクターに売り込んでいたのか?」

 浜川は、商店街を通さずにかつてのコネを使ってTV局を回っていた。「かつての芸人が営む店」という触れ込みで取材を受け、あわよくば芸能界に復帰しようという魂胆だった。

「隣の駅のビストロにとられたよ。くそっ、もったいつけて話をちらつかせやがって。店も厨房もきれいにして、華道の師範にも来てくれと頼んでおいたのに、無駄骨だ」

「別に損したわけじゃなかろうが。お前は普通の客の前では身ぎれいにしないのか」

「お前だって、取材が来ても原始人のままだっただろうが」

「――見たのか」

 先月も、岩橋のもとにTV局の取材が訪れていたのだ。バラエティではなく、留学生の生活を紹介する番組だったが、そのついでに岩橋のゼミの活動内容も紹介された。たった一分間だけだったのだが、岩橋のキャラクターが強烈だったらしく、TV局には問い合わせがあったらしい。

「気の利かない野郎だ。〔タイタニック〕の名前を出せば、こっちにも取材がきただろうに」

「俺はもう芸能界から足を洗ったんだ。浜川、お前も手を切れ。TVの世界なんてのは、まともな人間の棲むところじゃない。生まれつき耐性があって、自分以外は何もかも捨てても構わないと覚悟を決めた連中だけが生き残れる麻薬の沼だ」

「覚悟はできている。こんな各駅しか停まらない駅前商店街の、どこにでもあるようなうどん屋で一生を終えるくらいなら、玉砕覚悟で突っ込んでいってやる!」

 岩橋は、すぐには言い返さず、厨房まで入り込んでいくと真正面から浜川を睨みつけ、重い声で言った。

「お前には、守るものがあるだろうが」

 声を荒らげなかったのは、出産を控えた浜川の妻・フタバを慮ってである。


「つまりだカズヤ。君としてもこの、セリフも説明書きもない同人イラスト集〔首都圏制服エプロン図録〕にいたく心を動かされたという次第なのだな?」

〔ラーメン菱美〕の軒先のテーブルで炒飯と豚の角煮をつつきながら、カズヤとシンイチは熱い議論を交わしていた。

「そうなんだよシンイチ。同人誌には興味無かったはずなんだけどな。お前に貸してもらった、この同人誌――ヒビキノミサコ先生のイラスト集、すっかり魅せられてしまった」

「書名どおり、首都圏の高校の制服を着せた女子に、エプロンを着せてみただけのイラストだが、舞台が女子校ではなく、共学というのがポイントだな」

「誌面の手前にいるのが幼馴染なのか、入学時あるいは新学期からの同級生なのか、後輩か先輩なのか……」

「少しにやけたり、すこし嫌そうな顔をしていたりと、いずれも心の奥を読み解かせようとする画力がある。女の子がどういう位置づけなのか、すべては読み手の想像力に委ねられる、某『体は頭脳で子供は大人』のお子様探偵に言わせれば『真実はいつも一つ』だそうだが、これには読み手が自分だけの『真実』を探す愉しみがある」

「どこで手に入れたんだ。コミケか?」

「いやいや宣伝用にと、ある人物に委ねられてな。無料なんだ」

「タダより怪しいものはない」

「ご心配なく。巻末に印刷してある二次元バーコードでアクセスすると、続編を購入してダウンロードできるサイトに繋がる。普通の人間なら、もっと想像を膨らませたいだろうな――。おっと、もう一人被験者のお出ましだ」

 そこに、オカモチ付きの自転車を乗りこなしたエレナが戻ってきた。

「なんや二人してニヤけて気色悪いな。あ、それエロ本ちゅうやつか?」

「もっと心が萌えるやつさ」

 カズヤから受け取ったイラスト集を、エレナはぺらぺらとめくった。

「なんやようわからん。アストロ本星にはエプロンないからな」

「恒星からのダイレクトでエネルギー吸収ってのも、こうなると味気ないな」

「うちもエプロン着けたらなにかわかるやろか」

「おお、いいねえ。ユウのお古があるはずだから、こんど借りてきてやるよ。――いくらかで出版できるかな?」

「こら」と、カズヤの後頭部に鉄拳が見舞われた。

「シンイチから、大事な話があるっていうんで特訓を免除してやったと思ったら。まだ日没前だってのに、男二人でなに不埒な陰謀めぐらしとんじゃい」

 ユウが、アキラを伴って〔ラーメン菱美〕を訪れていた。

「ちょうどいいところに。アキラ、モニタリングの結果、好評を得たぞ」

「……今なんつったシンイチ?」

「ああ、カズヤ。種明かしするとだな。これはアキラが小遣い稼ぎするつもりで描いたものだ。バイアスのかかってないカズヤなら好適かと思った次第だ」

「あやうく課金するところだった。で、二人だけじゃなく、なんで〔はがねや〕のフタバさんも連れてきてるんだ? 今日は定休日じゃなかっただろ」

「夫が消えたの」

 嘘や冗談でないことは、深刻そうな表情で読み取れた。

「律儀に、書き置きだけ残してあったのよ。『今度こそBIGになって帰ってくる』って」

「現金は? 預金の解約なんかは?」

 カズヤがもっともな質問をした。

「全く手つかずで。それこそ体一つで、神隠しにでも遭ったみたいにいなくなったのよ」

「浜川さん、まずは警察に行かれては? 我々ATMは民間のボランティア組織でして、仲間も協力してくれるかどうか……」

「そう言わないで助けてやってよ。手掛かりはあるし、関係も無きにしもあらずなのよ」

 ユウはそう言って、地図を広げた。

「旦那さんの部屋においてあったんですって。ほら、赤ボールペンで×がつけてあるでしょ? 心当たりない」

 小笠原諸島の一箇所に、その印はあった。カズヤとシンイチはその一点を見ていたが、しばらくして「あ」と呟いた。

「先週ニュースでやってたのは覚えてるんだ。どっかの国の軍艦が消えたやつだ」

「〔マルシャーク〕。排水量一万八千トンの、ニコライ共和国の艦だ」

 先週のニュースで報じられていた軍艦の名前を、カズヤは思い出した。小笠原諸島沖を航行していたニコライ共和国の巡洋艦が、消息を断ったのだ。

「ニコライ共和国側は存在自体を否定しているな。公海ではない日本の領海内で勝手に航行させていたのだ。それが音沙汰もなく消失とあっては、面子がまる潰れた」

「でも、近くを航行していた大型漁船が無線を捉えたっていってたよな。たしか『恐竜が――!』って」

「それも否定されているな。海で恐竜といえば首長竜が定番だろうが、せいぜい二十メートル。喫水線長百メートル超の軍艦を沈められるわけがない。ただし……」

「怪獣となれば、話は別よね!」

「ATMの出番というわけだ! なあに、近隣を航行している漁船から、前後日に目撃情報は集められる。シンイチ、あとの手配を頼んだぞ」

 ユウとアキラに外堀を埋められ、シンイチは苦笑した。

「旅行業者じゃないんだがなあ」

 苦笑しつつもシンイチの頭の中は、南の海への航海がすでに計画されている。

「ウチも行くで」

 自動的にメンバーに加わっていたエレナも、元気に手を挙げた。

「光線技はなんともならんけど、じっとしてるのはアストロマンの名折れやからな」


 陸上と異なり、海上では移動手段が限られる。カズヤが巨大化してもせいぜい水深四十メートルの浅瀬までだし、エレナがマッハ五で飛んだとしても移動できる距離は三百キロ。×がついていた東京都小笠原諸島、〔鴨が根島〕には届かない。

