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第一話 でかい ただそれだけ

  Ⅰ


 菱美カズヤがその時思い出したのは、五歳の頃に家族で行った遊園地だった。

 バスや電車に乗るとき以外は、父のコウジに肩車をねだった。母のリリィが作った弁当を手に、電車とバスを乗り継いで一時間あまり。神奈川県藤沢の大地に設けられた遊園地に行くのは、カズヤにとっての最高のご褒美だった。観覧車に乗れば、遠くに三浦半島、富士山、はては房総半島までも望めた。

 幸せの象徴だった遊園地は施設の老朽化と客の減少で、十年前に閉園になっていたが、そのときに乗った観覧車とちょうど同じ高さで、カズヤは街を見下ろしていた。

「どうなってんだ?」

 つぶやき、右を見る。「真横から見る、十二階建てビルの最上階」という、初めての光景が記憶に刻まれた。一フロアをそのまま使った企業型保育園で、昼寝中の園児を保育士たちが慌てて起こしている。反対側のビルは女性専用のスポーツジムで、こっちからは悲鳴をあげられてしまった。

「そんな、覗きの犯人でも見るような目で……」

 顔を正面に戻すと、見知らぬ生物の顔があった。動物園はもちろん、水族館でも図鑑でも見た記憶はない。頭頂部には槍の穂先のような角が、尻には凶器以外に用途が見当たらない太い尾がある。トリケラトプスに見た目は近いが、鋭角三角形の口に並ぶ牙も、前足先端の爪も、草食恐竜のイメージからはかけ離れている。岩のような鱗は、一つ一つがテトラポッドのような四角錐で、悪意を伺わせる。頭部の中央にある大きな結晶体が生物としては異質だ。直径二メートル程度の正十二角形で、光の反射か、あるいは内部からの発光か。十二色以上の複雑な色彩を放っている。

 対するカズヤは、地球上に一億人はいそうな高校一年生だ。「たぷん」という擬音がよく似合う腹は、保育園の演劇で〔三匹の子豚の長男役〕を勝ち取った経歴を持つ。パンツ一丁であるところが、少し頼りないが。

 ビルの一階の高さは約三・三メートルなので、今のカズヤの身長は四十五メートル程度になる計算だ。つまり幅と奥行と高さがそれぞれ二十五倍の、「巨人」になっているのだ。

 身長の分だけ近づいた初夏の太陽が、じりじりと頭を照りつけた。

(思い出した)

 同級生である高峯ユウ、黒部シンイチと最寄り駅に向かう途中だった。洪水時の濁流のように正面から人が押し寄せてきたかと思うと、前述の巨大生物が目の前に現れたのだ。

 巨大生物の突進コースからユウとシンイチを突き飛ばしたカズヤだったが、自身はその巨大な前足に踏み潰された――。かに、思えたのだが。気がつけば、このように巨大化していたという次第だ。

 繰り返すがパンツ一丁である。制服のカッターシャツとスラックスと袖なしの下着は、巨大化した際にあっけなく破けてしまっていた。白昼堂々ビル街をパンツ一丁で徘徊するのは立派な犯罪だが、より重大な問題に直面している。巨大化する際に顎に頭突きをかましてしまったか、巨大生物はあからさまにカズヤに敵意を抱いている。首筋をなでても怒りは収めてくれないだろう。

 巨大生物は突進し、その堅牢な頭部をカズヤの腹にめりこませた。

「ぐへ……」

 押し戻そうとするが、カズヤの腕力では突進を止められない。角の先から尾の先までは六十メートルだが、体重もパワーもカズヤをはるかに凌駕している。四車線道路をグイグイと押され、爪先の裏がアスファルトを擦り、白い煙をたてた。

「熱い熱い熱い!」

 巨大生物がぐいっ、と首を持ち上げると、カズヤはそのまま百メートル突き飛ばされた。都会のアスファルトは彼に優しくなかった。悶絶しているところにのしかかってくるかと思われたが、巨大生物は後ろ脚で立ち上がった。開いた口に、空気が吸い込まれていく。蛙や河豚と違って腹が膨らまないのは、肺で空気を圧縮しているためだ。

「空気の圧縮」というセンテンスが、カズヤの脳裏に最悪の啓示を与えた。痛む体をなんとか転がし、ビルの影へと隠れる。

 直後。

 前脚が振り下ろされ、爆発音のような地響きを発した。直後、それが引き金のように、巨大生物の口から炎が吐き出された。視覚がカズヤの脳内で炉内並みの高温に変換される。圧縮した空気に可燃物質を混ぜて着火した白い炎が、数秒前までカズヤが転がっていた路面を舐めた。舗装工事現場の臭いがカズヤの鼻をつく。路面が蒸発し、地下駐車場に止めてあった自動車が、赤い液体になっていた。

 残った熱気が肌をちりちりと焦がす。とりあえず逃げねば、と左右を見回すが、どちらも人が避難している途中だ。ベビーカーを押したり二、三歳児の手を引く母親。杖やシルバーカーを頼っている老人もいる。六百二十五倍の面積になった掌でもそれら全員を掬って逃げられるか、自信はない。あの火炎をまともに浴びれば、役所での手続きを飛ばして一気に火葬だ。しかも骨も残らない。

 進退窮まるカズヤに、巨大生物はくいっと尻を向けた。それ以上街を焼くでもなく、人を食い殺すでもなく、邪魔する者などいない道を闊歩し、去っていった。


「ふうっ」と息を吐くと、カズヤの視野は急に狭まっていった。オフィス街の建物と身長が入れ替わる。体のサイズが戻ったのだ。時間にして三分足らずだったが、足の裏のヒリヒリとした痛みが、悪い白昼夢の類ではないと教えてくれた。

「生きてるーっ?」

 無人の道路を、二人の人物が駆け寄ってくる。一人はセーラー服にショートカットの女子高生。もう一人はワイシャツ姿の、眼鏡が似合う男子生徒だ。

「おう。怪獣か神様のどちらかに好かれてるらしい」

 カズヤが片手を挙げて答えると、ユウは「でも社会的には抹殺されるみたいね」とパンツ姿に毒づいた。

「君にかのような特技が合ったとはな。三ヶ月後の学園祭の際には、ぜひとも巨大サンドイッチマンになってくれ――。とりあえず五体満足のようだ」

「自分でもびっくりのかくし芸だけどな、シンイチ」

 立ち上がったカズヤだったが、直後、尻餅をついた。

「腹でも刺されたの? どうせなら余り気味のその脂肪、齧ってもらえばよかったのに」

「お前の言葉のほうがダメージきついわ、ユウ」

「お腹すいたんでしょ?」

「なんで分かる?」

「そういう顔してるもの」

「いいかげん人のステータス探るのやめろよ、ユウ。どんだけ人の顔観察すればそんな特技身につくんだよ。ああいかん、本当に腹減った。歩いて帰れそうにない」

「そう言うだろうと思って、すでにお迎えを呼んであるわよ!」

「気が利くな。見直したぞ!」

「喜ぶのは帰宅してからだぞ、カズヤ」

 シンイチが痛々しげに頭を振った。パンツ一丁の男子高校生を確保すべく、パトカーが接近してきたからだ。


 神奈川急行電鉄〔麹山稲荷〕。東京都中心部から神奈川県へと伸びる私鉄の、各駅停車しか止まらない駅だ。三つ隣の駅には空港がある。七十年前の建設時には多くの労働者が集まり、唯一の飲食店街であった駅周辺は、たいへんな賑わいを見せたという。当時ほどの栄華はないが、空港関係者がゆっくり食事を取りに来たり、通勤に便利なので家族が住む社宅が建っている。小規模店舗が多かった駅前は区画整理が進まず、平成はおろか昭和の街並みとくすんだ色合いが残っていた。

