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第三話 正義の仮面

   Ⅰ


 指に泥まみれの犬の死骸がかかった。首輪が嵌まった老犬だった。

 山梨県に来ているカズヤの相手は、怪獣ではない。一週間降り続いた大雨により、大規模な土石流災害が発生し、ATMに救出活動の要請が来たのだ。雨と雷が、容赦なくカズヤの巨体を打ち続ける。

「あいつ、もう何時間になるっけ? シンイチ」

「三時間弱だ。本家のアストロマンならとっくに時間切れだ」

 当初川に沿って流れていた土砂は、市街地にかかる橋に詰まった流木のために横に広がった。両側を急斜面に囲まれた区域であり、集まった土砂は避難場所である小学校にまで流入。校庭、一階のみならず、二階にまで押し寄せていた。

 カズヤは、その周辺で行方不明者を捜索していた。素手で泥をすくい、待機しているダンプカーに移す作業を繰り返していた。先の尖った瓦礫もあり、指先は切り傷だらけだ。凄まじい悪臭を放つヘドロも混じっている。

「時間切れだ!」

 近くの公民館に設置された拠点から、アキラからの電話が入った。日没が過ぎたのだ。これからは消防団と自衛隊が、夜通しの救出作業にあたる。

「大浴場が無料で開放されている。それが終わったら全員夕食だ。地元の婦人会が炊き出しをしてくれて――。ちょ、ちょ、ちょーっ、あんた何だねご婦人っ?」

 ――あんたたち、なに休んでるの! まだコウスケが見つかってないのよ。

 電波に乗って響いてくるヤスリがけのような声に、シンイチはたまらずスマートフォンを耳から離した。スピーカーモードにしていないのに、ユウの耳にも届いた。

 ――大きい体してるんだから、人の倍働きなさいよ! 働かせなさいよ!

「アキラ、すまんがそっちで対応しておいてくれ。カズヤの耳には届いていないから、とりあえず風呂に入れておく」

「あいにくもう届いたよ」

 シンイチの背後には、いつの間にか地球人サイズに戻ったカズヤが立っていた。

「気配に気づかなかったぞ」

「あたしが気配を消して背後から首を掻っ切る特訓したから……」

「君は正義のヒーローになんつー特訓しとるんだ」

「いいよ、シンイチ。僕がもう一踏ん張りしてくる」

「駄目だ」

「駄目よ」

 二人の却下が二百%でシンクロった。

「本来ATMの職務は侵略性宇宙人の情報収集だ。こうやって救助活動にあたることの方が例外なんだ」

「あんたが出たら、他のボランティアだって出るっていうでしょ。暗い中で作業させないのは二重災害を防ぐためじゃない。誰かが怪我したら、あんた責任とれるの?」

「自分の限界を知ったうえで、時には断る勇気を持たなければ、救助に関わるべきではない。不幸が再生産される」

「……なあにその、『まだまだ納得できましぇん』って言いたげな顔は? いいわわかったわよ。あんたが出るならあたしも出る。この雷と雨が降り注ぐ中、真っ暗闇の中で、泥濘に足取られながら、いつ次の土石流が来るかもしれない中徹夜してやるわよ」

「わかったよ!」


 災害対策本部が手配してくれた民宿に入ると、遅れてアキラも合流した。

「まいったね。『孫がまだ行方不明なんだ。捜索を中断するな』っていうご婦人だよ」

「君ならうまく説得してくれると思っていたよ」

 シンイチは、アキラの分の豚汁をついで持ってきた。

「どういたしまして! ご期待に添えて光栄の至りだよ。あとで背中でも流してもらおうかね」

「君の背中の黒子は別の機会に数えよう」

「とりあえずゴハン食べさせてくれよ。デスクワークとはいえ、腹は減るんだ」

 さすがに現場にはいけないアキラだったが、一人本部に残り、集まったATM隊員の振り分けや雨合羽、長靴、工具、交通手段や宿などの手配を行っていたのだ。

 今更報告し合うようなこともなく、四人は黙々と夕食を食べた。塩むすびが温かく、豚汁も脂たっぷりで美味しかったのはありがたかった。

「白状するとね、騒動を収めたのはボクじゃないんだよ」

「家族が割って入ってくれたか」

「半分正しく半分違う。そのご婦人が探せという孫の名前は楡木コウスケといってね。割って入ったのは、彼の母親だ」

「親子三人で暮らしていたの?」

「順を追って話そう。三人とも、二十年前に起きた消失事件は聞いたことがあるかい?」

 記録になったな、とシンイチが呟き、ついでカズヤが「父さんと母さんが話していた」と呟いた。

「あれもヴォーダン星人の仕業だったな。怪獣ではなく、人為的に発生させた異空間に、人間を飲み込ませたものだった。それを人質にとって、当時のATMの解散を要求してきたものだったな」

「主犯たるヴォーダン星人は逃亡して、残された異空間は消滅させられず、父さんが宇宙に運び出した。飲み込まれた人たちの敵も討ってやれず、なんとも後味の悪い事件だったって。ATMの隊員も一人、脱出できずに犠牲になった」

「ところが、それで終わりじゃなかった。レーダーにも引っかからなかったが、その異空間、まだ存在していたんだな。十年後、茨城に現れて、また百人あまりが飲み込まれた。当時そこに住んでいたコウスケの父親も、犠牲になっていたんだ。その母親というのが、ボクのところに怒鳴り込んできたご婦人、コウスケの祖母さ」

「息子の死をきっかけに、山梨に移住していたのか」

「しかも話はそう単純じゃないんだよ、シンイチ。コウスケの父親とご婦人、ユウと同じく、母一人子一人という家庭で育っていてね」

「それが進学と就職で茨城に行っていたわけね――」

「ついでに現地で結婚、と。一人で育ててきた母親にしてみれば、『嫁に息子を奪われた挙句、殺された』と思い込んだんだろうね」

「恨み余って、孫を引き取ったというわけか?」

「その大事な孫を見つけられもせず、捜索を切り上げたんじゃ、たしかにデクノボー呼ばわりもしたくなるか」

「そこなんだよ、カズヤ。拉致同然に息子を奪われて、あげく災害に巻き込まれてしまった。母親にしてみれば、今度は姑に息子を殺されたようなもんだ」

「じゃあ、母親が宥めたんじゃなく……」

「『他人様ばかり働かせないで、自分で出たらどうですか、お義母様』ってね。スコップ片手に雨合羽を着て」

「煽ったのか。さながら般若だな」

「ボクに食って掛かってるどころじゃない。コウスケの祖母にしてみれば、針の筵だ。その母親も、また消防団に囲まれて押し止められていた。うっすら笑っているように見えたが、息子が行方知れずなんだ、半狂乱には違いないだろう」

「シンイチ、やっぱり僕が出る。他のATMメンバーにはうまく言っておいてくれ」

 カズヤは、豚汁を平らげて立ち上がった。

「駄目だと言っているのに、わからん奴だな。君の巨大化は一日に一回という約束だ。それ以上は負担が大きい」

「心配はいらないわ、シンイチ」

 ユウは余裕の表情で、お茶を一服している。

「なぜだ?」

「こんな事もあろうかと、よく効く睡眠薬を養護の先生から拝借しといたのよ。そいつの豚汁に一服盛っておいたわ」

「な、お前、いつのまに――」

 立ち上がったカズヤだったが、あえなくその場に崩れ、一日分の疲れを寝息に替えた。

「いやはやお見事なものだねえ。まったく気づかなかったよ」

 アキラは拍手していた。

「拙僧もだ。保健室にこんな物騒な薬が常備されていたとはな」

「あるわけ無いでしょうが、そんなもん。ブラ何とか効果ってやつよ。小さい頃から実験して分かってるの。効能を高らかに謳って飲ませれば、うどん粉でどんな病気でも治せるわよ。ほら、手伝って頂戴。布団まで運んでやらなきゃ。カズヤが一番奥で、シンイチが扉のそばね。夜中に目を覚まして抜け出そうとしても、踏んづけられたらわかるでしょ」