 よってATMは、カズヤたち五人だけ特別に、近隣を巡回する海上保安庁の巡視艇〔しらぬい〕に同乗させてもらうことになった。無人島である鴨が根島の周囲は岩礁か絶壁で、上陸できるのは凪のときに限られる。

「それにしても、野宿のおっちゃんとも知り合いやったんやなあ。これも縁や」

 今日は珍しく波が静かなので、島の手前一キロのところに錨を下ろし、鴨が根島をドローンで捜索していた。カズヤたち五人は、甲板でその様子を見ている。

「昨日大学に出前に行ったときに、岩橋先生が留守してたってのは本当なのね、エレナ?」

「学生さんたちもわからんかったみたいやで。もともと、外出しても近くのホームセンターに買い出しにいくくらいやったって」

「フタバさんの話だと、その邑藤ってディレクターが、浜川さん単独じゃなく、むしろ〔タイタニック〕を復活させたがってたみたいだからな」

 シンイチも手抜かりなく、テレビ局関係者を親に持ったり、アルバイトに入っているメンバーに邑藤について調べるよう頼んでいる。

「いや、カズヤ。正確にはお笑いコンビとしての復活じゃないだろうな」

 アキラが訂正に入る。

「ボクもお笑い系はよく見るが、その邑藤が手掛けた過去の番組、一言で言って品がない。芸ではなく、芸人や、人気の出てきた役者や歌手に悪質なドッキリを仕掛けるたものだ」

「とにかく、二人の消息をつかめるといいな。救出までに、例の首長竜とかち合わなきゃいいけれど」

 そこに、ドローン担当の海上保安官が来た。島の海岸に流木で描かれたSOSを発見したとのことだ。満潮でも波が上がりにくい上の方で、色もわかりやすい、太い流木を使っているとのことだ。

「これはすごい。原初がそのまま残されている。よくあるサバイバル番組ではないというわけだな。生きるか死ぬかの瀬戸際らしい」

 記録された鴨が根島の映像を見て、シンイチが呟いた。

「鴨が根島に人が住んでいた歴史はない。固有種も数種報告されていて、上陸には許可が必要だ。今回は、許可すら申請されていない」

 鴨が根島が近づき、肉眼でも目視できる距離に入ると、海上保安官たちが慌ただしく動き始めた。窒素酸化物やアスファルトの塵に怪我されていない、鮮やかな緑が目を射抜く。〔しらぬい〕はPMという、ヘリコプターを搭載しない中型の巡視艇なので、高速警備救難艇を下ろして上陸する予定である。

「とにかく二人を引っ張り上げてからだね……。おいどうしたエレナ」

 カズヤの背中に、エレナがふらふらしながら頭をぶつけていた。

「せ、精神攻撃や。なんや目が回って気分が悪いわ」

「宇宙人が船酔いかよ」

 救助隊員を乗せた救難艇は、このまま何事もなく接岸できるかと思われたが――。

 船内に不穏な事態を告げるサイレンが響いた。ソナーか見張員が、何かを発見したのだ。

 カズヤたちはブリッジに入るよう促された。救助隊員たちに帰還指示が出され、巡視艇は加速する。船長は二十ミリ機関砲の用意を命じた。

 はたして。

〔しらぬい〕がゴムボートに合流するよりも早く、非常事態の原因が姿を表した。マスト、艦橋といった構造物が現れ、続いて煙突、そして近代海戦の主砲といえる対艦ミサイル、魚雷発射管が姿を現す。

「おいシンイチ、あれはひょっとして」

 アキラがスマートフォンで画像を収集する。ユウがのぞきこんで言った。

「やっぱり消息を絶ったっていう〔マルシャーク〕じゃないの? 巡洋艦じゃなくて潜水艦じゃない」

「あいかわらずお前はそそっかしいな、ユウ・喫水線の下を見ろよ」

 カズヤに言われ、残り全員がマルシャークの方を見やる。喫水線下に現れたのは、灰色のなだらかな曲線だった。

「最後の通信は、嘘じゃなかったな」

 海中より、巡視艇の前に姿を表したのは、いわゆる〔首長竜〕。

 その背中にマルシャークを乗せた、全長百五十メートルはある海竜だった。


 船長命令により、巡視艇が機関砲を発射する。以前は一発撃つだけで膨大な量の報告書が必要とされていた兵装であるが、そんなことを言っている場合ではない。そもそも怪獣が頻発するようになってから、始末書のたぐいも簡略化されている。

「シンイチ、にわか知識だけど、訊いていいか?」

「向学心に免じて質問を許可しよう、カズヤ」

「小学校の図書室の恐竜図鑑で得た知識によれば、首長竜の全長はせいぜい十二メートル程度のはずだけどな。あれは十倍以上ある」

「まずは君の見解を聞かせてくれたまえ」

「宇宙人が、化石の遺伝子を使って作り出した怪獣。ただでっかくなるだけじゃなく、巡洋艦のほぼすべてを融合した……」

「〔海竜軍艦〕といったところね。ちなみに首長竜ってのは正確には恐竜じゃないのよね」

「僕が先に言おうとした豆知識だぞ、ユウ!」

 どちらを獲物に定めたのか。海竜軍艦は合流しつつある救難艇と〔しらぬい〕に向かってくる。

「許可をくれ! 巨大化する」

「だめだ。この辺りの水深は急に深くなる。簡易計算だが、あの怪獣の体重は三万トンはある。陸上と違って、体重とパワーを使って水中に引き込まれたら、一巻の終わりだ」

「ほんなら」

 ちょっとフラフラしながらエレナが出てくる。船酔いは治っていないが、その他は問題ないらしい。

「うちの出番か」

 カズヤたちは互いに顔を見合わせ、他に選択肢がないことを確認した。

「見せてもらおうか。本物のアストロマンの実力というやつを」

「よっしゃ!」

 元気に甲板に飛び出したエレナだったが、船首まで行くとそのまま佇み、申し訳無さそうに振り向いた。

「……すまん。忘れ物した」

「え」

「本星にアイテム忘れてきた。生きるか死ぬかの瀬戸際にならんと、元の姿に戻れへん」

 カズヤたちだけでなく、その場に居合わせた海上保安官全員が加わり、渾身の「あほ~お!」が放たれた。

 やるせない怒りに呼び寄せられたか。海竜軍艦は巡視艇に狙いを定めた。敵意と殺気に満たされた巨体が、巡視艇にのしかかる。船体の中央が凹み、甲板が波の下に沈む。〔しらぬい〕は八十度傾いた。

