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瀬々市、宵ノ三番地  作者: 茶野森かのこ


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7. 願い3


珈琲の香りが部屋に立ち込める。多々羅は、愛の前にカップを差し出した。


「零番地は、禍つものになりそうな物を、各店に対処するよう振り分けているんだ。中には、捨てられた物や、忘れさられて置き去りにされた物がいるから、それらを定期的に探してる」

「じゃあ、倉庫部屋に入るなっていうのは」

「単純に危険だからだ。まぁ、今回のヤヤみたいな事は滅多に起きないだろうけど、中には既に禍つものになっている化身もいる。うっかりって事がないように、これからもあの部屋には鍵を掛けておくし、今まで以上に管理を徹底するし注意もする。だから、多々羅君はあの部屋には入らないで」

「…分かりました」


好奇心が消えた訳ではないが、ヤヤに取り憑かれ自分を見失った事を思い出せば、罪悪感が押し寄せてくる。自分を見失っていたとはいえ、この手で愛の首を締めていたのだ、それを思えば、とんでもないことをしてしまったと、多々羅はどうしたって自分を責めずにはいられないが、愛を見れば、神妙に頷いた多々羅を見て、どこかほっとした様子で肩を下ろし、ゆったりとソファーに背を預けている。その姿からは、多々羅を警戒している様子も見られない。


愛は化身に恐れられてはいるが、禍つものによって体を乗っ取られた人間から、敵意を向けられた事はあるのだろうか。


「…愛ちゃんはさ、こういう経験、今までもあったり…するんですか?」

「こういう?」

「その…襲われる、とか」


聞いてもいいことなのか悩みつつも言葉にすれば、愛は何でもない事のように笑って頷いた。


「この仕事をしてれば、誰だってそういう事に直面するよ。でも、多々羅君が気にする事はないよ。あれは、多々羅君に乗り移ったヤヤがしたことで、ヤヤも苦しかっただけだ。だから誰も悪くない、多々羅君が気にすることは何もないし、責任は、ヤヤの事を見抜けなかった宵の店や、俺にあるからね」

「そんな事は…」


続く言葉に迷ったのは、愛にはやはり、似たような経験があるのかということ。迷うように視線を落とした多々羅に、愛は暫し多々羅を見つめ、それから軽く居ずまいを直し、口を開いた。


「俺は君に怯えたりしないよ」


そのまっすぐと伝わる言葉に、多々羅がぽかんとして愛を見れば、愛はやはりまっすぐとこちらを見つめていた。その眼差しには、嘘や取り繕う様子はなく、多々羅の心から、すっと靄が晴れていくのを感じる。そうして気づく、心が靄に覆われていたことに。気づけば心が、ふっと軽くなっていて、愛はこんな心さえ見抜いたのだろうか、多々羅にとってそれが一番心配していたことだと。


「多々羅君?」


反応のない多々羅を不安に思ってか、愛が心配そうに声を掛ける。多々羅は、はっとして、それでも拭いきれない不安に、迷いながらも声を掛けた。


「でも…不安になりませんか?心は変わるでしょ?禍つものには、いつだってなれてしまう訳だし、俺も、またいつ体を乗っ取られるか…」


自分の手のひらを見つめて呟く多々羅に、愛も同じようにその手を見つめ、それからそっと表情を緩めて顔を上げた。


「そうなったら、また説得すれば良いだけだ。多々羅君に至っては、自力でヤヤの思いをはねのけたじゃないか」

「それは、愛ちゃんが声を掛けてくれたから…」

「うん、だから、いつだって多々羅君には俺の声が届くってことだろ?それだけで、俺は随分安心出来る。ちゃんと、君は俺の話を聞いてくれる、どんなに心を囚われても戻ってきてくれるって信じてるからね。不安はないよ」


淀みなく言ってのける愛に、多々羅はその心の深さに、その強さに、不安がる胸を抱き締められたような、救われた気持ちになった。


自分の意思ではないとはいえ、反省したとはいえ、自分の首を締めた人間と物の化身を側に置いているのだ、自分ならもう少しくらい躊躇するかもしれない。


それでも愛は、自分を信用してくれている。物の化身の事には前から寛容に思うが、対して人には壁を作る愛だ。自分を少しでもその心の内に置いてくれているだろうか、そう思えば嬉しさが込み上げて、多々羅は改めて愛の注意をしっかりと受け止め、身の引き締まる思いだった。


今回の事で、自分に危険が及んだら、愛も危険に晒されるという事がよく分かった。だからといって、何でもかんでも守られていく訳にはいかない。取り憑かれた時、毎回ヤヤのように、化身を説得出来る事ばかりでもはないだろう。

見えなくても、聞こえなくても、出来ることはある筈だ。その中で、愛の為になれるように自分も何か力をつけていけたら。そんな決心を固めていた。


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