 その駅前商店街にある〔ラーメン菱美〕に、パトカーがカズヤを送ってきた。

「もっといろいろ訊かれるかと思ったんだけどな」

「警察がこんなに甘いはずないじゃない。早速今晩からハリコミつくわよ」

「なんでお前たち二人までくっついてくるんだよ」

「いろいろ事情訊かれたわ。あんたのこと話したら、『ああ』って納得してくれたわ」

「カツ丼もうまかったぞ」

「取調室で待ってても来ないと思ったら、お前らが食ってやがったか! ――だいたい、なんでそんなかんたんに納得してくれるんだ」

 カズヤに対する取り調べも形式的なもので、留置場に入れられたわけでもなかった。両親に連絡が行くのは覚悟していたが、「いちおう出迎えを頼んだんだが、『これから出前が忙しくなるから送ってくれ』だってさ」と極めてフレンドリーに言われた。

「でっかくなった理由とか訊かないんですか?」と訊くと、「うん。まあ。だって君だって分からないんだろ?」と返された。むしろその場にいた年配の巡査長の方が、カズヤよりも事情を知っていそうな口ぶりだった。窓口の事務員に至っては、「これついでに学校に持っていって」とインターネット犯罪の啓発チラシを頼んできた。

 自宅兼店舗の暖簾をくぐると、菱美家の日常が待っていた。

 L字形のカウンター席と、簡素なテーブル席に囲まれた厨房で、父・コウジは脂と蒸気に包まれ、炒飯にかける餡を中華鍋で熱していた。母・リリィは客たちにおしぼりを配ったり、出前の電話を受けて店内を歩き回っている。

「おう、カズヤ。早かったな。悪いが着替えたら出前に行ってくれ」

「リアクション薄くない、父さん?」

「帰ってきたらいくらでも重厚なリアクションとってあげるから、行ってきて。オカモチに入れとくから。三十秒で支度して」

 母も似たような反応だった。オカモチを持てるようになった頃からやっていた出前である。自転車で回れる範囲の住民なら住所も氏名も家族構成も把握している。当時、不在だった父・コウジの分まで店を切り盛りし出前までこなしていた母を助けるために、自発的に始めた「お手伝い」の延長だった。

 十件回って帰ってきた頃には、ユウもシンイチもカウンターで夕食の餃子セットをすませていた。カズヤが留守の間、コウジたちと話していたらしい。

「さて、説明してもらおうか」

 回収してきた皿を流しに置き、コウジは自分もカウンターに座った。高校生としては適切な量の炒飯とラーメンのセットが、阿吽の呼吸で前に置かれた。

「ほふのははははほうはっひまっはんは?」

「『僕の体はどうなっちまったんだ?』ですって。あとはスープも欲しいって」

 すかさずユウが通訳する。

「それなんだがな」

 わかめスープを手渡し、コウジは言った。

「父さんがアストロマンやってたってことは、この前話したよな?」

「酔っぱらいの戯言じゃなかったのか」

 十年間失踪していたコウジは、三ヶ月前にふらりと帰還したのだった。やつれはしていたが愛妻手製の定食を平らげるとすっかり元気を取り戻し、翌日には駅前商店街あげての大宴会。カズヤが初対面となる旧知とやらも数名混じっていた。

「話したのは乾杯前だったじゃないか」

「ビールを運ぶのに忙しくて忘れたよ。ケース抱えて二階の広間まで何往復したことか」

「与太話じゃないぞ。元ATMのメンバーもちゃんと混じってたろ?」

「大学時代の同窓生じゃなかったのか? あの酔っ払って階段を転がり落ちて、そのまま翌朝まで寝ちまうおっさんたちの集まりは」

「もう現役じゃないんだから勘弁してやってくれ。ええと、話戻していいか」

「母さんとの馴初めは有明?」

「コスプレでコミケに出没して、レイヤー同志で知り合った訳じゃない」

 くっくっくと笑いを噛み殺していたシンイチだったが、割り込みの許可を求めた。

「証拠を見せてもらったらどうだ、カズヤ? コウジさん、この冷めてしまった小籠包、温め直せませんか?」

 シンイチに促され、コウジは「久しぶりで出力調整がうまくいくかだが……。まあやってみるか」と、カウンターの向こうで、右拳を突き出した。

「アストロニウム光線!」

 コウジの手がアセチレン溶接の火花のごとく眩しい光を放った。光はシンイチの前の小籠包めがけて放たれ、命中。

 バアン!

 瞬間的に熱くなりすぎた小籠包は、その場で熱膨張し、爆発した。顔面に灼熱の汁を食らったシンイチは「うわっぎゃぁ〜っ」と店内を転げ回った。

「というわけだ。私の血を受け継いだお前は、巨大化する因子を持っている。怪獣に踏み潰されそうになった瞬間、危機を感じて本能で巨大化したんだ」

「他に、空飛んだり、今みたいにビーム撃ったりとかは?」

「う〜ん。できないんじゃないかな」

「今日初めての出来事なのに、なんで断言できるんだ?」

「あの怪獣――[ズーク]という、侵略目的の量産型怪獣だがな、現役時代の私なら受け止められた。だが、お前は、あっけなくふっ飛ばされた。何故だと思う?」

 腕組みしたカズヤとユウは、顔を見合わせて「分からない」のジェスチャーをした。

「た、体重が軽いからでは?」

 顔を冷たいおしぼりで拭いて、光線の余波から復帰したシンイチが答えた。

「十二階建てのビルとほぼ同じ高さだったということは、カズヤは縦横高さともに二十五倍になりました。二十五の三乗は 一万五千六百二十五。カズヤの体重が七十キロとして、約一千トン」