 船内に大量の海水がなだれ込む寸前、〔しらぬい〕を、二つの光が包んだ。

 細かい粒子の光は花火のように膨れ上がり、それぞれ巨人の形をなしていく。一人は巨大化したカズヤ、もう一人はようやく命の危機とやらを感じて巨大化できたエレナだ。身長三十九メートルといささか小柄だが、姿はまごうことなきアストロマンだ。

「エレナ、海竜軍艦を頼む。僕は巡視艇を離す」

「ドゥワッ!」

 一般的なアストロマンは五万トン程度のタンカーなら軽々と持ち上げられるが、単に巨大化しただけのカズヤは自分の体重の二倍弱、つまり二千トンがせいぜいである。〔しらぬい〕の排水量が千八百トンなのは偶然ではなく、こうした事態を見越してシンイチが頼んでおいたのだ。

 一度海水に浸かった機関は再始動に時間がかかるため、カズヤは〔しらぬい〕を抱えて浅瀬まで運び、着床させた。

 その間、エレナは海竜の首を掴み、ぐいとひっぱり、豪快に振り回した。

「ダーッ!」

 そのまま鴨が根島に放り投げる。三万トンの体重が島を揺るがし、浜辺の砂を巻き上げる。木々がざわめき、枝を揺らし、島を戦場にするなと訴えた。

 鰭を動かして海に戻ろうとするところに、エレナが立ちはだかった。

 海竜が首を下げる。降伏ではない。背中、つまりマルシャークの甲板に装備した対艦ミサイルが、エレナを向いている。海竜は、どうやら兵装を自在に使えるらしい。

 放たれたミサイルは、最初の二発は避けられたが、三発目がエレナの腹に命中した。

「ドォゥワッ!」

 強烈なボディブローを食らったほどの威力はあり、エレナは尻もちをついた。だがさすがはアストロ戦士、すぐに立ち上がり、四発目以降ははたき落とした。

 装填までの隙を付き、エレナは距離を詰め、海竜の頭に強烈な左フックを見舞った。続けて右フック、アッパー、打ち下ろし。長い首の先端にある頭部を上下左右に殴る。脳へのダメージが効いたのか、海竜は武器管制ができなくなった。ただでさえ足場の悪い陸地に上げられ、海竜軍艦はあきらかに死に体だ。

 エレナが、利き手である左手を高々と掲げる。とどめの光線技は練習中だが、「カズヤのナットリウム光壁のようなバリアを手の先端に集中させ、鋭い手刀に」するくらいはできる。これで、海竜の頭をかち割ってやろうと、大きく振りかぶり、真上に飛んだ。

 見ていて、「決まったな」と思ったカズヤだったが――。次の瞬間に見たものは、弾き返されるエレナだった。

 海竜の反撃ではない。怪獣をかばうように、もう一体の巨人が立ちはだかっている。カズヤは直覚した。彼が初めて目にする義兄・アストロマンベクターの本来の姿なのだと。

 エレナも当然、わかってはいるが、尻餅をついたまま、事態を飲み込めずにいた。

「ダッ」

 撤退しろと、ベクターは言っている。なにゆえ海竜軍艦を守ろうとするのか。その理由を語らないまま、ベクターは背中に海流軍艦のミサイルを食らった。

 再び海竜軍艦に立ち向かおうとするエレナを、ベクターは押し止める。「何をやってるんだ」と、巡視艇の船長が呟くほどの奇妙な光景だった。

「なにか、怪獣を攻撃してはいけない理由があるのだと思います」

 シンイチは船長にそう進言した。

「カズヤ、聞こえる? エレナに言葉が通じる?」

「ああ、なんとなくだけど」

「さすが、アストロマンの血を継いでいるだけのことはあるわね。エレナが地球人の姿に戻ったら、そのままつかんで船に戻ってきて。捜索はいったん諦めて、撤退するわ」

「わかった、ユウ。でも、岩橋さんたちは放っておいていいのか?」

「ドローンで捜索しても見当たらなかったから、うまく隠れているのよ」

 エレナにとっちめられた海竜軍艦はとっくに海に逃げ帰っている。「なんでや~」という声に振り向くと、地球人の姿になって浜辺でジタバタもがいているエレナがいた。


   Ⅲ


 カズヤたちが〔ラーメン菱美〕に戻ると、すでにベクターがコウジと二人、小上がりでビールを飲んでいた。

「ええご身分やな」

 エレナが、血相を変えて詰め寄る。

「本日のヒーロータイムは終了なもんでな。お前もだろ。カズヤたちも、こっちに来て飯食えよ」

「その前に言うことあるやろ」

「我儘言って、リリィさんたちに迷惑かけてないか?」

「迷惑かけられとんのはこっちや! カズヤたちだけやない。海保の兄ちゃん姉ちゃん総勢百名にまで出動願ったっちゅうのに獲物を取り逃がして、こちとら赤っ恥や。……まさかあんた、最終試練の時みたく、あの怪獣に情けかけとるんと違うか?」

「だったらどうする?」

「あんた、どんだけうちの顔に泥塗るつもりや。ごまかさんで、ほんまの理由をしかしか白状せんかい!」

「あの怪獣の腹の中には、乗組員たちが飲み込まれたままだ」

「待ってくれ」

 カズヤは身内として、緩衝材の役割を買った。

「たしかにマルシャークの乗組員は消息を絶っている。帰る途中、外務省経由でニコライ共和国に問い合わせてみたけれど、共和国側は最初否定してたんだ。写真やらミサイルのデータやらを送って、やっと『乗務員は全員死亡した』って回答があったんだ」

「カズヤの言う通りだ。〔しらぬい〕からも無線で呼びかけたが、応答はなかった」

「だいいち、放っておいたら他の船が沈められるわ」

 シンイチとユウもフォローに入った。

「応答できない状況だったとしたら?」

 カズヤたちははっと気づき、互いに顔を見合わせた。たしかに、艦の統制まで握られているということならば、監禁に近い状態だと考えても良い。

「こちとら何も好きで人殺しに来たんと違う。覚悟の上や。そんなん考えて躊躇しとったら、侵略性宇宙人の思うつぼやないかい」

「お前は地球に来た意味をわかっていない。そんなざまじゃ、これは渡せないな」

「あ……」

 ベクターの手には、不思議な光を放つ六角柱の、金属とも結晶体にも見えるものが提げられていた。それがエレナの変身に必要なアイテムなのだと、カズヤたちは直ちに理解した。