「わひょわぁぎゃ~~っ!!!!!!」

 翌朝八時、シンイチは奇怪な絶叫とともに飛び上がった。

「坊主の割には、君、存外に寝起きが悪いねえ。そんなんで朝が務まるのかい?」

 アキラの手には、民宿の真の主の猫が抱かれていた。その舌で耳の穴を舐められたのだ。

「あんたの耳の脂はお気に召さないと彼女は仰せよ」

「じゃあカズヤの鼻の脂はお気に召したのかな、ユウ?」

「何言ってるの。日の出と同時に起きて、すっ飛んでったわよ。ふだんは呼びに行ってやっと起きて、遅刻ギリギリのダッシュにつきあわされるのに……」

 民宿の窓からも、巨大化して救出作業に励むカズヤの巨体を確認できた。

「これこれユウ君、幼馴染トークでお腹いっぱいにさせる気かね」

「朝ごはんなら食べたじゃない。ほらシンイチ、何スマホ見てんのよ」

「朝食をとったら、撤収の用意だな」

「なぜ?」

「ついさっき、最後の行方不明者が見つかった。死体でな」


「君の性格の悪さを忘れていたよ」

 撤収の旨を災害対策本部に伝えてきたシンイチに、アキラは毒づいた。

「嘘はいっていない。最後の、行方不明になっていた老人の遺体はカズヤが拾った」

 コウスケの方は、他県から駆けつけたボランティアが無事に発見していた。泥の中ではなく、小学校の理科準備室でだ。迫る濁流から逃れるために逃げ込んだものの、ドアが泥で塞がれ、出られずにいたのだ。

「最後くらい、あいつに花を持たせてやりたかったけどね」

「コウスケ君の死体を見つけて、逆恨みされるよりはましだよ。善意で働いても、必ずしも感謝で返されるとは限らない。ATMにとってもいい勉強になりましたとさ」

「さて、アキラ。カズヤたちと一緒に先に戻っていてくれ。拙僧は、他のATMの帰りの足を手配してから撤収する」


 五時間後、シンイチはユウの母・シヲリが営む喫茶店〔タグ〕において、カズヤたちと合流した。

「先にやってたぞ」

「カズヤ、さすがに未成年なんだから、ノンアルでもビールはまずいだろ」

「シヲリさんは高校の文化祭の打ち上げで飲んだっていってた」

「そんな何十年も――。いや数年前の話が通用するか。そんな姿をスクープされたら、せっかく認められたATMの予算が減らされるだろうが」

 貸し切りというわけにはいかないが、店内の一テーブルにはカズヤたちのために、パスタにチキンソテー、一口カツ、ババロアが並んでいた。。

「お世話になります、シヲリさん」

「お疲れ様。まかない料理みたいなもんだけど、遠慮しないで食べていってね」

「三人とも、拙僧の分もちゃんと残せ」

「お前坊主なんだから野菜だけでいいだろ?」

「野菜も動物も同じ地球の子、太陽の子だ。命に貴賤はない」

「はっはっは二人とも醜いねえ。ボクが全部食べてやろう。初来店だがこりゃうまいねえ、マダム。銀座か白河ででも修行したのかい?」

「味わってのとおりだよ、アキラ。シヲリさんが本気出したら〔ラーメン菱美〕どころか、麹山稲荷駅前商店街の飲食店が壊滅するといわれている」

「しかもン万円のコース料理出す料亭とかレストランは商売をやっていけなくなる。だからシヲリさんはあえて手を抜いているんだ。仮面の料理人だな」

 カズヤとシンイチの評価はおべっかでも大げさでもなかった。小さな喫茶店〔タグ〕は近隣のサラリーマンからランチタイムによく利用されるが。夜はたまに臨時休業する。その理由を訊かれてもシヲリは誤魔化すし、ユウもわからないと話すが、どうやら他の飲食店に、請われて「助っ人」に赴くことがあるらしい。それも冗談抜きで、銀座とか赤坂とかの高級料亭の裏口から出てくるところを目撃されている。

「花板が急病で休んだときとか、お呼びがかかるんだと」

「影の助っ人として名が通ってるんだよ」

「いやいや、料亭でお見合いなのかもしれないぜ。シヲリさん、まだ若くてきれいだからなあ」

 衆生は無責任な事を言うが、小中学校の運動会ともなれば、母手作りの中華とシヲリ手作りのオードブルがシートに並べられ、ユウといっしょに腹一杯食べられた。それだけでも自分は贅沢な生き方をしてきたものだとしみじみ思うカズヤである。

「でもシヲリさん、運動会シーズン以外にも忙しくなるよな。特にお正月とか連休とか」

「本来、アタシは行楽とは縁遠かったはずだけけどね」

 本来縁遠かったはずのユウを遊園地やプールに連れて行ってやったのは、〔タグ〕が休めない日に休みをとったリリィだった。

「あたしがグレずに済んだのも、リリィさんの重箱のおかげよねえ」

「分かってんなら感謝して僕に優しくしろ」

「宇宙滅亡の一分前ならね」


 直接泥に浸かってはいなかったものの、一晩中寒い準備室にいたということで、楡木コウスケは一週間ほど入院することになった。大部屋が埋まっていたので個室に入れられた。

 午後八時になっても、まだ母と祖母の言い争う声が聞こえてくる。付添は自分がやるだの、茨城につれて帰るだの、ここにいさせるだの、だ。あまりにもうるさくて看護師長から注意され、病棟から追い出されていた。罵り合いの場所を敷地外に変えたのだが、遮蔽物もないので罵り合いが筒抜けだ。同級生の親に聞かれることまで頭が回らないらしい。

 五年生になったので、個室でも怖いことはない。だが情けないやら腹が立つやらで眠れない。ゲームや端末はベッドに持ち込めないので、暇も潰せない。

 と――。

 照明が落とされた廊下に、何者かが歩く足音が響いた。母や祖母の靴音とは違う。

 足音はコウスケの部屋の前で止まった。ドアが開き、腕が伸び、傍にあった電灯のスイッチを入れる。照明がついて分かったが、腕は、地球人のものではなかった。

(――まさか)

「夜分に失礼するよ」

 その体表は地球人のものではない。蔦のような模様が、黒い地肌を這っていた。

「ヴォーダン星人!」

 本物を見るのは初めてだが、久しぶりの侵略性宇宙人であるから、新聞のみならずネットにも画像は出回っている。ズーク、ブレンミュアレを操った個体は今宇宙人用拘置所にいるので、コウスケは前に現れたこの個体を〔ヴォーダンC〕と呼ぶことにした。

「すぐさま泣き出してナースコールを押すかと思ったが、意外と冷静だな。さすがだよ」

「何の用だよ。宇宙人ってのは、被災者をからかいに来るくらい暇なのかよ」

「ただからかいに来たわけじゃない。十年ぶりになるが、作戦の成果を確かめに来るのは、むしろ当然だろう」

「作戦?」

 コウスケも、父の「死因」は聞かされている。

「お前が、父さんを殺したのか! 遺族をからかいに来るのが成果だってのか?」

「我々は君たちと違ってね、何事も効率的に物事を進める。本来、一の効果しか挙げられないものを、工夫次第で十にする」

「一人で悦に入っていないで、小学生にも分かりやすく説明してみろよ」

「君の母親と祖母がいい例だ。家族を亡くし、悲しみに耐えきれず錯乱し、本来私に向けるべき敵意を互いに向けあっている。それに対して君はなすすべもなく、無力で、側にいるだけだ。ATM隊員だった君の父親とはえらい違いだ」

「――なんて言った?」

「やはり、知らなかったようだね。ATMの中でも極秘の情報を扱う隊員は、家族にも素性を伏せて、ただの会社員で通しているのだ。十年前、異空間に飲み込ませたのはランダムに選んだ人間じゃない。君の父親のように、我々の作戦の妨げとなる連中だ。戦果は予想以上。遺された連中は無力感に苛まれ、日々を泣いて過ごし、我々に歯向かおうともしない。実に愉快。最高の娯楽だ」

