6. 禍つもの10
「黒い影の状態で少年の姿を保ってたので、つくも神なのは間違いありません。でも、完全な禍つものでは無かったんだと思います」
「完全かどうかって、どう判断するの?」
多々羅の疑問に、愛は小さく肩を竦めた。
「今、多々羅君が普通に喋れてるのがその証拠だろうね。もし、相手がつくも神で禍つものになってたら、多々羅君の体から出た時点で、多々羅君は意識を失ってたと思う。多々羅君の体から化身が出た時、多々羅君は立ち上がれる状態だったし、その後に化身も少年の姿を現してたから、禍つものになりかけのつくも神だと思ったんだ。
何より、つくも神が禍つものになってたら、気配がもっと禍々しいし、もっと手に負えない。話も通じない状態がほとんどだ。あの化身は、多々羅君の言葉に反応してたしね」
愛の言葉に、多々羅は黒く染まった少年を思い浮かべ、眉を寄せた。顔は黒く染まってよく見えなかったが、あの化身は苦しんでいた。自分の思いに、押し潰されそうだった。
「禍つものになる寸前とはいえ、つくも神の化身だし、それが体に入って時間も経っていたからな…まぁ、何も無いに越した事ないけど」
「…確かに、どうなってもおかしくありませんね」
イレギュラーな事は、不安にも繋がる。こめかみを掻いて悩んでいる様子の信之に、同感して愛も再び心配顔になる。
多々羅は、ふと疑問を浮かべた。
「あの、禍つものが人に取り憑くのって、人の心を奪う為ですよね?」
「うん、力を得る為にね。腹いせにってのもあるけど、結局はそれも自分の力とする訳だしね」
信之の言葉に、多々羅はうん、と唸り首を傾げた。
「…あの化身、俺の心を奪うつもりで取り憑いたんじゃなかったのかも」
「え?」
「俺の体から出てもう一度向かって来た時、俺の中に入ろうとしなかったし、ずっと苦しんでて、迷ってるみたいだった。多分、どうしたら良いのか分からなくなったのかと」
「迷ってるって?」
「俺、急に体が引っ張られて、気づいたらあいつの気持ちや記憶がぶわーって流れてきて。それで俺、自分が誰なのか分からなくなってたんですけど、そしたら、愛ちゃんの声が聞こえて」
そこで愛と目が合うと、愛は自分の発言を思い出して照れくさくなったのか、多々羅から慌てて目を逸らした。多々羅が思わず頬を緩めると、今度は睨まれ、多々羅は緩んだ頬を慌てて引き締めた。
「…それで、体の中に何かが居るのに気がついて抵抗したんですけど。
あいつ、自分の事が分かんなくなってるっていうか、思いに囚われてるみたいだった。
ここに来て、愛ちゃんの、物と向き合ってる姿見て助けて欲しいって思っても、そんな自分の気持ちを受け入れられなくて混乱してたみたいで。だから、ただその思いから解放されたかっただけなのかなって。だから、取り憑かれても、怖いものとは思えなくて」
「…あいつ、大丈夫かな」と、心配そうな多々羅の言葉に、愛はきょとんとして多々羅を見つめ、信之は思わず笑ってしまった。
「随分優しい助手を持ったね」
そう、どこか面白そうに笑う信之に、愛は「…先生、」と、頭を抱えたくなる。そんな愛に、信之は「ごめんごめん」と笑って肩を叩いた。
「でも、良く分かったよ、化身に敵意は無かったんだね。それで納得がいった」
それには、多々羅が首を傾げた。信之は多々羅に向き直って言葉を続けた。
「不思議だったんだ。多々羅君には、禍つもの…その化身の、思いの欠片も見えないからさ」
「欠片?」
「そう。いくら祓える力があっても、闇雲には祓えないんだ。だから、その分どうしても対処が遅れて、その間に、体を支配しようとする思いは霧のように体を巡るから、祓いきれない欠片が体の中に残ってしまうんだ」
「どうして、すぐに祓えないんですか?」と尋ねると、それには愛が答えた。
「化身が、どの程度体に入り込んでいるか分からないからだ。その進行具合によって、こちらの加減も変えなきゃならない。下手したら、取り憑かれた人間の心も壊しかねないからな。だから、先ずは言葉で説得して見極めるんだ」
「体に残った欠片は、取れないんですか?」
「祓えるよ。ただ、時間がかかった分、思いは根を張ってその体の中に跡を残してしまう。命に別状はなくても、人の体には不可となって、それが後遺症として表れるんだ」
「そう、だから、ある筈の欠片すら多々羅君には見当たらないから、ちょっと不思議だったんだけど。あの化身が、元から心を奪って力を得るつもりがないなら、こういう事もあり得るのかもしれない」
「でも、油断は禁物だけどね」と、信之は気を引き締めて言った。
「多々羅君が、化身を跳ね飛ばしたんでしょ?」
「愛ちゃんの声が聞こえて。桜の簪は知らないって、愛ちゃんが物の心を奪う筈ないだろって、それ以上自分を苦しめるなよって…そんな事言ってたら、体が自由になってて…」
「あいつ、辛そうだった」と、ぽつりと零した言葉に、愛は黙って多々羅に目を向けた。その愛を見て、信之は困ったように眉を下げた。
「いくら言葉や思い込みで繕おうとも、本心は隠せない…心は厄介だね、自分の物なのに、ままならないなんて」
信之の言葉に、多々羅は、取り憑かれた時の事を思い出す。突然襲われた黒い塊、その中で、化身の、時代を越えた思いに溺れかけた事。
あの時、多々羅には、あのつくも神の記憶や思いが流れ込んできていた。




