7. 願い10
そこへ、カランとドアベルが鳴り、多々羅は顔を上げた。確か、クローズの札を出していた筈だが、よほどの事情を抱えた客だろうか。だが、愛がいなくては、多々羅は仕事を引き受けられない。
「いらっしゃいませ、すみません今、」
「たーちゃん!」
愛の不在を伝えようとしたところ、親しみ深いその呼び名に、多々羅はきょとんとして彼の顔を見て、それがすぐに昔馴染みだと分かった。
「嘘だろ!もしかして、凛人か!?」
そう目を丸くすれば、青年は嬉しそうに微笑んだ。
小柄な体格に、爽やかに整えられた黒髪、結子と似た大きな瞳は、昔と変わらず煌めいている。服装は、カジュアルなジャケットを着て、七分丈のパンツにスニーカー、背中には革のリュックを背負っている。パッと見ただけでは高校生に見えるが、これでも二十四歳の立派な青年だ。
彼は瀬々市凛人、愛の義弟だ。
「たーちゃん、久しぶりー!」
「久しぶりだなー、大きくなったな!」
「へへ、結局たーちゃんの背は追い抜けなかったけどね」
わーっと走ってきた凛人を、多々羅が立ち上がってその体を受け止めれば、ヤヤは慌ててカウンターに飛び移った。
大きな瞳を輝かせ抱きつく様は、成人男性とは思えない、まるで子犬のようだ。
愛と違って凛人は昔から人懐こく、多々羅は実の弟のように凛人を可愛いがり、よく一緒に遊んでいた。
「今何やってんの?」
「小さいけど会社やってる。伝統工芸の職人さんと協力して、色々商品作ってるんだ。今は、小さい子供向けのおもちゃも作ってるよ。姉さんも喜ぶと思って」
「へぇ、凄いな…」
何故、結子が喜ぶのだろう、と多々羅は疑問を浮かべたが、それよりも、姉弟揃ってしっかりしているんだなと感心する。結子もアパレル会社を立ち上げたと言っていたし、さすが瀬々市家だなと、多々羅は感心するばかりだ。
「あ、ごめんな、今、兄ちゃん出ててさ。すぐそこだから案内しようか」
「あ、えっと…いいんだ、今日はたーちゃんに会いに来たんだ」
「え、俺?」
「うん。昨日、検診なの知ってたから来たんだけど、たーちゃん居なかったでしょ?だから、今日は会えるようにって先生に頼んで、たーちゃん連れ出して貰おうとしたんだけど、なんか舞子さんが兄さんに相談もあったみたいでさ、兄さん連れ出して貰っちゃった」
「そうだったの…?あ、じゃあ応接室…あ、二階でいっか。お茶出すからさ」
「ううん、ここで!あんまり時間ないし、もし兄さんが引き返してきたらまずいし」
その言葉に、多々羅の胸に不安が過った。まさか凛人に限ってそんなことはないと思うが、それでも確かめずにはいられず、恐る恐る口を開いた。
「…凛人も、愛ちゃん嫌ってるの?」
その問いに、凛人はきょとんとして、それから可笑しそうに笑った。
「まさか!俺は兄さん大好きだもん」
「…そっか、そうだよな。昔から愛ちゃんの真似ばっかしてたもんな」
多々羅は、ほっとして笑った。だが凛人の笑顔は、ほどなくして力無いものとなった。
「でも、多分兄さんは、俺の事トラウマになってると思う。俺、物の化身ってやつに襲われそうになった事があってさ」
「え?」
初めて聞く話だった。多々羅は驚いて凛人を見つめた。
「子供の頃、夜中にトイレ行きたくて、兄さんについてきて貰った事があってね、その時、俺何かに足を引っ掛けて転んで、そしたら兄さんが血相変えて俺の足掴んで、“凛人に手を出すな!”って、叫んだ事があったんだ。その時は、すぐにじーちゃんが飛んできたから、何ともなかったんだけどさ。でも、どうせなら襲われて、兄さんみたく見えるようになりたかった…なんて、そんな事言ったら、兄さん怒るだろうけど」
凛人は苦笑い、それから小さく溜め息を吐いた。