「大事なもん忘れていきやがって。俺が書類全部そろえてやったの忘れたとは言わせないぞ。ヒロイン気取る前に、せめて地球に来る上での心構えを思い出せ」

「んなもん忘れたわ。さっさとよこさんかい泥棒!」

「忘れ物持ってきてやったのに、その言いぐさはなんだ!」

「まあまあまあまあ」

「お二人ともそう意地を張らずに」

 カズヤとシンイチは、漫才コンビのような腰つきで二人の間に割って入った。

「わっかんないかな、エレナ。ベクターは、君のことが好きなんだよ」

「――は?」

「アストロ戦士としては君の方が秀でているが、地球人をむざむざ見殺しにするような真似はさせたくないのだ」

「それを素直に言い出せないもんだから、こういう回りくどい真似してるんだよ。なっ……。って、痛い痛い痛い痛い! なんで耳引っ張んだよユウ?」

「シンイチ、君もだ。ちっと表に顔貸せや」

「え? アキラ。なんで君までチンピラみたいな目つきで拙僧の髪の毛をアイテテテ引っ張らないでっ!」


「グゲェェェェェェ苦じい苦じい。ユウ、気管が食道が頸動脈がっ! ズキュンバキュンと全身に響く」

「アキラ、君いつの間にこんな拷問技を? 痛い痛い関節も痛いが義足の関節に挟まれた皮も痛い。 こんな苦行は初めてっ!」

 表に引っ張り出されたカズヤたちは、女子ーズから怒りの拷問技で責められていた。

「このアホッアホッアホッ! 得意げになって袖から舞台に躍り出やがってこの猿面冠者どもがっ。あの二人の関係は、こちとらとっくにお見通しなのよ!」

「ループもスイッチバックもアプトも使わずに、いきなりトンネルでぶち抜くような無粋な真似を、よくもしでかしてくれたもんだなシンイチさんよぉええっ?」

「あいたたたた君、鉄女だったのか?」

「少女漫画で言えば一年かけてようやく互いの気持ちに気づくネームを、季刊の読み切り別冊で出しちゃうみたいな扱いしてくれてからにっ!」

「最低でも半年かけて生暖かい目で見守りつつネタにしていじり倒してやるのが作法ってもんじゃあないか?」

「二人揃ってゲスな趣味だなー」

「見なさい、あの二人。あんたたちに無粋なネタばらしされて、互いに顔も見られず、お見合いみたいに黙ってうつむいたまんまじゃないの!」

「ああ、しかしこれはこれで乙なものだな」

「ふふっ。最初にあの顔見たときはとんでもねー邪魔者が来たと思ったけど、遠い宇宙の彼方から最高の飯の友がやってきたわ!」

 ユウはカズヤを解放すると、いつの間にか携えていた炊飯器から山盛りのご飯をついで頬張った。

「ユウ、それ、うちの業務用炊飯器……」

「ボクにも大盛り一丁だ、ユウ!」

 同じくシンイチを解放したアキラが丼を差し出した。

「ほいなっ」

「銀シャリが」

「美味い!」

 二人して炊きたてご飯をうまそうに頬ばる。

「銀シャリが」

「美味いっ!」

 ゲスの極みな乙女どもが日本人に生まれた喜びを堪能している間に、エレナを連れ出したのは 、コウジだった。


 夕焼けに染まる公園で、一人の女の子がジャングルジムで遊んでいた。兄だろうか。それを、いつでも手を差し伸べられるよう、下で見守っている少年がいる。

「うちらにも、あんな時代があったんやな」

 エレナがベンチで呟いた。

「アストロ戦士としての訓練も、そして試練も、生半可な覚悟でできるものじゃない。ベクターは途中までは乗り越え、最後に断念した」

「今日と同じや。最後の試験で、あいつ、命乞いする怪獣にトドメさせへんかった。いらん情けかけよってなあ。背中を角で串刺しにされよった」

「違うだろ」

 コウジは、笑って言った。

「息子と同じ無粋なことをいうかもしれん。あいつは漏らさないが、怪獣に刺されたのは、あいつを庇った君の方だろ?」

「……」

「それが、あいつが戦士の道を断念した本当の理由だ」

「怪獣の命乞い芝居にひっかかるとはなあ〜。再試験ちゅう手もあったのに、ベクターのやつ、諦めが良すぎや」

「君が倒れた後、ベクターは怪獣を倒した。立場が逆なら、君が怪獣を倒していただろう。だが能力の問題じゃない。倒さねばならないときに、非情に徹しきれなかった自分を、あいつは戦士の資格なしと判断した。〔覚悟〕が戦士の第一条件だ。だから君がアストロ戦士になっても、あいつには反対する理由が見つからなかった」

「じゃあなんで、今日みたいな真似したん?」

「それでも、なんだよ。理屈ではわかっていても、怪獣ではなく、君が地球人を殺してしまえば、君は遺族に恨まれる。ベクターは、汚れ仕事をさせたくなかった」

「あほや」

「そうだとも。あいつも所詮、馬鹿な生き物である男だってことを知っておいてくれ」


 その日から数日間、台風のため、岩橋たちの救助は中断となっていた。

「とりあえず水の心配はなさそうだな」

 夜も九時が迫るという部室で、シンイチは、インカムとキーボードでどこかのATM隊員と連絡をとりあっている。

「ふー、ひどいもんだ。みんな雨の日だからって、容赦なしに出前の注文するんだからな」

 ユウに仰せつかった課題をこなし、ついでに主不在の〔はがねや〕で出前を手伝っているカズヤも、部室に戻ってくる。

「フタバさんが言っていた邑藤っていうディレクター、いろいろと焦げくさい情報が入ってきてるねえ」

 スマートフォンを片手に、アキラがもう一方の経過報告に入った。

「覚えてるかな? ちょっと前まで、〔辞表、叩きつけました〕っていう番組をやってたんだよ。不本意な就職をしたり、ブラック企業に勤めていた会社員が退職して、起業する姿を追ったドキュメンタリー。視聴者ってのは残酷なもんでね。うまくいったケースより、うまくいかなくって、家族同士でギクシャクする様を好むんだ」

「思い出したわ。あれ、ヤラセが発覚して袋叩きにされたのよね。赤字経営で奥さんと離婚の危機だったはずが、実際はうまくいってましたって。――ほらカズヤ、サボらないで。回復の呼吸の練習よ。これマスターすれば、スタミナが無限大に湧いてくるからね」

「しばらく経ってから始めたのが、今回の〔昔のコンビで出ています〕。だけど相変わらずのイジり企画で、いいかげんスポンサーからもクレームが来てる。予算も部下も削られて、捲土重来を図っていたらしい」