 コウスケは、母が梨の皮を剥いて、そのまま置いていった果物ナイフを掴み、ベッドから飛びおき、ヴォーダンに突進した。

 爬虫類のような腹に、刃は突き刺さったが……。

「こんなもので我々を殺せるとでも? 文字通り、片腹痛い」

 ヴォーダンCは腹からナイフを抜くと、ご丁寧に、コウスケの固まった手に握らせた。

「我々を倒せるのは、アストロマンのように鋼の拳から撃ち出される、闘気という名のエネルギーだよ。君には無理だがね」

 涙目で「くそ、くそう……」と歯噛みするコウスケを見下ろすヴォーダンCは、愉快そうな表情をしているに違いなかった。

「明日もまた君を笑いに来よう。私の顔を見たくないのなら、ママでも警察にでも言えばいい。きっと大事に隔離してくれるよ。そうなれば私の勝ち逃げだ。君のかわりに泣きっ面を拝ませてくれる人間なんて、いくらでもいるんだからな」

 低い笑い声を残し、ヴォーダンCは暗い廊下に消えた。


   Ⅱ


 その男は、いかにも「馴染みの店」に訪れたといった風で、〔タグ〕の扉を開いた。店の隅のボックス席でささやかな宴に興じるカズヤたちに近づき、「よっ」と手を挙げた。

「誰の知り合いだ?」という顔で、カズヤたちは互いに無言で問いかける。

「ユウの知り合いじゃないのか?」

「なんでよ」

「ほら、よくあるだろ。隣に住んでいた年上の男にちょっと優しくされて嫁さん気取りになる幼女が。向こうもロリ趣味な顔してるし、本気にして迎えに来たのかも――。冗談だって、フォークとナイフを上段に振りかぶるのヤメロ」

 ニヤニヤ笑う男は大学生くらいに見えた。銀髪は染めているのではなく地毛らしい。メンズファッション誌から抜け出したようなスタイルだが、瞳が独特な色彩を放っている。

「あんたとは正反対よね」

「僕は年がら年中合コン開くような性格じゃないからな」

「おいおい、ひとを勝手にパリピにすんなよ」

 男は、クラスメイトのようにテーブル席に近づき、アキラの隣に座った。

「シヲリさん、ビールあるかな?」

 不躾にいきなり名前を呼ばれたが、シヲリはいつもどおりの営業スマイルで応じた。

「あなた、未成年じゃなくて?」

「4750歳。青年どころか、シニアでしょ? ――おいおい四人揃って身構えないでくれよ。カズヤはともかく、なんで他の三人まで五徳ナイフ取り出してんの?」

「あんた何者だ。馴れ馴れしくユウの肩に回したその手をどけろ」

「やめろ、カズヤ。殺気が滾ってるぞ。ここは道場じゃない。それに、この人からは敵意を感じない」

 シンイチに諭され、カズヤは固めた拳を解いた。

「ベクター」

 ワンテンポ遅れ、男は答えた。

「アストロマンヘプタの息子さ。最初に〔ラーメン菱美〕に寄ったら、こっちだと教えられたんでな。とりあえず挨拶に来たのさ」


 その晩。

 カズヤが風呂に入っていると、ベクターが入ってきた。

「うちの風呂、二人で入るには狭いんだけどなあ」

「つれないこと言いなさんな。腹違いの兄弟なわけだし。男同士の肌の触れ合いを楽しもうや」

 バスロマンの湯に浸かりながら、ベクターは堪能に日本語で喋った。ベクターは、コウジことアストロマンヘプタの先妻・イェッタとの間に生まれた息子だった。アストロの国の年齢は地球人の二百五十倍と聞いていたので、だいたい十九歳といったところか。

 優男の外見にも関わらず、体には無数の傷跡があって、左脇腹のものは新しかった。

「あんたの母さんは、千年前に病気で亡くなったって聞いたけど」

「俺が3500歳になった頃だった。250年闘病したが、大往生だったよ。おふくろが死んだ後、しばらく親父は腑抜け状態だったんだけどな。とりあえず仕事に専念しろって知的生命体生存惑星への防衛任務につけたんだ。アストロサインを偽造してな」

「それで現地で知り合った母さんとくっついたと」

「俺も就職決まってたし、いい年して反対する理由も無かったんでな」


「くっ、カズヤと一緒に風呂に入るのは、過去と未来のアタシだけに許された特権だったはず……」

 翌日、格闘訓練が終わり、ほっと一息のおやつを食べているカズヤに、ユウは休む間もなく問いかけてきた。

「許さないわ。この一月の特訓で鍛え抜かれた筋肉を包むもっちもっちの皮下脂肪を、アタシに先んじて生で堪能するなんて……」

「お前が両眼を血走らせて何言ってるのか僕には全くわからない」

「で、ベクターって奴はどこ行ったの?」

「夕方まで昼寝して、電車で出てったよ。『他にやることがある』って。昨夜は父さんとビール飲んで、おかげで鼾がうるさかったけど」

「てっきり追加戦士かと思ったのに、使えないやつね。で、あんたの部屋で寝て、根掘り葉掘り訊かれて素直に喋ったの?」

「他愛もないことだよ。仕事のこととか地球人の一般的な生活だとか」

「あんたの嗜好だとか夜のオカズを訊いていいのはアタシだけだからね!」

「なんで夕食の献立までお前に管理されなきゃならないんだよ」

「おーいそこの二名。噛み合わない痴話喧嘩はその程度にして、こっちに来たまえ。――いやそれにしてもこの差し入れの大判焼き、美味いねえ」

「何言ってんの。黄金焼でしょうが」

「あじまんだろ」

「三人とも、甘太郎焼きの地方による雑多な呼称で争ってる場合じゃないぞ。見かけは若干違うかもしれんが、中身はほぼ同じだ」

「――バベルの塔に雷槌を落としたのは他ならぬ君だと思うけどね、シンイチ」

 今川焼きの正式名称争いを休戦状態にし、三人はシンイチが印刷した資料を手に取った。

「一昨日の土石流の現場周辺で、『ヴォーダン星人を目撃した』という通報が入ってな。気になって、アキラと調べてみたんだ」

「この土石流、大雨による上流部にある造成地の下部盛り土の崩落と考えられていたんだけど、ヴォーダンの前に、奇妙な通報もあってね。『盛り土の部分が、ごっそり、もぎ取られるように消えた』と」

「二十年と十年前にも、似た前兆があった。無人島や森林が消滅して、大きな窪みが残されたという。ヴォーダン星人が連れてきた〔空間怪獣〕の仕業だった」

〔空間怪獣〕

 コウジとリリィがATM隊員だった時に起きた怪現象の正体である。前述のとおり、土地や海面の一部が突如として消失した。当然、その場にいた車両や航空機、船舶も、乗員乗客ごと行方不明となった。

「その時の奴が戻ってきたっていうの?」

「そんな被害報告、この一週間内には無かったぞ」

「地上ではなかった。拙僧も不審に思い、別の所の異常がないか、記録されたデータをさらってみた」

 シンイチは、指をまっすぐ上に向けた。

「宇宙? でも最初から何もないところを、どうやって」

「アストロマンヘプタは冥王星の外に、その空間怪獣を放り出した。そのまま永久に宇宙を彷徨うと誰もが願ったが、期待というものは外れる方向に向かうらしい。みんな、〔小惑星帯〕は知っているか?」

「火星と木星の間にある小惑星が数百万以上充満している空間だろ。そのうちの一つが消滅したって言うんじゃないだろうな? 実際は隙間だらけの宙域なんだぜ」

 アキラが、通常であれば満点の正答を出した。

「気になって、ATMの宇宙観測部(ようは天文部)に、国際天文学会が共有しているデータベースを照会してもらった。観測している小惑星のいくつかが、説明のつかない軌道変更をしていたそうだ」