「アストロマンに戻ったときの私の体重が三万五千トンだった。怪獣の総重量は、軽いものでも二万トンある」

「生物としての比重が桁違いですよね。なんでそんなに重いんですか?」

「怪獣と戦うパワーを出すためには、凝縮された筋繊維や骨格が必要になる。怪獣も同様で、従来の生物とは比較に成らないエネルギー貯蔵機関が必要になる」

「じゃあ、今のカズヤは?」

「体がでかい。ただ、それだけの地球人だ」


   Ⅱ


 カズヤたちが生まれる数年前まで、地球は、未知の脅威にさらされていた。領土拡大を目論む侵略性宇宙人たちが、戦闘用に改造した巨大生物――〔怪獣〕を遣わし、地球の武力侵略を開始したのだ。

 むろん地球側も看過していたわけではない。国と政治と信教の枠を超えた防衛組織ATM――。Anti Terrible Materialsと呼ばれる、未知なる驚異全般に立ち向かう精鋭部隊を編成した。

 ある日。従来の武器がほとんど通用しない怪獣が東京湾から上陸し、首都圏が火の海になるかと思われた、その時。

 天空から一条の光が指し、巨人が出現した。

 サファイアを思わせる鮮やかな青色の巨人は、鋼以上の皮膚と、重機数千台分ものパワーを持つ怪獣に格闘を挑み、痛めつけ、弱ったところに必殺の光線を発射し、倒した。宇宙から飛来したヒーローということで、誰からともなく巨人は〔アストロマン〕と呼ばれ、以後、ATMと協力して多数の侵略者を撃退したのだった。

 そして、十余年前。

 アストロマンは、最大最強の侵略者、ヴォーダン星人が最後に送ったのは、無限に再生を繰り返す不死身の怪獣だった。アストロマンは怪獣を宇宙へと運び去り、そのまま姿を消したのだった。


「完全に葬るまで、十年の歳月がかかってな」

[ラーメン菱美]に限らず、麹山稲荷駅前商店街を訪れる客足は夜更けまで絶えない。シフトを終えたり、深夜の勤務を控えた空港関係者が、脂と糖質を求めて訪れる。空港にもスタッフ専用の食堂はあるが、[健康]に配慮しすぎて物足りない。休日を明日に控えたパイロットや、メイクを落とした女性スタッフが気兼ねなくビールを飲める店なのだ。

 午後九時を回る頃、ようやく店じまいとなる。夕食が遅くなりがちな片親家庭への出前と片手間に宿題をこなし、カズヤの日常も終わるのだ。


「倒される前の被害とか相当だっただろ?」

「その辺、人間ていうのは利口というか図太くできていてなあ。出現したときの避難にも慣れていったし、保険の金額計算も合理的になっていった。最終的に侵略者たちは私やATM じゃなく、地球人の図太さに負けたのさ」

「なんかTVでやってるわよ」

 今日の売上をPCに打ち込んでいたリリィが、二人に臨時ニュースを見るよう促した。キャスターの右上別枠に、明らかに地球人ではない人物が別枠で写っている。

「ヴォーダン星人じゃないか!」

「知っているのか、父さん?」

「あんたより上の世代はみんな知ってるわよ、カズヤ。一番手こずらせた侵略性宇宙人だもの」

 リリィが音量を上げる。画面の中のヴォーダン星人は、録画した声明をネットにあげていた。

 地球人たちよ、聞きなさい。

 我々は君たちより二十倍長い文明を持ち、三倍賢く、高い戦闘能力を持つ種族である。

以前から、この美しい星の統治を、我々に委ねるよう交渉しているのだが、相変わらず聞く耳を持たないのは嘆かわしい。そこで提案がある、地球の一部、麹山稲荷駅から空港にかけての一体の統治だけでも、暫定的に我々に委ねてみてはどうだろうか? 理想郷の実現を約束しよう。君たちも考える時間がほしいだろうから、そうだな、十日間の猶予を与えよう。その返答次第では、君たちの生活がこれまで通りにはいかなくなる。それは今日の結果を見ておわかりいただけよう。

 予告しよう。今日と同じ場所に、再び同じ怪獣兵器を出現させる。逃げる時間は与えよう。抵抗も好きにするがいい。だが、[更地]になったその後は所有権を放棄したものとみなし、私の領土とする。

 あらためて言っておこう。君たちを守ったアストロマンは、もういない。


「あ、でも、一度どっかで見たことあるなあ」

 宇宙人なので、当然ながら地球人とはかけ離れた容姿をしている。鮪か鰹を直立させて、頭だけむりやりこちらに向けたような顔だ。

「カズヤの年齢なら、そうだな、[侵略宇宙人図鑑]じゃないか?」

「あれなら、大抵の小学校の図書室にあるものねえ」

「そうそう、今思い出した。本当にその図鑑に載ってたまんまだ」

「本当は個体ごとに差があるんだけれど、地球人からは皆同じに見えるのねえ」

 映像が元のキャスターに切り替わった。あとは政府が久しぶりに対策会議を招集したというニュースや、[専門家]の意見が続いた。

「過去の映像が流れてる。あ、あれがATMの戦闘機か」

 どこかのTVクルーが命がけで撮っていたのか。銀地に赤のラインが入った戦闘機が、怪獣にレーザーガンやミサイルを放っている。 

「トッピーね。父さんも母さんも訓練も含めてよく乗ってたわ」

「母さんが前、私が後ろで週に三回はな」

「息子の前で懐かしげな顔で言うセンテンスじゃないよな。でもあのミサイル、当たってる割には効いてないよな」

「あまり威力が大きいと、衝撃波で周りの建物まで吹っ飛んじまうからな。最小威力の爆発を弱点めがけてピンポイントで、というのが基本だった」

「被害が大きくなる前に父さんが巨大化してたけど、一時間くらいかければちゃんと倒せてたのよ」

「そういや僕のことはニュースにならないんだな」

「未成年だからな」

「未成年かあ……」

「それで、カズヤ。なんともないか?」

 コウジが真剣な表情で訊いてきたので、カズヤもはぐらかさず、答えた。

「なんとも無いよ。本当に。腹が減ったくらいだけど。そうだ母さん、疑問があるんだけどさ。巨大化したとき服はビリビリに破けたけど、なぜかパンツだけは無事だったよな」

「そりゃあたしと父さんの子だもの。いつ巨大化しても不思議じゃなかったからね。パンツだけは、日暮里繊維街で仕入れた特殊な生地で縫っておいてあげたわよ」

「すげえな日暮里。でも、おかげで犯罪者にならずに済んだよ。じゃ風呂入って寝るわ」


 カズヤが二階の自室に入るのを見届け、コウジは呟いた。

「見たかい、母さん。あの泰然とした様子はどうだ。ことの重大さがわかっていないのか、単に図太いのか、それとも……。私の訓練生時代、初めて訓練用のサイボーグ怪獣に相対したときは、体が震えが止まらなかった。自分がブロンズ像にでもなったようで、鍛えたはずの拳が、まるで動かなかった。光線技なんて撃つ余裕もなかった」