「で、その落ち目ディレクターはどこ?」

「ヘリコプターを手配したのを最後に行方不明だったけど、やっとそのヘリの会社に連絡がついたそうだ。芸人を二人、鴨が根島に送るフライト計画を立てたって」

「迎えは?」

「『おって連絡する』と言ったきり、逐電」

「あのね、さっきから二人だけで喋ってるけど、僕にもなにか台詞ちょうだい。いちおう主役なんだけど?」

「じゃあ、あの二人の様子を聞かせてよ」

「それって本筋に何の関係が? 様子も何も、帰ってきたエレナがベクターと鉢合わせしたんだけど」

「「ほうほう」」

 本題そっちのけで乙女二人が身を乗り出す。

「二人で見つめ合って」

「「ほうほう!!」」

「『保留!』と叫びあって、そのまんまだな」

「おのれ、一度フラグが立ったらその後はドミノ式にイベントを消化するというセオリーを、一時的に棚上げしたわね!」

「さっすがはアストロ戦士、切り替えが早いな!」

「くっ、うまく切り抜けたわね。しかし、互いの態度を保留したと言っても完全に意識の隅っこに追いやられるわけじゃないわ。我々はこれからも二人の動向を注視していくわ」

「たちの悪いミステリー番組のディレクターか、お前ら」


   Ⅳ


 一週間後。

 ATMは、再び〔しらぬい〕に乗って鴨が根島に向かっていた。台風は去ったが、島一帯には分厚い雲が残る。メンバーは同じだが、海上保安庁の通信設備を経由し、小笠原諸島在住のメンバーだけでなく気象台とも連携をとっている。巡視艇だけではなく、上空では海上自衛隊の哨戒機が旋回している。

「なあシンイチ。僕たちはこうして鴨が根島に向かっているわけなんだが、よく考えてみればおかしくないか?」

「そうだな、カズヤ。一見すると、君の言う通りおかしく見える。邑藤ディレクターのバラエティ番組企画と、海竜軍艦が結びつくのかという点だろう」

「この前は普通に戦ったけどな。うちも、あの怪獣が、ここに現れる理由がわからんわ」

「もっともだ、エレナ。だが理由のいくつかは説明がつく。まず第一に、あの怪獣のエネルギー源は首長竜と同様、動物性の蛋白質、つまり肉だ」

「そして鴨が根島近海は、古来より絶好の鯨の漁場だったりする」

 アキラがあとを続けた。

「海竜軍艦を作ったやつと邑藤とで、餌の補給と番組作りっていう利害が一致したわけね。でもそうなると、本当の敵の狙いは何なの? 〔マルシャーク〕を人質にしておしまいなわけないわよね」

「その答えが、我々自身だ。拙僧の仮説が正しければ、船が鴨が根島に近づけば、必ず海竜軍艦は現れる」

「それって……」

 ユウは問い返しを中断した。前方の海面の隆起が、シンイチの仮説を裏付けたからだ。

「さて出番だよお姫様。今の所ベクターはいないけど」

「しつこいわ!」

 千年スケールで年上のはずだが、アキラはエレナを年下の妹分のようにからかっていた。

「ほな、行くで!」

「暫くぅ」

 やる気満々のところにユウから襟首を掴まれ、エレナは「ぐえ」という少女らしからぬ声をあげた。

「まずはカズヤからよ。本物のアストロマンに比べればちょい非力だけど、活動時間無制限なのが数少ない利点だからね」

「僕は前座かよ」

「二ツ目になりたかったらさっさと雑用こなしなさい」

 二人の問答を、エレナは少し羨ましげに見ていた。


 シンイチたちが甲板上に用意された計測器で海竜軍艦を捉えると、すかさずカズヤは巨大化した。

 体重三万トン超の怪獣を相手にするカズヤは、プロレスラーに向かっていく子供よりも貧弱で、滑稽にさえ見える。長い首にくらいついても、すぐに放り投げられる。ミサイルの連射を受け、数少ない能力のナットリウム光壁で弾き、逃げ惑うのが精一杯だ。

 その隙に、シンイチたちは海竜軍艦を徹底的にスキャンしていた。

「絵本の〔ねずみのすもう〕を思い出すな――。いや、褒めてるんだぜユウ。うわ、岩礁に叩きつけられて痛そう」

「あの程度は平気よ、アキラ。見てたでしょ? ちゃんと受身とってるもの」

「苦し紛れに浮かんでいた海藻をつかんで投げたぞ」

「アカモクかな? だったらお土産に持って帰るのに」

「いや、テングサだな。心太の材料にはなるが、金にはならないよ」

「ちょっと待たんかい二人とも! ちったぁカズヤの心配したれや」

「心配無用よ。ちゃんと仕事してるもの」

「悪あがきしとるだけやないかい。ほら見んかい、ミサイルのハッチが開いたで。あれ命中したらあかんやつやろ」

「その悪あがきが、いいんじゃあないか。見ろ!」

 苦し紛れに投げつけた海藻が、開いたミサイルのポッドに絡みついた。

「うまく狙ったわね。ああいう近代兵器って、ちょっとでも障害物があると安全装置が働いて、使い物にならなくなるのよ」

「というわけで、お膳立て完了だ。行ってきたまえ」

「ほな、お言葉に甘えて」

 ベクターが持ってきてくれた〔アストロケット〕を首から外し、エレナは高々と掲げた。

〔しらぬい〕の甲板から、金色の光球が飛び出す。尻もちをつくカズヤの前に、光の巨人が現れた。

「ダーッ(誰が、戦う栗まんじゅうやねん)!」

 首長竜は、その頭にいきなりチョップを食らった。

「気にしてたんだな」

「うむ、いきなりのキレ芸とは、ポイント高いわね」

「食らった当人にとってはわけがわからんだろうがな!」

 跳躍し、海竜軍艦の背後に回ったエレナは尻尾を掴み、「デアッ!」と振り回した。そのまま、鴨が根島の岸へと投げ飛ばす。

 エレナは後を追って上陸する。身を屈め、頭部ではなく首元を狙って、上体を突き上げた。

「さすがだな。狙いが正確だ」

 エレナもまた一週間、ただ休んでいたわけではない。コウジの紹介で、露天の飴細工職人を紹介してもらい、海竜軍艦の百分の一スケールモデルを製作してもらった。さらに首長竜の骨格標本を参考に、攻め方を研究していたのだ。

「首長竜に管制をも乗っ取らせる能力をもたせるには、それなりのスペースが必要だ。だが生物の体はおよそ無駄というものがない。筋肉ももちろん、心臓も肺も消化器も肝臓も、そのままの形で使いたいだろう」