 その怪獣は空間を飲み込み、消滅させていた。重力は時空の歪みだ。無重力に近い空間では、空間消失による歪みが顕著に現れる。

「変更された軌道から空間消失地点を計算し、さらにその行き先を計算してみたところ、地球に向かっていた。古典物理学では説明できない軌道でな」

「次にどこに現れるか、分からないのか?」

「当時のコウジさんたちも相当振り回されたらしい。今回は何かしらの痕跡が残っていないか、現地のATMメンバーが観測した。その結果が今、メールで届いたんだ」

 添付ファイルを展開すると、カズヤとユウには理解し難い、英字と数字のみの表が現れた。アキラが頷き、言った。

「僅かだが、重力の赤方偏移が残っているね!」

「そうだ。今回の敵は、尻尾を完全に隠せなかった」

 要領がつかめないカズヤたちに、シンイチは説明した。相手は、飲み込んで同化した「空間」の質量を得て、少なからず「質量」を得ている。たとえ目に見えなくとも、質量を持った物体が近づけば空間は歪み、重力の異常となって観測される。現地ATMメンバーは、質量を持った物体が遠ざかっていった痕跡を発見したのだ。これを音波のドップラー効果から引用し、〔重力の赤方偏移〕と呼んでいる。

「今度この空間怪獣が現れる際には、逆に〔重力の青方偏移〕が起きるはずだ」

「つまりその観測を全国のATMにやってもらうわけね。その空間怪獣――。なんか味気ないわね。アキラ、いいネーミングない?」

「空隙を現すVOIDと、領域を意味するDOMAINをくっつけて、〔ヴォイドム〕と呼ぶのは如何かな?」

 早速シンイチが、簡易型の重力変動観測装置を募ったところ、実績のある科学部の協力を得たATMから設計図が送られてきた。材料と工具さえあれば、一日で作れる傑作品だ。

「防衛省にかけあって予算を確保しだい、設計図を全国のATMに送る」

「でもシンイチ、相手は小さな〔世界〕なんだろ? どうやって戦うんだ? 僕のチョップじゃ無理だぜ」

「ファンタジー小説じゃあ魔王様がイキってるがね。宇宙を消し去るなんて、意外と簡単なのさ、カズヤ」


「おおおっ!」

 気合を込めたコウスケの拳が、ヴォーダン星人Cの胸を突く。

 一発ではなく二発、三発。ヴォーダンは無言で拳を受けていたが、内心の小馬鹿にする声が聞こえてくるようだった。

 自分でも数え切れなくなるほど打ち込み、とうとう息が上がったところで、やっとヴォーダンは口を開いた。

「看護師と母親と祖母の目を盗み、屋上でのランニング、腕立て伏せ、そして夜に抜け出し、立ち木相手の正拳突きの練習」

「なんで知ってるんだ?」

「君の日課などお見通しだ。結構結構。だが、ATMの日々の訓練に比べれば、それこそ子供騙しだな。まだまだ貧弱だ」

「くそっ、これでも限界まで努力してるんだ!」

「『限界とは言い訳にするものではなく、超えるもの』というのが、ATMの信条だったそうだな。婆ちゃんから、小遣いをたんまりもらっているんだろう? 病院食なんかで体が作れるか。食堂に行って牛丼大盛りでもかきこめ」

「タマネギは……。嫌いなんだ」

「はっはっは、そうだろう。いい年をして好き嫌いなんか言っているから、すぐにスタミナが切れるんだ。加えていつも陰気にうつむいているから学校でも虐められる」

「うるさい、うるさい!」

「暇つぶしにはなるかと思ったが、期待はずれだ。もうじき、私が呼び寄せた怪獣が、地球のすべてを食い荒らす。君は弱さに甘えたまま、ママのおっぱいにしゃぶりついて眺めているがいい」


   Ⅲ


 翌朝、カズヤたちはリニアで静岡県に飛んでいた。ATM静岡支部の情報により、この地点にヴォイドムが出現するという結果を受けてだ。すでに自衛隊のヴォイドム用の砲弾を設計中だ。避難勧告を受け、周囲には住民はいない。

「シンイチ、本当にここに出現するのか?」

 カズヤはスマートフォンで尋ねた。シンイチとアキラは、対空間怪獣用の兵器のデータを調整中である。

「ATMの技術力をお疑いかな?」

「そうじゃない。計算結果とやらに疑念はない。でも、ぼくはここにヴォーダン星人が現れるとは思えないんだ」

「へえ……。あんたにもそんな超能力があるの?」

「勘だ」

「アタシにあっちむいてホイで勝てないあんたが、勘ばたらきを口にするの?」

「その前のジャンケンじゃ圧勝なんだけどなあ。なんてったっけ、自衛隊と共同で開発中の新兵器」

「〔対消滅弾〕」

〔反物質〕を作る装置を内蔵した弾丸である。

「そいつも、怪獣の質量がはっきり判明しないと調整できないっていうじゃないか。出現してから調整するって言うけど、間に合うのかな」

「出現確率が60%と微妙だからね」

「いっそ今から巨大化しておくか?」

「見物人が集まって収集つかなくなるわ」

 二人の会話は、そこで途切れてしまった。

 カズヤとユウが、突如として姿を消したのだ。

 半球状にえぐり取られた断面には、ビルの鉄骨や水を吹き出す水道管、カッターで切ったような電線が残されていた。


 カズヤの視点では、一瞬にして周囲の景色が変わった。傍らには、やはり同様に周囲を見回すユウもいた。

「警戒どころか、一瞬にして飲み込まれたみたいだな」

「シンイチの科学的分析とやらも当てにならないわね。今度の嫌味のネタにとっときましょ」

 ヴォイドムなる空間怪獣の中にいることは、一瞬で理解できた。

「それにしても、カオスな場所だな」

「珍しく同意するわ」

 二人の背後にはオフィスビルが立ち並び、その間をモノレールの線路が走っている。周囲には田畑や瓦葺きの平屋が並んでいた。目を移せば堤防が伸び、主を失った漁船が揺れていた。

 ありふれた部品が、現実世界ではありえない配置をされている。

「カズヤ、あっち」

「ああ」

 ユウが指差す方向に、観覧車があった。ゆっくりとではあるが、動きをなくしたこの世界で、壊れかけのオルゴールのように回っている。

「行ってみよう」

「罠じゃないでしょうね?」

「大丈夫だ。呼ばれている気がするんだ」


 そこは、やはり遊園地だった。

「貸し切りね。昔を思い出すわ」

 カズヤは少しずつ記憶を掘り起こした。父がいなかった時代、母と、ユウとの三人とで訪れ、五年前に廃止になった。〔大船ファンシーランド〕によく似ている。回転木馬、ジェットコースター、観覧車は定番の遊具だが、配置がうりふたつなのだ。

「母さんはいないし弁当もないけどな。だいいち、もう遊園地って年頃じゃない」

「そういうつれないこというから、あんた、彼女の一人もできないのよ」

「下手に彼女なんか作っても、やれデナーとかクリスマス&誕生日プレゼントとか金がかかるんだ。いっしょに遊ぶのはお前一人がいいよ」

「えっ……(トゥクン)」

「金かからないもんな。あとシンイチとアキラも追加しとくか」

「この世界に骨うずめろやぁっ! あ、こいついっちょ前にガードしやがったっ」

「しないとお前の拳がもろ顔面に当たっただろうがっ! どっちにしろ、お前と二人で良かったよ」

「えっ……(再びトゥクン)」

「この遊園地、何度も来たのによく迷子になったからな。母さんの代わりによくお前が迎えにきてくれたよな」

「この世界で永久に彷徨えっ!」

 ――と。

 そこに、場内アナウンスを告げるチャイムが鳴った。

「迷子のお報せをいたします。菱美リリィさんが、お連れの方をお待ちです」


 小さい頃に世話になった迷子センターに、引き取りに行く立場になるとは思わなかった。

〔迷子センター〕と控えめな看板が掲げられたその小屋には、二十代後半の女性が二人を待っていた。リリィではない。肩のあたりで切ったソバージュ、白衣にサンダル履きというくだけた格好だ。

