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瀬々市、宵ノ三番地  作者: 茶野森かのこ


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7. 願い7


**



「明日、何も用事無いよな?」


その夜、多々羅(たたら)がキッチンで晩御飯の支度をしていると、倉庫部屋での仕事を終えたのか、愛が二階に戻ってきた。


「はい、何かあるんですか?」

「明日、俺の定期検診があるんだ。多々羅君も一緒に行って、一度検査受けておこうって先生がさ」

「え?どこも悪いところ無いですよ?」

「…わ、私のせいで、主は、」


子供のサイズで、多々羅のお手伝いをしていたヤヤが、わなわなと震えながら、すかさず土下座をしようとするので、多々羅は慌てて「俺、どこも悪くないから!」と、頭を上げさせた。

その様子を見て、愛は苦笑いつつ、ヤヤの前に膝をついて視線を合わせた。


「ただの健康診断だよ。化身や禍つものに取り憑かれてない人間だって、定期的に行うものなんだ」

「…そ、そうなのですか?私のせいで傷を負ったからでは、」

「違う違う!俺は健康だから!」


すかさず多々羅が言い募れば、ヤヤは泣きそうに顔を歪めながら顔を上げた。


「本当ですか…?」

「本当本当!それを証明する為に行こうって話だから!ヤヤも行くか?」

「行きます!何処にでもお供します!」


途端に表情を輝かせたヤヤに、多々羅は窺うように愛を見るので、愛は仕方なさそうに笑って頷いた。




**




そんな訳で、翌日、多々羅は愛とヤヤと共に信之(のぶゆき)の車に乗り込んだ。

今日は、宵の店も、喫茶“時”も休みだ。


愛は、信之と共に半年に一度、病院に向かう。向かうのは、信之が開業した梁瀬(やなせ)医院だ。

梁瀬医院は内科が主だが、その裏では、物の化身による被害にあった人々の後遺症等も診ており、他の宵の店とも繋がりがあるという。

信之は、病院や後輩医師の様子を見る為、また相談を受ける為、月に一度病院に顔を出すので、愛もそれに合わせて検診を行っていた。


定期検診では、濁った翡翠の瞳の様子を診るという。


まだはっきりした事は分かっていないが、愛が物の化身を見る事が出来るのは、その瞳に、物の化身が祓われた跡があるからだと考えられている。


幼い愛が運び込まれたのも、この病院だった。


何かが取り憑いて祓われたのか、それとも愛に傷だけを残して立ち去ったのか、祓い方に誤りがあったのか、またはこのようにしか祓えなかったのかは今も分からないが、禍つものの力が残ってしまった為に、愛の体には、本来は無い筈の力が根付いてしまった。


その為、愛は定期的に検診を行っている。この瞳に残る力の影響が他に出ていないか、その瞳に変化はないか。

信之が病院を後継に託してからは、信之と共に、信之の後輩医師に診て貰っていた。皆、物の化身が見える訳でも、信之のように影が見える訳でもないので、それに代わる様々なデータを駆使しての診断になるが、それでもそれは信頼のおけるものだった。



梁瀬医院は、東京の郊外にある。こじんまりとした個人病院だが、地域住民の信頼も厚く、待合室にはいつも多くの人が集っていた。

少しして多々羅が呼ばれると、信之も同時に立ち上がった。


「僕も行って説明してくるね」


順番待ちの中、信之は愛にそう声を掛けた。愛は頷き、待合室の角で壁に寄りかかっていた。この中に、禍つものの被害を受けた患者はどれ程いるだろう、そんな事をぼんやり考えていると、視界の角に女性の姿が目に留まり、愛は瞬間、どっと胸を打ち付け、息が止まるかと思った。

胸が苦しくなり、そんな自分を落ち着けようと、胸に手をあて、必死に呼吸を繰り返し屈み込む。


彼女はこちらに気づいただろうか、愛が胸を押さえつつ恐る恐る顔を上げたが、彼女の姿はもうそこになかった。


「……」


愛は大きく息を吐き、胸に当てた手を握りしめる。その手はまだ震えていた。



**



「ありがとうございました!」


信之に礼を言って車を降りると、多々羅は店とは真逆の方へ歩き出す愛を慌てて引き止めた。


「愛ちゃん、こっち!」

「え?あぁ、悪い。考え事してた」

「……」


いつもなら、嘘だなと、その言葉を疑うのだが、今の愛の様子を見ると、嘘を言っているように聞こえなかった。

多々羅が検査から戻ってから、愛はどこか上の空だ。病院の待合室で何かあったのだろうか、多々羅がさりげなく聞き出そうと試みるが、愛は何も答えようとせず、多々羅と信之は何度も視線を合わせ愛の様子を窺っていたが、理由は分からないままだ。

因みに、多々羅も愛も、今日の内に分かる検査の結果は問題無く、それについてはヤヤも一安心だった。


「あ、帰って来た!」


弾む声に顔を上げると、椿(つばき)が店の方から駆けて来た。今日も制服姿なので、学校帰りだろうか。


「もう、休みならそう言ってよ!」

「椿ちゃんどうしたの?」

「愛ちゃんに会いに来たに決まってるでしょ!」


にこにこと愛に会えて嬉しそうな椿に、愛がすかさず大きな溜め息を吐くので、多々羅は苦笑った。しかし、どんな態度でもめげないのが椿だ。


「ね、見て見て!私達の愛の結晶だよ、大きくなったでしょ」

「誤解を生むような言い方やめろ」

「だって本当の事じゃん!」


「何なに?」と、多々羅が椿のスマホを覗くと、そこには可愛らしい猫の写真があった。


「あ、もしかして、お守りの猫?」

「せいか~い!あの子猫がもうこんなに大きくなったの!見て見て愛ちゃん!」

「見た見た、見たから帰れよ、暗くなるぞ」

「せっかく会えたのに!そうだ、男の人来てたよ」


愛は椿の言葉に首を傾げた。


「客か?」

「そうじゃない?ねぇ、二人して何処行ってたのー?」

「何処でも良いだろ」


「教えてよ!」と、椿はめげずに愛にまとわりついている。愛はいつもの様にあしらっているが、そのいつもの姿が見れて、多々羅はほっとしていた。

椿が居ると、嫌でも場が明るくなる。その明るさに、愛の気持ちが少しでも明るくなれば良いなと、多々羅は思わずにいられなかった。



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