「相手が怪獣っていう実感がわかないんじゃないかしら」

「そうかもしれん。いや、そうならいい。カズヤは未成年だ。まかり間違っても、政府が戦えと言ってくることもないだろう」

 ヴォーダン星人の過去の侵略例がひとおおり紹介されると、季節外れの台風へと報道の主役は移った。


 翌朝登校すると、「菱美くん」と声をかけられた。

 同じクラスの女の子だった。

「こ、これ、後で読んでください」

 今どきスマホも使わず、紙片による記録媒体で渡されたものは「放課後、旧校舎第十三号室に来てください」という文面だった。

 区立麹山高校は、一公立校の割には敷地がだだっ広い。昭和初期に軍に徴用されていたとか、未発掘の防空壕があるとか、地下には秘密兵器が埋められているという噂が、亡霊のようにさまよっている。昭和時代の異物とも言える旧校舎は、本来なら取り壊すはずが、解体費用がかさむだのあと半世紀すれば建築遺産になるだの言われ、授業の用には供されなくなっても原型をとどめている。昭和三十年代のリベラルな空気に感染し、多くの部活動や同好会が発足したが、部室を持てない組織が勝手に占拠し、数十年立った現在第二の部活棟として黙認されている。ここのOBには区議や地元経済界の名士までいるものだから、解体の話はタブーになっている。幸いにもアスベストも使われていないので、生徒たちも安心して籠もれるというわけだ。

「で、見事に僕は騙されたわけだ」

 女子生徒たちの「残念騙された〜」コールでも待っているかと思いきや、六畳程度の一間部屋にいたのは、親の顔と同じくらい見た同級生だった。

「秘密結社の勧誘ならお断りだぞ。ユウ、シンイチ」

「君の期待を裏切るような真似はしないよ。似たような企みだからな」

 窓は開いていたが、埃っぽい。入って正面には、誰かに譲ってもらったのか、やたらと筐体がでかいパソコンが唸っている。金属製の棚には、見たことのない銀色の記録媒体らしきものが並べられていた。

「中古だが、電源を強化すれば十分使える」

「そのうち壁に穴を開けて換気扇を取り付けて、隣の冷気を頂戴する予定よ」

「Wi-Fiの電波も便乗させてもらう」

「コバンザメの生態でも研究するのかよ」

「ATMよ」

「は?」

「今日からここが、新生ATM本部だ」

 カズヤは二日酔いの父の気持ちがわかった。軽い頭痛の中、ようやく言葉を発した。

「ツッコミ情報量が多くて混乱してる。一つずつでいいから答えてもらっていいか?」

「あんたがアタシに反論するなんてそれだけで死刑だけど、今日は特別に気分がいいから許してあげるわ」

「ATMってのは、対怪獣組織の、父さんと母さんが二十年前にいた部隊のそれか? あれは怪獣が出なくなって、とっくに解散したはずだろ」

「九割方正しい」

 シンイチは、パソコンに見慣れない周辺機器を見慣れないケーブルで繋げていた。

「訂正すれば、ATMは完全に解散したわけではない。兵器のノウハウは各国の防衛組織に譲渡された。怪獣との戦闘において得られた生体データ、弱点、有効な攻撃手段は、一般市民でも閲覧可能になっている。他にも宇宙からの電波を捉える衛星からのデータ、地球に暗躍する宇宙人の情報を、メンバーが閲覧できるようにする」

「情報だけ集めたところでどうなるってんだよ。父さん――アストロマン本人が、僕の出る幕じゃないって言ってたんだぞ」

「ATMの財産と意思を継いだ者は、我々だけではない。この麹山だけでない。全国、全世界の高校・大学、その他民間の有志による支部は合わせて三万箇所を下らない。昨今有志が開発した連携アプリを使えば、その全パソコンを一斉に並列処理演算で稼働できるのだ」

「で、シミュレーションでもして、あの怪獣は人類には倒せないって結果でも出たのか?」

「ちゃんと倒せるわ」

「だったらいいじゃないか」

「『あの怪獣の攻撃力と皮膚の強度と運動能力なら、アストロマンがいない場合、一時間かけて、数十発のミサイルを使えば倒せる』。この意味が分かるか、カズヤ?」

 倒せるならいいじゃないか、と言い放とうとしたカズヤは、はっと気付いた。

 一時間かけて、数十発のミサイル。一時間の間、怪獣は暴れ、避け、のたうち回る。ミサイルの爆風もあるだろう。怪獣もだが、街も道連れになる。

「怪獣は、また同じところに現れると言ってたな」

「そうだ。仮に倒せたとしても、麹山稲荷駅周辺は、墓標すらない瓦礫になるだろう」


   Ⅲ


 翌日。季節外れの台風のおかげで高校は休校になったが、麹山稲荷駅前商店街はむしろ活気だっていた。ラーメン菱美を初め、焼肉店、中華料理店、喫茶店、ビストロなど、ほとんどの食堂が台風対策をしたうえで、営業を続けている。暖簾や庇はしまってあるが、店内証明は煌々と輝き、厨房は熱気を放っている。商店街のWEBサイトにも告知する。

 夜の十時を周ると、集魚灯に誘われるように、ちらほらと「客」が入り始めた。ほぼ全てが、一度行った神奈川急行電鉄大鳥居線の終点である東京国際空港からの折返し客である。

 台風で夜遅くの便が欠航になった場合、空港ロビー自体は二十四時間開放されるが、ターミナルビルの店舗はコンビニを除き全店が定時に閉まる。ソファーには限りがあるから、夜明けを待つ客が全て座れるわけではない。そして照明が明るいだけで、電子音が鳴るだけの冷たいロビーよりも、人は本能的に温かい場所を選ぶ。