 警戒し、ユウは立ち止まった。

「この人、只者じゃないわ。軍人か何かよ」

「敵じゃないみたいだけど……」

 白衣の下に着ている制服に、カズヤは見覚えがあった。

「ATMの隊員服?」

「思ったとおりね。君、菱美リリィと、コウジの子供でしょ?」

 女性の笑みは、二人の警戒心を解かせた。

「どうしてそれを……」

「顔の作りが、二人の寄せ集めだもの」

「いや、そもそもあなたは一体誰なんですか? 母さんの名前まで借りて呼び出して」

「二人のことならATMにいる時から知っているわ。いえ、私は今でも現役だけどね。――もとの世界では、二十年ほど経ったのかしら?」

 カズヤは、記憶の一つを探り出した。

「母から聞いたことがあります。あなた、ATMの、千里堂カヤ隊員ですね」

 空間怪獣に飲み込まれた犠牲者の一人だった。


「好きに取ってちょうだい。何でもというわけには行かないけれど、ある程度はあるわ」

「すごいな。子供の頃の夢がかなった」

 カヤが二人を連れてきたのは、駄菓子屋だった。

「うわっすっごい、このジュース、十年前にメーカーが倒産したやつよ」

 駄菓子屋とはいえ、四十坪はあり、ちょっとしたコンビニ並の品揃えだ。カップ麺や缶詰以外にも、レトルト、冷凍食品が並んでいる。それらはすべて自動的に補充されるそうだ。

 ただし、新聞の日付は二十年前のままだ。

 三人は、店主が居たであろう小上がりで、めいめいカップ麺とレトルトカレーと缶コーヒーを手にとった。角に置いてあるTVの画面では、主婦向け情報番組が、既に鬼籍に入った芸能人のスキャンダルを放送していた。

「ここにいるのはカヤさんだけですか? ヴォイドム――ぼくたちはこう呼んでいるんですが、最低でも百人が空間怪獣の犠牲になったはずですが」

「いるわよ。外を見てご覧なさい。あの半球型のドーム、二人とも見覚えないかしら?」

 ガラス戸を開けて言われたとおり、右手を見てみる。そこにはたしかに、体育館ほどの大きさの銀色のドームがあった。

「……あれは、スケートリンクだ!」

「ポーラードーム!」

 大船ファンシーランドにあった、年中無休のスケートリンク、〔ポーラードーム〕。

「すごいな。すぐ近くに港があったり住宅街や神社があったり、車両の重量オーバーですぐに廃止になったモノレールがあったり。ロケーションはデタラメだけど、間違いなくここは〔大船ファンシーランド〕だ」

「それだけじゃないわ」

 カヤは言った。

「あなたたちも見てきたとおりよ。みかん山の前に港、農村と漁村、それに遊園地まで並立した世界」

「ここが、ヴォイドムの中なのね」

「私たちは、単純に『この世界』と呼んでいたわ」

「『私たち』ってことは、他にも生存者が?」

「確かめてみる?」

 カヤは、二人をポーラードームに連れて行った。他にも生存者がいると言ったが、三人以外は、誰もいない無人世界だ。ドームの入り口から入った時、ずっと抱いていた違和感の正体に、ユウは気づいた。

「変だわ。何も音がしない。子供の頃入った頃は、氷を作ったり室内を冷やした記す冷却装置の、モーターだとかコンプレッサーの音とかが、排気ダクトを伝って巨人の唸り声みたいに聞こえて、とても気持ち悪かったのを覚えてるのに」

「カヤさん、この施設、いや、この世界の電気とかの供給ってどうなってるんです?」

「質問に答える前に、ひと安心してみない?」

 カヤは、本来であればリンクがある場所を見下ろす位置に、二人を立たせた。

「これは……」

 一瞬、遺体安置所と見間違う光景だった。棺のような透明のカプセルに、真っ白な顔の人間が横たえられている。

「安心して。死んではいないわ」

「ひょっとして、冷凍睡眠?」

「でも、どうやって?」

「『宇宙生体説』って聞いたことはある?」

「『この宇宙が無機質なものではなく、巨大な生命体である』っていう半分オカルトじみた学説よね」

「シンイチとアキラが大真面目で激論交わしてたけど」

「学説ではなく真実であることを、私たちは身をもって知る羽目になったわ。作られたロボットやコンピュータが人間に対して反乱を起こすって、よくSFにあるでしょう。この空間は、ヴォーダンに作られた時は従順なロボットみたいな〔世界〕だったけど、すぐに〔自我〕を持ったのね。小動物並の知能ではあったのだろうけど、生物の本能として、〔成長〕を求めた。自分が放り出された世界と同様に、一つの完成された宇宙になろうとした。そのために、周囲の領域を片っ端から取り込んだ。狙ってやったわけではないでしょうけれど、同時に飲み込んだ人間の『知識』つまり『記憶』までもが、自らを形作る材料になってしまった」

「じゃあ、この街並みは」

「飲み込まれた人たちの記憶ってことか。ああ、だからその時のヴォーダンは、手に負えなくなって途中で放り出したんだな」

「この世界にはなんでもあるわ。店に行けば食料はある。蛇口からは水が出て、コンロからは炎が出て、コンセントからは電気が流れる―」

「え? それはどこから」

「因果が倒錯しているのよ。一般の人は、流通やインフラの詳細な仕組みなど知らない。結果だけを知り、利用している。君たちの言うところのヴォイドムは、それをそのまま実行した。エネルギー源はもちろん、どこかにあるのだろうけれど、結論ありきの世界なの。おかげで、助かったわ」

「この世界で何不自由なく暮らせていたわけですね」

「でも、無条件で生きられるわけじゃない。神話で聞くでしょう? 死後の世界の食べ物を口にしたら、現世には戻れなくなる。この世界も、その毒がゆっくりと効いてくる。生物の命が潰えれば、やがて肉体は分解され、宇宙と一体になる。この世界もそれと同じ。長く暮せば、同化してしまい、脱出できなくなるのよ」

「じゃあ、この人たちを冷凍睡眠したのは、それを防ぐために」

「この世界から隔離して、救助が来るのを待っていたわ」

「そのために、カヤさん一人で冷凍装置を?」

 カヤは、目を閉じ、頭を振った。

「初めは一人の力でするつもりだった。ATMの隊員としてね。でも、それでは間に合わないだろうって、数名の有志が手伝ってくれたわ。私が同化を遅らせるために小刻みに冷凍睡眠に入っている間も、その人たちは装置を維持管理していた。そしてヴォイドムに同化し、消えてしまったわ」

「どうすれば脱出できますか?」


 カズヤが、ヴォイドムの中でカップ焼きそばを食べていた頃。

 シンイチたちは、ヴォイドム出現地点での観測結果からその質量を計算していた。

「君の言ったとおりだ、アキラ。ヴォイドムが生命に近いという仮説はあったが、『むしろ癌細胞に近い』という仮説をもとにパラメータとして入力してみたら、解析が進んだ」

「イレギュラーから生まれ、母体を食い尽くして成長する。こいつはこいつで、一個の完全な宇宙を目指しているんだろうけれど……」

「気の毒だが、今回は消えてもらう。だからこそ、地球を飲み込もうとした人工ブラックホール用に開発された、対消滅弾が有効なはずだ」

 物質と反物質が相殺して互いに消滅する現象を〔対消滅〕と呼ぶ。対消滅弾は、起爆と同時に閉鎖空間内において反物質を生成する弾頭である。

「理論は確立されているから、あとはサイズに合わせた設計か」

「設計はPCでできるし、組み立てなら近所の蒲生鉄工でもできる」

「念の為に言っておくけど、反物質にするのは二分の一の確率だぜ? でないと、ヴォイドムが反物質に置き換わるだけだからな」

「――忘れるところだった」

「君はどうして肝心なところで抜けるんだよ。それに、カズヤとユウが取り込まれてるってのも忘れるなよ。撃ち込めば即座に消滅だぞ。二人や、できれば以前に飲み込まれた人たちをサルベージしたいもんだ」