「つまり、取っ払って良い箇所は――」

「生殖器のある、下腹部」

 がら空きとなった下腹部を、エレナは思いっきり蹴り上げた。

「有効だ。ソナーが、金属がひしゃげる音を拾っている」

 上空を覆っていた雲が、にわかに厚みを増した。たちまちのうちに驟雨が襲いかかり、稲妻がエレナと怪獣を叩く。雷雨をものともせずに戦うその姿は、やはり壮絶だった。

 ところが、順調に攻撃を続けていたエレナが、突然弾き飛ばされた。

 体勢を立て直し、再び殴りかかっても、見えない手により跳ね返されてしまう。

「デアッ!」

 エレナの目が緑色に変色する。それまでとは様子が変わり、攻めあぐねているようだった。

「カズヤ、聞こえるか? エレナの目が可視光以外の物体を感知しているんじゃないか」

「ああ、バリアーだって言ってる」

「だったら話が早いわ。カズヤ、今こそ特訓の成果よ。エレナに光線を撃つように言って。狙いは適当でいいから、何が何でも前に飛ばせってね!」

「なるほど、これで納得いった! ユウ、お前これを予期していたんだな?」

「ううん。ただの偶然。使える機会がたまたま今回だっただけ」

「お前の『結果オーライ』に、僕は今までどれだけ青春を浪費してきたことか」

 ぼやきながらも、カズヤはエレナの前に躍り出た。

「ぬんっ!」

 両腕を挙げ、掌にナットリウム光壁を作り出す。掌サイズだった光壁は、カズヤが「ぐぬぬぬぬ……」と力を込め、両側に引っ張ると、捏ねた生地のように広がった。四角ではなく、丸に。ただの丸ではなく、中央が厚い。

「あれは、凸面鏡か?」

「いや、シンイチ。凸レンズだ」

 アキラが答える。ナットリウム光壁が鏡ではなく、プリズムのような光学結晶に近いものだと見抜いていたユウは、伸展だけでなく屈折角度の調整をカズヤに課していた。

 アストロ戦士としての直感か。エレナは言葉で説明するよりも早く、膝まづいたカズヤの後ろに立ち、アストロニウム光線の構えをとった。

 全員が、用意したサングラスをかける。

 エレナの組んだ両手から、眩い光が放たれた。アストロマンヘプタのものに比べれば見栄えが悪い。花火のように飛び散った光線だったが、カズヤが作り出した凸レンズに吸い込まれると、一点に収束した。

 海竜軍艦のバリアに当たると、形容しがたい甲高い音が響いた。分厚い防弾ガラスを、太い鉄の串で力任せに突くような。海竜の方もバリアの出力を高める。負けじとエレナも光線にエネルギーを集中する。やがて、エレナのエナジーインジケーターが点滅を始めた。

「なんで、点滅パターンが『チョチョンがチョン♪』なんだ?」

 シンイチだけでなく、ユウもアキラも、そして〔しらぬい〕乗務員も、つられて合いの手を打っている。膠着状態は二十秒続き ――。

 エレナの光線が、止まった。直後、カズヤのナットリウムレンズも消える。

「二人とも、エネルギー切れか?」

 焦るシンイチ。海竜のバリアも消える。

 ユウは、ニヤリと笑った。

「ひっかかった」

 次の瞬間。カズヤが再び、瞬時にナットリウムレンズを展開。そこに完璧に合わせたタイミングで、エレナが光線を放った。一点に集中した光線が、首長竜の脳天を貫く。

「え? なに今の技」

「でっかくなる前に耳打ちしといたのよ。こちらがエネルギー切れと見せかけて不意をつく。名付けて、〔アストロ騙し討ち〕」

「う~ん、卑怯だねえ」

「卑怯でしょぉ♪」

「だがそれがいい!」

 バリアで防がなければならないということは、やはり脳のある頭部は急所だったらしい。海竜軍艦は機能を停止し、鴨が根島の浜辺に長い首を横たえた。

「おっしゃ。本日の仕事はこれまでや。ええ汗かいた。帰ったら銭湯行ってコーヒー牛乳飲もか」

「僕も」と、エレナに続いて元のサイズに戻ろうとするカズヤだったが、「待った」がかかった。

「どうした、シンイチ?」

「失念しているだろう、カズヤ」

「ああ、浜川さんたちのことか」

「違う。その二人は人力で救助できるだろう。怪獣を作り、マルシャークを事実上の人質に取ったのは、一体誰だ?」

「そういえば……」

 カズヤに答えたのは、海面の隆起だった。カーキ色の船体が波の上に現れた。チョウチンアンコウをスリムにしたような体型の、潜水艇だった。

 鴨が根島の海岸に、潜水艇はぽんと放り投げられた。

「ベクターか!?」

 エレナの前に姿を表さないのは照れからなのか。海中には、アストロマンの姿になって頭をポリポリかいているベクターが隠れているのだろう。

「どれどれ」

 カズヤは潜水艇を拾い上げ、バーテンダーよろしくシェイクシェイクした。

 ハッチをむしりとって、おみくじのように振ると――。

「うげぇぇぇ~」

「こんな近くに隠れてたのか」

 脳みそまでシェイクされて、フラフラになった邑藤がぽろんと出てきた。

「カズヤ、潜水艇の中には、もう誰も居ないのか? 他に何もないのか?」

 双眼鏡で様子を見ていたシンイチに言われ、潜水艇を万華鏡のように回し覗いて見るが、誰もいないようだった。

「おかしいな。ディレクターがカメラマンもつけず、撮影用の機材も持っていない。だいいち、あんな潜水艇をどこから調達したのか」

「カズヤ、そいつをつまみ上げて、落としてみろ」

 アキラが、無情とも言える指示を出した。

「えっ?」

「いいから、やってみてくれ。なるべく高いところからな」

「……ああ、そういうことか。分かったよ!」

 カズヤは、言われた通りに邑藤をつまみ上げ、放り投げた。カズヤの身長の二倍だからビルの二十五階。落ちれば即死の高度だったが。落地の直前、邑藤は正体を表した。

 カズヤと同程度にまで巨大化した、ヴォーダン星人になっていた。

「いったいこの地球には、お前たちの仲間が何人来てるんだよ?」

 カズヤは、いささかうんざりした顔でぼやいた。

「そんな一人前の台詞は、一人で戦ってから言え!」

 ヴォーダンDは、不機嫌そうだった。

「カズヤ、拙僧の言葉をそのまま伝えてみろ――。『マルシャークを狙ったのは偶然じゃない。その怪獣で乗組員が人質を取っているからすぐには攻撃できない。沈めても放置しても、互いの犠牲者の遺族の間には軋轢が残る。その様子を世界中に中継するにあたり、まがりなりにもマスコミの関係者だった邑藤と協力するメリットが生じた』」