「私が不在の間、こんな慣習ができていたなんてなあ」

「ユウの店が始めたんだよ」

 十年前に、台風の夜に迷い込んできたカズヤのために、ユウの母・シヲリが営む喫茶店[タグ]が終夜営業を始めたことがきっかけで、商店街の全店舗も倣った。

「うちはカウンターと簡易椅子だけど、喫茶店みたいに照明が控えめで、ゆったりした椅子が置いてあるところは落ち着くからな」

「だったらうちはソファーベッドでも置こうかしら?」

「やめとこう、母さん。うちは回転率が武器だ……。おっと、言ってるそばからお客さんだぞ」

 入ってきたのは、二歳くらいの娘を連れた三人家族だった。

「ファミリーセットC、やってますか?」

 父親が、懐かしそうに店内を見回した。

「変わってませんね。メニューも店も」

「本当にお久しぶりらしいですね。セットCは、最近出てないんですよ」

 セットCは大盛りのチャーハンに餃子、焼売、ラーメン、デザートの杏仁豆腐の、家族でのとりわけを前提とした、リリィが考案した小さな宴会コースだ。

「台風で足止めですか?」

 中華鍋を豪快に火で炙り、コウジは尋ねた。

「逆ですよ。さっきやっと手荷物を受け取れて、これからホテルに向かう予定だったんです。これまでにも何回か東京には来ていたんですが、ついつい通過してばかりで……」

 今回こそはと、夕食も取らずに飛んできたのだという。おかげで子供は空腹と眠気でイライラも限界だった。

 へいお待ちと、カズヤとコウジが次々と湯気を立ち上らせる皿、小皿を運ぶ。ジュースはサービスだ。

 餃子にがっつく娘の顔に、リリィは満足げに笑った。

「あの時と変わっていない、と言いましたが、味が変わりましたね。いい意味で」

「タレに使う大蒜を、色々試してみて今の形にしました。小さな店だからこそ、工夫を積み重ねないと」

「この店は、ぼくの駆け込み寺ですよ」

 父親は鶴崎と名乗った。最初に彼がここを訪れたのは、十五年前だというから、カズヤが生まれた直後だろう。当時、鶴崎の母は山口の実家へ戻ろうとしていたのだが、乗る予定の最終便が欠航し、仕方なくこの店で夕食を取っていた。自動車で送っていた父親は、苦々しい顔をしていた。

 チャーシュー麺と半炒飯のセットをかきこむ息子の前で、夫妻は小声で言い争いを始めた。夫が、高校生時代の先輩の写真を隠し持っていたのを見つかり、破られそうになったところを力づくで奪い返し、離婚まで話が発展してしまったのだ。らちのない言い争いを続ける夫妻に、たまらずコウジが割って入ったのだった。

「男ってのはね、初恋を忘れられないばかな生き物なんですよ。それが叶わない、密かに秘めていたものなら尚更なんですよ」

 それでも納得しない妻に、コウジは提案した。

「だったら、その写真は奥さんが保管しておきなさい。旦那さんが大事にしているのは写真じゃなく、思い出なんです。面白くないのはごもっともだが、子供にとって大切な思い出である楽しい旅行を、台無しにするつもりですか」

 結局、振り替えた翌朝の便に乗っていったのだが、後日父親から「なんとか収まりました」という葉書が届いた。

 鶴崎はプロジェクションマッピングを扱う会社に就職。これが肌に合い、現在は、夜間でしかできなかったプロジェクションを白昼でもできる技術を開発したのだという。

「あのまま両親が別れていたら今の仕事には就けなかったし、家族もできなかった」

 翌朝、鶴崎は眠ったままの娘をおぶって出ていった。

「父さん」

「なんだ?」

 答えを覚悟して、コウジは訊いた。

「僕、やっぱり戦うよ」

「駄目だ」


「それで、おめおめ引き下がったの?」

 翌昼。ATMの部室ではユウ刑事が被疑者カズヤを取り調べていた。

「いや、試験は受けた」

「どんな?」

「配達用のスーパーカブに乗って、片手に竹刀振りかざして突進してくる父さんを倒さなきゃならない」

「まあ父親殺しの手段はみんなで考えるとして、とりあえずあんたにはこれよ」

 ユウは、どでかい弁当箱を出した。

「こ、これはもしかして」

「か、勘違いしないでよね。あんたじゃなく、地球の平和のため……」

「これにうちの餃子を詰めて持ってこいってか。お前、うちの餃子好きだもんな」

「餃子は好きだけど死ねッ!」

 A4サイズ大の弁当箱の中身は、椎茸の煮しめ、茄子の素揚げ、ピーマンのソテー、レバー、ホワイトアスパラだった。

「全部、僕が苦手なものばかりじゃないか」

「そこよ」

「どこだよ?」

「古いボケすんなって。ほら、あんたでっかくなっても光線技使えるわけじゃないでしょ。苦手を克服したアスリートが長いスランプから脱出できたって話聞かない? だからあんたの嫌いなものを、リリィさんに教わって作ってきてやったのよ」

「わざわざお前が作らなくとも、シヲリさんに作ってもらえば……。痛い痛い卍固めの原型とされるもののあまりの難度に使い手がいなくなった地獄卍固めをかけるなっ。なんでこんなに完璧にきまるんだよっ?」

「うるさい全部食えっ死んでも食えッ。ついでにこれも」

 地獄卍固めでカズヤを痛めつけながら、ユウは納豆を一パック取り出した。

「出た。僕の天敵ッ!」

 臭いといい粘りといい、カズヤにとっては宇宙から消えてもらいたいものの殿堂入りを果たしている納豆だった。

「一粒残さずたべるのよ。ほら、よく言うじゃない。死にそうな目にあったら必殺技に目覚めたって」


 食の形をとった拷問が終わると、カズヤを筋トレが待っていた。教職員が日々の使用を断念して持て余し、置き場所に困って持ってきたトレーニング機器が、再び日の目を見ることになった。

「ほれほれ、額までしか届いてない。顎まで上げて。自分の体持ち上げるだけでしょ?」

「ヒィ。何回やればいいんだよ?」

「アタシがいいって言うまでよ。それが終わったら、光線技の練習ね」

「出ないって」

「何かの間違いで出るかもしれないでしょうが」

「お前の精神論の出典が知りたい」

「うん、まあ気にしないで。あたしも適当に言ってみただけだから」

 セーラー服を着た鬼軍曹にたっぷりしごかれて帰宅すると、コウジの「試験」が待っていた。竹刀を片手にカブで追いかけてくるコウジに手も足も出ないどころか、父子揃って通報される始末だった。

「いえ違うんです駐在さん。これは虐待じゃなくて由緒正しいアストロ本星の特訓でして。私の現役時代はブレーキも効かない中古のジープで追い回されたもんですよ」

「父さん、その駐在さん明らかに怪獣よりは弱いんだから、卑屈にならないでよ。かえって挙動不審だよ」

 そこにリリィから「いいかげんに帰ってきなさいと電話がかかってきて、物騒なコミュニケーションが終わるのが常だった。


 学校と家でいたぶられるだけの日々の、五日目。

(おや?)