「そうだな。さて、どのタイミングで渡そうか。アキラ、過去のヴォイドムに出現パターンがなかったか、もう一度データの洗い直しだ。それに、当時のことを聞くんだったら適任者が――」

「お役に立てそうかしら?」

 実にタイミングよく、というべきか。オカモチを提げたリリィが、ATMの部室に現れた。

「差し入れよ。脂っこいものばかりじゃ胃が参るでしょうから、冷やし中華に杏仁豆腐」

「いいねえ、マダム。冷たいうちにさっそくいただくよ」

「リリィさん、カズヤが心配じゃないんですか? 残念ながら、交信もできない状態なので、手も足も出ない状態です」

「カズヤから聞いてないかしら? 私、あの空間怪獣に飲み込まれたことがあるのよ」


 ATM現役時代のリリィは、空間消失事件調査のために、同僚――千里堂カヤと痕跡がある地点を偵察車〔リンクス〕で警邏していた。

 当初ヴォーダン星人は、当初制御下にあったヴォイドムを使って、ATM隊員である二人を飲み込ませた。だが物理学に長じていたカヤは、短時間でヴォイドムの正体を察した。

 ヴォイドムは、自身にとって有害な物質を排除する性質があった。

「カヤは、リンクスが反物質の塊に見えるように、車体の電波の発振を操作したの。私はてっきり、二人そろって元の世界に戻れると思ったんだけど」

「カヤ隊員は、あなたに麻酔弾を打ち込んで、リンクスに乗せたんですね?」

「ヴォイドムは機械というより生体に近かった。同時に飲み込まれた人々を、一命でも多く救助しようと思ったんでしょうね。カヤは自分が残って、私だけを脱出させたのよ」

「そんな――。そんな覚悟が、そんな短時間で可能なんですか?」

「侵略性宇宙人との戦いは、アストロマンの助力こそありはしたけれど、常にギリギリの状態だった。ATM隊員全員が、いつでも自らの命を花火として散らせる覚悟ができていたわ」

「千里堂隊員は、今回もカズヤたちを脱出させてくれるのだろうか」

「おそらくね。それに、今の彼女は、外に私たちがいることを知っているわ。いっしょに飲み込まれている人たちも、同時に救出させようとするでしょう」


 その頃。

「いらっしゃい。あら……」

 ベクターが、ふらりと〔タグ〕を訪れていた。

「おたくの娘さんも、おれの義弟といっしょに行方不明になったと聞いて」

 シヲリは、いつもどおりに店を開けていた。ランチタイムも終わり、店内はコーヒーをゆっくり楽しむ常連客が数名いるくらいである。

「心配じゃないんですか?」

「それがね、心配じゃないのよ。なんだか、たまにユウがそばにいるような気がして。それにカズヤ君もついてるしね」

「その勘、あながち間違いってわけじゃないんだ」

 ベクターは、出されたアイスコーヒーをうまそうに吸った。

「今回のやつはヴォーダンが侵略目的で作ったやつだが、空間怪獣ってのは天然モノも多いんだ。やつらはふだんは、細い管みたいな亜空間を移動している。捉えようによっては、この世界のすぐとなり、壁の中を伝う配管みたいなものだ。近づいたり遠ざかったりしている。リリィさんも、同じように感じているんじゃないかな」

「それをわざわざ伝えに来てくれたの?」

「それもあるが、アストロマンカズヤ活躍の様子も聞きたくってね」

「頑張ってるわよ。うちの娘も相当張り切ってるみたい。カズヤくん、全身青あざ作って虫の息で、それこそ怪獣相手にするよりもひどい有様でうちに来るわ。一度特訓っていうのを覗いたことがあるけれど、目を血走らせてハァハァ言いながらカズヤくんをシゴイて――。竹刀はともかく、私のアカウントで鞭を通販で買ってたわ。ちょっと心配になるわね」

「優秀なトレーナーがついて何よりだ」

「あなたは、やっぱりアストロ戦士なの?」

 ベクターは、頭を振った。茶化す様子はなかった。

「俺は落伍者でね。もちろん、親父を目指して養成コースに入ったさ。でもよりによってね、最後の覚悟が足りなかった。怪獣を倒すどころか、返り討ちに遭って、辞退したのさ。今は自分なりに別の仕事をしてるよ。しかし地球ってのはいいなあ。なるほどカズヤ単体じゃ、怪獣に瞬殺されてる。アストロマンっていうのは、本来、どんな苦境でも単身で乗り越える覚悟が求められる。でもあいつには仲間がいる。『仲間といっしょに戦う』ってのが大前提なんだな」

「今の仕事、お父さんは知ってるの?」

「いいや、まだ直接話しちゃいないんだ。言うのも野暮でね」

「でも、なんとなく分かってると思うわ」

「どうしてだい?」

「あなた、人には言えない仕事をしているような顔をしていないもの」


 母と祖母が、互いに養育を争って市役所で言い争っている間、コウスケは病院から抜け出して自宅に戻り、自分の預金通帳を持って銀行に行き、貯めていたお年玉を引き出した。

 その足で空手道場に向かったが、保護者の承諾がないと入会できないと、門前払いを食らい、病院のATMで全額を戻した。

 病院の図書室で、たまたま並んでいた格闘技の本を手にとった。難しい漢字は漢和辞典で調べながら、とにかく読んだ。屋上に抜け出しては、記されていた呼吸や構えを試した。


「少しはましになったが、しょせんは地球人。これが限界だろう。さて、君をからかうのも明日で最後にしようか。出張にも期限があるものでね」

 コウスケに息が切れるまで好きなだけ殴らせ、蹴らせ、平然とした態度でヴォーダンCが去っていった。

 暗い廊下に響いたコウスケの気合を聞いて、何事かと看護師たちが駆けつけてきた。コウスケは見つかる前に、そのまま屋上に向かった。

(あいつ、明日が最後って言っていた)

 膝をついて泣いている暇はなかった。


   Ⅳ


  カズヤたちが消えてから一週間後。ATMにより重力波の青方偏移が観測され、相模原市西部にヴォイドムの出現予報が発せられた。

 避難用バスを除いて産業用車両は規制され、脱出用の自家用車が優先通行となった。足がない高齢者や障害者のためにタクシー・バスは無料で使われ、鉄道は最後まで運行する。

「局所的とはいえ、みんな必死だな。なまじっか相手が見えないもんだから、たちが悪い」

「ヴォイドムを最初に作ったヴォーダン星人がこの光景を見ていたら、ご満悦だろうな」

 ここは、反物質コーティングを施した自衛隊の指揮車の中だ。すでに対消滅弾は完成し、シンイチとアキラは設計者ということで特別に立会を許可されている。

 二人の隣には、リリィも同席していた。コウジは留守番だが、ちゃんと理由はある。

「カズヤの気配は感じますか?」

 カズヤと血の繋がりが濃いリリィであれば、接近を察知できると考えたからだ。

「まだね。きっと直前になるまではわからないんじゃないかしら」

「ユウたちがこれまで自力で出られないところを見ると、あちらでなにか問題があるのか」

「あえて留まっているのだろ思うわ。何も用意していない状態で脱出しても、ヴォイドムは倒せないと分かっているはずよ」

「こちらで対消滅弾を用意するところまでは、カヤ隊員も承知していると?」

「それを承知の上で、カヤはカズヤを温存しているのだと思うわ。過去、怪獣相手にATMは対抗策を練ってきたけれど、予想と戦術を上回ることも多々あって、その度にアストロマンに助けられてきた」

