6. 禍つもの4
「二ヶ月前にね。愛ちゃん、私達家族からは受け取ってくれないから」
「…遠慮してるとか?」
きっと、それだけじゃないんだろうなと思いながらも、多々羅が尋ねると、結子は肩を竦めた。
「遠慮だけなら良いんだけど…完全に距離置かれちゃってるからさ。だから、たーちゃんからなら受け取ってくれるかなって。愛ちゃん、たーちゃんには弱いから」
「…そうかな?」
結子には悪いが、それに関しては、疑問しかない。
「そうなの!それ、腕時計でね、家族皆で選んだんだ」
「瀬々市の皆さんは、本当に愛ちゃんの事を大事にしてるんだね」
「勿論!私達は、いつも愛ちゃんに好かれたいだけ。せっかく縁があって家族になれたのに、寂しいでしょ?」
でも、と、結子はそっと目を伏せた。
「…愛ちゃんは、いい加減鬱陶しいかもしれないけど」
「そんな事ないよ!俺だったら、結ちゃんにそんな風に思って貰えたら嬉しいよ!」
思いの外、熱のこもった言葉に、結子は多々羅を見上げて目を瞬いていたが、ややあって眉を下げて微笑んだ。
「ありがとう、たーちゃん」
その笑顔は寂しそうに揺れていて、多々羅の胸をきゅっと締め付ける。結子は、愛の事を本当に大事に思っているのだろう、その思いが伝わってきて、多々羅はその包みを大事に受け取った。これには、瀬々市の皆の愛情が詰まっている。多々羅は顔を上げると、しっかりと結子に頷いた。
「ちゃんと、愛ちゃんに渡すから」
「うん、よろしくお願いします」
そう、丁寧に頭を下げた結子を見て、多々羅は眉を下げて笑った。
「急に畏まらないでよ」
そう笑って言えば、「だって!」と結子は怒ったように顔を上げたが、その表情はすぐにいつもの笑顔に変わった。多々羅につられたのかもしれない。それから、詰めていた息を吐き出すように肩から力を抜き、椅子の背もたれに寄りかかった。
「あー、でも本当にたーちゃんが居てくれて良かった。ふふ、たーちゃんは、我が家の救世主だよ」
「大袈裟だな」
「本当に!」
「…俺は、そんなんじゃないし。それに、結ちゃんの力になれたらって思うだけだし。結ちゃんだからだよ」
「何それ!口説かれてる?」
「そう聞こえる?」
「ふふ、聞こえたかも」
「…俺は、結ちゃん好きだから」
「私も、たーちゃん好きだよ」
「え?」
まさかの発言に多々羅が顔を上げた所で、「ご注文はお決まりですか?」と、店員が来てしまい、多々羅は慌ただしくメニューを広げた。とりあえず、二人共日替わりメニューを頼み、再び結子に目を向ける。今のは冗談か本心か、問いかけようと口を開いた多々羅だが、結子が先に口を開いた。
「愛ちゃん、家でどんな感じ?」
「え?えっと…」
肩透かしを受けつつ、愛の様子を思い浮かべる。一瞬、いつかの勝ち誇ったような笑顔が浮かび、多々羅は苦い顔を浮かべたが、その愛の表情はすぐに別のものへと変わった。
「…そういえば、朝起こしに行った時、ちょっと様子がおかしかったな…寝ぼけてるのかと思ったけど、ぼーっとして、なんか疲れた顔してたっていうか…」
そう言って思い出す。幼い頃、愛が倒れた日の事を。もしかしたら、体調に変化が起きているのだろうか。大人になってからは、体との付き合い方が分かってきたようで、倒れる事はなくなったと聞いていたが、瞳の影響がどこで起きるか分からない。多々羅の胸は途端に心配でいっぱいになり、焦るように結子を見やった。
「先生に相談した方がいいかな?」
「あまり続くようなら、その方が良いかも。仕事の事かな…それなら、私達には相談にも乗れないし」
「また倒れたりしないと良いけど」
「愛ちゃんは、溜め込んじゃうからな…弱みを見せてもくれないし」
結子はそう言って、お冷やのグラスの水滴を指でなぞった。水滴が店の明かりに照らされ、微かに光って見える。多々羅はその煌めきに、愛の瞳を思い出していた。
「…どうして愛ちゃんは、あんなに瞳の事を気にするんだろう。記憶がなくても、愛ちゃんは愛ちゃんでしかないのに」
ぽつりと溢した多々羅に、結子も寂しく眉を下げた。
「そうだね。でも、いくら私達がそう言っても、本人が納得して受け止めてくれないと、何も変わらないんだよね。私達は、それを伝え続けたつもりだったけど、愛ちゃんは、私達の事を巻き込んで傷つけると思ってる。だから、なかなか壁を越えられないの」
結子の言葉を聞きながら、多々羅はふと、愛の言葉を思い出していた。
愛は、大事な物ほど、向き合うのは怖いと言っていた。
やはり、愛にとって瀬々市の家は大事だから、傷つけて失いたくないものだから、こうして距離を置くのだろうか。
でもきっと、人も絆もそんなに脆くはない。ここまで辛抱強く、血の繋がらない愛と向き合おうとしている家族なら、ちょっと傷ついたくらいでは、愛を見放したりしないだろう。
それでも、愛は怖いのだろうか。あの綺麗な瞳は、そんなに恐ろしいものなのだろうか。
それが本当に恐ろしいものだと、一体誰が決めたのだろう。