 ヴォーダンの嘲笑が、カズヤには分かった。

「協力――。そうさな、そんな言葉を使ったか。業界でも干されて後が無いあの男は、藁にもすがる思いで手を握ってきたよ。餌をもらえる野良犬のようにな」

「父さんが言っていたな。宇宙人は直接地球人の姿を取る場合もあるが、傷ついた人間の体と融合することもある。お前はそあのディレクターと融合し、体を乗っ取ったんだな?」

「業界で生き残れなければ、消えてしまいたいと望んでいたからな。地球人同士で恨みを増幅させ、殺し合いまで持って行きたかったのだが、残念だよ。おかげで企画が台無しだ」

「企画だって?」

「今回の企画が成功すれば、似たように地球人の間に怨嗟の種を植え付けていく。同族同士で殺し合う姿は、宇宙人にとって最高の娯楽の一つだ。……おやどうしたその顔は」

「吐き気をこらえてるんだ。それと、訂正しろ。中にはお前みたいな変態種族もいるだろうけど、他の宇宙人まで一緒にするな。迷惑だ」

「違うものか。お前たちが探しているあの二人も、見ているがいい、いずれ互いに譲れないものを取り合って争うはずだった。その有様を見て娯楽にしているのは、おまえたち地球人ではないか」

「はるばる地球に来て、ワイドショーか昼ドラしか見るもの無かったのか? ヴォーダン星人てのは、意外と暇で頭悪いんだな」

「頭が悪いのは君の方だ。いいかね、見かけこそ似ているが、君と私とでは体の強度が違う。このとおり――」

 ヴォーダン星人の顔の真ん中が、蕾が開くように割れたかと思うと、真っ赤な光弾が吐き出された。

「避けなさい!」とユウに言われるまでもなく、避ける。カズヤがいた位置を素通りした光弾は音速で飛んでいき、水平線の近くでボン! と派手な水蒸気爆発を起こした。

「光線を出せる本物のアストロマンは、本日時間切れのようだな」

「確かに、僕にはそんな芸当はない。でも、光線技に勝るとも劣らない、たくさんの仲間がいる」

「君は、数十匹の蟻がたかってきた所で、負ける気がするかね?」

「蟻じゃなくて蜂だ。一撃必殺の針があって、しかも知恵がある蜂だ!」

 カズヤはヴォーダンDに突進した。火球をナットリウム光壁で弾き返し、距離を詰め、チョップを見舞う。が――。

 渾身の手刀は、ヴォーダンDの腕になんなく止められた。

「ほれ」

 ヴォーダンDは、カズヤを藁の人形のように弾き飛ばす。受け身を取り、起き上がるカズヤに、すかさず火球が見舞われる。躱すが、その熱はカズヤの髪を焦がした。

 カズヤは起き上がる間際、近くのヤシの木をもぎ取り、ヴォーダンDに投げた。狙いは正確だったが、ヴォーダンDは爪楊枝が当たったほどにも感じていないようだった。

「カメラがないのが残念だな。〔偽アストロマンの最期〕というタイトルでドキュメンタリーを制作すれば、地球人は嫌々ながらでも見るだろうに」

「ノンフィクションってのは、思ったとおりの撮れ高は得られないもんさ」

「父親に比べれば、減らず口だけは達者だ」

「そりゃそうだろ。『デアッ』とか『ヘアッ』に比べればね。それともあんたは、一緒に与太話をする友達もいないのかい?」

「君は、自分の状況が良くわかっていないようだな」

「分かっているともさ。あんたと違って、客観的に見てくれる視聴者兼優秀なディレクターがいるもんでね」

 カズヤは左手と右手を交互に海中に突っ込み、漂っていたホンダワラを時間差で投げつけた。一投目は高く、二投目は低く。ヴォーダンDは落下してくるホンダワラの塊は火球で灰にしたが、二投目は避けそこね、正面から顔に被った。

「ぐあっ!」

 ヴォーダンDは悶え、ただの海藻を顔から引っ剥がすと、火球で念入りに焼いた。

「地球の藻塩の味はお気に召したか? たまには原初に戻って、調味料つきの食事をとってみろよ」

「未進化の野蛮人が!」

 ヴォーダンDは口をさらに大きく広げ、大量の空気を吸い込んだ。直径十倍の巨大な火球が、音速で襲いかかった。

 命中と同時に、高温の火球は爆発した。

「あっけない。こんな出来損ないの、ただでかいだけの地球人に、どうして他の連中は手こずって……」

 が、ヴォーダンDは予期し得ないものをみた。「いい顔だ」とカズヤが嘲笑う。

 火球は、広がったナットリウム光壁に弾かれていた。

「光壁を瞬時に引き伸ばしたのか。さかしい知恵を」

「目には見えないほど小さくとも、僕を励まし、目となり耳となり、知恵を授けてくれる仲間がいる。お前、叱ったり、元気づけてくれる友達がいないだろ?」

「そんなものは不要だ!」

 ヴォーダンDは作戦を切り替え、温度はそのままで小型の火球を連射した。カズヤはナットリウム光壁を駆使して弾き返し、受け流すが、次第に後退していった。地面を転がるたびに、顔が苔や泥で汚れていく。植生がカズヤの巨体を受け止め、蛇やトカゲやムササビが逃げ出していく。火球が炸裂するたび、低く垂れ込める雲まで光が届いていた。

 鴨が根島の森林地帯に逃げても、ヴォーダンDの猛攻は続いた。ヘゴの群生が焼かれ、準絶滅危惧種であるカラスバトが住処を追われて逃げ惑う。

 カズヤを追い詰めるうち、ヴォーダンの目の前に突如として水蒸気がわきあがった。沼の一つを火球で干上がらせてしまったのだ。

 見失ったと思われたカズヤだったが、すぐに見つかった。少し離れた、高さ百五十メートルほどの岩山によじ登っていた。

 右腕を高く掲げるのは、アストロ・チョップの構えである。

「最後の賭けに出たつもりか? 言っておくが、我々の皮膚は鋼鉄並みに硬いぞ。そんなカミソリみたいな刀では、かえって痛い思いをするだけだ」

「それでも、今の僕にはこの技しか無い!」

 ヴォーダンDは勝利を確信した。少しでも威力を増すつもりだろうが、飛行能力があるはずもないただの地球人が跳んでも、空中では体勢を変えられない。火球の格好の的なのだ。

 それも承知で躊躇しているのか。カズヤは両足の位置を変えながら、跳ぶタイミングを見計らっている。

 風が収まった時。カズヤは、跳んだ。

「さらばだ、ただでかいだけの、愚かな地球人よ」

 カズヤは右腕に加え、左腕も掲げた。

「?」

 両腕の間に、光の膜が形成される。エレナとの連携で見せたナットリウム凸レンズだ。まさにその時、レンズの向こうに現れた雲の切れ間から、太陽が射した。レンズに集約された太陽光が、ヴォーダンの目を貫く。