「二面作戦で叩くつもりで、あえて待機させているわけだね」

 運転席の自衛隊員が声をかけた。偏移検知計が一分以内でのヴォイドムの出現を報せたからだ。

 同様に待機している偵察用車両が、屋根に乗せたアンテナを一方向に向けだす。検知波の強さから正確な出現地点と時間が絞られていく。

「派手に出迎えてやろうぜ、シンイチ」

「といっても、対消滅弾は一発だがな!」

「なんでケチるのかな? 外したらどうするつもりだったのかな?」

「予算の都合上だ。その責める目つきは拙僧に効くから勘弁。外したら回収して、次の出現時に使う。これも一つのリサイクルだ」


 空間の一点が、小石を投じられた水面のように波打つ。波紋は円環状に広がり、やがて周囲から切り離され、固まっていった。

 板状の粘土を捏ね上げるようにできあがったものは――。

「人の形、だと?」

 全高五十メートルあまりの、なんとも言えない色彩を持つ巨人だった。

 呪術で使うような人形のように、かろうじて人形と判別できる程度であり、男女どちらの性別を象ってあるのかも分からない。毛髪も、目も鼻も口も耳もない完全なのっぺらぼう。体表は虹のような赤から紫で、点滅している。

「子供にクレヨンで悪戯されたデッサン人形だな」とアキラは即座に評した。

「同情はするが、容赦は禁物だ」

 自衛隊は迅速に行動を開始した。高速自走砲が、牽制のために照明弾を発射。振り回される掌が、周囲にあった送電鉄塔を抉る。行き場を失った電流が青い火花を散らせる。

 その間に、対消滅弾を装填した自走砲が、おそらく背後だと思われる面に回った。

 照準を定め、発射。

 気配に気づいて振り返るヴォイドムだったが、対消滅弾は見事、右脇腹に当たる部分に命中した。

 が――。

「簡単にはいかないか」

 弾丸は炸裂しない。

「想定したものとヴォイドムの構成成分が変わったんだ。暴発を防ぐための機構がかえって仇になったな、シンイチ。どうする? 中途半端に刺さったままだから、君の言う所のリサイクルもできないぜ」

「失敗と言うにはまだ早いな、アキラ。我々には、隠し玉があるだろう?」

「――そうだったな!」

 対消滅弾がめり込んだ傷口が、こじ開けられる。縦長の穴から頭を出したのは、巨大化したカズヤだった。

「うわすごい。ニュルっと出てきた。言っちゃ悪いけどウンコみたい」

「乙女の口から止める間も無くそんな言葉を……」

 カズヤは、左手にユウを握っていた。

「ユウ、こっちだ!」

 アキラが手を振り、ユウを呼び寄せる。入れ替わりにシンイチが窓から顔を出し、叫んだ。

「カズヤ、アストロ念波で届いているか? 今、ヴォイドムの解析結果が出た。通常の怪獣と違って、質量は千五百トンと軽い。空間をえぐり取る能力は残っているが、行けるか?」

 カズヤは頷いたが、その顔に、何かしらの含みというか決意があることを、リリィは悟った。

 上から襲いかかってきたヴォイドムに、カズヤはカウンターのアッパーカットを食らわせた。ビルに背中を打ち付けたところに、先刻自分たちが出てきた傷口に右手を突っ込み、何かを探り出そうとするが、ヴォイドムに蹴飛ばされ、逆に仰向けに倒れた。

「何やってんの、さっさと起きなさい!」

 ユウの一喝が飛ぶ。

「落ち着きなさい。そいつになら、普通の戦い方でじゅうぶん通じるわ。あんたの技を惜しみなく叩き込んでやるのよ!」

「相変わらず厳しい宗方さんだな! 明日のエースは僕だってか?」

「あたしは三波春夫じゃないわよ」

「そりゃ船方さんだ、ユウ」

 減らず口のデュエットを一時停止し、カズヤは五体を踊らせた。

「……おいおい、左のジャブから腰をかがめてレバーの辺りにストレート、右脇腹に回し蹴り、もがくところを背負投げ。反撃の隙すら与えない。人間でいえば、体重百キロの巨漢だぞ。君の彼氏、実は結構強くない?」

「アキラ、もう一回言って、もう一回」

「『反撃の隙すら与えない』」

「もっと後の方」

「『結構強くない?』」

「真ん中、真ん中っ!」

「『君の彼氏』――。えー読者の皆さん、ユウは今、焼き肉と一緒に炊きたてご飯頬張ったような顔してます。気持ち悪いです」

 空間だけでなく人間を飲み込み、自己形成のモデルとしてしまった点が、ヴォイドムの敗因と言えた。

「ユウ、もう十分なんじゃないか?」

「まだよ、シンイチ。こいつだけは、立ち上がれないよう、徹底的に叩きのめさなきゃ駄目なのよ」

 予め打ち合わせていたのか、カズヤがとるのは武術ではなく容赦のないケンカ殺法だ。ヴォイドムに頭突きを、さらに肩でタックルを食らわせ、昏倒させる。倒れた頭を掴み、大地に叩きつけ、鳩尾に膝を落とした。

 グロッキーになったところで、カズヤは再び、ヴォイドムの傷口に手刀をねじ込んだ。

 痛覚か、嫌悪感か。ヴォイドムはもがいたが、カズヤは容赦なく、中身を探り当て、抜き取った。

「よっしゃ!」

 冷凍設備であったドーム状のスケートリンクを摘出。衝撃を与えないよう、そっと地面に置く。

「カズヤ、急げ! ヴォイドムが手当り次第、空間を抉っている。質量とエネルギーを稼ぐつもりだ!」

 アキラの言う通り、ヴォイドムが苦し紛れに振り回す手が、地面やら建物やらを見境なく食い漁っていた。高圧鉄塔を掴んだ際は、僥倖といわんばかりに電気エネルギーを吸収。その体格が、二倍にまで膨れ上がる。

「心配ないわ。ああいうの、なんていうか知ってる、アキラ?」

「半分期待を込めて答えていいかい?」

「どうぞ」

「木偶の坊」

「正解! おばさん、今からカズヤがアストロ念波を使うから、同調して!」

「え? ええ」

 突如呼びかけられたリリィは、息子に精神を合わせた。

 体積とエネルギーを得て、慢心したか。ヴォイドムは体中から湯気を噴き、カズヤを一撃で葬ろうと拳を振りかぶった。

 カズヤは、落ち着いてその腕を払うと、ナットリウム光壁でガードした手刀で、鋭い抜き手の一撃を、ヴォイドムの胸の中央に見舞った。

 痙攣するヴォイドム。

「母さん、今だ!」

 カズヤと精神を同調させたリリィの目の前に、ヴォイドムに唯一残された知的生命――。千里堂カヤが現れた。


 奇しくも、カズヤが振り回されるヴォイドムの拳を躱し、受け流していた時。

「ぐおぉっ!」

 コウスケ少年の拳が、ヴォーダン星人Cの脇腹にめり込んだ。

「ぐおわぁぁぁっ!?」

 自分でも知らない弱点なのか。ヴォーダンCはナイフよりも鋭い刃物を突き立てられたかのように、悶絶していた。

「侮っていたっ! よ、よもや地球人の力がこれほどとは――。作戦は失敗のようだ。だが我々ヴォーダンが、やられたままで黙っていると思うな。いつの日か必ず、君の前に戻ってくる」

「いつでも来い!」

 膝をつくヴォーダンの前には、すっかり逞しく、瞳に闘志を滾らせるコウスケがいた。


「もういいわ、カズヤ」

 リリィの言葉を受け、カズヤは手刀を抜き、再度、拳を固めてヴォイドムに叩き込んだ。

 めり込んでいた対消滅弾が炸裂する。ヴォイドムは芯を失い、崩れ、やがて色彩を失って、消滅した。


 その晩。

〔ラーメン菱美〕に集まった一同は、ささやかな祝勝会を開いていた。

「父さん、今日は私も飲ませてもらおうかしら」

 座卓の上には、現役時代にリリィとコウジと、そしてカヤたちATM隊員が集った写真が置かれていた。カズヤの他にはシンイチとユウ、アキラもいるが、四人とも地蔵のように押し黙っていた。

「カヤ隊員は、あの閉ざされた空間で、ヴォイドムと戦っていたんだな」

 カズヤが、口を開いた。

「僕にはできそうにない。助けが来るって期待があればともかく、最初からヴォイドムと同化して運命をともにすることを覚悟の上で、冷凍睡眠装置を作って、管理していたなんて」