 カズヤはユウによる指導の一環で、藁を巻き付けた廃材にひたすらチョップを打ち込む練習をさせられていた。

「今更訊くけれど、パンチじゃないのかよ」

「拳打は衝撃が面に分散するし、指を傷めるのよ。その点チョップは打撃が『線』、つまり刃状になるわ」

 怪獣の鋼の皮膚にはどのみちあまり効かないのではと思いつつ、シンイチは稽古の様子をスマートフォンで撮影していたのだが……。

 撮影中に異変を感じ、巻き戻して確認した。

「二人とも、じゃれ合いは中断してこれを見てくれ」

「麦茶ー麦茶ー」

「じ、じゃれ合ってなんかいないわよってあんたも反論しなさいよっ!」

 ユウに後頭部をどつかれながら、カズヤは再生映像を見た。

「ここだ」

 シンイチが動画をスローに切り替えた瞬間。青白く光るカズヤの手刀が写った。

「この一撃を覚えているか?」

「一瞬だけ、藁を打ったって感覚が消えたな」

「……ユウ、竹刀いや木刀の用意だ。なければ金属バットでもアイアンのゴルフクラブでもいい」

「ほいほい」

「しれっと物騒なこと言うなシンイチ。ユウも当然のようにロッカーから引っ張り出すな」

「表へ出てくれ。ここだと機材が壊れる」

「うちの店の酔っ払いみたいなことを!」

 表に引っ張り出されたカズヤを、ユウはいわれるままに、というより面白がって木刀でどつき回した。悲鳴を聞きつけて他の生徒や教師が駆けつけてきたが、スマートフォンで録画しながらのシンイチの「実験です」の一言に「なあんだ」と帰っていった。

「カズヤ、掌で受け止めてみろ!」

「適当なこと言うな、指が折れる!」

「やらないと永遠に叩き続けるぞ!」

「わあっ!」

 脅されて仕方なく、左右の掌を振り下ろされる木刀に向け、受け止めるカズヤ。

 瞬間。シンイチは瞠目した。木刀が、鋼鉄でも叩いたかのように弾き返されたからだ。

「見ろ!」

 珍しく、興奮して叫ぶシンイチ。映像を再生すると――。カズヤの掌に、葉書二枚程度の、光の壁が現れていた。

「硬いものに当たったというよりは、衝撃がそのまま跳ね返ってきたんじゃないか、ユウ?」

「そのとおりよ」

 痺れる手を擦りながら、ユウは答えた。

「カズヤ、ここ数日で、なにか変わったことがあったか? 雷に打たれたとか毒蛇に噛まれたとか」

「死ぬわ! ああそういえば、ユウと父さんの特訓のおかげで体重が一キロ落ちた」

「弱いな。他には?」

「ナスとピーマンが好きになった」

「他の食べ物は? 納豆は相変わらずか?」

「あいかわらず苦手だ。あんなもん食べさせられるなんて苦行以外の何物でもない」

「でも、前よりは食べられるようになったじゃない」

「そこだ! これからいろいろ試してみるが、拙僧の予測が正しければ、君のその壁はあらゆる攻撃を跳ね返すぞ。質量を持つ物体だけでなく、電磁波による攻撃をもだ」

「つまり、納豆にその成分が入ってたってこと?」

「違うな。おそらく、ユウの言うとおり通過儀礼だ。苦手なものを食べ続けることで、文字通り、アストロ戦士としての壁を乗り越えたのだ」

「じゃあ、もっと嫌いなものを食べさせ続ければ――」

「僕に安らぎの時は訪れないのかよ!」

「あんたこそ見境なく食ってんじゃないわよ! だから余計な肉がつくのよ」

「嫌いなものはおいおい探すとして、ぼやぼやするなカズヤ。さあ実験を続けるぞ。まず野球部に行ってノックの的にしてもらう。ゴルフボールや砲丸も試したい。キャンプ同好会から木炭を拝借してこよう。それと、他校のATMに怪獣用の兵器を研究しているところもあったな。とりあえずガスバーナー、アセチレン・ランプ。昔ATMで使っていたレーザーガンも流してもらえないか……」

「ああ、ユウが活き活きしてる。お前ら、僕を殺す気満々だな」

 カズヤの手に出現した光の壁は、〔ナットリウム光壁〕と名付けられた。


 いよいよ期限が明日に迫った夕刻。

 菱美コウジはスーパーカブのエンジンを吹かし、息子に対峙していた。

 自分の息子を侮ってはいない。自分がいない間、小学生の時から、自発的に出前をするようになったとリリィからは聞いている。体つきは多少ぶよぶよしているが、芯は硬い。

 だから燃料は満タンにしてある。カズヤが降参し、戦いを諦めたと言うまで追い掛け、叩き続けるつもりだった。

 右手でアクセルを吹かし、左手に竹刀を握る。発進後、ロータリーギアを蹴って一気に三速まで上げる。時速五十キロでの突進を、カズヤは落ちついて、すっと左に避けただけで躱した。

(うまいな。だが)

 コウジは、次の突進ではカズヤが避けた方に、竹刀を倒した。それでもカズヤは、最低限の跳躍で躱した。

「少しは考えたな!」

「ユウが知恵をつけてくれたもんでね!」

「だが、逃げてばかりでは私を倒せんぞ!」

「それはなんとかする。こいつで!」

 カズヤは左右のポケットから、現場で使うような長い懐中電灯を抜いた。スイッチを入れ、コウジの両目めがけて光を照射する。

「甘い!」

 コウジはヘルメットのバイザーを下ろした。直後。カズヤは、コウジのカブめがけて走った。ぶつかる寸前、両脚で跳躍。頭を引っ込めたコウジとすれ違いざま、手に握っていた球体をバイザーに叩きつけた。

 コウジの視界がピンク色に染まる。防犯用のカラーボールだ。

 これが狙いか、と、コウジはカブを止め、ヘルメットを脱ぎ捨てた。その隙にエンジンキーを抜こうとしていたカズヤを、蹴飛ばした。

「残念だったな。今日が日限だ。シンイチ君の入れ知恵だろうが、小手先の策ではこれが限界だ!」

 一喝し、カブのアクセルを回すコウジだったが……。カブはつんのめって急停止し、コウジは愛車ごと倒れた。

「僕たちの勝ちだ!」

 カズヤは叫んだ。

「父さん、今確かに『倒れた』ぞ」

 起き上がろうとしたコウジは、カブを見た。前輪のスポークには、目くらまし用に使った懐中電灯が挟まれていた。キーを抜こうとしたのは、コウジに気づかせず、発進させるためのミスリードだった。

「負けは認める」

 コウジは苦々しく笑い、膝の泥を払った。

「アストロの力を持っていた私でも、幾度かの苦戦を強いられた。ましてやお前は、ただk巨大であるだけの地球人。鋼の体も、一撃必殺の武器も持っているわけじゃない。一つ間違えればあっけなく死ぬ。そして甦れないぞ」

「それでも、この街を守りたい」

「この広い宇宙で、過度に土地に拘るのは無意味で危険な考えだ。争いを避け、話し合いで解決するために一旦全員で他の星に移り住む。そんな[平和的解決]だってある」

「ATMにデータベースにあったヴォーダン星人の資料は読んだよ。『惑星の一部を差し出すという条件で妥協しよう』。以前にも全く同じ条件を出してきたよな」

「――そういう条件で自分たちの居留特区こと前線基地を作り、口実を設けてやがて全土を侵略してしまう。軒先を借りて母屋を乗っ取るというのが、連中の常套手段だった」

「父さん。麹山稲荷駅商店街は日本中のどこにでもある、停まらない小さな店の集まりだ。でも、この前みたいな嵐の時みたいに、たった一度、一晩の客でも誠心誠意もてなす。誰にも言わず、駅前広場の掃除を続けている人もいる。一度引退したのに、材料をかき集めて子ども食堂を始めた人もいる。損得勘定抜きで、遅くまで親が働く子供を預かっている人もいる。この街全部が、僕を育てた家なんだ」

