6. 禍つもの13
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「本当に、申し訳ありませんでした!」
翌朝、少しの重だるさを感じつつ、多々羅が部屋を出ると、リビングにも部屋にも愛の姿がなかった。不思議に思うと同時に不安が胸を過り、落ち着かない思いで一階に向かうと、聞き慣れない子供の声が聞こえてきた。客でも来てるのかなと、開いている応接室の中をこっそり覗けば、応接室で土下座をしている少年の姿があり、多々羅はぎょっとした。
「ちょっと、何、子供を土下座させているんですか!」
何があったか知らないが、いくら少年が悪さを働いたとしても、土下座はやり過ぎではないか。
多々羅が思わず部屋の中へ飛び込めば、少年が驚いたように顔を上げ、その対面には、同じく驚いた様子で顔を上げる、跪いている愛がいた。愛の腕は少年の肩に伸び、顔を上げさせようとしているのが分かる。愛が少年に土下座をさせていた訳ではないと知れば、多々羅は顔を真っ青に染めた。少し考えれば分かる事だ、愛が誰かに土下座なんてさせる筈ないのに。
「ご、ごめん!俺びっくりして、愛ちゃんがそんな事させる筈ないのに…」
勝手に勘違いをして、愛を酷い奴だと決めつけてしまった、その事が申し訳なく、多々羅が一人であわあわしていれば、愛は不思議そうに眉を寄せ、立ち上がった。
「多々羅君、」
「本当にすみません!俺、勘違いして、最悪ですよね、本当に、もう自分でも自分が嫌になる…」
「いや、良いよ、それは気にしてないから。それより、体調は?起きて大丈夫なのか?」
愛に対して失礼な事を言ったのに、それでも愛は多々羅を心配する。そんな愛の優しさに、多々羅はますます自分が情けなく思えた。
「はい、ちょっと怠いくらいで問題はないです」
そして、先程から気になっていた少年へと視線を向けた。一体、この子は誰なのだろうと考えを巡らせた所で、多々羅は妙な違和感を覚えた。
人間、だよな…?
まさか…違うよな。
つい、まじまじと少年を見つめてしまえば、愛は多々羅の様子に気づいて、背後に視線を向けた。
多々羅の目には少年と愛しか見えていないが、この場には、用心棒達も姿を現しており、皆、困惑した様子で愛と視線を交わしている。
多々羅に見つめられている少年は、戸惑っているのか、泣きそうな表情は怯えているようにも見えたので、多々羅は慌てて不躾な視線を緩めた。
「ご、ごめんね!ちょっと気になる事があって…あの、愛ちゃん、この子は、」
「やっぱり、見えるのか!?」
少年が何者か尋ねようとすると、愛が再び驚いた様子で多々羅に詰め寄ってくる。
見える、その勢い込んだ愛の言葉に、多々羅は、まさかという思いで目を瞬いた。
「…やっぱりって、もしかして…」
「昨日の簪の化身、つくも神のヤヤだ」
その言葉に、多々羅は呆然として、少年を見つめた。
見た目は十歳位、くりっとした瞳が愛らしい少年だ。長い髪を後ろに結い、萌葱色の袴を着ている。その袴はちょっと変わっていて、お尻の方がこんもりと膨らんでおり、メジロのお尻のようだった。
昨日は全身真っ黒の姿だったので、黒い影の下にはこんな可愛らしい少年がいたのかと、多々羅は驚いていた。頭に流れてきたヤヤの記憶は、彼の視点で見た記憶だったので、化身となった姿は分からなかった。それでも、彼の記憶に触れたからか、その思いが体に入ったからか、昨日のつくも神は彼なのではないかと、直感が働いていた。
だが、それよりも多々羅は驚いている事がある。多々羅を呆然とさせているのは、今、自分は化身が見えるゴーグルを掛けていないのに、ヤヤの姿が見えているという事だ。
「アイリス達の姿はどうだ?見えているのか?」
愛の問いかけに、多々羅ははっとして、それから辺りを見渡したが、やはり多々羅の目に映っているのは、愛とヤヤだけだった。
「皆、居るんですか?皆は見えないけど…え、どうして?これも後遺症?」
ゴーグルをしなくても見えるなら嬉しい事だが、突然の自分の変化に、多々羅は困惑していた。
それに、見えるのはヤヤだけだ、どうしてヤヤだけしか見えないのだろう。
それには、愛も難しく表情を歪めた。
「…分からないけど、体を乗っ取られたのがつくも神だった事が影響してるのか…そう言えば、昨日も禍つものになりかけたヤヤが見えてたよな?」
「はい。そう言えば、それもおかしいですよね」
信之は化身ではなく、物の思いが影として見えるというが、多々羅にはそれすら見えた事はない。倉庫部屋に引き摺り込まれた時は、ゴーグルを掛けていたから黒い影が見えていただけで、禍つものになりかけていたヤヤの黒い姿も、本来なら見えない筈だ。
「体に入られたから、昨日は一時的な事かと思ってたけど…。そもそも、取り憑かれた翌日にぴんぴんしてる人間の事例も無いからな…」
愛はますます困惑している様子で、首の後ろを掻いている。二人して唸っていると、「あの、」と、下から声が聞こえた。視線を向けると、ヤヤが正座をしたまま多々羅を見上げており、その泣きそうな表情とは裏腹に、ヤヤはしっかりとした声で頭を下げた。
「多々羅殿、申し訳ありませんでした!」
先程、開いていたドアの隙間から多々羅が見たのと、まるで同じ光景が目の前に広がり、多々羅はきゅっと胃が縮むような感覚を覚えた。
「いや、謝らなくていいから!俺なんか全然気にしないでいいからさ!顔上げて」
そう焦って声を掛けても、ヤヤは床に手をついて下げた頭を横に振るだけだ。困って愛を振り返れば、愛も困ったように肩を竦めている。