「カズヤ、あなたもカヤが死を覚悟していると知っていたから、私たちに最後の話をさせてくれたんでしょう?」

 カズヤと精神を同期させたことで、リリィはヴォイドムとほぼ同化してしまったカヤと、二十年間の積もり積もった話をできた。内容についてはカズヤも知るところだが、それはコウジにも話さないつもりだ。

「僕たちにも、本当はその覚悟が必要なんだろうか?」

「今では環境が違うわ。アストロマンヘプタが十年間も地球を留守にしていたのはね、留守にできたからなのよ」

「え?」

「異星人の猛攻を防ぐうち、大勢の地球人に、自分の星を自分で守る気概が芽生えた。技術の進歩もあるけれど、一人ひとりに戦う意志があれば、一人の負担はその分少なくてすむわ。だからカズヤ、あなたたちは、あなたたちなりの戦い方をしなさい。怪獣並みに巨大化して、ビームを放つだけが戦いじゃないわ」

「それって、もしかして……」

 カズヤがいいかけたところで、店の引き戸が開いた。

「よう、やってるな。俺にも飲ませてくれよ。こっちもひと仕事終わったところだ」

 ベクターだ。

「ほい。手ぶらじゃなんだから、土産買ってきたぜ。〔じまん焼き〕っていうらしいな」

「ずいぶんせっかちだな。温泉にでも行けばいいのに」

 我が家のように小上がりに入ったベクターに、コウジはビールをついでやった。

「それなら仕事がてら、浸かってきたよ」

「山梨の石和温泉にでも?」

 カズヤの言葉に、ベクターは驚きの表情を見せた。

「どうして分かった?」

「ATMの情報網を侮ってもらっちゃ困る。今川焼きまたは太閤焼きまたは大判焼きその他の名称エトセトラの焼き菓子の、甲州での呼び名は〔じまん焼き〕だ」

「楡木コウスケが入院している病院のあたりから、怪しい宇宙人を見たって通報がわんさか入っていた。擬態はヴォーダン星人だけの専売特許じゃないからね」

 アキラも調子を取り戻していた。

「父さんから聞いたよ。最初はアストロ戦士としての訓練を積んでいたけれど、諦めたって。最終試験を無事に終えたはずなのに」

「無事に終えてなんかいないさ」

 ベクターは、古傷を触られたように苦笑した。

「惑星の家畜を食い荒らす凶悪怪獣の討伐が、最終試験だった。だけど俺は、無様に負けちまったのさ。相方に怪我までさせてな」

「そりゃ矛盾してるよ。負けたんなら、無事に帰ってこられるはずがない。そうだな、多分あんたは、最後の最後で、怪獣に同情して、止めを刺せなかったんじゃないのか?」

「――お前、人の心が読めるのか?」

「できるわけないだろ。人間を面白半分に殺すような相手ならともかく、生きるために動物を食う怪獣を、どうしても倒せなかった。だからあんたは、別のやり方で、星の平和に貢献してみようとしてるんじゃないのか? 自分の体を傷つけても」

「変身能力には自信があったんだがな。子供だと思って舐めていたら、罰が当たった」

 ベクターは、右の脇腹に掌を当て、にっと笑った。

「本物のヴォーダンは、どうしてるんだ?」

「ついこの前まで、宇宙刑務所にいたのさ、カズヤ。最後は病気で死んだ。多くの人々を殺した罪を、償えないことを悔やんでな」

 犠牲者の遺族に、身を賭して希望をもたせる。侵略性宇宙人に代わり、その罪を償わせる。それが、ベクターの選んだ道だったのだ。

「親父、頼みがある。昔の仲間を招集してくれ」


 翌日。

 コウスケが退院を控えた病院の前に、むくつけき男どもプラス夫人が集まっていた。

「お前が一番老けたんじゃないか」

「鬼の望月隊長もすっかり孫煩悩ですか」

「お前こそ、上の子が高校受験だってなあ」

 いずれも三十代後半から六十代。頭には白髪がまじり、顔には皺が寄っている。彼らが十余年前まで、侵略者や怪獣の手から地球を守っていた精鋭部隊ATMと、誰が知るだろうか。身につけている赤地に銀のラインが入った制服は、むろん本物ではない。いずれも、このような時のために各自用意していた複製品だ。そのサイズに合うよう、腹だけは太くなりすぎないよう各自気をつけている。

 病院の玄関から、アストロマンの姿でもヴォーダンの姿でもない、地球人の姿のベクターが出てきて合図をした。コウスケが退院手続きを済ませ、もうすぐ玄関に現れる。

「よし、行くぞ」

 望月隊長の号令で、かつてのATM隊員たちが玄関前に整列する。

「楡木コウスケくんだね?」

 突如、自分を出迎えた隊員たちに、コウスケは驚き、足を止めた。

「先日の空間怪獣ヴォイドムの戦いで、お父さんの殉職が確認された。家族にも知らせていなかったが、彼は、ATMの隊員だったんだよ」

「やっぱり!」

「彼は、ヴォイドムに取り込まれた後でも、一緒に飲み込まれた人々を助けるために、命を賭して戦った。その功績を讃えた特別隊員章を、君に受け取ってもらいたい」

 望月隊長がコウスケに渡した隊員章は本物ではない。麹山駅前商店街の富士澤徽章製作所に頼んで作ってもらった「偽物」だった。

「敬礼!」

 突き出した拳を胸の下に引き寄せる。ATM独自の敬礼に、コウスケも、見様見真似の敬礼で返す。

「母さん、婆ちゃん、やっぱり父さんはATMの隊員だったんだ! つまらない喧嘩なんかしてたら、あの世に行ったときに父さんに怒られるぞ!」


「ああ、そうだ。もう一人、昔なじみが俺と一緒にアストロマンが地球に来ているはずなんだけど、着地が五百キロずれちまったらしい。そろそろここに来るんじゃないかと思うから、よろしく頼むぜ。とにかく、頑張り屋なんだ」

「助っ人に来てくれるのか?」

「それもあるが、修行の意味もある。アストロの本星にとっては、地球ってのは研修先としても最適なんだそうだから」

 ベクターは、そう言い残して去っていった。


「誰なんだろう、その昔なじみって」

 そろそろ着くはずが、カズヤが学校から戻ってきてもまだ着いておらず、とうとう夕方の混み合う時間になってしまった。

 店の前は、買い物帰りの自転車やら出前の原付やら配達のトラックでごった返している。普通自動車がすれ違うのもやっとの道に、菅原文太が乗り回しそうな大型トレーラーが乗り付けたものだから、麹山稲荷駅前商店街はちょっとした騒動になってしまった。

「なんだ、高速道路が事故で塞がったのか?」

〔ラーメン菱美〕の前に巨人のようにトレーラーが停まると、助手席から一人の人物が降りた。

「おばちゃん、世話になったな。怪獣が出たら呼んどくれな」

 中学校低学年か小学生に見える少女だったが、妙に貫禄があった。きれいな栗色の髪がポニーテールに結んであって、リスのしっぽのように弾んでいる。少しよれた緑色のジャージは、誰かから借りたものだろうか。

「〔ラーメン菱美〕……。よっしゃ、今度こそ間違いないで」

「あの、どちら様で?」

 カズヤは、半分嫌な予感を抱えながら尋ねた。

「なんやベクターのやつ、きちっと説明せえへんかったんか? 相変わらず言葉の足りんやっちゃ。まあええ。あんたが、アストロマンカズヤか?」

「は、はい」

 少女は、馴れ馴れしくカズヤの肩を叩いた。怪獣の犬歯みたいな八重歯が光った。

「いやあ~。ちょっと目標間違えて大阪に落ちてしもうてな。親切なドライバーのおばちゃんに乗っけてもろて、やっとたどり着いた次第や。てなわけで、今日から暫く世話になるアストロマンエレナや。よろしゅう。あ、これ途中の静岡で買った〔ホームラン焼き〕や」

「最後まで、このネタで引っ張りやがった――」




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