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瀬々市、宵ノ三番地  作者: 茶野森かのこ


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8. 捨てられた指輪4


**



翌日、華椰(かや)に再び店に来て貰った。指輪の化身は、昨夜から指輪に潜んだままだ。

昨日と同じく、応接室に華椰を通して、多々羅(たたら)がいつものオレンジジュースを差し出すが、華椰の表情には不安や焦りが見え、ぎゅっとポシェットのベルトを握っている。

愛は華椰の向かいに座り、その落ち着かない様子を見ると、表情を和らげて指輪を華椰の前に差し出した。白いハンカチの上に置かれた指輪、華椰はそれを見て目を大きく見開くと、勢いよく愛を見上げた。


「見つけてくれたの?」


愛が頷くと、華椰は瞳を涙でいっぱいにして、その指輪を大事そうに握りしめた。


「良かった…!ありがとう…」


言いながら、ぽろぽろと涙する華椰だが、指輪の化身は、それでもまだ華椰の前に姿を現さそうとはしなかった。

華椰がいる手前、多々羅はゴーグルが掛けられないので、多々羅は化身の姿が見る事が出来ない。なので、化身の事は肩に乗るヤヤがこっそりと教えてくれている。多々羅はほっとしたように指輪を抱きしめる華椰の姿を見て、戸惑いながら愛と視線を交わすと、それから華椰の座る椅子の傍らにしゃがみ込み、意を決して口を開いた。


「…華椰ちゃん、この指輪ね、橋の下にあったんだ」


その言葉に、華椰はびくりと肩を震わせた。


「それでね、華椰ちゃんが指輪を捨てようとしてるのを見たって人がいたんだ、それ本当かな…?」

「…え、と」

「あ、ごめんね、責めてる訳じゃないんだ。何か理由があったんでしょ?俺は、華椰ちゃんが何の理由もなくそんな事するとは思えなくて」


華椰は、じっと多々羅を見つめる。唇を噛みしめて、言わなくてはいけない思いと、言ってはいけない思いがその小さな体の中を駆け巡っているように感じる。

華椰を躊躇わせる理由を少しでも軽く出来ればと思い、多々羅は小さな頭をそっと撫でた。


「大丈夫だよ、お母さんには秘密にしよう、誰も怒ったりしないよ。だから教えてくれる?」


華椰は唇を噛みしめたまま、手の中の指輪を見つめ、それからぽつりと呟いた。


「…ママが泣いてるから」

「ママが?」


優しく問いかけると、華椰は再び泣きそうに顔を歪めたが、それでも理由を話そうと懸命に口を開いた。


「うん、この指輪を見て泣いてるの。これパパの指輪なの。前にママね、パパがくれたネックレス握りしめて倒れたの。その日から、ネックレスは引き出しの中にしまっちゃった。でもね、ママ、この指輪に聞いてたの。このままでいいのかな、華椰の事このままでいいのかなって」


華椰の瞳から零れた涙が、ぽつぽつと指輪を濡らしていく。多々羅は戸惑いつつも、その肩を抱きしめた。


「ママとあたしを繋ぐのはパパだから、パパに聞いてるんだよ。あたしがママを苦しめてて、あたしが居なければ、ママは自由になれるって思った」


自由、それを聞いて、愛はそういう事かと指輪に目を向ける。指輪からは化身が現れ、困惑した様子で愛を見上げていた。愛は化身の戸惑う視線を受け止め、寄り添うようにそっと表情を緩めた。


「だから、川に…?」

「だって!パパとの繋がりがなければ、ママはあたしの面倒見なくて良いでしょ?」

「華椰ちゃんはそれでいいの?」

「だって!だって…ママが大好きなんだもん!あたし、ママに嫌われたくないもん!」


必死に多々羅の服を掴み、華椰は涙する。


「ママに笑ってて欲しいんだもん!でも、指輪無くしたら、パパが居なくなっちゃったみたいで…ママにも会えなくなっちゃうと思って、捨てちゃダメだって気づいて…!ごめんなさい、ごめんなさい…!ママに嫌われちゃう…」

「華椰ちゃん…」


多々羅が華椰の背を擦る中、愛は腕を伸ばして俯くその頭を軽く撫でれば、華椰はしゃくり上げながらも愛を見上げた。愛は見上げるその瞳を見て、困り顔で笑った。


「あいつが、こんな事で華椰を嫌いになる訳ないだろ。例え無一文になって、住む場所を追いやられたとしても、華椰だけは手放さないと思うよ」

「…そんなの嘘だよ」

「ずっと二人で生活してきて感じなかったか?誰よりも華椰の事考えて、一番大事に思ってる。この指輪に問いかけてたのだって、不安だったからだよ」

「…どうして?」

「華椰の事、パパや本当のママの分まで大切に出来てるか、寂しい思いをさせてるんじゃないかって。あいつは華椰の事しか考えてないよ」


その疑う事のない言葉に、華椰は唇をぎゅっと結んだが、やがて堪えきれず、うわ、と泣き出した。声を上げて涙する華椰に、多々羅が宥めるようにその背を擦れば、華椰は多々羅に抱きつき、服をぎゅっと掴んだ。この小さな手に沢山の思いを一人で抱えていたと思うと、胸が苦しくなる。多々羅は小さな背を抱きしめ、大丈夫だよと、優しく声を掛けるばかりだった。



愛はその様子を見て立ち上がり、化身の彼女に目を向けた。化身なら誰もが恐れる翡翠の瞳が穏やかに優しく笑み、彼女は目を瞪った。


「…あなたも、この家族の一員ではないですか?」

「……」

「あなたは、繋いだ絆の象徴です。出来れば二人に寄り添い、ずっと見守ってくれたら俺達も安心なんですが」


彼女は瞳を揺らし、やがて自嘲するように口元を緩め、顔を伏せた。


「…そうね、私、勘違いしてた。二人のこと分かってなかった」

「心の内は、誰だって触れてみなければ分かりませんよ」

「…あなたの事も。こんな私にも優しいのね」


愛は困ったように微笑んだ。華椰を宥めながら、多々羅は愛の様子を見て、安堵した様だった。



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