5. 消えた指輪と記憶12
「ごめん!勝手な事ばかりして」
開口一番に頭を下げて謝った智に、麗香はきょとんとして、それから戸惑った様子で智の頭を上げさせた。
「あ、謝らないで、私こそ…私こそ、別人みたいに見えるでしょ?智さんの記憶の中の私と、今の私じゃ、違うでしょ?嫌気が差しても当然だと思うし…」
麗香は困ったように笑いながら、視線を足元へ彷徨わせた。その様子が、初めて言葉を交わした時の麗香と重なって、智は堪らず麗香に歩み寄り、抱き寄せようとしてその手を途中で止めた。まだ、触れて良いのか自信が持てず、迷いながら、そっと口を開いた。
「…同じだよ、麗香は何も変わっていない」
その言葉に、麗香は恐る恐るといった様子で智を見上げた。麗香の揺れる瞳と目が合えば、智の胸は、途端に緊張と不安が押し寄せたが、自分ばかり怖がっていては、麗香の隣に並び立つ事は出来ない。智は、そっと眉を下げて、泣きそうになりながら表情を緩めた。
「俺が、怖かったんだ。俺は元々、麗香と釣り合えるものなんて持ってないし、恋人になれた事も、夫婦になれた事も、まだ奇跡みたいだって思ってる」
「そんな事は、」
思わずといった様子で麗香が口を挟んだが、智は首を横に振って、その続きをそっと制した。
「だから、記憶がないって分かった時、怖くなったんだ。もう一度、麗香は俺を見てくれるのか、そもそも俺より良い奴はごまんといる訳だし、麗香の幸せを考えたら、もっと良い奴を選び直すべきなんじゃないかって」
「…それで、指輪を?」
「そう、幼稚だろ?指輪がなくなったせいにしたんだ、距離を置けば、このまま俺たちは何もない頃に戻れるんじゃないかって思ったけど…」
そんな事、出来る筈がなかった。智は俯いて大きく息を吐くと、再び麗香を見つめた。
「やっぱり、この指輪を麗香に嵌めて欲しい。俺、もう一度、君の夫に立候補しても…いいかな」
まっすぐと、堂々と言わないと、そう思っていたけれど、弱気の虫が騒いで、言葉が尻すぼみになってしまった。
失敗した、これじゃ麗香をまた不安にさせるだけだ。
頭を抱えたくなり、しょんぼりと肩を落とした智に、麗香は何を思っただろうか。彼女は揺れていた瞳を数度瞬かせて、それからほっとしたような戸惑うような、その表情は複雑なものになっていった。
「私、あの、」
その戸惑う声に、智は不安そうに顔を上げた。
「…まだ、思い出せなくて」
再び揺れる瞳に、智は、やはり駄目だったかと、ショックを受けながらも、何より一番に優先させるのは麗香の気持ちだと、悲しむ気持ちは見ない振りをして、無理矢理に表情を明るくさせた。
「うん、そうだよね、いいんだ。知らない奴といきなり夫婦って、そんなの怖いに決まってるし、俺達やっぱり、」
「そうじゃなくて!」
焦った様子で智の腕を掴んだ麗香に、今度は智が目を瞬いた。
「…智さんの知ってる私じゃなくても?それでも、私は側に居ても良いの…?」
不安に揺れた瞳が、縋るように願うように智を見上げ、智は悲しい気持ちが苦しいくらいの温かさで満ちていくのを感じた。
麗香は、こんな自分をまた選ぼうとしてくれているのか、それが信じられなくて、でも嬉しさでどうにかなりそうで、熱く込み上げる思いが智の視界を歪ませて。智は心配そうに見つめる麗香を見て、慌てて袖で涙を拭った。
「良いに決まってる。君は君で、変わりようないよ。今の麗香が、俺の知ってる麗香だよ」
その言葉に、麗香は智の腕を掴んだままの手にきゅっと力を込め、唇を噛みしめた。それから顔を俯けて、うろうろと視線を彷徨わせている。
困った時の、照れくさい時の、麗香の表情は、今も昔も変わらない。そう、麗香は変わらない、麗香が大事な人だって智だけだ。
「…良いの?側に居て、私の事、負担じゃない…?」
「負担な訳ないよ、側に居れない方が辛い」
それから、智は腕を掴んでいた麗香の手を取ると、麗香の戸惑う瞳を真っ直ぐに見つめた。
「…もう一度、君の夫に立候補して、良いかな」
今度は、迷いもなく言えた。
その言葉に、麗香は瞳を潤ませ微笑んだ。
「…よろしくお願いします」
**
そして、指輪は智によって、再び麗香の元に帰ってきた。
「指輪も、大丈夫ですよね?」
多々羅は、手を繋ぐ二人の姿を遠目に見つめ、愛を振り返った。
愛と多々羅は、智と共にこの公園にやって来ていた。麗香が来る少し前に、智にエールを送って帰る振りをしながら、公園の隅から二人の様子をこっそり見守っていたのだ。
そろそろ夕暮れ時、こんな物陰でこそこそやっていれば不審者に間違われかねないと心配していた多々羅だが、通報を受ける前に帰れそうでほっとしている。後、気がかりなのは、指輪の化身達だ。智と麗香の関係が修復されれば問題はなさそうだが、多々羅はゴーグルがないので、化身の様子を見ることが出来ず、ずっと気になっていた。
「問題ない、対の指輪もいるしね」
愛の言う通り、化身の二人は先程まで、智と麗香それぞれの肩の上に姿を現して嬉しそうにしており、化身達にも平穏な日々が戻ってきているようだった。
愛の話を聞き、多々羅もようやく安心したようだ。何より、憧れの二人が再び手を取り合ってくれたのが嬉しいのだろう、多々羅は清々しく伸びをしながら立ち上がった。
「そっか。いやー、でも良いですね。店長もしたくなったんじゃないですか?恋」
「俺はもうしない。言ったろ、一人で良いんだ」
「またそんな、」
「俺は、あんな風に傷つく覚悟で会いに行くなんて出来なかったしな」
「…え?」
「ほら、さっさと帰るぞ」
「あ、はい…あ!こっちこっち!逆ですよ、店長!」
愛は智と同じような経験があるのかと、多々羅は尋ねようとしたが、どこか寂しそうな横顔を見たら声も出ず、そっと思いを呑み込み愛の後を追いかけた。