「精神論では相手は手加減してくれんぞ。どうやって戦うつもりだ?」

「そりゃシンイチたちが考えてる」


   Ⅳ


 約束の日。

 神奈川急行大鳥居線の周辺は、朝から雨に見舞われていた。

 駅前から少し離れた県道では、海から現れたズークに、菱美コウジが対峙していた。

「十年ぶりの登場といったところか、アストロマン」

 ズークの顔にある結晶体が点滅し、口の代わりに音声を発している。

「私は現役引退だ。代わりに戦うのは、新しいアストロマンだ」

「君を助けたあの忌々しい防衛組織も、すでに解散していると聞く」

 コウジと、ズークを介しての二人の会話の他は雨音と、時折響く雷鳴だけだ。住民は隣の街に避難し、電車、バス、ほか全ての交通も止まっている。

「君が指定したのは開始時間で、何時までに決着をつけろとまでは言っていない。それとも待たされると、何か不都合でもあるのかね」

「詭弁と時間稼ぎは弱さの証だ。戦いを渋っているのだろう。アストロマンよ、同じ宇宙人のよしみだ。今からでも我々に与して、地球をともに支配しないか?」

「断る。今の店で手一杯だ」

「では滅びたまえ!」

 雨が、ピタリと止んだ。

 トトトトトという軽快なエンジン音が、一人と一頭のもとに近づいてくる。ヘルメットを被り、出前用のカブに跨ったカズヤだった。

「お待たせ。原付の講習、思ったより時間がかかってね」

「ふざけるな!」

 アスファルトの路面すら震わせる怒号だったが、カズヤは平然としていた。

 コウジとタッチをし、カブを譲る。左手首には、スマートフォンほどの大きさの機械がはめられていた。

「いくぞ」

 カズヤは、その機械を思い切り叩いた。シンイチ指示の下、他校のATMメンバーが製作したこの機械[スティングライザー]は、市販のボタン電池のエネルギーを一気に放出し、カズヤの体に五百ボルトのパルス電圧を加える。生命の危機を感じたカズヤは巨大化する――という、至極単純な仕組みだった。

 カズヤの背丈が、横幅が、二十五倍に膨らむ。身長四十五メートル、体重は一万五千六百二十五倍の約一千トン。裸ではない。体には、銀色地に黄色のラインを入れたスーツをまとっている。日暮里繊維街でリリィが買ってきた伸張性に優れる生地で縫ったものだ。

 カズヤは駆け、ズークの首に組み付いた。量産型怪獣であるズークは、その構造が簡略化され、視覚を初めとするセンサーは顔面の結晶体に集約されている。皮膚は装甲、角は刺突兵器、口は火炎放射に特化していた。遠隔で操作しているヴォーダン星人は、カズヤの非力な攻撃を鼻で笑い、指先をくいっと左に振った。

 カズヤはあっけなく振り飛ばされた。ビルに叩きつけられる瞬間、受け身を取る。父のように鋼の肉体と質量を持っていたら、逆にビルが崩壊していただろうが。

 今度は馬乗りになり、首筋に手刀を叩きつける。一発ではなく、二発、三発。だがいずれも、「小石がぶつかった」ほどの衝撃にもならないと、モニターの数値が表している。

「感覚を共有していたとしても、くすぐったいだけだったな」

 ヴォーダン星人の嘲笑は止まらない。ズークに限らず、遠隔操作される怪獣と操縦手が感覚を共有することはない。痛覚の共有などまっぴらだ。

 ヴォーダン星人が入力した「後ろ脚で立ち上がり、相手を振りほどけ」という命令に従うズーク。カズヤは前方に投げられ。またしても回転受け身をとり、立ち上がった。

「ええい鬱陶しい!」

 目の前にいるのは、かつての「アストロマン」の力には遠く及ばない、ただでかいだけの地球人だ。それでも最低限の訓練は受けたらしく、単純な投げ技は通じない。地球の戦力を舐めているわけではない。居住区・商業地区に相応の犠牲を払えば、ズークは倒されるだろう。被害よりも当面の安寧を求める地球人の心理につけこむ作戦だったが――。

「時間を稼いで、ズークのエネルギーを消耗させる作戦か」

 ズークの活動には、生体核融合炉を動かすためのトリチウム、すなわち大量の海水が必要だ。海に行けば無尽蔵にあるが、動けば消耗するし、摂取には時間がかかる。時間切れの引き分けに持ち込まれ、交渉でごねられるのも面倒だ。

 カズヤが立ち上がるのを待たず、ヴォーダン星人はズークを突進させた。カズヤの体重が一千トンであるのに対し、ズークは三万五千トン。普通の人間が普通自動車に立ち向かうようなものだ。

 今度は少し派手に、カズヤは百五十メートル突き飛ばされた。受け身は取ったものの、全身がまんべんなく痛むらしく、「ぐは……」と喘ぎ、しばしもがいた。

 ズークは火炎球を発射した。溶鉱炉を上回る二千℃のプラズマを、カズヤはよけたものの、アスファルトは隕石が落下したように抉られ、蒸気となった。

 カズヤは逃げた。

「当然の反応だな」

 逃げられて時間を稼がれても困る。ズークはカズヤを追ったが。

「ええい、逃げ足だけはアストロマン並みか!」

 人間は頑張れば時速二十五キロ程度は出せる。二十五倍すれば六百二十五キロ。新幹線を上回るどころか、カズヤはターボプロップ機並のスピードで走っていた。

 ズークにも同じくらいの速度は出る。ヴォーダンは後を追わせたが、カズヤはビル街の交差点で、右折した。同様に、角を曲がろうとしたズークだったが、体重が災いし、交差点での制動に時間がかかった。そのようなことを数回繰り返すうち、ヴォーダン星人はカズヤの姿を見失ってしまった。視界から消えただけではない。赤外線センサーを使っても、さっきまで確かに捕捉していたカズヤの体温を検知できないのだ。

 街に消えたカズヤを追って、ヴォーダン星人はズークを走らせた。一丁目、二丁目の交差点を通り過ぎ、三丁目の角で立ち止まる。

「よもや空か?」と上空を見るが、カズヤに飛行能力はないはずだ。

 と――。五丁目の方角に、周囲より高い熱源を感じ取った。熱源は動かない。

 四丁目の交差点で、ヴォーダン星人はカズヤの姿を捉えた。右拳を正面に突き出すのは、アストロマンの必殺技〔アストロニウム光線〕の構えだ。

「させるか、にわか仕立ての紛い物がっ!」

 ズークが後ろ脚で立ち上がる。四足歩行時よりも気道が拡がるために、二倍の大きさの火球を吐ける。動きは止まるが、このタイミングなら外さない。

 カズヤの腕の発光と同時に、ズークは火球を吐いた。

 ズークの火球はカズヤに到達した。カズヤの腹を穿ち、そこから一気に燃え広がり、一片の肉すら残さずに。しかし、はらはらと空に舞ったのは、焼けた骨ではなく、ただの布だった。

