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瀬々市、宵ノ三番地  作者: 茶野森かのこ


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8. 捨てられた指輪5


その後、愛が華椰(かや)を母親の元に送り届けると言うので、多々羅(たたら)もついていけば、そこは喫茶“時”だった。

もうすっかり通い慣れた喫茶店、昭和のレトロな佇まいの店に入ると、カランとドアベルが鳴る。店内には、カウンター席と四人掛けの席が四席あり、内装もレトロな雰囲気で、窓のステンドグラスが印象的な、ゆったりと時が流れるような店だった。


「先生、華椰を連れて来ました」


愛がカウンターの中にいる信之(のぶゆき)に声を掛けると、信之は目を擦っている華椰を見て優しく目を細め、「ちょっと待ってて」と言って、カウンターの奥に下がって行った。カウンターの奥には厨房があるが、華椰の母親はそこで待っているのだろうか。


「………」


何故、華椰の母親が厨房で待っているのだろう。店内で待てない事情でもあるのだろうか。


多々羅は不思議に思い店内を見渡してみるが、店に居るのは年配の男性客が二人のみで、彼らは競馬新聞を片手にあれこれ意見を交わしている。その他に客の姿はなく、店内で待っていても迷惑にはならなそうだ。


そう言えば、舞子(まいこ)はどこにいるのだろう。今日は休みだろうか。


何気なく思ったところで、多々羅ははたと気づき、まだ鼻をすすり、多々羅の手をぎゅっと掴んでいる華椰を見下ろした。


「…まさか、お母さんて」

「あぁ、舞子さんだ」


愛の口からすんなり出た名前に、多々羅はあんぐりと口を開け、「えぇ!?」と驚きに声を上げた。店に居た男性客も、何事だと顔を上げたので、多々羅は慌てて口を手で覆い、謝罪の意味を込めて二人に頭を下げた。


「言ってなかったか?」

「聞いてませんよ!」


愛は、何をそんなに驚いているんだとばかりに眉を寄せているが、多々羅は舞子に子供がいるとは思いもしなかったし、それに何より、舞子も華椰も頻繁に顔を合わせているのに、今まで何も知らされていない事が、ちょっとショックでもあった。


「華椰、」


そんな中、舞子がカウンターの奥から現れた。きっと、愛から事情を聞いていたのだろう、その表情は不安に揺れていたが、華椰が多々羅の手を放して舞子に駆け寄れば、舞子も顔をくしゃりと歪め、その小さな体を抱きしめた。


「ママ!ごめんなさい!指輪勝手に持ち出して…捨てようとして」


ごめんなさい、ごめんなさいと繰り返す華椰に、舞子は華椰の気持ちをその胸に刻むようにぎゅっと抱きしめ、その背中を優しく擦った。


「いいんだよ。不安にさせちゃってごめんね…愛から色々聞いた」


ぽんぽんと宥めるように背中を軽く撫でながら、舞子は涙を飲み込んで、努めて明るく声を掛けた。華椰はしゃくり上げながらも、そろそろと顔を起こし、不安そうに舞子を見上げた。


「…華椰のこと、嫌になった?」


叱られるより何より怖いこと。華椰が不安に耐えきれず、再び、わっと泣き出してしまえば、舞子は泣きそうになりながらも笑って、その涙を拭おうと、両手で華椰の頬を包んだ。


「そんなの、嫌いになるわけないでしょ」

「か、華椰のこと、じゃ、邪魔じゃない?」

「邪魔なんて一度も思った事ない!一生思わない!これからもずっと思う訳ない!」


そう言って、舞子は堪らず華椰を抱きしめた。


「あーもう!うちの子はなんて良い子なのー!」


泣くのを誤魔化すように、嬉しさと愛おしさでいっぱいの心が伝わるように、ぎゅうぎゅうと華椰を抱きしめる舞子に、様子を見守っていた信之もほっとした様だった。


「ママ、苦しい…!」

「いい?この苦しいくらいの愛がママの華椰への気持ち。華椰は、ママにとって自慢の娘!華椰がいなきゃどうにかなっちゃう!」

「…ママ、」

「大好きだからね、華椰」

「ママ…!」

「もう、泣かないの」


うわ、と泣き出す華椰に、舞子はやっぱり涙が堪えきれなくて、華椰の涙を拭いながら泣いてしまって。共に泣き出す親子に、信之が男性客達に頭を下げていたが、彼らは常連客なのだろう、何となく舞子達親子の複雑な事情も知っていたようで、親子の様子を温かく見守ってくれているようだ。


「良かった…誤解が解けて」


多々羅はほっとして目元を拭いつつ愛に顔を向ければ、愛はあらぬ方向に顔を向けていた。

「指輪の彼女です」と、ヤヤが指輪の化身がそこにいる事を教えてくれる。



それから舞子は華椰の涙を拭うと、華椰の手をしっかりと握った。その手の中には、あの指輪がある。大事に大事に、華椰がずっと握っていたものだ。


「この指輪、華椰が持ってて」


その小さな手を宝物を扱うように撫でながら、舞子が言うと、華椰は戸惑ったように顔を上げた。


「でも、華椰…」


この指輪に酷い事をしてしまった、そんな華椰の後ろめたさも舞子は理解した上で、そっと微笑み、華椰の頬に残る涙の跡を優しく拭った。


「ママが大事にしてたパパの指輪、ここにはパパとママの二人分の思いが詰まってる。

この指輪ね、家族になってくれてありがとうってパパがくれたの。でも、ママは指輪が苦手だから、これはパパがしてた。だからきっと華椰を守ってくれる。私達の思いが詰まった物だから、華椰が持ってて」

「でも、ママは?」

「ママは、あのネックレスがある。あれね、パパが指輪の代わりにくれたパパとお揃いの物なの。だからママと華椰も、お揃いで持ってられるでしょ?」

「…うん!」

「ママ、もっと強くなる。華椰の為に」


二人の想いを受け取り、指輪の化身の彼女は愛に向かってそっと頷いた。華椰の手の中に包まれた指輪は、安心した様子で、淡い光を纏っていた。




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