7. 願い11
「でも、兄さん、その時から様子がおかしくてさ、化身に何か言われたみたいで、“僕は恐ろしい人間じゃない、僕が凛人を傷つける筈がない”って、叫んでて。その時は何言ってるか分からなかったし、兄さん傷ついてるみたいだから、このやり取りがあったのは、じーちゃんにも誰にも言わなかったんだ。誰かに言ったのは、たーちゃんが初めて」
「…そうなのか…」
「その時から、兄さん、俺達家族とよそよそしくなって、距離を取るようになった。留学決めたのも、そのせいだと思う。兄さんは、自分がいたら誰かを傷つけると思ってる。兄さんがいない方が、こっちは寂しいって言うのにさ。
それでも、兄さんが日本に帰ってきてからは、一時は家族皆で過ごしたりしてたんだよ?でも、三年くらい前から、また距離を置くようになった」
「何かあったの?」
「俺もそれは、じーちゃんから聞いた話だから、詳しくは分からないけど。多分、あの時と同じような事があったのかなって…兄さんがイヤリング持ってるのは知ってる?」
愛はイヤリングをしていただろうかと、多々羅は疑問を持ちつつ首を振った。
「そっか…。まだ持ってるのかな?兄さん、教えてくれないけど、でも、そのイヤリングを見た時からなんだよ、兄さんがよそよそしくなったの。だから、もしかしたら恋人が傷つくような事があったのかなって」
「え、愛ちゃん彼女居たの?」
初耳だった。
まあ、そりゃ彼女くらいいたよなと、多々羅は少し複雑な思いを感じながらも納得させた。それが、何に対しての気持ちなのか自分でも理解していないが、とにかく素知らぬ顔をしてそれを飲み込んだ時、ふと、麗香の指輪を探していた頃の事を思い出した。
あの時、愛は、もう恋をしないと言っていた。「俺は、あんな風に傷つく覚悟で会いに行くなんて出来なかった」そう呟いた時の愛は、一体どんな顔をしていただろう、そしてそれは、その恋人に対しての話だったのだろうか。
「姉さんには内緒にしてたけどね、男同士の秘密の話だったから!」
多々羅が難しく眉を寄せかけた時、今までの落ち込んだ様子はどこへやら、途端に胸を張って言う凛人に、多々羅は気が抜けたように頬を緩めた。
「それ、俺が聞いてもいい話?」
男同士の秘密ではなかったのか。
「大丈夫!その辺の判断は、兄さんから信用されているから!」
またもや妙なところで胸を張る凛人に、こういう素直さなところが、愛も憎めないのだろうなと、多々羅はぼんやり思った。
「本当に仲良いのな、お前達」
「だって、兄弟だもん」
そう軽やかに笑う凛人が微笑ましく、そして、多々羅は少し羨ましかった。兄弟だからとはいえ、どこの家族もそうとは限らない、多々羅の家のように。
「だから、この前姉さんに、たーちゃんが兄さんとこに居るって聞いて、俺も安心して。お礼言いたかったし、兄さんの事話しておきたくて、今日仕事抜けてきた」
「え、大丈夫か仕事」
「平気平気!だからね、たーちゃん、兄さんの事よろしくお願いします!」
凛人はそう、頭を下げた。
「面倒で、大変な事いっぱいあるけど、できたらで良いから、ここにいる間は兄さんの味方でいてあげて?俺達家族は、それ出来なかったからさ」
「…襲われたのは、誰のせいでもないでしょ」
「それでも。今もさ、我が儘言って、一緒に居れば良かったって後悔してるんだ。だから、お願い」
再び頭を下げた凛人に、多々羅はそっと頬を緩めて、「分かったよ!」と、その髪をわしゃわしゃとかき混ぜた。
だが、ふと不安が過った。多々羅は、愛の前でヤヤに襲われている。自分ではなく、他者が目の前で襲われた姿を、愛はどう見ただろうか。今はヤヤもまるで別人のようだが、あれが過去の嫌な思いを引きずり出していなければ良いが。
「ありがとう!あと、プレゼントも渡してくれたんでしょ?」
「え?あー、あれさ…」
「本当にありがとう!じゃあ俺そろそろ行くね!」
「え、」
「またね!」
「ま、またな…気をつけてな!」
そして、颯爽と去っていく凛人を多々羅は見送った。
「なんか、正一さんみたいだな」
さっさと帰ってしまった背中を見て、多々羅は笑った。
それにしてもと、多々羅は深い溜め息を吐いた。凛人は、多々羅が愛にプレゼントを渡したと思っている。
訂正する前に帰ってしまったし、あの様子だとすぐに結子にも話がいきそうだ。
これは早い所どうにかしなければと、多々羅は頭を悩ませていたが、そんな主の葛藤に気づかず、ヤヤは多々羅の肩に戻ると、「いい弟さんですね」と、頬を綻ばせた。
「…だな。あいつは変わんない、昔から良い子なんだ」
「その弟殿が言っても駄目なら、愛殿はよほど頑固なんですね」
「…だな」
困ったように笑って、多々羅はショーウインドウの向こうを見つめた。