「なんだ、これは?」

 そこにあるべき巨人の死体を探し、センサーの焦点を合わせようとした寸前。ヴォーダン星人の視界は、ブラックアウトした。「アストロ・チョップ」というカズヤの叫びが、最後に送られた通信だった。

 ズークからの信号が途絶えたのか、あるいはズーク自体に異常があったのか。いずれにせよズークが一切反応しなくなったので、ヴォーダン星人は不本意ながら、敗北を知った。

(長居は無用だ)

 ヴォーダン星人は地球人に擬態し、潜伏していたアパートを飛び出した。が――。

「いい部屋を見つけたじゃないか。引き払うのはもったいないねえ」

「アストロマン?」

 路地で彼を呼び止めたのは、他ならぬ仇敵、菱美コウジだった。

「なぜここがわかった?」

「遠隔操作という性質上、ズークからそれほど遠くには離れられまい。近所に潜伏していると考えるのが妥当だ。不動産の賃貸情報は全部登録されている。偽った経歴もすぐに調べられる。『職業不詳で、手ぶらで外出して手ぶらで帰ってくる』。そんな人物の情報なら、すぐに集められるさ。新生ATMならな」

「知っていて、今まで私を泳がせていたのか?」

「敗北というものを噛み締めさせる必要があったからな」

「いったいズークはどうしたのだ。あの明らかに非力な巨人に、破壊されたというのか?」

「君がカズヤと思って撃ったのは、巨大なスクリーンに移した像だ。その隙に背後から近づいたカズヤが、飛び上がり、ズークの脳天に手刀を振り下ろした」

「嘘をつくな。不意をついたとはいえ、アストロマンでもない、ただの地球人に、怪獣を破壊できるはずが……」

「できるさ。地球人のプロボクサーなら、新幹線並みのスピードでパンチを放つ。手刀を時速百キロで振り下ろせば、巨大化時にはマッハ二を超える。拳という面でなく、手刀という線でだ。そして怪獣のすべてを破壊する必要はない。『目』を奪えばいいのだからな」

 今のカズヤでもジャンプ力はせいぜい三十メートル。だが跳躍し、降下するには三秒半。真正面から接近するには危険すぎる時間だ。だから背後からこっそり近づいた。

 超音速で振り下ろされた手刀は、集約センサーである結晶体を叩いた瞬間、衝撃波を発生させた。刃状の衝撃波は、脳天から延髄・脊髄を貫き、信号伝達系を破壊する――。というのが、シンイチの作戦だった。

「地球人に、図に乗るなと伝えておけ。今回は、たまたま雨上がりの交差点でズークが足を滑らせたから、お前の息子を見失っただけだ」

「偶然なものか。雨は僥倖だが、交差点の砂は君を焦らせている間、撒いたものだ」

「重機の反応はなかったぞ!」

「人力だ。ビルに潜んでいた住民がバケツに一杯ずつ詰めた砂を撒いた。それだけじゃない。屋上からカズヤに氷水を浴びせて体表を冷やし、赤外線センサーから反応を消した。じゅうぶんに距離をとったあと、ビルの間に渡したスクリーンにカズヤの姿を映した。君はアストロマンに負けたのではない。この街に住む地球人に敗れたのだ」

「……お前は平気なのか? 本来のアストロマンとしての力を持たない、ただ巨大なだけの我が子を、命がけで戦わせるとは」

「私が本来、カズヤを育てねばならない十年の間、この麹山駅前商店街の人たちが、息子に優しさと、勇気の礎を与えてくれた。カズヤとは『一家』と書く。何百年、何千年、いや何万年かかろうと、いつかこの宇宙の、すべての人々の間から争いがなくなり、一つの家族となってほしいという願いを込めてつけて私たちがつけた名だ。この街は私たちの家だ。自分の家を守るために戦うという意志は、親の私ですら曲げられない。覚悟を決めたら、あとは最大限の力で支えてやるだけだ」

「ならばせめて、貴様だけでも――」

 アストロの力を失ったコウジなら――。ヴォーダン星人がそう考え、両手から殺人光線を放とうとした刹那。

 放たれた光線を躱し、コウジは叫んだ。

「アストロニウム光線!」

 肩に、槍のような光線を食らい、呻き、膝をつくヴォーダン星人。

「安心したまえ。峰打ちだ」

「貴様、まだ、これほどの力が残っているのに……」

 駆け寄ってきた警官隊が、能力を封じる素材でできた手錠をかけた。


「とりあえず一安心だ。ヴォーダン星人は宇宙人専用の拘置所で取調を受けている」

 コウジはユウ、シンイチたちを店に呼び、ささやかな祝勝会を設けていた。

「父さん、これ新メニューなの? いつもの豚の角煮より歯ごたえがあって、脂っぽくないし――」

「うまいか?」

「うまいけど?」

「じゃあしばらくメニュー使えそうだな。母さん、品書きに書き加えておいてくれ。[怪獣の角煮]って」

 新メニューを、カズヤはゴクリと飲み込んでしまった。

「今なんつった?」

「聞いての通りさ」

「あんたが動きを止めたズーク、あの後すぐに自衛隊の処理班が来たじゃない」

「無理もない。君は疲れてひっくり返っていたからな」

 ユウとシンイチは平然と餃子と炒飯を頬張っている。

「その具材もまさか……」

 解体は鮮やかに行われた。脊髄に電流を流して信号系を完全に破壊し、皮をはぎ、肉を削ぎ落とした。骨や皮膚は研究資材として持っていかれたが、肉はズークが出現した自治体に無償配布された。

「怪獣料理で客を呼び寄せて、収益を怪獣災害保険の保険料に充てる。カズヤ、お前も取り分を請求できるが、どうする?」

「いらないよ。実費以外は」

 カズヤは頭を振った。映像を映したスクリーンも無料ではない。怪獣退治には金がかかるのだ。


「ユウ、本当に言わなくていいのか? 本来なら一瞬だけ信号系を麻痺させ、動きを止めた隙にミサイルを撃ち込む作戦だったが……」

「いいのよ。威力が期待以上にあって、怪獣の信号系を全て破壊していたってのは、内緒にしときましょ」

「カズヤが増長するからか?」

「シゴく楽しみが無くなるからじゃない」


 地球を守る新たな巨大ヒーロー・アストロマンカズヤ。

 その能力は。

 でかい。ほぼ、それだけである。



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