6. 禍つもの7
「多々羅、」
その瞬間、翼や腕に形を変え、多々羅の背中で蠢いていた黒い影が一塊となり、多々羅の体から勢いよく飛び出ていく。それは、あっという間に部屋中を囲い、再び愛と多々羅に勢いよく向かってきた。
「くそ、」
愛は咄嗟に多々羅の頭を庇い抱きしめたが、その腕は、勢いよく弾かれた。え、と顔を上げれば、多々羅が愛を押し退けて立ち上がり、黒い影の塊に向かって両手を広げていて。それらは、真っ直ぐと多々羅へ飛び込んできた。
「多々羅!」
体の中へ飛び込んでくる影の塊を、多々羅がその両腕で抱き止めた。衝撃に一歩後ずさったが、多々羅はその腕を弱める事はなかった。ぐるぐるととぐろを巻いて、その腕から逃れようとしてか、大きく影の腕を伸ばしては多々羅の体を押しやって、引き剥がそうとしている。だが、それでも多々羅の腕は強く、影を放す事はなかった。
「今、令和だぞ、江戸時代の主なんか、死んで遠にいないでしょ」
息を切らしてはいたが、多々羅のその声は、言葉は、ちゃんと多々羅のものだった。愛は、その事に安堵して、ほっと息を吐いた。
だが、黒い影は動きを止めた訳ではない。多々羅の腕の中で暴れ回るそれは、大きな翼をはためかせている。動くそれを押さえきれず、多々羅の腕が僅かに緩んだ隙をつき、それはその腕から抜け出てしまった。
「待て!」
多々羅は、黒い翼の端をかろうじて掴む。その翼の先には、少年がいた。肌も何もかもが黒く、目だけが白い。
「ただの禍つものじゃない、つくも神が禍つものになりかけてる」
黒い影は、禍つものとなった化身の証だ。だが、ただの化身が禍つものになってしまえば、化身としての姿を保てなくなる筈。今、少年のように姿を変えられるのは、ただの化身よりも力が強い、つくも神だけだ。
まずい、と愛は思った。つくも神なら、力は格段に上だ。その思いが人の体に根付けば、心を吸いとられ、更にはその力に耐えきれず、命を落とす可能性もある。
「多々羅君!手を放せ!」
愛が焦ってそう叫ぶが、多々羅は手を放そうとしなかった。多々羅の眼差しは、黒いつくも神から離れる事はない。
「あなたも、分かってるんでしょ?愛ちゃんを痛めつけて何になるの。せめて、見つからない片割れを探して貰う方が、あなたの為になるんじゃないの」
「知るか!どうせお前達が、彼女の心を消し、全て忘れさせたんだろ!でなければ、会えない筈がないんだ!私はこんなにもあの人を想っているのに、こいつが、翡翠の瞳が彼女を奪ったに決まってる!」
そう叫ぶ黒い影の少年に、愛は更に焦りを覚えた。恐らく少年は、自分が誰で、何をしたいのか分からなくなっている。禍つものとなってしまう物達は、思いを拗らせ、その思いに囚われてしまうのがほとんどだ。彼は、持ち主の想いを自分の想いと混濁させているのだろう。そのせいで、二人分の想いが積み重なり、言っている事も滅茶苦茶なのだ。このままでは、影に全て呑まれてしまう。
「この人は違う!」
少年に向かおうとした愛だが、多々羅の声に足を止めた。
「この人は、どんな物にも寄り添って、尊重しようとする。人にもそう、優しいから臆病で、一人で良いなんて言いながら、本当は強がってるだけなんだ!分かるでしょ?一緒に届けられた他の物達の気持ち、辛抱強く聞いてたって、あなたの記憶の中で、俺見たよ。それで、あなたが救われたいって思った事も、」
「黙れ」
「苦しかったんでしょ」
「黙れ、だまれ…!」
少年の背中から黒い影が溢れ出し、愛が多々羅の前に出ようとするが、多々羅は愛の体を押しやった。
「ちょ、」
床に尻もちをつき、愛が顔を上げる。黒い影が、多々羅の体を再び呑み込もうとしていた。
「多々羅君、駄目だ!」
二度はもたない。愛が手を伸ばした時、風が吹いた。静かな一陣の風に、まるで時を止めたような感覚にさせられる。
倒れ込む多々羅の前に、大きな背中が見える。ノカゼが鉄扇を真横に凪払えば、黒い影は真っ二つになって床に散った。




