7. 願い7
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「明日、何も用事無いよな?」
その夜、多々羅がキッチンで晩御飯の支度をしていると、倉庫部屋での仕事を終えたのか、愛が二階に戻ってきた。
「はい、何かあるんですか?」
「明日、俺の定期検診があるんだ。多々羅君も一緒に行って、一度検査受けておこうって先生がさ」
「え?どこも悪いところ無いですよ?」
「…わ、私のせいで、主は、」
子供のサイズで、多々羅のお手伝いをしていたヤヤが、わなわなと震えながら、すかさず土下座をしようとするので、多々羅は慌てて「俺、どこも悪くないから!」と、頭を上げさせた。
その様子を見て、愛は苦笑いつつ、ヤヤの前に膝をついて視線を合わせた。
「ただの健康診断だよ。化身や禍つものに取り憑かれてない人間だって、定期的に行うものなんだ」
「…そ、そうなのですか?私のせいで傷を負ったからでは、」
「違う違う!俺は健康だから!」
すかさず多々羅が言い募れば、ヤヤは泣きそうに顔を歪めながら顔を上げた。
「本当ですか…?」
「本当本当!それを証明する為に行こうって話だから!ヤヤも行くか?」
「行きます!何処にでもお供します!」
途端に表情を輝かせたヤヤに、多々羅は窺うように愛を見るので、愛は仕方なさそうに笑って頷いた。
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そんな訳で、翌日、多々羅は愛とヤヤと共に信之の車に乗り込んだ。
今日は、宵の店も、喫茶“時”も休みだ。
愛は、信之と共に半年に一度、病院に向かう。向かうのは、信之が開業した梁瀬医院だ。
梁瀬医院は内科が主だが、その裏では、物の化身による被害にあった人々の後遺症等も診ており、他の宵の店とも繋がりがあるという。
信之は、病院や後輩医師の様子を見る為、また相談を受ける為、月に一度病院に顔を出すので、愛もそれに合わせて検診を行っていた。
定期検診では、濁った翡翠の瞳の様子を診るという。
まだはっきりした事は分かっていないが、愛が物の化身を見る事が出来るのは、その瞳に、物の化身が祓われた跡があるからだと考えられている。
幼い愛が運び込まれたのも、この病院だった。
何かが取り憑いて祓われたのか、それとも愛に傷だけを残して立ち去ったのか、祓い方に誤りがあったのか、またはこのようにしか祓えなかったのかは今も分からないが、禍つものの力が残ってしまった為に、愛の体には、本来は無い筈の力が根付いてしまった。
その為、愛は定期的に検診を行っている。この瞳に残る力の影響が他に出ていないか、その瞳に変化はないか。
信之が病院を後継に託してからは、信之と共に、信之の後輩医師に診て貰っていた。皆、物の化身が見える訳でも、信之のように影が見える訳でもないので、それに代わる様々なデータを駆使しての診断になるが、それでもそれは信頼のおけるものだった。
梁瀬医院は、東京の郊外にある。こじんまりとした個人病院だが、地域住民の信頼も厚く、待合室にはいつも多くの人が集っていた。
少しして多々羅が呼ばれると、信之も同時に立ち上がった。
「僕も行って説明してくるね」
順番待ちの中、信之は愛にそう声を掛けた。愛は頷き、待合室の角で壁に寄りかかっていた。この中に、禍つものの被害を受けた患者はどれ程いるだろう、そんな事をぼんやり考えていると、視界の角に女性の姿が目に留まり、愛は瞬間、どっと胸を打ち付け、息が止まるかと思った。
胸が苦しくなり、そんな自分を落ち着けようと、胸に手をあて、必死に呼吸を繰り返し屈み込む。
彼女はこちらに気づいただろうか、愛が胸を押さえつつ恐る恐る顔を上げたが、彼女の姿はもうそこになかった。
「……」
愛は大きく息を吐き、胸に当てた手を握りしめる。その手はまだ震えていた。
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「ありがとうございました!」
信之に礼を言って車を降りると、多々羅は店とは真逆の方へ歩き出す愛を慌てて引き止めた。
「愛ちゃん、こっち!」
「え?あぁ、悪い。考え事してた」
「……」
いつもなら、嘘だなと、その言葉を疑うのだが、今の愛の様子を見ると、嘘を言っているように聞こえなかった。
多々羅が検査から戻ってから、愛はどこか上の空だ。病院の待合室で何かあったのだろうか、多々羅がさりげなく聞き出そうと試みるが、愛は何も答えようとせず、多々羅と信之は何度も視線を合わせ愛の様子を窺っていたが、理由は分からないままだ。
因みに、多々羅も愛も、今日の内に分かる検査の結果は問題無く、それについてはヤヤも一安心だった。
「あ、帰って来た!」
弾む声に顔を上げると、椿が店の方から駆けて来た。今日も制服姿なので、学校帰りだろうか。
「もう、休みならそう言ってよ!」
「椿ちゃんどうしたの?」
「愛ちゃんに会いに来たに決まってるでしょ!」
にこにこと愛に会えて嬉しそうな椿に、愛がすかさず大きな溜め息を吐くので、多々羅は苦笑った。しかし、どんな態度でもめげないのが椿だ。
「ね、見て見て!私達の愛の結晶だよ、大きくなったでしょ」
「誤解を生むような言い方やめろ」
「だって本当の事じゃん!」
「何なに?」と、多々羅が椿のスマホを覗くと、そこには可愛らしい猫の写真があった。
「あ、もしかして、お守りの猫?」
「せいか~い!あの子猫がもうこんなに大きくなったの!見て見て愛ちゃん!」
「見た見た、見たから帰れよ、暗くなるぞ」
「せっかく会えたのに!そうだ、男の人来てたよ」
愛は椿の言葉に首を傾げた。
「客か?」
「そうじゃない?ねぇ、二人して何処行ってたのー?」
「何処でも良いだろ」
「教えてよ!」と、椿はめげずに愛にまとわりついている。愛はいつもの様にあしらっているが、そのいつもの姿が見れて、多々羅はほっとしていた。
椿が居ると、嫌でも場が明るくなる。その明るさに、愛の気持ちが少しでも明るくなれば良いなと、多々羅は思わずにいられなかった。




