6. 禍つもの12
二階に上がると、愛は多々羅の部屋をノックした。中からは、いつものような軽やかな返事が聞こえてくる。ドアを開け、愛はベッドに横たわる多々羅を見ると、込み上げる思いに唇を噛み締めた。
先生が帰ったこと、安静にしていること、お腹は空いてないか、何か辛いことはないか。そんな言葉を用意していた筈なのに、言葉を見失ってしまった。その代わりに浮かび上がったのは、どうして襲われたのが自分ではなかったのか、という思いだ。もし自分が襲われていれば、そう考えて、それでも次に頭に浮かんだのは、自分を守ろうとする多々羅の背中だった。
どちらにせよ、多々羅は同じ目に遭っていたかもしれない。自分は、弱い。
「愛ちゃん、本当に大丈夫?」
多々羅を起き上がれなくさせたのは自分なのに、それでも多々羅は自身が悪いと感じていて、こんな風に人の心配ばかりしている。今回の事は、荷物の管理をしていた自分にも落ち度がある、それ以上に感じてしまうのは、何かを守る為の力量のなさ。
自分にもっと力があれば。
噛み締めた唇をほどけば、どうしても込み上げる思いを押し込める事は出来なかった。愛はベッドに勢いよく近づくと、多々羅の胸倉を掴もうとして、でも出来なくて、その胸に拳を落とした。
「…どうしてあんな無茶したんだよ、言っただろ、また倒れるような事があったら、俺は、」
不甲斐なくて、やるせなくて、悔しくて、苦しい。
多々羅を守らないといけなかった、なのに結果、守られてしまった。そう思えば、また何も出来なかったと、いつかの記憶が蘇る。愛の声は次第に震え、先の言葉を続けられず、再び唇を噛んだ。
多々羅はそんな愛の様子を見て、愛の拳を、とんとんと指で叩いた。顔を上げた愛は泣き出しそうなしかめ面で、「何て顔してんの」と、多々羅が笑えば、笑われた愛は戸惑うように瞳を揺らし、「別にどんな顔もしてない」と、多々羅の体から手を離すと、ふいっと顔を背けた。そんな愛の様子に、多々羅はどうしたって頬を緩めてしまう。
「無茶した訳じゃなくて、愛ちゃんの力になりたかったっていうか…それじゃ格好つけか…、ただ、俺に出来る事がしたくて、咄嗟に。だって、俺、実際に酷い事してたし、」
「それは、意識を乗っ取られていたからだろ。多々羅君の責任じゃない」
愛は眉を寄せて俯きながら、ぽつりと呟いた。多々羅は「でも」と、自分の手のひらに視線を向けながら言葉を続けた。
「でも、怖かったよ俺は。愛ちゃんに何をしてるんだって、自分の手が愛ちゃんを傷つけてるって気づいて、怖かった。だから、これ以上、愛ちゃんを傷つける訳にはいかないし、俺だって盾くらいにはなれるって」
愛は多々羅の言葉に、思い切り眉を寄せた。しかめ面を浮かべ黙るのは、腑に落ちない、という思いの表れだろうか。そんな愛の態度に、多々羅は幼い愛の姿を思い浮かべていた。
「…楽しかったって言ってくれたの、嬉しかったんだよ。俺、家の期待には応えられないし、何の取り柄もないし。俺って、何の為に生きてんのかな、なんて考えて。久しぶりに瀬々市邸に行ったのも、昔に戻りたかったのかもしれない。なのに、久しぶりに会った愛ちゃんは、なんか壁が出来てるし、自分なんかどうでもいいみたいな顔して、それが悔しくて…」
「え?」
「だって、その瞳、俺はずっと綺麗だと思ってたし、特別な力があるなんてカッコいいって思ってた。背負ってる物は分かんないけど、力になりたかった。ここで、俺も何か出来るんじゃないかって、あの頃みたいに」
そこまで言って、「自分勝手で、これじゃ迷惑だよな」と、多々羅は焦って繕ったが、愛が俯くので言葉を止めた。
「…何も知らない癖にって思ってたけど、嬉しかったよ。俺は、いつも多々羅君に頼ってばかりだ」
「…迷惑じゃない?」
「今更気にすんの、それ」
「だってさ…」
多々羅は苦笑い、俯く愛を見て、思い直したように再び口を開いた。
「でも、そんなに簡単に傷つかないよ」
「え?」
「簡単に壊れないよ、人も絆も」
多々羅は笑って言った。
「この通りさ」と、おどけるように笑って、その優しい思いが胸に突き刺さり、愛はまた顔を伏せた。唇を引き結び、思いが溢れて震えそうになり、誤魔化すように再び顔を上げた。
「…バカだな。そんなの、口で言ってくれよ」
「じゃあ、何度でも言うよ。愛ちゃんが信じられるようになるまで。俺は、瀬々市の皆は、何があったって平気なんだから」
多々羅は、笑って言う。何て事ないように言ってくれる。愛は、それが嬉しくて、怖かった。