「がぁぁぁっ!?」

 たまらず目を覆った左腕めがけ、アストロ・チョップが閃いた。

 ズウン! と、カズヤの着地に続いてヴォーダンDが倒れる。

「こんな、こんな偶然が……ぐわぁっ?」

 ヴォーダンDが左腕を押さえ、もがく。傷は浅いはずなのに、緑色の鮮血が噴水のように迸っていた。

「偶然じゃないさ。ATMは気象衛星とリンクして、風と雲を観測していた。太陽を背にする位置も、雲が切れるタイミングも、仲間が教えてくれた。そして、鋼鉄並の皮膚が薄い唯一の部分もだ」

 カズヤは、ヴォーダンDの撓骨動脈に当たる部分を切断していた。

「小さくなれば、海保の職員さんが逮捕のついでに応急処置してくれるけど、早くしないと死ぬぞ」

 悲鳴を上げながら小さくなったヴォーダンDに、待機していた海保の職員が群がる。

「こ、これは人権蹂躙だ。星間条約に違反する残虐行為だ! 大問題だぞ、星間戦争に発展するぞ。責任はすべて地球人にあるぞ!」

「あーこりゃ見ものだなあ」

 高見の見物をしていたベクターが、ホームビデオでその様子を撮影していた。

「本星に送ってやろう。格好の研修教材になるぞ」


「岩橋先生、無事に見つかって良かったな」

 いつもどおりのささやかな祝勝会が、〔ラーメン菱美〕の座敷で行われている。

 岩橋と浜川は、雨水や朝露を貯めて飲水とし、地に生える草や海岸で取れる貝、カメノテ、グジマを採って食料にし、一週間を忍耐強く生き延びた。その場に邑藤が居合わせたにしても、彼が喜ぶ映像は撮れなかっただろう。

「で、あのヴォーダンも侵略性宇宙人用の拘置所送りになったわけだな」

 コウジが、大盛りの炒飯を運んできた。カズヤたち四人に加え、エレナ、ベクターも呼ばれている。TVで流れる映像は、活動を停止した海竜軍艦に乗り込む保安署員たちだ。

 戦いの直後、カズヤはヴォーダンの確保は保安庁に任せ、シンイチたちの指示を受けながらさっそく海竜軍艦の「解体」に入った。背に融合したマルシャークからは助け出されたのは五百名中二十名足らず。残りは消化吸収されていた。

「でも、0やなかった。ま、あんたのおかげで余計な恨み買わんですんだわ。一応例は言うとくわ。おおきに」

 エレナがエプロンを着けて、山盛りの皿うどんを運んできた。

「お前な、いいかげんそれ脱げよ。落ち着かん」

「おやー、どないしたんやベクター君。さてはウチのエプロン姿に欲情したか? 鼻血出るほどご奉仕したるで」

「意味わからずに使ってるだろ。誰だ歪な地球の文化教えやがったのは。想像つくけど」

 ユウとアキラが、下手くそな口笛の合奏をした。

 あの時ベクターがエレナを止めなければ、乗組員はエレナの手により、全滅させられていた。もっともニコライ共和国側は謝意を伝えるどころか、領海侵犯が露見すると立場がまずくなるため、「日本の自作自演」と強引に押し通そうとしている。せっかく生き残った乗組員たちは、祖国を失ってしまったわけだ。

「ま、今回のお手柄はお義兄様の御手柄ということで」

「やめろよお前も、そのお義兄様ってのは!」

 照れて感謝の言葉を出しづらいエレナに代わり、カズヤがおどけた口調でベクターにビールを注いだ。

「で、結局、その邑藤ってディレクターはどうなったん?」

 エレナも座敷に上がって、焼売を自分の小皿に取った。

「あのヴォーダンの話によれば、やはり利害が一致して、一体化したそうだ。『自分は怪獣を提供するから、そちらはディレクターとしての肩書を提供しろ』と。だが……」

 シンイチは、話をそのままには受け止めていなかった。

「崖っぷちの邑藤を唆したといった方が正しいな。邑藤も、自分が作りたい番組も作れず、半分は自棄になって――。宇宙人に身を委ねて、この世から消えてしまいたかったのかもしれない」

「ああ、そういえば」

 アキラが、テレビ局経由での情報を思い出した。

「岩橋センセのところのクアンっていう留学生、兄さんが去年日本に出稼ぎに来ていたけど、邑藤の企画のエキストラに応募したそうだね。ろくな装備もつけずに、高山で一週間過ごすっていう。そのまま行方不明になったそうだ」

 クアンは留学の傍ら、支援団体に協力を仰ぎながら、学内で兄を知るものを探していた。

悪天候のために下山もできず、低体温症で亡くなったと知ったのは、つい最近である。

「結局この企画を成し遂げても、待っていたのは告訴だった。出世というより、それすらどうでも良くなったんだろうな。人が罵り合い、離反する様を描くディレクターとしての肩書に固執した邑藤。地球人同士が憎しみ合い、戦争にまで発展する様を記録しようとしたヴォーダン。二人して、自己顕示欲が二重に皮を被っただけの化け物になってしまった。ま、ボクの母親も同じようなものだけどね」

「一体化といえば聞こえがいいが、結局は体も魂も、ヴォーダン星人に吸収されてしまったのだからな。因果応報」

 店の電話が鳴り、シンイチの念仏を遮った。

「おかしいな。営業時間は終わっているって、常連客なら知っているはずなんだけど。出前かな」

「待って、カズヤ。アタシが出るわ」

 電話を取ろうとしたカズヤを押しのけて、ユウが受話器を取った。

「は? 馬鹿じゃないのあんた。怪獣が可愛そうだって? 相手は痛みも恐怖も感じない、ただの兵器なのよ。文句あんならあんたが前に出て耳の下でも撫でてやりゃいいでしょうが。自分じゃ何もできないくせに、文句言ってんじゃないわよ」

 カズヤが怪獣を殺す映像を見ての、匿名での「抗議」の電話をとって一蹴するのは、ユウの役目だった。

 

「絶対に生きて帰るぞ、浜川。フタバが、お前の帰りを待っているんだ。縄文時代は自由恋愛なんてなかった。結婚は、近親婚を防ぐだけじゃない、部族間の交易を深めるための取り決めだった。成人と認められた男は幼馴染と慕い合っていたにしても思いを遂げられず、外の世界に出て、他の誰かが想いを寄せていた他の女性を娶らなければならなかった。種族が生き抜くためだ。そんな切ないドミノの螺旋が連なって、今の俺たちがここに存在しているんだ。ステージに立って脚光を浴びるなんて、幸せの一部分に過ぎない。俺も、今度見合いの話を受けてみる。誰かにとって簡単に、当たり前のように手に入ったものが、他の誰かにとってはどんなに願っても手に入れられないものだったりするんだ」



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